ABTのプリンシパルダンサー、コリー・スターンズに今日のダンサーについてロングインタビュー

ワールドレポート/ニューヨーク

インタビュー=ブルーシャ西村

コリー・スターンズ(Cory Stearns):ABT(アメリカン・バレエ・シアター)プリンシパル・ダンサー

1985年10月16日生まれ。ニューヨーク出身のアメリカ人。15歳の時にYouth America Grand Prixスカラシップを獲得し、英国ロイヤル・バレエ・スクールで3年間学び2004年に卒業。同年にニューヨークに戻り、ABTのスタジオ・カンパニーに入団。2006年にABTにコール・ドとして入団。2009年にソリスト、2011年にはプリンシパル昇進。長身を生かし、ハイ・ファッションのモデルでもある。2009年、Erik Bruhn Prize for best male dance受賞。

----どのようにバレエを習い始めましたか。

スターンズ 5歳の時に私の母にすすめられてバレエを始めました。母は自分の子供たちに、何か努力を積み重ねて鍛錬することをさせようと思い、彼女なりにいろいろとリサーチしました。そして、きちんとした鍛錬を積み重ねることを学べる良いバレエスクールを見つけて、私をそこに通わせることにしました。ニューヨークのロングアイランドにあるセイスカヤ・バレエスクール(Seiskaya Ballet)というところです。

----そのバレエスクールは、あなたのご自宅から近かったのですか。

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photo/Umit Savaci.

スターンズ いいえ、自宅から車で片道1時間かかります。母は、私を5歳からずっと送り迎えしてバレエスクールに通わせました。5歳から10歳までは毎週1回クラスを受けていました。10歳から15歳まで、母は私を毎日そこに連れて行き通い続けました。クラスは夕方5時30分から9時30分でしたから、毎日4時間学びました。
バレエスクールでは、毎年春にパフォーマンス(発表会)があり、冬は『くるみ割り人形』の公演があったので、いつものクラス以外にそのためのリハーサルもありました。でもプロフェッショナルのためのバレエスクール、例えば英国ロイヤル・バレエスクールやパリ・オペラ座バレエ学校などのように、毎日何時間もダンスクラスを受けるようなものではなかったです。
その後、私はさらにバレエを学ぶために、15歳からロンドンに引っ越しました。15歳の時にYAGP(Youth America Grand Prix)に出場して、英国ロイヤル・バレエスクールのスカラシップを獲得したので、そこで3年間学びました。

----英国ロイヤル・バレエスクールで学んだのに、なぜ、ABTに入ることを選んだのですか。

スターンズ それには主に2つの理由があります。1つは、同じ英国ロイヤル・バレエスクールのガールフレンドがいましたが、彼女がニューヨークで新たなスタートを切りたかったからです。彼女は英国ロイヤル・バレエスクールで嫌な経験があり、ロンドンから出たがっていました。そして新たな国へ、ニューヨークのABTへ行きたかったのです。
もう1つの理由について。当時、その彼女はイギリスのノリッジ(Norwich)に住んでいて、元ABTのプリンシパル・ダンサーだったシンシア・ハーヴェイも彼女の近所に住んでいました。シンシアは私たち2人をコーチしてくれていました。シンシア・ハーヴェイは、ミハイル・バリシニコフ演出・主演の『ドン・キホーテ』の映像で、キトリ役で踊っているダンサーです。私と彼女がシンシアのご自宅へ伺うたびに、いつも私たち2人をコーチしてくださいました。サンクスギビングデー(感謝祭、アメリカの祝日)にも招待してくださり、私たちはシンシアと一緒に過ごしました。私はとてもラッキーでした。そのシンシアが私たち2人を激励してくださり、ABTに入るように奨めたのです。

----シンシア・ハーヴェイが、英国ロイヤル・バレエ団ではなくてABTに入ることを奨めて、助言してくださったからですね。

スターンズ はい。その後、私は時々「もし英国ロイヤル・バレエ団に入団していたなら・・・」と夢見ることはありましたが。でも私はABTを愛しています!

----あなたはABTに入ってから、すぐに主要な役でソロを踊り始めて、第一線のダンサーとして活躍するのがとても早かったですね。

スターンズ はい、早かったです。まず、ABTに入ってまだ1年後くらいのたしか2006年頃に、当時ABTプリンシパル・ダンサーだったアンヘル・コレーリャ(Angel Corella)が、彼のダンスのプロジェクトに私を抜擢してくださって、一緒にスペインに公演ツアーに行きました。このプロジェクトはとても小さなグループでした。

----アンヘルがあなたを抜擢したのは、何というプロジェクトですか。

スターンズ アンヘル&フレンズだったかな。確かそういうような名前だったと思いますが、うろ覚えです。ありがたいことに私はそのプロジェクトで、アンヘルとともにスペインのあちこちへ公演ツアーをしました。

