菊池健太郎(メトロポリタン・オペラ ダンサー)インタビュー

ワールドレポート/ニューヨーク

インタビュー:ブルーシャ西村

Q;現在36歳ですか、ニューヨークで現役のプロのダンサーとして踊り続けていらっしゃるなんて、すごいですね。

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Photo : Nobuyuki Narita

菊池:はい、長く続けているほうです。僕がやっているダンスの種類がクラシック・バレエではなくて、コンテンポラリー・ダンスで、いわゆる創作ですので、あまりバレエのようにジャンプとかターンとか技が無いのです。クラシック・バレエも、もちろんカンパニーの練習ではやらなければなりませんが。

Q:コンテンポラリー・ダンスは、カンパニー以外にも個人で活動していらっしゃるのですか。

菊池:はい、そうです。僕が個人でやっているのはコンテンポラリー・ダンスで、カンパニーの仕事のダンスも同じようなコンテンポラリーです。

Q:カンパニーとはMET(メトロポリタン・オペラ)ですね。オペラのカンパニーに、歌手以外にもダンサーの枠もあって、ダンサーも出演しているのですね。METにはダンサーは何人位所属していますか。

菊池:シーズンごとにコロコロ変わるので、演目によって所属ダンサーは変わりますが、METのダンサーはだいたい100人以上います。

Q:普段の練習は、ダンサーはダンサーで、カンパニーでやるのですか。

菊池:各演目ごとにリハーサルがあり、そのリハーサルはだいたい公演の1ヶ月前からスタートし始めて、週5日あります。

Q:週5日、何時から何時までですか。

菊池:リハーサルの時間はプロダクションによって変わります。例えば、12時から5時までとか指定があって、その時間で終了します。組合があって「これ以上やってはいけない」という枠があるのでその範囲内の時間で、枠組みに沿って私たちはリハーサルをします。
それ以外にも個人で、別のダンス・スクールでクラスを受講してダンサーとしての身体のメンテナンスをしたり、ダンス技術の向上をして習得したり、自分の違ったプロジェクトをやったりしています。

Q:なるほど。METの他のダンサーたちも同じように、他のダンス・クラスを受講したり自分のプロジェクトもやっているのですか。

菊池:はい、そうです。MET以外にも他のダンス・クラスをとったり、自分でスタジオを借りてやったり、自分で振付して別のカンパニーのプロジェクトを立ち上げてやったり、そういうことを他のMETの皆さんもしていますね。

Q:METの練習が無い時期も、そのように毎日自分で練習して踊っているのですか。

菊池:そうですね。この職業(ダンサー)の人たちは皆さん、そんな感じで毎日練習して踊っていますね。毎日、週7日練習します。毎日練習しないと、身体の状態が落ちてしまうので。
ダンサーの中でもいろいろなタイプがあって、上手い人はもちろんちゃんとオン・オフをやるのですが、僕は練習をやらないと気が済まないタイプなのです。人それぞれです。僕は毎日トレーニングとダンスの練習をしています。
世の中の会社勤めの方は1日8時間とか、もっと毎日長時間仕事していらっしゃるので、僕の感覚ではわれわれダンサーは会社勤めの方に恥じないように、ダンサーという職業だから楽でいいねって言われないように自分を律して、ちゃんと毎日の練習量を長時間見合った努力し続けています。

Q:でもダンサーの職業は、公演がある時はリハーサルと本番を夜遅くまで踊りますから、働く時間が日によってバラバラですね。毎日、だいたい1日何時間くらい練習なさっていますか。

菊池:集中して練習をやるのはだいたい3〜4時間くらいです。長時間のダンスの練習をやり続けるともちろん身体に負担がかかるので、メリハリも結構大事になってきます。METのリハーサルも含めるともうちょっと練習時間が長くなったり、その日によって練習時間の長さは変わったり、ダンスの練習なしでメンテナンスだけの日になったりします。

Q:普段の毎日のトレーニングは、どんな内容をやっていらっしゃいますか。

菊池:ストレッチ、ダンスのウォーミング・アップ、自分のダンス・スタイルの稽古、インプロ(インプロビゼーション)、振付、1時間半のバレエ・クラスを取っています。
それとは別にジムでワーク・アウトをしたり、そういう様々なことをやっています。

Q:バレエを今でも続けていらっしゃるのですか。

菊池:はい、バレエは必ずやらなければならないです。
カンパニーの練習は、朝11時からバレエ・クラスが1時間半あります。僕は別の仕事があるのでそれにはあまり参加できないのですが。
METは演目ごとに振付家が違いますが、その振付の内容は、ほとんどはクラシック・バレエではなくて、コンテンポラリーが多いです。オペラの演目ごとにスタイルがそれぞれ違うので、例えば『カルメン』の場合はカルメンらしいスペインの踊りになったり、ロシアの演目だったらロシアの踊りになったり、パーティ・シーンになったら社交ダンスになったりします。

