シーザー・アブレウ Cesar Abreu メトロポリタン・オペラ、ダンサーに聞く

ワールドレポート/ニューヨーク

インタビュー=ブルーシャ西村

――以前、友人からあなたをご紹介された時に、キューバ出身で元々有名な少年アイドル・グループのスターだったと聞きました。歌手からプロのダンサーへ転身したなんて、並大抵ではないですね。お名前はスペイン語でセサール、英語ではシーザーですか。

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© Van Truong

Cesar:はい、私の名前はセサールで、英語読みではシーザーといいます。キューバではなく私はプエルトリコ出身です。家庭の事情で、私はプエルトリコで幼い頃から祖父母に育てられました。
私は家でいつも祖父母の物真似をしていたので、彼らは私のその特別な才能に気付き、幼少時に私に演劇を学ぶことをすすめてくれました。祖父は、「これから1人の人間として演劇を学んで成長してキャリアを築いていくことが良い」とアドバイスし、演劇学校で学ばせてくれました。
その後、私は6〜7歳からテレビ番組に出演し始めて、アーティストたちの物真似をしていました。その後、私はテレビドラマに子役で出演するようになり、少しずつ世の中の人々に知られるようになりました。私は演劇、ミュージカルにもたくさん出演して、8〜10歳にかけて俳優としてのキャリアを築いてきました。最初は俳優としてキャリアをスタートしました。
私が俳優になったので、プエルトリコの少年たちの有名なポップ・グループ、Menudo(メヌード)の関係者が、テレビドラマに出ていた私に注目し「ぜひMenudoに入って活動しませんか。オーディションを受けませんか」とすすめられました。そして私はオーディションに合格し、1990年から新メンバーとして採用されました。13歳頃、1年間くらいMenudoで活動しました。歌手兼ダンサーとして歌って踊って、世界ツアーに参加しました。ベネズエラ、コロンビア、南米、中米、米国(ニューヨーク、ロサンゼルス、フロリダ)などです。Menudoはプエルトリコ内だけではなく、世界的に有名なグループです。
https://www.huffpost.com/entry/menudo-forever-young-exploitation-boy-bands_n_62b9cfc4e4b0cf43c86835f8(今年6月公開のMenudoのドキュメンタリー映画 "Menudo: Forever Young"。メンバーだった当時のシーザー・アブレウの映像もある)

その後、私は学業を続けるためにプエルトリコへ帰って、演劇とミュージカルを学びました。そして14歳の時に母が住んでいるフロリダへ引越して、パフォーミング・アーツの高校へ進学しました。そこで初めてダンスの授業を受けました。さらにダンスの経験を積みました。高校の最終学年の時に大学受験をして、フィラデルフィア芸術大学のダンス学部に合格しました。そこでダンスと教育について学びました。いつか大学教授になりたいと思っていました。

----Menudoは、歌手のリッキー・マーティン(Ricky Martin)がいた有名なグループですね。1年で脱退したのですか。なぜリッキー・マーティンのように歌手を続けなかったのですか。

Cesar:はい、Menudoは歌手のリッキー・マーティンがいたグループです。リッキー・マーティンと私は共に所属していた時もありました。
私が学業を大切にしていたのは、祖父母の影響が大きかったからです。祖父母はいつも私に、「教育が一番大切だ」とアドバイスしました。祖父は大学教授で、「人間は、お金をすべて失うこともあるし、家を失うこともある、独りぼっちになることもあるけれど、身につけた"教育"を奪われることはない。教育は永遠にに残る」といつも私へ話していました。この教えの影響がいつも私の意識の中にあり、1人のアーティストとしてキャリアを築く時に、教育は大切なものなので学業を続けました。
フィラデルフィア芸術大学卒業後1年間、私は教師をしました。私が学んだフロリダのパフォーミング・アーツの高校でダンスのクラスを教えました。その期間に、私は修士号を取得するために大学院を受験しました。そしてニューヨーク大学の大学院が「授業料全額の奨学金を与える」としたので、2000年にニューヨークへ引越しました。