----アンヘルはその時期から、ABT以外にもいつもたくさんのダンス・プロジェクトを精力的にやっていましたね。その頃からアンヘルとともに活動なさっていたのですね。

スターンズ はい。アンヘルはいつもたくさんの活動をしていました。当時アンヘルは大スターでしたから、母国のスペイン各地へ公演ツアーの機会がありました。ありがたいことに、アンヘルは私をとても信頼してくださっていて、他にも彼のプロジェクトに私を抜擢し続けました。アンヘルはその後、自分のダンス・カンパニーを創設したので、そのカンパニーにも呼ばれて踊りました。

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photo/Deborah Ory and Ken Browar

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photo/Deborah Ory and Ken Browar

----そうだったのですね! そんなに若い時から、アンヘルにとても信頼されていたのですね。私はアンヘルを長く取材していて、ABT以外にもアンヘルが企画したプロジェクトも出来るだけ欠かさず観てきました。まだ彼がカンパニーを創る前の2006年から、節目ごとにインタビュー取材も4回しました。あなたがアンヘルお気に入りの良き後輩だったということ、ともに活動してきたとのことで、今そのアンヘルからの流れがすべてつながったので感慨深いです。
当時、スペインのバルセロナ近郊で、コレーリャ・バレエとか、バルセロナ・バレエという名前で、アンヘルがダンス・カンパニーを創って活動していました。そのカンパニーでも踊られたのですね

スターンズ はい。当時、アンヘルがコレーリャ・バレエ(バルセロナ・バレエ)を始めた時(2008年4月)に、私はABTを辞めてアンヘルのカンパニーに入ることを考えていたのです。

----ABTに所属しながら、ゲスト・ダンサーとして参加して踊るというのではなくて、ABTを辞めてアンヘルのカンパニーに入るということですか.

スターンズ はい。私はABTを辞めてアンヘルのカンパニーへ移籍しようかと考えていました。なぜなら、ABTは大きなバレエ団なので、たくさんの才能あるダンサーたちがひしめいていて、主役で踊るためには長い間、何年も待たなければならないからです。そのため、私はケヴィンに相談しました。(ABT芸術監督のケヴィン・マッケンジー)ケヴィンは私に対して率直に話をしてくださいました。彼は私にABTに残るように強くアドバイスして、新しいカンパニーが生き残るのはどんなに過酷なことであるかなど、経済的な面も説明してくださいました。
その後、アンヘルのカンパニーは経営が上手くいかず解散した(2013年)ので、ケヴィンのご意見は正しかったです。そのため、後から振り返ると、私がABTに残る選択は良い決断でした。
この時にケヴィンと話し合ったことで、その後、彼はさらに私のことを注目してくださるようになりました。私は男性のバレエダンサーとしては背が高いほうなのですが、その後しばらくして、背が高い女性ダンサーのパートナーとして背が高い男性ダンサーが必要となり、そういう良いタイミングが巡ってきました。タイミングとすごく大きなラッキーが重なりました。(2009年1月ソリストに昇進)
もちろん、ラッキーなだけではなくて、私は英国ロイヤル・バレエスクール出身なので、とてもクラシカルな正統派のバレエ教育を受けているという理由もありました。ABTのバレエ・ミストレスのジョージ・ジョルジーナ・パーキンソン(Jorg Georgina Parkinson)は英国ロイヤル・バレエ団出身でした。ジョルジーナは元ABTのジュリー・ケント(Julie Kent)のバレエ・コーチでした。彼女は私がABTに入った時からずっと注目してくださり、私のこのバレエ・スタイルを高く評価していたのです。

----身長は何センチですか。

スターンズ 183cmです。

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「白鳥の湖」photo/ Gene Schiavone.

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「明るい小川」photo/Gene Schiavone

----ABTのアメリカン・バレエと英国ロイヤル・バレエのバレエ・スタイルは、どのような違いがありますか。

スターンズ 若干の違いがあります。英国ロイヤル・バレエのスタイルはもう少し本来のバレエの伝統を保持していて、とてもバレエの純度が高く、より上質であり、量よりも質を重視しています。動きは非常にシンプルで、すべての動きの型をよりクリーンに明確にして、一つ一つの動きを丁寧に、完璧に美しい状態にします。より保守的です。
アメリカン・バレエのスタイルはもっとダイナミックで、より観客に観せるもので、より華やかで派手なものです。
皆さんもきっと、アメリカン・バレエと英国ロイヤル・バレエの表現の特徴の違いについて、見比べてみたら分かるかと思います。例えば、ABTのプリンシパルだったアンヘル・コレーリャは、スペイン人らしくとてもダイナミックなスタイルの踊りなので、彼はABTにとってパーフェクトなダンサーです。英国ロイヤル・バレエ団の、例えばプリンシパルだったジョナサン・コープ(Jonathan Cope)は、とてもクラシカルでとても背が高い男性ダンサーで、動きはとてもクリーンで明確で、とても美しいです。こういったことが、アメリカン・バレエと英国ロイヤル・バレエには、基本的な違いがあります。
そういうわけで、私は英国ロイヤル・バレエの保守的なバレエのスタイルを持っているので、ABTのジョルジーナは私を高く評価していました。
ABTに入ってからは、私はよりABTらしいダイナミックな表現をするための努力に、多くの時間を費やしてきました。
ABTでは私は多忙になり、その後はアンヘルのカンパニーに参加して一緒に踊る機会はまったく取れなくなりました。その後はアンヘルと踊る機会が無かったです。