Q:そのMETでは、ダンサーのシーザーは同僚なのですよね。100人以上のダンサーがいると、会うこともないかもしれませんが。(偶然、私の友人のMETのシーザー(キューバ人)と菊池さんは同僚でした)

菊池:はい、シーザーは同僚で、よく一緒になることが多いのです。100人以上のうち、全く会うことがないダンサーもたくさんいます。僕たちは演目ごとの契約なので、その同じ演目に契約したダンサーとはコネクションがありますが、それ以外の演目の人たちとはカンパニーのクラスで会うこともあります。カンパニーのクラスは自分の意思で自由に取れます。強制的にクラスに行かなければならないものではないので、僕みたいに別の仕事がある人はなかなかクラスに出られないです。ですから、カンパニーの他のダンサーたちで全く接点が無い人とは、会うことがないです。

Q:METのダンサーは演目ごとの契約なのですか。それを何度も契約し続けて、長年続けていらっしゃるのですね。

菊池:はい、演目ごとにオーディションがあり、契約します。僕は、2010年〜11年のシーズンからずっとMETに所属していますので、気付けばもう約11年やっていますね。
オペラのカンパニーなので、そのダンサーはあくまでもオペラの中のダンス・シーンに出演する役割です。そのため、ゴリゴリにダンスがメインのダンス・カンパニーとは違うので、ずっと舞台に出ずっぱりで踊っているのではないせいか、METのダンサーには年配の方々もいらっしゃいます。

Q:では、続けようと思えばずっと長くダンサーを続けることができるのですね。

菊池:はい。続けようと思えば長く続けられると思います。もちろん、プロとして身体のメンテナンスをして、鍛錬を続けてダンサーの肉体と体型を維持し続けなければならないですし、逆に若い人達よりも肉体的に劣ったら全くダメなのです。それプラス、経験値からくるリハーサルのコツ、例えば "ツー" といったら、"カー" というようにすぐに的確に応えられる逸材でなければ、なかなかカンパニーの芸術監督に雇ってもらえないです。すごくダンスが上手に踊れる技術よりは、言われなくてもそこで求められているものをさっと出来る技術が必要です。演目によっては歌手だけで構成されていてダンサーが全く出演しないものもありますし、プロダクションにより全然違います。

Q:現在、METのシーズン中ですね。今出演している演目は何ですか。客席から舞台上の菊池さんを見つけることは出来ますか。

菊池:今ちょうど、『マダム・バタフライ(Madama Butterfly)』に出演しています。『マダム・バタフライ』では、ダンサーの仕事は黒子みたいな感じで、舞台の幕が上がっているままの状態で舞台セットを動かしてシーンを次々に変えていく役割です。イスやテーブルを動かしたり、障子を動かしたり、パペットみたいな感じです。黒子だから黒い衣装で顔にも黒いものをかぶっているので、客席からはそのダンサーが誰なのか分からないですし、顔を出すのは最後に舞台挨拶する時だけです。
これは演目ごとで、振付家がダンサーを使ってどうやって舞台全体を作っていくかということなのです。演目によって、演技があるシーンもあれば、ダンスがあるシーンもあります。
例えば、今、シーザーと一緒にリハーサルをやっている『トゥーランドット(Turandot)』は、どちらかというとダンスよりも演技が多いです。『トゥーランドット』はメイン・シンガーの他、多くのコーラス・シンガー、演技をする俳優、ダンサーが大勢出演しているので、客席から舞台上の誰かを判別するのは難しいくらいです。
今シーズンで、もう終わった演目の『エウリュディケー(Euridice)』はダンサーが少ないので、僕が踊っている様子を客席から見つけることが出来ます。

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MET「Les Contes d'Hoffmann」Photo : Marty Sohl

Q:METでは新型コロナウイルスは影響がありましたか。

菊池:僕も去年のクリスマス前くらいに、新型コロナウイルスにかかりました。でもまったく大丈夫でした。ちょっと熱が出た程度ですぐ終わりました。実はMETではすごく大勢が感染しました。ダンサーはほとんどが感染しましたが亡くなった方はいないです。

Q:それは、スタジオに大勢が入るから感染しやすい環境なのですか。

菊池:いいえ、感染は舞台上でだと思います。スタジオの練習の時や、舞台上でも本番の舞台袖から舞台へ出て行く直前まで、全員がマスクを着けなければなりませんから。本番の舞台ではさすがにマスクを外さなければならないですが。舞台袖まではマスクを着けていて、舞台へ出て行く直前にマスクを捨てて、また舞台袖に戻ってくるとまたマスクを着けるという状態でして、全員がコロナ対策を徹底していたのです。でもオミクロン株の感染力がとても強くて、多分、すれ違っただけでも感染するほどだそうです。その1つ前のデルタ株は症状がきつかったらしいですが、オミクロン株は症状が軽いらしくて、感染していても症状が全く出ない人もいるそうです。
METではほとんどの方が新型コロナウイルスに感染しましたが、皆さんお元気で、コーラス隊も亡くなった方はいません。ただ、初期の頃(2020年2月〜3月)にオーケストラの方が1人亡くなりました。それ以外は全員無事で、元気です。

Q:菊池さんがなぜエアロビクスやダンスなどの身体を動かす方向性へ進んでいったのか、子供の頃から現在までの様子をお話くださいますか.