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----あなたはNYUの修士号を持っているのですね。

Cesar:はい、私は最終的には、大学教授になりたいのです。NYUの大学院には2000年に入学し2002年に卒業しました。

----あなたはMenudoでスター歌手だったのに、なぜ歌手を辞めて、新たにダンスを学んだのですか。

Cesar:プエルトリコで、私がMenudoで歌手だった時に、少しダンスもやっていました。Menudoを脱退した後、私はプエルトリコでミュージカルの仕事を始めました。そこである振付家が私に、"あなたはダンスの才能があるから、出来ればプロとしてダンスを学んだらいいですよ"と強く勧めてくださいました。
そのアドバイスの影響で、私はプロのダンサーになる目標を持ち、ダンス・クラスを受け続けました。私の人生に必要だったものは、さらにプロフェッショナル向けのトレーニングだったからです。私はダンスの表現、身体をコミュニケーションの道具として使えることが、とても気に入りました。また、身体を使って、様々なパーソナリティーに変身出来ることに惹かれました。
私にとって、人間の肉体は特別な道具です。たくさんの気持ちを伝えることができること、感情、悲しみ、喜び、情熱を込めることなどに、私はとても惹かれました。身体を使っての表現は、より多く観客と一体になれる特別な方法だと思います。そして、ダンスは、言語の壁を超えて、他者とコミュニケーション出来る1つの方法です。とても美しいものだと思います。私はダンスの勉強をすることに集中していきました。ダンスは、最も美しい芸術の表現方法の1つであると感じています。
私はすでに演劇を学んだ経験があったので演劇に関しては十分に準備が出来ていましたし、私は俳優として演劇はその時点でもうすでにかなりたくさんやって経歴がありました。そのため、私に足りないもの、必要なものは、ダンスだと感じました。

Q:あなたのダンサーとしての経歴について、お聞かせください。

Cesar:大学と大学院在学中に、私は主にコンテンポラリー・ダンスをやっていました。フィラデルフィアでは、Koresh Dance Company(コレシュ・ダンス・カンパニー)と、Santa Fe Opera(サンタフェ・オペラ)でダンサーとして働きました。2006年からはMET Opera(メトロポリタン・オペラ)のダンサーとして働き始めました。現在まで、もう16~17年続けています。https://www.metopera.org/

METで働いた初めてのオペラは、『ザ・ファースト・エンペラー』でテノール歌手はプラシド・ドミンゴでした。私は初めてMETのオペラの演目ごとにダンサー枠のオーディションを受けて、すぐ合格して採用されました。今までMETの8から10くらいの演目のオペラに、ダンサーとして出演しました。毎年、1年に2〜3演目に出演していました。今年は自分の仕事が多忙になったため、METの舞台には1演目だけ出演しました。最近出演したMETの演目は、『トゥーランドット』(Turandot)でした。
ブロードウェイ・ミュージカルの『キャッツ』(Cats)にも出演しました。2005〜06年に、マンゴジェリー(Mungojerrie)の役で、歌い踊りました。この時に、Menudoを脱退して以来、久しぶりに歌う仕事をしました。
他には、私自身のダンス・カンパニー、「ラ・コンパニーア」(La Compania)でも活動していました。2002〜10年です。
『ブロードウェイ・ベアーズ』(Broadway Bares)には、2010年から毎年出演していて、今までずっと続けています。今年は自分自身の仕事が忙しくなったため、出演できませんが。(『ブロードウェイ・ベアーズ』は、非営利団体のブロードウェイ・ケアース・イクィティー・ファイツ・エイズ(Broadway Cares/Equity Fights AIDS、BCEFA)による、毎年恒例のエイズ基金を集めるチャリティー・イベント)
https://broadwaycares.org/pre-event/broadway-bares-2022/

----ニューヨークで長年、プロのダンサーとして活動して成功なさっていますね。
ダンス・カンパニー、「ラ・コンパニーア」を主宰していらっしゃったことについて、ダンサーたちを抱えてカンパニーを運営するのは、資金繰りも振付も芸術監督もどのようになさっていたのですか。