----2009年にソリストに昇進されましたが、プリンシパルに昇進したのはいつですか。

スターンズ 2011年です。

----私にとって、あなたの表現の雰囲気はとてもアメリカ人らしいと感じていました。良い意味で典型的な古き良きアメリカ人らしいと思います。フランクでオープン、親切で、正直で、偏見が無い感じです。

スターンズ おっしゃることの意味はなんとなく分かります。私がアクティング(演技)で最も気をつけているアイデアは、真実であることです。私がその瞬間に感じていることをそのまま、その真実をすべて表現することです。
例えば他のダンサーの中には、演技をとても大げさにして、あたかも何かを感じているフリをするダンサーも多いです。でも演技をすることと、見せ掛ける、フリをすることは全く違います。私は見せ掛けることをしないようにと、務めています。
私が演技で重視していることは、その瞬間に「感じること」です。これが私のポリシーです。
ダンス評論家の中に私の演技が不十分だと書いている評論を読んだことがありまして、一部からはそう言われていることも知っていますけれど。
でも私が気をつけていることは見せ掛けの演技をしないことであり、舞台では私がその瞬間に感じていることを正直にそのまま表現することなのです。その瞬間瞬間の、私の真実のフィーリングを表現しています。それが私のスタンスです。例えば私は、ハッピーではない時に作り笑いをするのは、私にとって不自然なことだから出来ないですし、私は本当にハッピーだと感じている時に自然に微笑みが出て来るのです。私が演技で笑う場合は、その時に何か本当に自分がハッピーだと感じていなければならないです。こういうことが、演技とはこうあるべきものだという私の信念であり、私の考え方なのです。魂と役柄を統合して具体化させることなのです。魂と役柄を統合せずに見せ掛けるだけのことではないのです。
一般的には演技することは見せ掛けることでもありますが、演技する時に魂と役柄を統合させることが出来るのです。私は。その時の自分のフィーリングをそのまま正直に表現して演技することが、好きなのです。

----そのように演技について学んだのですか。

スターンズ 私が自分で決めて選んだ「演技の方針」です。様々な違うタイプの演技をするダンサーたちを見てきて、感銘を受けたりして、私自身の演技の方針が定まっていきました。例えば、私はジュリー・ケントの演技が大好きです。彼女の演技は私にたくさんのインスピレーションを与えてくれて、大きな影響を受けました。彼女は演技するために、感じているのです。そういうわけで、彼女を敬って見習っているため、私もそのような演技をしたいと心がけてきました。

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photo/Roselie O'Connor

----どんな役柄が一番好きですか。

スターンズ 『マノン』の騎士デ・グリュー(Des Grieux)です。

----英国ロイヤル・バレエスクールのカリキュラムの内容はいかがでしたか。

スターンズ 大好きです。充実していました。毎日、学校は朝9時30分から始まり、午後5時までずっと踊っていました。

----そのように長時間踊った後は、どのようにして身体を回復してまた翌日に備えるのですか。

スターンズ 長時間踊った後は、ストレッチをしっかりよくやって、よく眠ることが大切です。

----ストレッチは重要ですか。

スターンズ はい、ダンサーとしての身体のメンテナンスで最も大切なことがストレッチです。若い時期はあまり身体のメンテナンスをしなくても回復しやすいので平気なのですが、年齢とともにだんだん身体のメンテナンスをすることが必要になってきます。私は、現在はたくさんの水を飲むこととよく眠ること、四六時中ストレッチを念入りにすることを大切にしています。ダンスを踊る前も踊った後も、両方ともストレッチが一番大事です。
実はあなたに会う直前にも、30分間ストレッチをしていました。私は毎日のルーティーンとしてストレッチを1時間30分、欠かさずしっかりとやっています。

----ABTの公演期間中には、公演後にもそのようにストレッチをなさっているのですか。

スターンズ 状況によります。例えば、公演後にとても疲れている時は、自宅に帰ると熱いシャワーを浴びて、すぐ就寝します。

----Covid-19のパンデミックの後、ニューヨークではすべての劇場もダンス・カンパニーも閉鎖していますから、その後は、ダンサーとしての身体を保ち続けるために、どのような努力をなさっていますか。