菊池:もともと、僕は一歳くらいの赤ちゃんの頃から水泳をやらされ、プールに投げ込まれて、泣きながら泳いでいたそうですけれど、全く覚えていないです。水泳を6から8年間くらいやっていました。でも僕は小さい頃からサッカーをやりたくて、小学校2年生頃まで水泳をやっていて、そこからサッカーをやり始めました。
両親がダンス関係をやっていたので、同時に小学校2年生頃から3年間くらいヒップホップをやっていました。当時は僕の年代でヒップホップをやっている人はとても少なかったので、もしあのままヒップホップをやり続けていたら成功していたかもしれないな、と思うこともあります。
サッカーは中学校3年生までしっかりやりまして、親がダンスとかエアロビックの競技スクールを経営していたので、中学校3年生からエアロビックをやりました。エアロビックの競技の世界大会を観てとても刺激を受けたからです。そこから大学4年生まで続けて、最後は世界大会で第4位になりました。
それから将来の進路について考え始めまして、エアロビックの上の人たちに、「将来エアロビックはオリンピック種目になるのか」聞いてみました。オリンピック種目になれない一歩手前の、マイナー競技の、ワールド・ゲームズという4年に1回の世界大会があるのですが、エアロビックもそこには入っています。でもエアロビックは僕が現役のうちにはオリンピック種目になるのは難しいと、大学1年の時に言われました。その時点で僕は、両親がエアロビックの競技スクールをやっていますし、日本でタイトルを3回取っていました。全日本の競技で優勝したのです。
その時点で、「ああ、僕は狭い業界の中で一生を終えたくないな!」という思いがあって、将来の進路を考え始めたのです。1つは体育の教員になるか、もう1つは、僕は当時アップル社が好きだったのでそこで働くことを考えていて、先輩でアップルの社員の方にお会いしたら「まだ大学1年生ではちょっと早いから、3年生になったらもう一度連絡して下さい」と言われました。もう1つは、僕が興味を持っていた「ダンス」という世界だったのです。
そして大学3年生で教育実習を終えましたが、それはとても大変でした。教員の大変さが分かったので、僕はまだ世間のことを何も知らない青二才なのに生徒に何も教える立場になれないなと思いました。もっと社会で経験を積んでから生徒に十分教えられる立場になれるんだろうな、まだ教員になるのは無理だなと思いました。
ですから、僕は消去法でダンスを選んだのです。
いわゆるダンスの名所のニューヨークには英語ですから行きやすいし、大学3年生の時に1週間ちょっとニューヨークを旅行で見に来た時に、ブロードウェイとかダンス公演を色々観て衝撃を受けて、これはやってみたいなという思いを持ちました。
大学1年生の時からダンス部に入って、ストリート・ダンス、ハウス、ロック、ブレイク・ダンスなど様々なスタイルのダンスをやっていました。あと、体操部の人に体操を教えてもらいました。体操部の床は結構使えるので、床を使ってバック転の練習をしたりしていました。

Q:バック転が出来るのですか。

菊池:はい、エアロビックは体操の競技ですから、バック転も入っているので、出来なければなりません。

Q:バック転は怖くないですか。エアロビックでそんなバック転もやるなんて、エアロビについてよく知らなかったのですが、有酸素運動のフィットネスとかダイエット向けのエアロビ・クラスのイメージがありました。

菊池:はい、バック転は怖いです。おっしゃるとおり、エアロビックは80年代にハイレグのレオタードを着て「ワンツー、ワンツー、スマイル、スマイル」って踊っていたフィットネスのダンスのイメージが強いですが、あれとは全く違うのです。
エアロビックは体操競技の種目の1つなのです。新体操の床に似ていて、音楽に乗って踊りながら技をやっていきます。技はバック転とか、回転、縦回転したり、横回転したり、ジャンプして下に落ちたりします。体操には6種目あって、新体操、器械体操、トランポリン、アクロ、エアロビック、パルクールです。
日本ではフィットネスのエアロビクスのイメージが全般で強いですが、そうではなくて、体操競技の種目なのです。でもフィットネスでの延長のエアロビクスのインストラクターも多いのです。

Q:大学のことをもう少し詳しくお聞きしていいですか。

菊池:順天堂大学のスポーツ科スポーツ科学部で学びました。

Q:その中に、エアロビックがあったのですか。

菊池:ありません。僕しかやっていなかったです。エアロビックは大学とは関係なく、僕個人でやっていたことです。大学では解剖学や、一流のアスリートになるための専門知識を学ぶ内容でした。例えば、スポーツ・メンタル、オリンピックでの大会当日のメンタルの持ち方とか、日々のメンタルの持ち様などのスポーツ心理学ですとか、こういう種目は身体をどういうトレーニングをしたほうが良いよという運動生理学とか、物理学とかを学びました。