Cesar:私は変わったやり方で自分のカンパニーを運営して、ダンサーたちを抱えて、私は芸術監督と振付をしていました。ダンサーたちは大勢、長い間、私のカンパニーに所属して、無報酬で踊ってくれました。なぜなら、私は彼らに給料を払うことが出来なかったからです(笑)。でも彼らは私との友情で一緒に踊って活動してくれて、私たちは様々な場所で上演しました。ありがたいことに、多くの人々が私に協力してくれて、信じてついてきてくれたのです。カンパニーの運営はとても難しいことでしたが、長い間運営できたので、感謝しています。

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© John Taylor

----MET以外にはどんなことをなさっているからですか。

Cesar:私はダンサーとしてのキャリアは今まで十分積み上げてきたので、現在45歳ですが今後の20年間はどのように働いていくか、活動の内容を新たなものへ少しずつ変えてくために様々なことを計画しているところですから、多忙です。私は14歳の時に本格的にダンスを始めてから、もう30年間ダンスを続けています。そしてちょうど今、私は人生の転機にいます。
今後は、他のアーティストやダンサーたちへ、私の人生でたくさん経験したアート、演劇、音楽、ダンスから私が影響を受けて得たものを、分け与えていきたいと考えています。ありがたいことに、私の人生は様々な芸術で満たされてきました。1人の人間としては私の人生はすごく凝縮されていて、振り返ると、そこには思いやり、愛、優先順位、鍛錬などのたくさんの完璧な美に満ちている「1つの仕組み」を発見することが出来たのです。
「アートに従事する人生」について、おそらく人々はその重要性を認識していないものです。「アートに従事する人生」を送ることから得られる影響により、1人の人間としての人生を生きることが出来ます。それはとても美しくて幸運なことだと思います。私はその経験をしました。
私が思うに、人が鍛錬を続けてチャンスに注意を払い続けていれば、そのチャンスがやってきた時にそれまでに積み上げてきた鍛錬と混ざり、そして成功していきます。これは正攻法ですから、必ず成功します。なぜなら他には近道の方法がありませんから。つまり、将来巡って来るチャンスへ向けて準備しておく、ということなのです。そして鍛錬は人生の中で、あなたを多才な人物へと創りあげます。巡ってくる状況は難しいものなので、必ずしも簡単ではありません。そして、もしあなたがオープン・マインド、オープン・ハートを持っていれば、長い間にわたって鍛錬し続けてきた精神は「あなたがあなたとして存在すること」に役立ちます。あなたの鍛錬の努力こそが、人間としてのあなたのあり方に貢献して、助けてくれるのです。
現在は、私は様々な組織のプロデューサー、ディレクター(監督)、アントレプレナー(起業家)の職業に主に従事しています。また私は、ダンスの映像作品を作る映画監督もやり始めています。私は本当に人が好きなので、多くの人々と関わる仕事をしたいからです。ニューヨークにたくさんいる才能ある人々、素晴らしい人々と関わって共に何かをやることが好きなのです。素晴らしい人々と一緒に何か仕事をすることは、とても楽しいので大好きです。
つい最近新たにやり始めた私の仕事の1つは、MAX(Media Art Xploration)という組織の、コミュニケーション&ブランド開発のディレクターです。
ダンスの映像作品は、METのダンサーたちに出演してもらって製作している最中です。METの同僚の菊池健太郎も出演しています。これは、ある作曲家によるオリジナルの音楽を使っています。この映画を仕上げるために、これからさらに製作を続けていきます。映画のタイトルは『レイヤー』(Layer)です。
また、私は、アート・バス(Art Bath)(芸術のお風呂)のプロデューサーです。マンハッタンにある歴史的なブルービルディングのギャラリースペースを拠点としています。毎月シリーズで、この会場で、1晩でニューヨークの様々な分野のアートのアーティストたちを集めて、それぞれがパフォーマンスをします。オペラ歌手、METの音楽家の演奏、ダンサー、詩人、映像、写真、画家の作品の展示など、ニューヨークの様々な素晴らしいアーティストたちを同時に混ぜて企画していきます。これは全ての形態のアートを融合させているコンサートです。
Covid-19のパンデミックの最中にすべての劇場が閉鎖した後、何ヶ月にもわたってアーティストたちはパフォーマンスの機会を失って苦しんで孤立していきました。その間に、METオペラのダンサーの同僚2人と私の3人で相談し、ニューヨークの芸術を派手な方法で呼び戻すためには創造的にすべてを混ぜることが最適だというコンセプトが生まれました。私は観客とアーティストの関係を変えたいと思っていて、絆を深めて、ニューヨークの素晴らしいアーティストのコミュニティーを活気づけていける実験的な場を提供します。これはとても好評で、今まで開催した時は毎回、チケットはすべてソールド・アウトしました。
今年春から、毎月1回、2月、3月、4月に開催しました。そしてこの秋から再開して、10月、11月、12月に開催予定です。
Art Bath(アート・バス)222 E. 46th St. New York、NY10017 https://www.artbathnyc.com/
CBSのニュースで放映されたArt Batについての特集:https://www.cbsnews.com/newyork/news/art-bath-nyc/