スターンズ 3月10日にABTが閉鎖してから、団員ダンサーたちに対して毎日、オンラインでバレエクラスが提供されています。私は最初の2〜3ヶ月は毎日、自宅でこのバレエクラスを受けて練習し続けました。そして、私とパートナーのデヴォン(Devon Teuscher。ABTのプリンシパル・ダンサー)は、毎日ビルの階段を走って昇り降りしています。私たちは45階に住んでいるので、10階以上の階段の昇り降りを5セットやっています。35階から47階までの階段を走って行き来しています。5セットで25分間かかります。

----ABTは団員ダンサーたちに対して、3ヶ月間は毎日、オンラインでバレエクラスを提供してくれていたのですか。

スターンズ いえ、ABTは閉鎖してからずっと、今でも毎日オンラインでバレエクラスを提供してくれています。でも、ABTは秋のシーズン(ニューヨーク公演)をすべてキャンセルしたので、私はそのクラスを受けることを止めました。

----ABTのオンラインのバレエクラスの受講を止めた代わりに、ダンサーとしての身体を保つために、他にどのようなトレーニングを続けていらっしゃいますか。

スターンズ ゴルフをやっています。他はいつもストレッチを念入りに続けています。また、テニスもやっています。バレエクラスの受講を止めて、スポーツをよくやっていて、とてもアクティブに生活しています。他には、ハイキングに出かけたり、水泳をしたり、ほぼ毎日何かのスポーツをたくさんしてよく身体を動かすように務めています。
私にとってバレエクラスは、パフォーマンスと役柄の演技を掘り下げる練習なしの状態では、何もインスピレーションが得られないので、ABTのオンラインのバレエクラスを止めたのです。そういうバレエクラスは、私にとってはただのワークアウトにしか過ぎないからです。私にとって最もバレエのフィーリングを得るためにはバレエ作品の役柄を伴う必要があり、何か具体的なこと(役柄の演技)をクラスで練習してリハーサルすることが自分自身の助けになりますからとても重要なことで、エキサイティングだから私のバレエに対するモチベーションが上がるのです。でも自宅のキッチンで、オンラインでバレエクラスを受講することは、私にとって本来のバレエの振付からすごく遠ざかっていくことなのです。数ヶ月間やってみてそういうことに自分自身で気が付いたのです。実際に私にとって健康的なことは、自分自身の(精神と肉体の)バランスを取れることであり、それは私は楽しんで運動することを通じて得られます。

----なるほど。とても納得できます。Covid-19の影響のため、ABTはダンサーを解雇しましたか。

スターンズ はい、ABTはダンサーを全員解雇しました。たしか、3月半ばか下旬から、ABTはダンサーたちに給料を支払うのを止めました。それから数週間ABTは給料を支払わなかった後、ニューヨークのABTの通常のMETシーズンの予定だった時期に、5月から7月初めの間、まるまる2ヶ月間分の給料を支払いました。その後再び、ABTは7月から10月まで給料を支払うのを止めて、その後にまた3週間分の秋の給料を一部分支払いました。

----ダンサーの皆さんにとって、Covid-19の影響で仕事を失い、経済的にも大変な時期を過ごしていらっしゃるのですね。

スターンズ はい、ダンサーにとって大変な時期です。

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photo/Roselie O'Connor

----今、例えばオンライン・クラスを開講して教えていらっしゃいますか。

スターンズ オンライン・クラスは積極的には行っていませんが、現在、1人の男性にオンラインで毎週1回、クラスを教えています。
実は、私はオンラインで教えることはあまり好きではないのですが、教室で直接会って教えることは楽しいので好きです。でもパソコンとカメラをセットして、その前に向かってオンラインで教えることは、私にとってあまり気持ちが乗らなくてやりにくいことなのです。

----でも、解雇されて仕事を失っているダンサーは収入が無いので、その代わりに何か出来る範囲のことで、例えばオンライン・クラスなどをやって仕事をしなければ、収入を得ることが出来ないのではないでしょうか。
あなたがもしオンライン・クラスを開講すれば、例えば日本のダンサーたちも直接あなたのクラスを受けることが出来ると思いますが、そういう機会があれば良いですよね。