Q:エアロビックとダンスは似ていますか。

菊池:似ているところもありますが、違います。その後、僕はダンサーになってから、クラシック・バレエはすべてのダンスの基礎であることがよく分かるようになりました。ですから長年ずっと、今でもバレエの基礎訓練を続けています。バレエなくしてダンサーと言ってはいけないのだろうなと思うほど、僕の中ではバレエは大事なのです。
実際のオーディションでもクラシック・バレエがちゃんと出来ていないと、たまにオーディションの1次審査でクラシック・バレエのバーだけで判断されますから。だからそれくらい、ダンスにおいてバレエは基礎中の基礎ですし、やっぱりベースにバレエがある人のほうが上手いです。それは僕の価値感なのですが。
僕のやっているコンテンポラリーは、クラシック・バレエをやらなくてもコンテンポラリー・ダンサーとして活動している方はすごく多いです。それはそれで否定しているわけではなくて、それぞれに個性があるのですね。でも僕が目指しているのは、最低水準としては、バレエの稽古を積んでいなければ、一流として他に認めてもらえないのだろうなという思いがあります。クラシック・バレエをやることで、しっかり基礎を作れます。
例えばコンテンポラリー・ダンスは、僕たちの年齢になると、人から指導を受けることが無くなります。自分で自分を律していかなければならないし、自分でビデオを撮ってダメ出ししなければならないし、こうしなければいけないなという改善点を自分で見つけていかなければならないのです。
クラシック・バレエはクラスを皆で受けて先生に指導していただけるので、いつまで経っても常に改善していくことが出来ます。つまり、改善し続けていけるので、向上に終わりが無いのですよ。日々、身体のメンテナンスをして、終わりが無いところに向かって、良いダンサーを目指して取り組めるのが、クラシック・バレエの世界なのです。僕らは特にクラシック・バレエのプロではないのですが、クラスを受けることによって身体のメンテナンスや調整が出来るし、マインド的にもいつも挑戦者としてやれるのです。
でもそれがもし無くなったら自由です。コンテンポラリー・ダンスって、何でもやってもいいのです。自由であればあるほど、終わりがもっと分からなくなる。何でもOKだからすごく我欲が強くなるのです。「これ見て、私!」「これが全てよ!」というふうに。
それはそれでいいのですが、そういう力もプライドも強さも大事ですけれども、ある程度はやはり学んでいく中で、基本がある中で応用があるので、出来れば毎日基本をしっかり、もし毎日は出来なくても週何日かやらないと良いダンサーにはなれないのだろうなと思います。クラシック・バレエはすべてのダンスの基本です。

Q:ニューヨークには、なぜ来たのですか。

菊池:大学3年生でニューヨークに行こうと決めて、エアロビックの引退も決めて、大学卒業してすぐ、2009年6月に来ました。大学4年生の夏に引退してから、バイトしてお金を貯めて来ました。お金は全部自分で用意したい、親のお金には絶対に頼りたくないと思っていました。それだけは絶対、意地を張っていました。大学までは親にはすごく助けられたので、いつまで経っても親のスネをかじりたくなかったです。
「3年間、ニューヨークで目に見える結果を出さなければ、日本へ帰ります。帰って教員になります。」と親と師匠に告げて、覚悟があってニューヨークに来たので、振り返るとそれがかえって良かったですね。

Q:背水の陣ですね。

菊池:まさに背水の陣でした。明るい留学生活では全くなくて、まずニューヨークに来たらすぐにルームシェアの安い部屋探し、グレーゾーンですけれど仕事探しをしました。僕にはダンス・スクールは学費が高かったので、学費の安い語学学校に通いながら、ダンス・クラスは良い先生を見つけたらその先生のクラスを取っていました。それ以外は、年間70ドルくらい払うと使えるニューヨーク市のスポーツ・ジム施設があって、その中にマンハッタンのチェルシーに1箇所ダンス・スタジオみたいなものもあり、使いたい放題だったのです。ですからそこでダンスの練習をしていました。それ以外はバイトをしていました。そういう日々でした。

Q:スケジュールがフル回転の日々ですね。

菊池:そうですね、引退してすぐニューヨークに来たので、ダンスは始めたてでまだ下手でした。

Q:ニューヨークに来てから、初めてダンスを始めたのですか。

菊池:いいえ、エアロビックを引退する前からジャズ・ダンスとかバレエはちょこちょこ始めていたのですが、まだすごく下手でした。その当時からすでにYouTubeはあったので、YouTubeでプロの振付を起こしてそれを自分でやってみました。朝バレエのクラスをやったら、バレエでやったことをまた自分で反復して練習したり、下手だったから何回も練習していました。体操の技術とバレエは全然違うのです。その違いを、体操からバレエに変換するのがすごく大変で、試行錯誤していました。

