ラトマンスキーがプティパ作品をリメイクした『アレルキナーダ』をシムキン、ヒー・セオなどが華やかに踊った

ワールドレポート/ニューヨーク

三崎 恵里  Text by Eri Misaki

American Ballet Theatre アメリカン・バレエ・シアター

"Harlequinade" by Alexei Ratmansky after Marius Petipa
『アレルキナーダ』 アレクセイ・ラトマンスキー:振付(マリウス・プティパに基づく)

今年のアメリカン・バレエ・シアター(ABT)の春のシーズンは、『アレルキナーダ』で始まった。ABTには新しいレパートリーで、初演は昨年6月であった。オリジナルの振付はマリウス・プティパで、現在のABT専属振付家のアレクセイ・ラトマンスキーがリメイクした。ちなみに、ニューヨーク・シティ・バレエのジョージ・バランシンも『アレルキナーダ』を振付けており、ABTはバランシン版を1983年5月に初演している。

美しい娘、コロンビーンはアレルキンと恋仲だが、父親のカッサンドレは娘を金持ちのレアンドレに嫁がせたい。娘をアレルキンから遠ざけるために、カッサンドレは召使のピエロに家の鍵を渡し、娘を家に閉じ込めるよう言いつける。しかし、ピエロの妻のピエロッテはコロンビーンの味方で、夫から鍵を盗んでコロンビーンとアレルキンを会わせる。それを見たピエロの知らせでカッサンドレは手下の者たちを送って、アレルキンを追い払おうとするが、誤ってアレルキンをバルコニーから落として殺してしまう。しかし、善の妖精のおかげでアレルキンは命を吹き返す。アレルキンは妖精に感謝して、コロンビーンと結婚したいと言うと、妖精は彼に望みをかなえる魔法の鞭を与える。
一方、金持ちのレアンドレはコロンビーンに言い寄るが、アレルキンの分身の集団にぼこぼこにされてしまう。カッサンドレとピエロはそれをアレルキンが仕掛けたことだと知る。アレルキンは鞭を使ってコロンビーンと再会、二人は結婚する。二人の結婚を祝いに集まった人々の中に、善の妖精が公証人に変身して混じっていた。式の最中にカッサンドレがレアンドロと共に現れ、式を妨害しようとするが、妖精の助言でアレルキンが鞭を使うと周辺に紙幣が舞い、カッサンドレは難なく合意。華やかな結婚式となる。ピエロも妻のピエロッテに謝罪し、仲睦まじく踊って、最後に善の妖精が二人を祝福する。

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Skylar Brandt and Daniil Simkin in Harlequinade. Photo: Doug Gifford.

この作品はプティパがまだマリインスキー劇場の首席振付家だったころに創られたものの一つで、休憩を一度はさむだけの二幕構成、初演は1900年、ロシアのサンクトペテルブルグのエルミタージュ劇場であった。当時イタリアに発生してヨーロッパに広がった喜劇、コメディア・デラルテのスタイルを導入し、主役たちに道化のメイクと扮装をさせ、面白おかしく作ってある。さて、ラトマンスキーはプティパの原作を忠実にリメイクしたいという気持ちがあったと想像されるが、残念ながら現在の振付では上記の物語をしっかりと観客に伝えることはできないと言わなければならない。

ピエロの顔を描いた赤い幕の緞帳が上がると、そこはイタリアの街の広場で、中央にコロンビーン(スカイラー・ブラント/Skylar Brandt)が住む家が建っている。コロンビーンの父親カッサンドレ(アレクセイ・アゴウディンAlexei Agoudine)がマイムで観客に話しかけるが、何やら不満らしいと分かるもののマイムの内容がはっきりしない。持っている杖で床を叩くと、家から寝ぼけまなこのピエロ(アレクサンドレ・ハモウディAlexandre Hammoudi)が出てくる。カッサンドレは鍵をピエロに渡して何かを命じて消える。コロンビーンとピエロの妻のピエロッテ(ヒー・セオHee Seo)が家から現れる。ピエロッテは何とかして夫から鍵を取り上げようとするがうまく行かず、腹いせにピエロを家から閉め出す。ここで町人の踊りが入るが、みんなマスクを着けているのはコメディア・デラルテのスタイルを踏襲しているためだ。そしてアレルキン(ダニール・シムキンDaniil Simkin)が登場。因みにアレルキン(英語読みではハーレクイン)は道化という意味で、道化のメイクをしているためシムキンの顔は見えない。彼は家に投げキスをしてコロンビーンへの思いをマンダリンを持って踊って表現する。ピエロッテがピエロから鍵を取り上げてコロンビーンが家から出てくると、コロンビーンとアレルキンのパ・ド・ドゥとなる。シムキンは道化独特の、足をパラレルで早くバタバタさせるジャンプや、ヒョコヒョコした歩き方をしながら、アティチュード・ターンをスルスルと回るなど、巧みに踊った。ブラントも最初の難しいコンビネーションに始まり、美しく踊りこなした。
一緒に踊る二人を見つけたピエロが怒り狂ってカッサンドレの部下を連れて来て、ドタバタの大騒ぎになるが、ピエロが二階のベランダからアレルキンを投げおろしてしまい、慌てた部下たちがアレルキンの死体を隠そうとすると、アレルキンの体がバラバラになってしまう。通りかかった兵士たちをやり過ごしてピエロと部下たちがアレルキンの死体を処分しようとすると、突然家の中から元気なアレルキンが飛び出してきて、彼らを追い払う。この時はこのくだりが理解できない。そして、一人になったアレルキンの前に石造の善の妖精(女神)が実体化して、アレルキンの訴えを聞く。そこでアレルキンを生き返らせたのはこの妖精(タチアナ・ラトマンスキー/Tatiana Ratmansky)の力であったことに察しがつく。アレルキンが妖精に気持ちを訴え、彼女は魔法の鞭を彼に与えるが、マイムを見ていて何が起こっているのか、この「棒」が何なのかが分かり難い。この後、鞭を持ったアレルキンのソロとなるが、残念ながらこの振付はシムキンを活かすものではなく、美しく踊ったもののシムキンの魅力は見えない無難な踊りに留まった。彼が消えると、舞台にはコロンビーンに横恋慕する金持ちのレアンドレが現れるが、突然、子供たちが扮した数名のミニ・アレルキンに襲撃される。このアレルキンの分身が何なのかも理解に苦しんだ。その後、アレルキン自身が現れ、妖精にもらった鞭を使って憧れのコロンビーンと再会する。鞭を打った途端に彼が望む人々が現れたり、家のバルコニーが地上に降りてコロンビーンと一緒になれるなどがあって、初めて観客にアレルキンが妖精に貰った「棒」は魔法の鞭なのだと分かる。