----それは素晴らしい活動ですね。あなたはとても活動的で、同時にたくさんのプロジェクトを行っているのですね。

Cesar:はい、私はいつも同時に複数のプロジェクトを抱えています。私はこの活動の仕方が大好きなのです。

----あなたは、プロのダンサーとしてはとてもキャリアが長く、学生時代からプロになり現役のダンサーを続けていらっしゃいます。 普段のトレーニングや稽古はどんな内容を、どのように、どのくらいの時間なさっていますか。

Cesar:若い頃、昔は朝8時から夜8時まで1日11〜12時間くらい、1日中、同時にいくつものことやダンスの練習をしていました。朝起きてまず1つダンス・クラスを受けて1日がスタートして、1日にいくつものダンス・クラスを受けて、夜もダンス公演のリハーサルに出たりしていました。でも今は、年齢が上がると共に私の肉体が変化してきて以前とは違う状態なので、練習のやり方も変化していきました。
私は今でも、毎日ダンスの練習をしています。私の今までの経験で学んだことは、ダンサーとしての肉体を維持するためには、「鍛錬を毎日やり続けること」がとても重要であるということです。「私はアーティストです」と名乗れるように、それにふさわしい自尊心を持つためです。毎日の鍛錬は、ダンサーだけではなく、他の種類のあらゆるアーティストにとって同じく重要です。
今の私の練習のメニューは、週3〜4回ジムに行って、ストレッチとウエイト・リフティングを組み合わせてトレーニングして、水泳もしています。特に水泳は全身運動なので、とても良い効果があります。
ダンス・クラスは、何でも良いので受けています。私が今までに学んだことは、ダンスのトレーニングのためには必ずしもバレエでなくても良いということ、モダン・バレエ、コンテンポラリー、ジャズなど、何でもOKです。どんなジャンルのダンスでも、ダンサーとしての肉体を保つ助けになるのです。
他に、肉体と精神を維持するために、私にとってとても大切なことは瞑想(メディテーション)です。魂と精神と肉体をすべてつなげることです。毎日の瞑想は必要不可欠です。

----瞑想は、いつ頃から、どんなふうにやり始めましたか。 ニューヨークで、ですか。

Cesar:ニューヨークでヨガをやっていた時に瞑想も始めました。Covid-19の前からで、2016年頃からです。その後、少しずつ私の瞑想が進んでいきました。パンデミック以降からは、本当に私の瞑想が成長していって強化されたと感じました。瞑想のお陰で私は助けられて、楽観的でい続けられることが出来ました。
瞑想は、何か偉大なもの(神、天、宇宙)に自分の意識を集中して、宇宙の源へ直接つながる作業です。自分の内在へ、眉間の奥にある入り口へ意識を集中します。これは、私には大きな助けになります。瞑想は例えば、感情、物事の処理、意識の集中、私が本当に望んでいる事への集中、私の人生に必要ないものや重要ではないものから離れること、真実の精神を保つことですから、価値があることです。
もしこれらの調整法を知らなかったら、私は今やらなければならない全てのことを、無理して詰め込んでやみくもにやろうとしていたことでしょう。
このように、私が選択したトレーニング方法のお陰で、もしかしたらあまりに大量すぎて疲れてしまいかねない全ての私のゴールへ向けて、努力し続けることが出来ています。