Q:自分の部屋でもバレエの練習をしていましたか。

菊池:いいえ、部屋はとても狭かったから何も出来ないので、スポーツ・ジムのスタジオで練習していました。

Q:その後、ペリ・ダンス・カンパニーにも所属していたのですね。

菊池:はい。

Q:オーディションを受けたのですか。

菊池:いいえ、芸術監督のイガールさんから声をかけていただきました。

Q:イガールのバレエ・クラスを受講したのですか。

菊池:はい、イガール先生のバレエ・クラスも取っていました。

Q:ペリ・ダンス・カンパニーは通常、オーディションでダンサーを選ぶので、それは余程あなたに何か他の人とは違う光るものがあったから、イガールがクラスであなたを見つけたのでしょうね。

菊池:気に入ってくださった部分もあったのかな、と思います。結構チャンスをいただいたので、運も良かったです。

Q:オーディション以外に、スカウトで採用されることもあるのですね。

菊池:はい、ニューヨークでは、スカウトもよくあります。

Q:ペリ・ダンス・カンパニーにはどのくらい所属していましたか。

菊池:1シーズンで、1年くらいです。その頃はMETでもう働いていた時期だったので重なっていて、METがメインなので、それは最初からイガールに伝えてありまして、オフ・シーズンの時にペリ・ダンス・カンパニーでダンサーをさせていただきました。

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MET「Les Contes d'Hoffmann」Photo : Marty Sohl

Q:METのオーディションについて聞かせてくださいますか。

菊池:ニューヨークに来て次の年、2010年夏、6〜7月頃に、METの『ニクソン・イン・チャイナ』というオペラ作品のオーディションがありました。ダンサーは「アジア人、ジムナスティック(体操)・スキルがあればなお良し」という募集条件だったので、私はドンピシャではまっていました。その振付家はマーク・モリス(Mark Morris)で、異端で天才と言われている方なので、選ぶ側も多分、風変わりだったのです。
その当時は、僕は頑張っていましたけどまだダンスはあまり上手くない状態でしたが、もっと上手い人たちがたくさんいる中で、合格しました。
もう1つ『オルフェオとエウリディーチェ』と、2作品同時にオーディションがありましたが、それも合格しました。これも振付家はマーク・モリスでモダンダンスでした。もし受かったのが『ニクソン・イン・チャイナ』だけだったらアジア人だったからだなと思いますが、モダンダンスのほうもあわせて2つ受かったので僕はすごく嬉しかったです。それで、運良くMETにすべり込むことが出来ました。

Q:運だけでは合格しないですよ。

菊池:僕はその時は緊張を通り越していて、知らない世界すぎて、メトロポリタン・オペラのことを全く知らなかったのです。当時受けていたダンス・クラスの方が、このオーディションを僕に勧めてくれたのです。それで全く知らず、リサーチもほとんどしませんでした。合格するとは全く思っていなかったのです。学生ビザでしたので、働くビザも無いのに「まず経験だ」と思って行ってみたのです。
そして行ったらものすごく立派なビルで、まずオーディション会場に迷って大変だったのですが、やっと上手くたどり着くことが出来ました。
会場に入ったら、ものすごく出来そうなプロっぽいダンサーたちがたくさん、300人くらいいたのですよ。それを見て、その時点で「ああ、これは無理だ!絶対に無理だ!」と、もう「絶対」がつくほどの無理だと思ったのです。いかにもすごく上手そうなものすごいストレッチをしているし、知り合い同士が多かった様子で皆さんおしゃべりをしているし、僕はまったく1人で来たので完全に蚊帳の外でした。
僕はその頃は英語もさほどしゃべれなかったし、ダンスが上手くない自信があったし(笑)、「いや、これはもうダメだな〜!」と笑ってしまいました。そして「これはもう、楽しもう!」と自分の意識を切り替えました。

会場の皆さんは本当にガチンコ勝負で、オーディションは皆さんが本気モードです。それを生で見物できる唯一の場ですから、これは「見て盗もう!」「どのくらいすごいのかな?」とか「観察して楽しんでやろう!」と思ったのです。「このリアルなオーディションのいろんな人を見て、そこから出来るだけたくさんのことを盗めるだけ盗んで帰ろう、どうせ落ちるし!」と思っていたので、僕は全く緊張しませんでしたし、とても楽しみながら自然に笑顔でオーディションに参加していたのです。「絶対に無理だ」と思い込んでふっきれていたから、逆にそれがかえって良かったみたいです。「絶対に無理だから、もうやれることは全部やって、楽しんでやってやろう!」と思いながらやっていました。

このオーディションは2日間ありました。1日目が3回、1次審査、2次審査、3次審査があって、僕は気付いたら通っていました。2日目も2次審査位あったと思いますが、その最後の方は、「じゃあ、好きにやってください。あなたのタンブリング・スキル、ジムナスティック・スキルを自由に見せてください。」と言われて、自由にやりました。そういう内容の審査も良かったので、そういう運があって、最後の7人に残って合格しました。
もう1つの『オルフェオとエウリディーチェ』のほうは、もう少し多くて、男性は15人くらいが合格しました。これは、僕はアンダーカバーといって、パフォーマーで怪我人が出た時に代役として出演するものでした。それが僕のMETでの初めてのシーズンでした。

