〈Co.山田うん〉の『モナカ』がヨーロッパ、中東、東京をめぐって、初めての京都公演を行った

Co,山田うん

『モナカ』 山田うん:振付・演出

1月26日(金)ロームシアター京都サウスホールにて、振付家・ダンサーの山田うんが主宰するカンパニー〈Co.山田うん〉のレパートリー『モナカ』(初演:2015年9月 KAAT神奈川芸術劇場)が上演された。この作品は2016年にイスラエル、2017年にはエストニアでも上演され、筆者が鑑賞した京都公演は、東京と福岡を経た国内三都市ツアーの千秋楽であった。

『モナカ』 撮影:羽鳥直志

『モナカ』 撮影:羽鳥直志

時間といえば、過去から未来へと一直線に進むイメージがもたれるのが通常であろう。公演後のアフタートークで語る山田うん本人によると、『モナカ』では、この時間の通念を疑うことが主な創作のインスピレーションの源となったという。そのアイディアは構成・振付・ダンサーなど、あらゆるレベルで作品化されていた。
山田うんは、器械体操やバレエ、舞踏などを学んだ後、2000年にアジア規模のコンテンポラリー・ダンスのコンペティション、横浜ダンスコレクション・ソロ×デュオコンペティションで「若手振付家のための在日フランス大使館賞」を受賞し、渡仏した。2002年にカンパニーを立ち上げ、国内外で作品を発表し続けている。ソロやデュオ作品も手がけ、また教育機関におけるアウトリーチ活動も行う、日本のコンテンポラリー・ダンスを代表する振付家のひとりである。
ヴァリエーションに富んだ動きが緻密なタイミングで組み合わされた山田の振付は、ダンサーにとり、ミスなく踊るだけでも相当な神経を使うものに違いないだろう。出演した男女16人はそれを難なく行うどころか、一つ一つの動きには彼らなりの必然性が見えた。淡い虹色マーブルのTシャツと短パン、膝にサポーターをつけたメンバーは、個々が気鋭のダンサーであるにも関わらず、その躍動感はどこか初々しさを醸していたから不思議である。

『モナカ』 撮影:羽鳥直志

『モナカ』 撮影:羽鳥直志

さて、山田はこれまで振付と音楽との洗練された関係性を構築してきた。例えば、1913年のニジンスキー版以来、多くの振付家たちがこぞって挑戦してきた『春の祭典』(2013年)。ストラヴィンスキーによるおなじみの楽曲である。またバッハの『パッサカリアとフーガ』を使用した池田扶美代とのデュオ作品『amness』(2013年)などにも顕著だ。そして『モナカ』で使用されたのは、現代音楽の作曲家ヲノサトルがラヴェルの『亡き王女のパヴァーヌ』をモチーフとして創作した音楽である。
「パヴァーヌ」とは舞踊列を意味するが、『モナカ』の音楽は、列のような一続きの流れに切り込みを入れる遊びが面白い。例えば、終盤の重々しいエコーは長く続く列を思わせる。しかし直後、短くカットされた同じ音が今度は足音のような二拍子に用いられ、さらにこのエコーと足音のフレーズが延々とループする。
ダンサーが作り出すリズムは、こうした音楽の構造の複雑さに応じるかのように、なお細やかに時間を刻んでいた。彼らは群像として列や塊へとフォーメーションを変化させ、同時に、ステップや腕の振付が、沸々とうごめく絵をつくる。こうして視覚的に、また彼らから伝わるエネルギーとしてのリズムが五感で感じ取られる。そのうち音響装置から出る低音が客席に伝える微かな振動にまで意識が向いてしまう。これが暗い照明と相まって、秘儀的な空気感が立ち上がっていた。
音楽との関係抜きにしても、安定感のある流れに変化を投入するというアイディアは確かに、作品を見る観客の態度を刺激したように思う。序盤、ダンサーらはみな裸足であったはずなのに、気がつけば円舞を踊る数人の足元に白いスニーカーが目立った。が、彼らはすぐに舞台から去り、その後スニーカーは一度も登場しない。
群舞のシーンでは、4人グループが同じ振付を踊っている。すると途中で、群れから小さな生命体がはぐれたように、ひとりだけ異なる動きを始める。全体の仲間ハズレのような存在が作品の随所に登場し、時にそれはデジャヴに出くわしたかのような感覚を与えてくるのである。
中盤に登場したデュオのコンタクト・ダンスでは、ダンサーからダンサーへの滑らかな力の伝達が印象的だ。このシーンのラストにひとり現れ、身体の前で脱力気味の腕をラフになびかせつつ舞台を駆け抜けたダンサーは、とりわけ記憶に焼きついた。その様子は、それまで練度の高い身体を見続けていたこちらの身構えを唐突にゆるめてくる。この瞬間、小さな浄化を味わうのみならず、走っていた身体の無垢な表情が妙に脳裏に残るのである。

『モナカ』 撮影:羽鳥直志

『モナカ』 撮影:羽鳥直志

ところで、〈Co.山田うん〉のダンサーたちは、彼らの上と下にある空間を活用するのが上手い。ジャンプ一つをとってみてもそうだ。高く垂直に跳んだかと思うと、さらに空中で下肢を勢いよく上体に引きつけ、一度のジャンプの中に二度のエネルギー放出を作るところが、一見シンプルな振付をそれ以上にする。これは山田の振付語彙の豊かさにもつながるだろう。腕や上半身が螺旋を描いたり、横や斜め方向へ伸びたりする動きは予測できてしまう。しかし時折、動きの軌道に垂直が現れると、それだけで新鮮な印象を受ける。
一言に躍動的といっても、このカンパニーのそれはどこか軽やかで、新鮮味を感じさせた。もちろん、それは脚を床に突き刺すようにして全体のバランスを保つバレエダンサーの軽やかさとは、また質が違う。今回は、その所以の一端を見たような気がしたのである。
コンテンポラリー・ダンスには、バレエやモダンダンスのように、体系化されたいわゆる身体的メソッドがないと言われている。とはいえ、複数のダンサーがひとつの集団として時間と場と言語を共にすれば、そこではやはり何らかの動きの美学が共有されてゆくはずである。それはこれまでの「メソッド」という言葉のイメージにぴったり当て嵌まらないだけかもしれない。 大勢のダンサーを抱えるコンテンポラリー・ダンス集団は日本に多くはない。そんな中、現在16人のダンサーが所属する〈Co.山田うん〉は、稀有な大型カンパニーと言って良いだろう。この意味においても、〈Co.山田うん〉には興味が尽きない。
(2018年1月26日夜 ロームシアター京都サウスホール)

ワールドレポート/大阪・名古屋

[ライター]
岡元ひかる

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