----あなたはよく考えていて、真面目ですね。

Cesar:真面目というより、ひたむきな努力家です。
もし人生で目指したいゴールが何かあるなら、ひたむきでなければならないです。従事したいことが何であれ、もしひたむきさと信念が無ければ、やりたいことをやり遂げるのは難しいです。自分が目指すゴールへ向けて活性化していくか疲れていくかに分かれますが、これは簡単なことではないからです。このように、アーティストの職業は簡単な道ではないです。
人間は、くだらないことや重要ではないことにエネルギーを向けてしまうものだと思います。でも瞑想とコンスタントに続ける鍛錬を持つことで、私は重要ではないことへ意識とエネルギーを向けずに済んでいます。これは、実は人生で大切なもう1つの鍛錬なのです。

----あなたは、とても思慮深くて知的なのですね。それは、大学教授だったお祖父様からの影響ですか。

Cesar:ありがとう。おっしゃるとおりで、これは明らかに、絶対に祖父からの影響です。
私は人生で、祖父母から影響を受け始めて、その後は特別な人々から影響を受けてきて、いつも彼らは私を支えてくださいました。彼らは非常に特別な素晴らしい方々でした。振り返ると、彼らがいつも私の人生に貢献してくださったことに、とても感謝しています。例えば、世界的な写真家のジョニー・ロザ(Johnny Rozsa)で、とても素晴らしい人です。あんなに神秘的な、特別な人は、他にはいないです。まだ私が大学院生の時、2001年にジョニー・ロザと知り合い、ずっと私を応援してくれて、良い影響を受けました。私の人生には、ジョニー・ロザのような素晴らしい人達が大勢いたのです。彼らが私と分かち合ってくれたポジティブな取り組み方を、いつも私は見習って自分に取り入れてきました。私はいつも彼らから学んだことを建設的に、自分のキャリア、人間関係、プロとして集中することへと、生かすことが出来ました。
(ジョニー・ロザはニューヨーク拠点で、歴史に残る世界的な写真家。ファッション、ポートレート専門)

----なるほど。でもそれは、あなたに素晴らしい人々から学ぶ姿勢、アドバイスを聞く耳があったからですね。

Cesar:それはとても大切なことです。全く何も自分に取り入れないという「傲慢さ」は、1つ1つの状況から学ぶ機会を失います。もし広く注意を払っていれば、もし人生に何か良くないことが起こっても、ただそれに反応してしまうのではなく、そこから何かを学び取ることが出来るので、さらに別のレベルへと成長します。そして人生で、また次の経験から、またさらに学び取って別のレベルへとますます成長します。このように、どんな小さなことからも学ぶ姿勢があれば、常に成長し続けていきます。
もし何も学び取らないまま人生を進んで行くのなら、人生で何か良くないことが次々に起こる度にイライラして、それをあなたにとって何も価値が無いものだと個人的に受け止めるだけで過ごしてしまいます。これでは、宇宙があなたへ投げかけている宿題から、何も学びとらないままでいる状態だと思います。
瞑想によって宇宙へ自分を直接つなげていることと同じように、アーティストやダンサーとしての練習によって、コンスタントに集中して維持続けることは鍛錬の一部なのです。
時々、才能がある多くの人々がレールから外れてしまうことは、容易に起こることです。なぜなら、彼らは自分がやっている練習を自分の中で内面化していないので、表面で起こっていることに影響を受けてしまうからです。それは、自分が何者であるかというアイデンティティが自分の内側でつながっていない場合に、自分の表面で起こっていることから簡単に影響を受けやすいです。それは誰にでも起こりうることです。私達は皆、困難な時期も経験していると思います。
私の祖父母は早く永眠しまして、最初は私が大学1年生の時に祖母が亡くなり、そしてそのすぐ後に祖父が亡くなり、その時期は私にとって困難なものでした。でも、彼らが私と共に分かち合ってくれた全ての大切な価値あることと共に、私は彼らを心の中で生かし続けています。実際には、彼らは肉体的にはもうここにいないのですが、私の魂の内部では彼らはいつも私と共にいます。これは、私が困難な状況に前向きに立ち向かうための助けになっています。