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Skylar Brandt and Daniil Simkin in Harlequinade. Photo: Doug Gifford.

第二幕はコロンビーンとアレルキンの結婚で、着飾った男女が祝福に現れるが、その大半がABTのスクールJKO(ジャクリーン・ケネディ・オナシス スクール)の子供たちで30人余りも出演した。みんな大人顔負けにきちんと踊っているし、総勢が増えて華やかに見えたのは事実だが、父兄らしき観客のやんやの喝采に、スクールの発表会を見ている気分は拭えない。
物語ではここでコロンビーンの父親のカッサンドレが金持ちのレアンドロを連れて現れ、若い二人の結婚を妨害しようとするが、公証人に化けていた妖精がアレルキンに囁いて鞭で床をたたく。すると突然たくさんの紙幣が彼らの前にあった机から吹き出して、カッサンドレはころりと納得する。この経緯がいかにも安易で拍子抜けがする。婚礼は続いて子供たちやコール・ド・バレエの踊りの後にはピエロッテとピエロのデュエットもある。ピエロッテのセオの踊りは、いつもながら丁寧なテクニックで美しく、ピエロのハッモウディーも役柄上おどけてはいるが、見せる時には見せる踊りだ。その後、コロンビーンとアレルキンの結婚のパ・ド・ドゥとなる。シムキンは複雑なジャンプ・コンビネーションの後、軽い、するするとしたマルチターンを見せ、やっとシムキンの踊りが見えてきた。コロンビーンのブラントは非常に美しく、まだソリストだが何度も主役を踊っていて、見栄えも貫禄も出てきた。シムキンが頭上にブラントをリフトして舞台を走ると、まるでブラントが宙を飛んでいるように見え、しかもその後シムキンの腕の中でフリップするという大技をやってのけた。しっとりとしたデュエットの最後には、床に座ったブラントを引っ張り上げてのリフトなど、双方の技術の高さが見えた。シムキンの振りには両足を細かく前後にバタバタさせながら跳ぶジャンプや、頭を振って帽子の房をくるくる回すなど、コミカルな振りが多く入っている。シムキンは持ち前の愛嬌たっぷりに、これらの難しい振りをこなしながら、ふわりとした素晴らしいジャンプ・コンビネーションや、軽快なピルエットなど、彼本来の素晴らしいテクニックを見せた。また、ブラントも可愛く華やかに踊った。

既にお気付きの様に、この『アレルキナーダ』は特に『ドン・キホーテ』に設定が似ている。しかし、やはりプティパが振付けた『白鳥の湖』や『眠れる森の美女』、『ドン・キホーテ』、『ラ・バヤデール』などの大作に比べると、ドタバタ趣向で奥深さに欠ける。それをそのまま上演するのはいかがなものかと思われた。例えば、ABTの現芸術監督のケヴィン・マッケンジーがステージングした『白鳥の湖』の様に、ロッドバルトを魔物ヴァージョンと二枚目ヴァージョンの二役にして売れっ子プリンシパルを配役するなど、思い切ったアレンジをすることによって、作品に深みを与えることはできないだろうか。最近のABTの新作には深さに欠けるものが多くなった感がするのは私だけだろうか。原典にこだわることは大切だが、新しい工夫やアイデアで人心を代弁するアレンジが欲しいものである。
(2019年5月16日夜 Metropolitan Opera House)

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