スターンズ そうですね、それは良いと思いますし、そういう機会があればもちろん出来ます。
例えば、ABTの他のダンサーたちは、インターネットのインスタグラムの自分のアカウントに、「メッセージを私に直接ください、私があなたにコーチします」というふうに投稿して、自分のクラスについて広告を出している方たちもいます。でも、私はそれはやらないです。なぜなら、私が自分自身の広告を出すことは私にとって心地良くないからです。そういう広告を出すことは、私にとってはまるで「お金をください」と頼んでいるようなものであまり心地良いことではないから、私は苦手なのです。
でも、誰かが私に直接コンタクトしてきてコーチを依頼した場合は、もちろん喜んでコーチすることは出来ます。そうですね、そこには大きく2つの理由があります。1つ目の理由は、オンラインやソーシャル・メディアで度々、私自身のことを売り込むのは好きではないということです。2つ目の理由は、例えば1日に3クラス教えているダンサーたちもいますが、私にとってそれは多すぎです。
ありがたいことに幸運に恵まれていまして、私はダンサーとして踊り始めた時からずっとキャリア全体を通じて、お金を大切にして貯めてきて、そのお金を投資して株式市場で株取引をし続けてきたのです。そのお陰で、現在、私は働く必要がないです。

----すごく賢いですね! あなたは株取引で成功したのですか。

スターンズ はい、株取引で成功しました。私はとてもラッキーです。

----あなたはダンサーであるだけでなく、さらに賢くて投資家でもあるのですね。

スターンズ はい、私は投資家でもあります。私は賢いというより注意深いのです。そのきっかけは学生時代の経験に遡ります。
私は英国ロイヤル・バレエスクールの生徒だった時には、お金が全くありませんでした。両親は私の英国留学へ援助する経済的な余裕がなかったからです。
私は英国ロイヤル・バレエ・スクールのフル・スカラシップを得て留学しましたが、全学費は無料で、それプラス最初の2年間は1年につきわずか1000ポンド(英国の通貨)の食費が支給されました。1年間全体でたったの1000ポンドだけでしたが、私は両親に一切金銭の援助を頼みませんでした。両親には余裕が無いことは分かっていたので、私にお金を送って欲しいとは頼まなかったのです。私は学校から3月頃に与えられた1000ポンドの中で、その1年間をすべて自分でやりくりしました。ですから私は、学生時代を通じてあまり食べ物を食べなかったのです。1週間のうち5日間はパスタを食べていました。そのため私は、とてもひもじい惨めな気持ちを味わう経験をしました。ダンサーが1年に1000ポンドの食事代なんて、ほとんど無きに等しいことですよ。現在は、私は食事代に1ヶ月1000ドル以上を使っていますので、それに比べたら無いも同然ですよね。私はよく覚えていますが、当時、ガールフレンドと映画館に映画を観に行った時の入館料と同じ15ポンドを、1週間の食事代に使っていました。そのように私は学生時代、とても貧しかったのです。
そのため、私がABTに入って仕事を得て給料をもらい始めた時に、「私は二度とこのひもじい惨めな立場になりません」と、自分自身に誓ったのです。
幸い、私の叔父が優れた投資家でしたので、彼は私に資金を直接与えることはせずに、株取引で投資する資産形成に関してとても良いアドバイスを与えてくださいました。私は良いファイナンシャル・アドバイザーに恵まれていたので、株取引に投資して成功しました。

----素晴らしいですね。学生時代に貧しさを味わってもへこたれず、その経験から学んで立ち上がり、すでに今回のCovid-19のような危機の時でも生き抜く準備が出来ていたのですね。

スターンズ はい、幸運なことに、今私は十分にやっていくことが出来ています。

----ニューヨークのこのCovid-19の状況の中で、ダンサーとしてのモチベーションを保つために、どのようなことを心がけていらっしゃいますか。

スターンズ 私が持っている本当のモチベーションとは何か、お話しましょう。私は自分自身では、私のダンサーとしてのキャリアのピークにはまだ到達していないとよく分かっているのです。ピークを山の頂上と例えると、私のキャリアはまだこの辺り(7分目くらい)にいると自覚しています。私は頂点へ自分のキャリアを持っていきたいのです。その理由は2つあります。1つ目の理由は、私のダンサーとしてのキャリアは以前のケガが影響していて、正直に申しますと、今回のCovid-19は実際には私にとって良い方向へ働いてくれて助かっています。

----どこをケガしたのですか。

スターンズ 15歳の時に、臀部をケガしました。その前、14歳の時に左足のハムストリング(太ももの裏側にある大腿二頭筋・半腱様筋・半膜様筋の総称)をひねって痛めました。その原因は左足首が固まってしまっていたことから起こり、その後は左足と背骨が固まって伸びにくくなってしまいました。そのため、きちんと完璧にはプリエしにくい状態で、プリエをする度にかかとが浮いてしまいます。そのため、プリエが不十分だとジャンプも不十分になるため、私自身のジャンプの仕方は変な癖がついてしまっている状態なのです。