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© VERONICA IBARRA

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© Johnny Rozsa

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© kitfoxvalentin

----Covid-19のパンデミックの最中には、長い間、劇場が閉鎖していましたが、 その影響を受けましたか。

Cesar:私はもともと「人間とのつながりが大好き」という特質を持っているので、ダンサー、歌手、俳優になりました。そしていつも、私はこれらの職業を通じて人とつながり合うことが好きなのです。私は本当に人が大好きです。私は人を楽しませることが好きで、人々と乾杯することが好きで、人々と喜びを分かち合うことが好きで、人々を激励することが好きなのです。ですから、パンデミックによってこれらのことがすべて出来なかったことは、私にとってすごく大きな影響がありました。あの時期は困難で、私は少し欝のような感じだったかもしれないと言えますし、他の人々も同じようにそうだったと思います。私の人生の中では、簡単な時期ではありませんでした。私はそこから浮かび上がるために、その出口を見つけることが出来るまで、生き抜くことに多大な労力がかかりました。ですから、将来また別のパンデミックが起きなければいいなあと願っています。

----Covid-19後のこの時代に、プロのダンサーを目指している若者たちへ、何かアドバイスをいただけますか。

Cesar:私の人生で時々、私の従事している職業の中で助けられたことは、私は伝統的な過程と機会を追い続けなかったことです。私が「その時々で自分が入り込んだ状況の中で、自分が出来ることをする」ということが、私にとってよかったと思います。
ダンスの職業では伝統的な形式が必要とされていて、その形式の中で私達は訓練しなければならないことを理解しています。でも、もし意識がオープンであれば、あなたが他の人々にどのような影響を与えることが出来るのか、視点を広げてよく見つめて下さい。それは、必ずしも舞台の上でやらなければならない必要性はありません。あなたの特質と積んできた鍛錬を生かして、あなたが置かれているコミュニティの中で、別の形のキャリアを作っていくことも出来るのです。
もしかしたら人としてカリスマ性があるかもしれませんから、カリスマ性があればその人は何らかのアーティストになることを辞めません。ですから、そのような人は必ずしも舞台の上でやらなくても、アーティストとして成功することは出来るのです。これは、ダンスや他の分野の芸術全般のキャリアで共通して言えることです。限定せずに、広い範囲の能力を取り出して使うことが出来ます。
そして1人の人間として、「自分が持つ信念と自分が専念している職業への愛」について、よく見つめて認識することが大切です。

----ありがとうございます。勉強になりました。ぜひ今後も、プロデューサーや大学教授などあなたの人生の節目で、またインタビューさせていただけたら嬉しいです。
(2022年6月数回、マンハッタンでインタビュー)

シーザー・アブレウ Cesar Abreu

メトロポリタン・オペラ、ダンサー、歌手、俳優、プロデューサー、芸術監督、振付家
1977年プエルトリコ、バヤモン生まれ(Puerto Rico, Bayamon)。
University of the Arts in Philadelphia (BFA)(ダンス・教育学士)、New York University(NYU) (MFA in 2002)(演劇・ダンス修士)メトロポリタン・オペラ(MET)のダンサー(2005 - 現在)
https://www.metopera.org/About/Who-We-Are/Ballet/
Menudo(ラテン・ポップ・グループ)の歌手(1990年)the Koresh Dance Company Gritty Cherries, Inc Santa Fe Operaのダンサー
Cats(Mungojerrie役(歌&ダンス)、2005 - 2006)La Compania.(自身のダンスカンパニー)(2002 - 2010)Broadway Bares (2010 -現在)
Art Bathのプロデューサー
https://www.artbathnyc.com/
Media Art Xploration(MAX)のコミュニケーション&ブランド開発ディレクター
https://mediaartexploration.org/
インスタグラム:cesarny
https://www.instagram.com/cesarny/

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