ダンスの身体についてユーモラスに知的に語ったデルガド・フッシュ

ワールドレポート/大阪・名古屋

亀田 恵子
text by Keiko Kameda

Delgado Fuchs "Long sky-blue woolen coat, worn with a large roll-neck jumper, peach leather trousers and red nubuck pointed high-heel shoes"

デルガド・フッシュ構成・振付『桃色のズボンと赤いヌバックの先の尖ったハイヒールをはいて、襟ぐりが緩んだセーターの上に着た空色のウールのロングコート』ナディーン・フッシュ、マルコ・デルガド:あいちトリエンナーレ2010

パフォーミング・アーツを大きな柱の1つとして取り入れた国際美術展覧会として注目される『あいちトリエンナーレ2010』が、8月にスタートした。この展覧会で取り入れられたパフォーミング・アーツは「ジャンルを横断して創作された作品」がセレクトされ、会場も劇場だけでなく、ギャラリー、街の中といったバラエティに富んだ場所で展開されている。多様な広がりをみせるパフォーミング・アーツの最新の表現に触れられる、贅沢な機会だ。

『桃色のズボンと赤いヌバックの先の尖ったハイヒールをはいて、襟ぐりが緩んだセーターの上に着た空色のウールのロングコート』という、長いタイトルのこの作品は、2002年にスイスのベルンで結成されたナディーン・フッシュとマルコ・デルガドによる男女のユニットの代表作品。ブリュッセル王立音楽院やストリップクラブでキャリアを積んだマルコと、チューリッヒやベジャール・バレエ・ローザンヌでダンスを学んだナディーンは、恵まれた容姿に加え、身体能力も高く、ダンサーとして求められる要素はすべて手に入れたようなエリートダンサーたちだ。
彼らのようなダンサーが踊れば、そこにはあっという間に美しいイリュージョンがあらわれるのは必至だろう。観客は何の疑いもなく、彼らのちょっとした一挙手一投足に酔いしれ、拍手をいとわない。
しかし、デルガド・フッシュの作品は、知性の効いたユーモアで「観客が求める美しいダンサー像」を気持ちよく裏切っていく。

あいちトリエンナーレ2010

うす暗くなった会場、客席後方から少しくたびれたジャケットを着込み、手に紙袋を下げた人物が入って来た。マルコだった。
彼は、そのまま舞台奥まで無言で歩いていき、紙袋を床に置く。
ナディーンも同じように客席後方から続いて舞台へとあがる。彼女はスポーツジムに通う若い女性のような格好をしている。彼らはそれぞれ上着を脱ぎ始め、ナディーンは舞台上手に置いてあったラジカセの再生ボタンを押す。少し遠い場所から聞こえるようなトーンで単純なリズムが流れ出し、やや気だるい雰囲気が舞台を包んでいく。
上着の下から露わになった彼らの鍛えられたセクシーな肉体は、気だるさの中で鮮烈な印象で観客を魅了する。肩のあたりまで伸びたクセのある黒髪に、痩せぎみに見えてしっかりと胸に筋肉のついたマルコ。ブロンドヘアを結わえたりほどいたりしながら、美しいプロポーションが強調されるようなブーツや手袋を身につけるナディーン。彼らは自分たちの肉体がどう見られているかを憎いくらいに熟知している。それを逆手にとって、彼らの作品は進んでいくのだ。
例えば、マルコを静止した状態で舞台中央に立たせ、ナディーンが動きの指示を次々に与えていくシーン。顔を間抜けな表情のまま固定させ、肘を曲げた状態で腕を単純に振り下ろさせる動作や、ズボンのへりをパンツがチラリチラリと見えるように上げ下げさせる動作など、それらが一連となって重なったとき、会場には爆笑が起こった。セクシーな美しい男が間抜けな男に変貌してしまうユーモアは、彼らの絶妙な演出の1つだが、二人の関係バランスも重要な作品の要素になっていて、おもしろい。

あいちトリエンナーレ2010

後半、彼らが舞台奥に行き、服をすべて脱ぎ捨てるシーンがあった。人が裸になっていく過程を観るという奇妙な感覚と、これからどう展開されるのだろうという不安のような期待が入り混じり、会場は静まり返っていた。舞台に背を向けた状態で全裸になったマルコとナディーンは、互いの体側をピタリと寄せて並び、少し身をかがめた姿でそれぞれの股間に腕を伸ばしていった。呼吸を合わせるようにして舞台正面を向いた彼らは、互いの局所をそれぞれの手で隠すという格好だった。その格好のまま、横へ並行移動したり、舞台手前にせり出してきたりするのだが、手で隠した部分がポロリと見えてしまわないような息のあった動きは見事だ。

美しい男女が背をかがめて、身も蓋もない格好で単純な動きをしている姿は、普段観客が求めている美しいダンサー像とはかけ離れている。だが、不思議なことに観客はみな笑顔で彼らの舞台を楽しんでいた。ダンスとは、美しさの基準とは何だろうかと考えさせられる。
会場の入り口では、開演までの間にデルガド・フッシュのインスタレーション映像が流されていたが、その作品は美しい男女が更なる美を求め、トレーニングマシーンでひたすら身体を鍛えるという内容だった。皮肉なことだが、究極まで鍛えられた身体は男女の差を際立たせるより、むしろ同質に近いものに変えていたように思う。
全裸になったマルコとナディーンは無駄のない筋肉とバランスの取れたプロポーションを持っていたが、胸のふくらみや臀部のやわらかさは筋肉の中に吸収され、手で隠された部分を除けば、男女の差があまり見えなくなっていたのだ。
彼らにとって自分たちの身体は、既存のダンスや美しさへの思いこみを軽やかに笑い飛ばすためのメディアなのだろう。とても贅沢で、知的なセンスを持った魅力的なダンサーたちだと思う。
(2010年9月4日昼 愛知県芸術文化センター小ホール)

あいちトリエンナーレ2010

あいちトリエンナーレ2010

ページの先頭へ戻る