そこから、アーティスト・ビザを急いで弁護士さんにお願いして出してもらいました。本当は、オーディションに合格した時にはアーティスト・ビザがなければならなかったのですが、「もうすぐビザが取れますので少しお待ち下さい。」ととっさに言って、すぐに準備しました。でも夏に契約があって12月がリハーサル開始だったので、12月の直前までにビザが間に合えば良かったのですが、それも運良くすぐに取れました。そして2010年12月からMETで仕事を始めました。これは完全に運だと思います。

Q:普通はアーティスト・ビザをまず用意してからオーディションを受ける方々が多いのに、アーティスト・ビザ無しでオーディションを受けて合格して、リハーサルまでにビザを用意して間に合わせて働き始めたなんて、すごいですね!

菊池:アメリカの良いところは、「良いものは良い!」「ダメなものはダメ!」「悪いものは悪い!」ということですから、僕を選んでくださったマーク・モリスさんは天才で異端な方なので、彼が興味を持った人にはチャンスを与えてくださったのです。それが運良くて、僕は別にダンスが上手いとは自分でもとても思えない状態だったのですが、彼が僕にチャンスを与えてくださったから、僕もそれをつかみに行ったのです。

Q:それはすごいですね。マーク・モリスが抜擢して選んだのですから、それはよほどあなたに何か光るものがあったからですし、あなたのキャラクターが良かったせいもあったのでしょうね。

菊池:そうですね、キャラクターで大分得をしたのもあるかもしれません。だって珍しいじゃないですか、ジムナスティック(体操)出身のダンサーなんて、あまりいないですから。

Q:いいえ、ジムナスティック出身のダンサーというだけの理由ではないですよ! ニューヨークでは特に、実力以外に、その本人が醸し出している凄みとか存在感、キャラクターのほうが重要ですよね。菊池さんのキャラクターの良さと圧倒的な存在感が良かったから、METの舞台で求められたのだと思います。

菊池:確かに、キャラクターもあったかもしれませんが、僕が日本のこれからの若い世代のダンサーたちにアドバイスしたいのは、「本当にやり方次第でどうにでもなる」ということなのです。
僕なんか全部が全部、遅咲きで、ダンスをやり始めたのも遅いし、今でもダンスを上手いとも思っていませんし、世界にはもっと上手い人たちはいっぱいます。でも、若くてすごく上手い子がいたとしても、やり方次第では埋まっていってしまいます。それではもったいない部分もすごく多いです。アメリカ、ニューヨークなんかでもすごいいろんなビッグ・チャンスはたくさん転がっていますから、自分次第でどこまでもチャンスをつかめます。

METに入りたい若いダンサーも多分たくさんいると思いますが、十分やれます。でも「やり方」があるのです。当時の私の初めてのMETのオーディションの話は除いていただいて、僕が今から行きたいすごく大きなオーディションを受けに行く時には、準備するものがいっぱいあるのです。
通常の会社での仕事と同じで、営業に行って取引先で契約を取るためには、その会社についてまず勉強しなければいけない、どういう体制を組んでいるか。例えばダンスの場合、どういう振付をやっているのか、どういうジャンルのものをやっているのかを知らなければならないですし、振付家がどういった振付をするのかを具体的に知らなければいけないから、事前に準備することはいっぱいあります。そこがやっている内容をもちろん理解していなければならないです。ぶっつけ本番で行ったところで、用意しているものが全く自分と違っていて、バレエをやるつもりで行ったのにシアターダンスをやられたら受からないですよね? というのと同じで、ダンサーでも出来ることはたくさんあるので、若い人でも準備は結構大事です。
ただぶっつけ本番で受かった私のケースもありましたけど、やり方次第では「合格する確率をもっと高めてチャンスをつかめる方法」はたくさんあるので、僕はそういった合格するためのアドバイスをたくさん出来ると思います。

Q:新型コロナウイルスのパンデミック以降、世界中ですべての劇場が閉じましたし、現在もまだ劇場やダンス業界の状況は回復しつつあるとはいえ、まだ完全には戻っていないですよね。それでもプロのダンサーを目指す日本の若者へ、何かアドバイスを下さいますか。

菊池:それは、パッションでしかないです。ダンスをやりたいと思わないと、ダンスが好きじゃないとこの職業はやれないと思います。これは厳しい言い方ですけれど、稼げません。ダンスだけ、METのダンサーだけでは、ニューヨークでは生きていけないです。僕はパーソナル・トレーナーの会社を経営しているのでニューヨークで生きていけています。METだけで生計を立てているダンサーはいません。これがニューヨークの現実です。

Q:会社の経営者でもあるのですね。そのパーソナル・トレーナーの会社についてお話くださいますか。

菊池:僕は体育大出身ですから、トレーニングをパーソナルに見てきました。ニューヨークで何か自分のキャリアとテクニックを生かした仕事が出来ないかなと考えて、フリーランスで何名かのクライアントのトレーナーをし始めました。その後、ニューヨークにあった日本のパーソナル・トレーナーの会社で、こちら現地の社員をやり始めて、雇われ店長になりました。やがてこの会社がニューヨークから撤退することになり、僕がその業務と顧客を引き継いで、5年くらい前から僕の会社で運営するようになりました。

Q:それもラッキーですね!