----そうなのですか。でもあなたは受賞歴もあるし、ABTのプリンシパルで、ちゃんと踊れていますね。

スターンズ はい、私はプリンシパルです。私の身体の他の部分はよく動くので、その他のパワーで補って踊ってきました。
これは自分自身がよく分かっていることで、身体のコンディションをより完璧な状態へ整えていきたいという、私の固い意志による決意なのです。この2つのことは、私にとって踊るうえで常にとてもストレスになっているのです。
多くのトップ・ダンサーたちはあちこちから招聘されて、世界中のダンス公演に出演していて、彼らは世界中を旅して国際的な仕事をとても楽しんでいます。でも私は長い間、世界中のあちこちのダンス公演に参加しても、とてもストレスを感じていたのです。なぜなら、飛行機に乗って離陸すると私の頭まで固まってしまうのですが、つまり私のケガで痛めた部分が固まっているため踊ると身体がとても痛むからです。それは踊るには不快です。
また、私は出来る範囲を超えてリハーサルをしてはならないのです。なぜなら、それは身体が痛むからです。そのため私は、リハーサルの前には人一倍、必ずストレッチを20分間はやる必要があり、それ以外にもさらにその後ストレッチを20分間やっていなければならないです。しかし、私は若い頃にこれを全く知らなかったので、踊る前にどのように私の身体を準備しておくと良いのかという方法も分からなかったのです。
もう1つの原因について話します。私の両親はクリスチャン・サイエンスというキリスト教系の宗教を信仰していたので、私はそういう家庭で育ちました。彼らの信仰は薬を飲まず医者にも行かず、医療行為を拒否しています。この宗教の信者は、すべての身体の不調は自らの意識を整えることによって治すことが出来ると考えています。私が小学生の時に、私の母は人体の解剖学のクラスから私を引っ張り出して受けさせませんでした。それはその宗教の教義に反するからでした。私は本当に医師に診てもらったことも病院に行ったこともなかったですし、フィジカル・セラピストにも診てもらったことがありませんでした。
私が14歳で、バレエスクールでケガをした時についても、私は一度も病院に行きたいとも思いませんでしたし、自分自身でも身体をケアしようとせず、ケアの仕方を全く学ぼうとせずにいて、気にしていませんでした。スクールからは2ヵ月半か3ヶ月ごとに私の様子について両親にレポートが送られていました。私のケガから2ヵ月後くらいに私の両親に送られてきたレポートの内容も私は覚えていますが、バレエスクールで私の教師は気にしていなくて十分に私に踊る前にウォームアップの準備をしていなかったですし、私自身ももっとウォームアップが必要だということはなんとなく思っていましたが明確には知らなかったです。そして周りも分かっていませんでした。
バレエはとても身体的な芸術ですから私の職業は身体的なものであるのに、クリスチャン・サイエンスの教えは正反対なものだったのです。病院に行ったりフィジカル・セラピストを訪ねたりすることは私の家庭の宗教の教えに反することなので、私は医療の分野に対して偏見を持っていました。そしてその私の偏見を取り除くには何年もかかりました。
つい最近、5〜6年前から、私は29歳になって初めて、ついに私自身の身体をケアしようと思い始めたのです。今は、私の身体はより良くなってきました。バレエクラスを受講する前にも必ず30分早く行ってストレッチをしっかりやるようにしています。身体のウォームアップもして血液の巡りをよくしています。
世界中へダンス公演に出かける時は、目的地に到着して飛行機から出てホテルに行って、すぐにストレッチをしっかりやります。時差ボケなんて関係なく、クラスが始まる前に朝早くスタジオに行ってストレッチに取り組んでいます。
今は、自分自身の身体をどのようにケアしたら良いかということを、以前よりもさらに分かっています。私はリハーサルをよりしっかりするほうが、その後のステージがさらに快適になります。それが全体的な手順なのです。
私は人生の中で自分の身体のケアについて知るのが遅すぎたのです。私の身体能力を最大限に生かして踊るための確信を得るまで、私はとても長い時間を要しました。そんな状態でも、ケヴィン(ABTの芸術監督)は、常に私の身体の潜在能力をとても高く評価して見抜いていたので、いつも励ましてくださいました。その私の身体能力は潜在的にまだフルには生かせていなくて、全開までは到達していないと自分でよく分かっています。今年2020年のABTのMETシーズンでは、私の身体能力はとても良い状態に整ってより良く踊ることが出来ると思っていました。なぜなら私は精神的にも健康ですし、身体的にもさらに強くなっていますから。しかし、その公演はすべてキャンセルとなりましたから、今年私がそこで踊る機会は取り上げられてしまいました。そのため、私は今、とても踊りたくてたまらなくて、舞台に飢えている状態です。次の舞台がいつになっても構わないですが、私は次に向けて集中してとても力を入れていまして、私は再び必ず舞台へ戻らなければならないと決心しています。私はまだ身体能力と可能性にかなりの伸びしろがあるので、まだまだ現役でダンサーとして踊らなければならないのだと、自分で知っています。

----あなたにとってバレエダンサーであることとは、精神的なことのほうが身体的なことよりも大切なことですか。

スターンズ そうですね、私にとって60パーセントが精神的なもので、40パーセントが身体的なものです。またはそれぞれ55パーセントと45パーセントくらいかもしれません。

