「死」をめぐる体当たりのソロ、ヤン・ファーブルの日本初演作品

ワールドレポート/大阪・名古屋

佐々木 三重子
text by Mieko Sasaki

Jan Fabre "Another Sleepy Dusty Delta Day"

ヤン・ファーブル『Another Sleepy Dusty Delta Day ~またもけだるい灰色のデルタデ―』
:あいちトリエンナーレ2010

過激で挑発的なパフォーマンスで常に論議を呼ぶ演出家・振付家、ヤン・ファーブルが、〈あいちトリエンナーレ2010〉のパフォーミング・アーツの一環として、『Another Sleepy Dusty Delta Day ~またもけだるい灰色のデルタデ―』を日本初演した。2008年のアヴィニヨン演劇祭で初演した、一人の女性によるソロ作品だが、初演の時とダンサーが異なるため、今回出演するアルテミス・スタヴリディと共に創りなおしたという。

「デルタデー」とは、「ミシシッピー河のデルタ地帯に霧が立ち込める暑い日」のことだそうで、ボビー・ジェントリーの60年代にヒットしたカントリー・ソング〈ビリー・ジョーの歌〉の歌詞から取ったもの。ファーブルは、橋から飛び降り自殺したビリー・ジョーの思い出を話題に夕食をとる思春期の娘と両親のやりとりを描いた歌に触発され、男が愛する女に宛てた最期の手紙という形を用いて、「禁じられた恋と自殺」のテーマに迫った。
天井からは黄色いカナリアを入れた10個のカゴが吊るされている。舞台の左右と中央の後方にはうずたかく石炭が積まれ、石炭に敷かれた鉄道模型の線路をミニチュア列車が音をたてて走る。右手前のロッキングチェアには、黒のベレー帽に黄色いワンピースを着た女が手紙を読んでいる。シンボリックな導入である。女は立ち上って舞台を横切り、下手のマイクを取り、遺書といえる男の手紙を声に出して読み始めた。
男の手紙は午後8時に書き始められ、午前零時の身投げの暗示で書き終えられるが、折々の心情が時系列で記されている。女は手紙を朗読し、〈ビリー・ジョーの歌〉を歌い、間にダンス・シーンを展開した。

飛び上がってから床に落ちて転がり、激しく身体を痙攣させ、ハイヒールを脱ぎ捨てて駆け回る。ビール瓶をパンツに入れ、立ち小便のように中身をこぼしてみせもした。手紙を読み進むにつれ、女は男の心に同化していったのだろう。やがて上半身裸になり、石炭の灰を顔や体になすりつけて黒くし、自身を追い詰めるように凄絶に踊りまくった。
女はカナリアを籠から取りだし、尾を瓶に刺し入れたり、ミニチュア列車を口で止めてくわえたりもした。籠の中に閉じ込められたカナリアと、敷かれた線路をひたすら走るミニチュア列車は、自由でないことの象徴なのか。
それに比べて人は自分で判断し、選択することができる。男の身投げは大いなる自由への飛翔であり、自分の人生を自分で成就するものという解釈も成り立つ。さらに、死は終わりではなく、新たな始まりである、と。
キリスト教では自殺は罪だが、ファーブルは別の観点から容認されると訴えているようだ。確かに、人は人生の始まりには関われないが、終わりは自分で決めることができるのだから。
ファーブルにしては過酷な表現が少なく、テーマもより身近に感じられたが、手紙には「死は不条理以外の何ものでもない」「あらゆる演劇は死の学習ではないか」など含蓄に富んだ言葉も多く、色々考えさせた公演だった。それにしても、スタヴリディの体当たりの演技は称賛もの。自虐的な動きもあるダンスだけでなく、深みのある朗読や物憂げな歌唱と相まって、緊密な50分を紡いだ。
(2010年9月19日 愛知芸術文化センター小ホール)

あいちトリエンナーレ2010 ヤン・ファーブル

あいちトリエンナーレ2010 ヤン・ファーブル

あいちトリエンナーレ2010 ヤン・ファーブル

撮影:南部辰雄

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