菊池:そうです、ラッキーです。これが無ければ、ニューヨークでの生活はもっと厳しいですね。その前は、METで働いている時も、バイトを続けながらダンスをしていたのです。
クラシック・バレエの大きなカンパニーに入ればそれだけで生活していけるのですが、それ以外の他のジャンルのダンスは、本当に根性があって並大抵じゃなければ結構厳しい世界です。有名アーティストのバック・ダンサーについたとしても期間限定ですから。教師としてダンス・スクールで教えたいというダンサーは例外です。
でも、第一線のプロのダンサーとしてニューヨークでやっていくのは、まず難しいことです。僕みたいにすべて自力でやるダンサーは、とても厳しいです。ダンサーは会社勤めが出来ませんから。そうなると、僕は同時にバイトもやってお金を稼いで、家賃や食費を払っていました。これがニューヨークの現実です。
さらに、お金を払ってダンス・クラスを取って、ダンサーは肉体のメンテナンスにもお金をかけます。他にも、オーディションを受けるためにもお金がかかります。例えばカナダにオーディションを受けに行ったり、旅費もかかります。でももちろんオーディションに受かる保障はない、だけどいろんな国のオーディションをトライします。ではチャンスをつかんだ先でも良い給料が出るかといえば、そういうわけでもない、しかも期間限定となっていきます。ですから、ダンサーは生活が安定しません。
ただ、ダンスをやる喜びは他のものには代えられないですし、かけがえがないものです。今でも毎回、リハーサルから感動します。

Q:なるほど。ニューヨークで第一線のダンサーを続けるには、家賃と物価が高いし、厳しい現実があるのですね。今でもリハーサルから感動するというのは、それはMETには、オペラでは世界的な歌手が集まっているので世界一の実力といわれているから、作品も歌手も全てクオリティーが高いから感動するのではないですか。

菊池:そうですね、METのクオリティーが高いせいもあるでしょうね。リハーサルして本番をするという舞台作品を作り上げていく過程も、アーティストしか味わえない醍醐味なので、それはとてもスペシャルだなと今でも毎回思います。
きっと絵でも、歌でも楽器でもそうですし、それをやっているアーティストならではの貴重な時間と空間は、他では味わえないじゃないですか。そこでしか味わえない感動がなければダンサーの意味がないですし、ダンスをやっていて楽しいな!と思わないともう引退しますね。こんなに稼げない業界にはなかなかいられないです。感動がなければ、やっていられないですから、辞めたほうがいいです。

Q:なるほど。ニューヨークの厳しい状況でも、それでもプロのダンサーを続けている方は、よほど何か他には変えられないものがあるのですね。

菊池:「お金を稼ぎたい」という目的では絶対に続かないです。はっきりと、そこは言っておきます。それでも、誰々のバック・ダンサーをやりたいとか、どこどこのカンパニーに入りたいとかの情熱があるなら出来ると思うので、やってみたほうが良いと思います
結局、時間は限られていますから、身体を動かすのは集中しなければならないし、ずっと長時間やれるわけではないです。練習を毎日やれば上手くなるわけでもないです。
毎日練習して上手くなってプロになれるのだったら、そこらへんにいる趣味でやっている方はとっくにプロになっていますよ。趣味でやっている方々のほうが毎日練習しているものですよ。だけどプロになれない、上手くならないというのは、そこに1個ヒントがあるのです。
練習は、ただただやっているのと、よく考えて工夫してやるのとは、質が全然違うのです。それは、僕は競技で師匠から学んだのですが、師匠が厳しかったので、100回やるうち100通りやらないとダメなのです。何も考えないで1つのことをやり続けたとしても、上手くならないのですよ。そこをよく考えないと、時間というのは残酷でどんどん進んでいってしまうので、身体も無限ではなく有限ですから、怪我したら肉体的にもっと落ちていきますし、だから1個1個の練習を意味があるものにしていかないといけないし、1個1個のクラスでテーマを決めて復習や予習をしていかないといけないのです。