----あなたは精神的に強いほうなのですね。

スターンズ はい、私は精神的にかなり強いほうです。

----ケガをしてから長く患ってきても、優れたダンサーとして生き残ってきたのですからすごいことですね。ケガで痛んだところは、ご自分で治してきたのですか。

スターンズ はい、ケガは自分で治してきました。私のキャリアを通じて、先ほどお話したようないくつかのケガにまつわる妨げを打開するところまでは出来ていませんが、同時にキャリアとは社会的なものでもあるのだし、それは私にとって良い学びの経験となりました。ケガとは、単にケガそのもののみの問題ではないですし、ほとんどの問題の原因は、自分の身体をどのようにケアしたらより良いのか知らなかったということです。
なぜなら私は若い頃から常に、たくさんのスポーツをしてきまして、野球、サッカー、テニスなどを学生の時にやっていました。私は自然にどんなスポーツでも上手く出来ました。私は元々、身体能力が高くて良いアスリートだったため、様々なスポーツが未経験でも自然に上手く出来たため、スポーツの練習をする必要が無かったのです。それは良い面も悪い面もあって、良い面は練習しなくても何でも出来るという高い身体能力ですが、同時に鍛錬を積むことに関して精神的に悪い面もあります。私は身体能力が高かったために自然にバレエも上手く踊ることが出来ましたが、後に優秀なダンサーたちが集まる英国ロイヤル・バレエスクールやABTに入って練習していた時に、問題が生じてきました。私は自然にすぐ上手く踊ることが出来たので、それから先にさらにハイレベルに上達させるためには何に気をつけてどのように鍛錬するべきなのかを理解するのにとても長い時間がかかってしまい、苦労しました。自然に生まれ持った能力のままでは、何事も人は大したレベルには到達出来ないものです。そこからさらにどのように発展させるのか、どのように改善させるのかということを私が理解出来るまで、何年もかかりました。現在は、私は自分自身で自分を上手くコーチすることが出来ます。
私は自分のキャリア全体を通じて、様々なことを深く理解して実情を知ることが遅い、私は何でも遅咲きなのです。他の優れたダンサーたちよりもピークが来るのが遅いです。ですから、私自身のダンサーとしてのピークは、まだこれからやってくるのだと自分で分かっているのです。

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----あなたは今、35歳ですよね。アンヘル・コレーリャは35歳過ぎくらいで引退しましたから、もう引退してもおかしくない年齢なのにまだこれから自分のダンサーとしてのピークがやってくるなんて、若々しいですね!

スターンズ はい、そうですね。アンヘルは10代からバレエにすごく集中してきましたし、27〜28歳の頃にはすでに世界中で大活躍していておそらくピークに達していましたから、35歳くらいで引退しました。ABTのダニエル・シムキンも同じようなタイプのダンサーで、彼ら2人は非常に幼い時期から完全に自分自身をバレエに集中して費やしてきました。私は彼ら先輩とは対照的でもっとゆっくり進んできたので、子供の頃からバレエ以外のいろんなことをやってよそ見してきました。様々なスポーツをやったり、ビデオゲームに熱中してみたり、女の子たちとデートしたりしていたから、完全にバレエに集中してこなかったのです。私は成熟するのが遅いのです。
アンヘルは成熟するのがとても早く、若い時期からとても輝いていたことを私は間近で見てきました。私はそれと正反対でゆっくりよそ見をしながら成長していく遅咲きで、アンヘルはより成熟して大人になるのが早いタイプで、私はより楽しむタイプの性格なのです。

----なるほど。アンヘルとダニエルと共に活動してきて間近で見て、彼ら天才ダンサーの先輩から良い影響を受けたのですね。まだ現役で踊り続ける予定ですか。

スターンズ はい、私はバレエが大好きなので、これから40歳へ向けて、まだまだ現役で踊り続けたいです。

----素晴らしいですね。さらなるご活躍を楽しみにしています。ダンサーとして身体を保つために、食事には気をつけていらっしゃいますか。

スターンズ はい、気をつけています。私にとって食事について最も大事なことは、その食材はどこで採れたものかということです。幸いなことに、私の自宅のビルの1階にオーガニック・マーケットがあり、とても上質な食料品を販売していて、基本的に「農場から食卓へ」となっています。私は特別なダイエットをしているわけではないですが、食事は上質でヘルシーなものを選んでいて、例えば鶏肉は放し飼いでオーガニックのものなどです。野菜だけでなく、何でも好きなものを食べていますが、食材の質にこだわっていてすべて上質なものを選ぶように務めています。
興味深いことに、私は今のようにダンス公演が休みの時のほうが、ダンス公演の期間よりも、食欲が旺盛でさらによく食べるということに気が付きました。公演期間中は、私はあまり食べられないのです。でも今はパンが大好きなので、パンをつい食べ過ぎてしまいます。

