近藤良平や東野祥子が地元のダンサーや子供たちとダンス交流
- ワールドレポート
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掲載
ワールドレポート/大阪・名古屋
- 唐津 絵理
- text by Eri Karatsu
クリエイティブダンスフェスティバル2011
灼熱オドリタイム
国内外で活躍中のコンテンポラリー・ダンサーと地元のダンサーや子供たちと作品を創作して発表する「灼熱オドリタイム」も多治見市文化会館の恒例行事のひとつとなっている。今年は3組の舞踊家を招聘して、一般参加作品と講師作品で、合計6つの演目が上演された。
ひとつめの作品は、日本でコンタクト・インプロビゼーションの普及に努めているC.I.co代表の勝部ちこと鹿島聖子の指導による『WAVE』。コンタクト・インプロビゼーションは創作のためのダンスメソッドというよりも、自分と他者や空間という関係性の中で、自らの身体をより深く知り、自身が他者と共に即興的に踊ることを目的としている。
そのためこのメソッドを用いて創作する場合にある種の不自由さを感じる場合もあるが、ここでは<ふれあうことから始まるダンス>をテーマとして、それぞれの人間がもつ固有のリズムや他者との関係性を「波」に例えて作品化することで、手法と目的を上手く一体化することができていたように思う。
第一部では8名の一般参加者が、舞台に登場し、床に転がりながら移動していくローリングなどの簡単なコンタクト・メソッドを披露したり、シンプルなルールに基づいた動きを即興的に行い、制限の中での自由さと瞬時に判断することの重要性を体感させていた。
第二部はさざめく波の音に合わせながら、2人の講師兼ダンサーが儀式のように互いの身体を感じ合うところから始まった。ユニゾンから導き出されたナチュラルな動きは、それぞれの個性に応じて少しずつズレ、そして互いを支え合う。それは最小単位ながら社会の縮図のようにも感じられ、宇宙のマクロがミクロの身体と一致した瞬間に立ち合ったような心地よい空間が広がっていった。
2組目のアーティストは、男性だけのダンスカンパニー・コンドルズより近藤良平、藤田善宏、鎌倉道彦の3名。
彼らの指導を受けた多治見在住の6名の男性たちは、それぞれ固有の仕事をもつユニークな男たちだ。チーム「またたび」と名付けられた彼らは、個性的なキャラクターと肉体をデフォルメするような動きで舞台上で個性を爆発させる。指揮者となった藤田の前に並んだ男たちは、彼の指揮に従って雄たけびを上げたり、簡単なセリフを話したり。
『オモヒデ坂』というタイトルのこの作品も、踊りあり、コントありというコンドルズの舞台のエッセンスがあちらこちらに散らばっている。そして個性的な男たちのはじけぶりはコンドルズのメンバーにも負けていない。藤田、鎌倉のさりげないスムーズなリードによって、ロックのリズムに乗った踊りで爆発したかと思えば、ラストは哀愁漂う選曲で、中年男性たちの悲哀をも感じさせた。
彼らの登場の後には、近藤良平が自作自演の『うずまき馬とろくでなし』を上演。様々な「モノ」との関係から、社会の不条理や物事の真理を投射する近藤特有な目線を堪能できるソロ作品だった。
馬の頭の被り物をつけて客席から登場した近藤。筋肉隆々とした近藤の身体の動きだけで、馬の気持ちが手に取るように感じられてしまう。ピンクのボールを転がしながら舞台を横切ったり、カバンの中から小道具を取り出したり、何気なく遊んでいるように見えるが、気が付くといつの間にか近藤良平の世界にスルスルと巻き込まれている。
上から降りてきた哺乳瓶の回転に合わせて、自らの身体をコントロール。哺乳瓶の周りを走ったり、揺れに合わせてジャンプしたり、追いかけっこたりと、まるで哺乳瓶が生きているかのように、物との関係を逆転させて、舞台空間そのものが生き生きとしたエネルギーに満ち溢れていくようだった。
最後は、東野祥子が地元のキッズダンスカンパニー・元気ィーズに振付した
『UNICOSMO WONDERLAND』。
暗闇に目を凝らすと舞台中央に東野の姿、シルバーのヘルメットをつけて、宇宙人の到来のような幕開けだ。舞台全体が、神秘的な映像に包まれ、カジワラトシオによる近未来的なサウンドが押し寄せる。そこにいるのが子供たちだとはにわかに信じがたい、本格的にスペクタクルな舞台空間が広がっていく。斉藤洋平による映像では子供たちの姿や夢について語った言葉が映し出されたり、子供たち自身が生み出した独自の動きが並んでいる。
そして場面は緩やかに東野のソロへと展開していく。『E/G-Ego-Geometria』と題したこの作品は、東野が世界5か所で上演してきた代表的なソロ作品。シルバーの球体を頭に被った東野は赤のタイトなワンピースに赤のヒールで登場した。超自我、幾何をモティーフに名もない無の時空間を表出させているのか。
巨大なヘルメットを取ると、背景の映像では次々とビルが崩壊していく。掴もうとしても掴むことのできない、掴みどころのないこの世界。激しく移り変わる映像と音、モザイク、砂の嵐。最後に訪れるのは無の世界。そこには何度も立ち上がっては崩れ落ち、ぽっかりと穴の開いた東野の身体が残された。
いずれの舞踊家も、自らの指導作品とカンパニー作品を上手くつなぎ合せることで、ひとつの作品世界を出現させている。一般参加者の個性を生かしながらも、自らの作品世界も確実に表現し、アーティストとしての世界観を両立させている。そこにもまた、ダンスのプロフェッショナルなアーティストとしての彼らの活動の源を見る思いだった。
(2011年2月12日 多治見市文化会館)