Q:さすがよく考えていらっしゃるのですね。

菊池:はい、考えています。なぜこういうやり方になったかというと、僕はダンスも下手だったからですよ。下手だったのが、ある程度上手くなったから、どういった過程を踏むことで僕は上手くなっていったかということが分かるから、これからの若い人たちにアドバイスができます。
天才と言われているような方など、小さい頃からやっていると感覚があるから、何も考えないでも出来るので、それはそれで良いことです。
僕は、もともと下手で上手く出来なかったから、どうやったら上手くなるのか、どうやったらオーディションに受かるのか、アドバイスできます。僕は、シルク・ドゥ・ソレイユのオーディションにも2回受かっています。それも、僕はちゃんと狙っていったのです。だからどうやったらすごく倍率が高いところで受かるかということも、練習の中で目標に向かって戦略的に組み立てることは出来るのです。ただ受かりたい一心で、やみくもに練習しても、受からないです。

Q:なるほど。それはまさに、自分との戦いですね。抜きん出てオーディションに合格するためには、自分の問題点はどこか、どこを改善できるかという戦略を考えながら毎回クラスも受ける、クラスの予習と復習もするということですね。

菊池:はい、そうです。そして、何が自分の長所なのか、自分はこういうのが輝けるというものを伸ばすべきです。ずっと短所を直そうとしていても時間が足りないです。だからそのあたりの配分はバランスです。
例えば、僕が今から「クラシック・バレエの何回転のピルエットを回る!」というのをずっとやっていたとしても、実際にオーディションでそれをやる機会があるかといえば、まあ限られているのです。でもクラシック・バレエの良いところ、必要最低限これは出来なければならないという点をなるべくクリアしたうえで、クラスでは色んなピルエットを何回転回れるように努力しなければならないです。
要所要所をピックアップしていかないと時間が無いですし、オーディションで仕事を取ることにはつながらないのです。オーディションで何が必要で、何が今は要らないのか、取捨選択していかなければならないです。仕事がオフの時に、この「今は要らない」といったん横に置いておいた短所を、なるべく底上げして、基本能力を上げておくのです。仕事がオンの時は、自分の長所を伸ばしていきます。このように、ダンサーでも常に練習の段階から戦略を考えていかないといけないです。
「自分は何が下手なのか」を客観的に観ることが出来る力がないと、先ほど言ったように年を取れば取るほど自分に指導してくれる人は少なくなっていくので、自分の得意ジャンルでもなるべく自分を客観的に観て、なるべく「私が全て!」って思わないで努力するほうが上手くなります。

Q:では、オーディションでは、自分の長所を引き出すほうがおすすめですか。

菊池:それだけではなく、オーディションはかなり戦略が大事です。
いつ、オーディション会場に何時に行くか、どれくらい早く行って並ぶか、というところからもう戦いが始まっています。

Q:オーディション会場に早めに行くほうがおすすめですか。

菊池:それはその人の戦略なので、なんとも言えません。
会場でゼッケンをもらったら、ゼッケンの順番にいくのだったら審査員の一番前に立ったりとか、そういうのも勇気と自分の戦略です。そういうことをして、審査員の目に入らないと見てももらえない、だから印象づけなければいけない、振付の段階からインパクトを与えることが出来れば1次審査に通りやすいです。そういうことから戦いは始まっているので、僕は狙ってやっています。

Q:なるほど。具体的な体験談を教えてくださり、とても参考になりました。
比べられて選ばれるためには、何か印象に残るキャラクターの良さも大事だと思いますが、それについてプロを目指している方々にアドバイスをくださいますか。

菊池:キャラクターというのは自分の色ですね。若い方々は、「自分の色」を作ることが大事です。色というのは、その人ならではの個性のことです。人それぞれ個性というものがあるものです。
もちろんベーシックな基本は大事ですが、ある程度上に行って比べられるようになると、「その人の色は何なのか?」というものを大切に磨いていけば、比べられる時にきっと選んでもらえるようになると思います。自分の短所を直してさらに長所に変えていくことも大事ですし、長所をすさまじく伸ばすことも大事です。若い方は、ぜひ自分の色を作っていって下さい。

Q:とても参考になります。菊池さんのオンライン・クラスは、日本でも受けることは出来ますか。このような世界的なオーディションを目指しているダンサーで、パーソナル・トレーニングを受けてみたい方はいらっしゃると思いますし、世界に通用するような実力の底上げに役に立ちそうですね。

菊池:はい、オンライン・クラスは日本でも受けられます。僕は体操出身のダンサーなので、体操とダンスと両方の経験から、他にない指導が出来ることが強みです。日本にもオンラインのクライアントさんが何名かいます。

Q:お話をお聞かせくださり、ありがとうございました。また今後も、節目にインタビューさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。
(2022年4月5日 ニューヨークの某公園)

菊池健太郎

1985年生まれ、東京都出身。順天堂大学(スポーツ科スポーツ科学部)卒
Gymnastic Aerobic 3度優勝(2004'06'07'全日本選手 男子シングル優勝)
Gymnastic Aerobic世界大会日本代表(2003'〜08'、世界第4位)
https://www.metopera.org/
インスタグラム
https://www.instagram.com/kentaro_newyork_life/
うちトレNY
https://www.uchitreny.com/
エアライブスタジオ
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