----でも今も、あなたはダンサーとしての体型をちゃんと保っていますね。

スターンズ はい、体型は保っています。私はとても活動的なので、毎日よく運動をするからです。今日もゴルフを3時間やっていました。ここから20分くらいのところにゴルフ・コースがあります。
通常ABTでは、METシーズン中は1週間に1日休みがありますが、現在私は毎日必ず何かのスポーツを長時間やるようにしています。

----現在のABTは、どんな様子ですか。

スターンズ ABTは現在、ニューヨーク・シティーから4時間北に登ったところにあるレイク・ジョージ(Lake George)というところに、ダンサーたちのために場所を用意しています。そこにYMCAキャンパスがあります。ABTはそこに屋外ステージを作って、ダンサーたちがそこで踊ることが出来るようにと励まして、ダンサーたちは全員、スタジオからステージに行くまで誰にも会わないようになっています。食事はすべて宅配の箱がそれぞれに用意されて配られるので、完全な隔離が配慮されています。私はそこで他のABTダンサーたち8名とともに(2名のプリンシパルと6名のコール・ド)で5週間を過ごして、それが終了して自宅へ戻ってきたばかりです。また来年1月にそこで別の部が再び始まります。
今回のレイク・ジョージの滞在で振付けた作品の映像を、ABTは撮影しました。現在、彼らは映像を編集中で、おそらく6週間後くらいにインターネット向けに放映されると思います。この映像作品は「親密さ」についてで、ダンサーたちは対等な関係でそれぞれの役を踊りました。振付は映像のためだけのもので、舞台で踊るためのものではないです。

----日本へ行かれたことがありますか。

スターンズ はい、ABTの公演と自分のバケーションと、ABTのプリンシパルのダニール・シムキン(Daniil Simkin)の公演に参加してツアーで日本に行きました。私は日本が大好きです。

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photo/Umit Savaci

----あなたはバレエダンサーというだけではなく、プロのファッション・モデルとしてのキャリアもありますね。

スターンズ はい、2005年からモデルを始めました。幸運に恵まれて、トルコのRamseyのモデルを続けてきました。このブランドのキャンペーンを2期務めました。また、Zang Toiというデザイナーが年2回、NYコレクションで作品発表していて、私はそのモデルを務めてファッション・ショーでランウェイしました。
でも、ダンスの仕事が多忙になってからは、モデルの仕事はしばらく中断しています。私はABTの公演期間中以外にも、あちこちのダンス公演に出演していますので、1年を通じて常にたくさんの舞台で踊っているからです。英国ロイヤル・バレエ団の『くるみ割り人形』の公演にも出演しました。そのため、いつもたくさんの公演の仕事が詰まっていたので、それからはモデルの仕事をする時間が全く無いのです。
最近再び、新たに、アムステルダムにあるモデル事務所に所属しました。ダンスの仕事がすべてキャンセルになっているので、もしモデルの仕事のチャンスがあればやりたいですが、このCovid-19の状況次第でどうなるか先は見えないです。

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photo/Umit Savaci

----日本のファンへメッセージをいただけますか。

スターンズ 私は日本が大好きですので、また日本に行きたいと願っています。最後に日本に行ったのはABTのツアーでたしか2015年でしたから、もうずいぶん前のことです。日本が恋しいです。また日本の公演で踊りたいです。

----Covid-19の影響で、日本でも多くのダンサーたちが仕事を失い、ソーシャルディスタンスのため公演もほとんど行われていないです。そのため、ダンサーたちで気持ちが沈んでいる方はきっと多いと思います。そのような苦しい状況の時でもダンサーとしてどのようにやる気を出したらいいのか、どのようにモチベーションを高めてダンサーであることを維持していけばいいのか、何か彼らの元気が出るようなアドバイスかメッセージをいただけますか。

スターンズ 世界中のダンサーはみんな同じような状況です。そのように苦しんでいるのはどこか1つの国だけではなく、他の多くの国々もそうですし、おそらく世界中のたくさんの国々が同じような状態で苦しんでいることを実感しなければならないです。
ダンサーたちは団結して、きっとダンスの仕事に戻ることが出来るという望みを持っていただきたいです。一番大切なことは、今でも常に何かダンスに関することを創造し続けることだと思います。例えばダンスの映像作品を作ってみるとか、他のダンサーたちとも一緒に振付をしてみるとか。
もうじきワクチンも出来そうなので、きっと舞台公演も再び開催出来る時期が来るでしょうし、あとはただ待つだけです。

----ありがとうございます。とても参考になるお話をたくさん話していただきました。またお話を聞かせていただきたいと思います。
(2020年11月23日夜 NY近郊の某会議室)

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