ホアキン・デ・ルース=インタビュー 「バリシニコフの『ドン・キホーテ』の映像を見て、私はこれをやりたい」と思いました

ワールドレポート/ニューヨーク

インタビュー:ブルーシャ西村

Joaquin De Luz ホアキン・デ・ルース

----ダンス講師、トレーニング・コーチとしても活動なさっていますが、指導する時に心掛けていることはなんですか。

ホアキン できるだけ簡潔に、少ない言葉で表現し、的確に要点だけを伝えることです。多くの言葉でたくさんのことを言うとダンサーは混乱するので、そのダンサーにとって何が一番改善のために大事なのか、どこを直せばより良いのか、要点を絞って少ない言葉で伝えます。そのほうが、ダンサーが改善すべきことに集中できますから。

----ニューヨーク生活はいかがですか。

ホアキン もう22年もここに住んでいて、長すぎたと思います。ここには今後はもうあまり長くはいないつもりです。大都会には良い面と悪い面がありますから。ラブ&ヘイト、ラブ&ヘイトです。

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© Paul Kolnik

----でもニューヨークには興味深い人々がいるし、良いチャンスが多いでしょう。

ホアキン はい。そのとおり、ニューヨークにはよりチャンスが多いです。ニューヨークにはとても感謝していますが、もうそろそろここを去って他の場所へ移る時期です。

----マドリッドに戻りますか。

ホアキン その可能性はあります。私のようなスペイン人バレエダンサーは、スペインのために何かするべき義務があります。もし私がやらなければ、誰がやるのでしょうか。新しい世代のために、皆さんのために、スペインのバレエ界をより豊かなものにするために。
誰かが少し積み上げると、それが崩れ、また誰かが少し積み上げると、またそれが崩れていくものなので、知的によく考えて質を重視して全体を少しずつ積み上げて行かなければならないのです。
特に、世界でバレエ・ダンサーとして活動した経験がある私のような者が、スペインのためにやらなければならないです。
スペイン人は潜在的にバレエの才能がある人々は多いですが、それを発展させる環境を整えるように、政府がもっと文化面で援助するほうが良いと思います。
歴史的にスペイン人は多くの偉大な芸術家を輩出してきました。画家、作曲家などです。なぜなら多くの才能が自然に出て来る場所なのです。なぜかその理由はわかりませんが、太陽の光が豊富だからか? パエーリャがあるからか? 多くの人種が混ざったお陰で、文化的に豊かなせいか?
スペイン人は、音楽面でも音感とリズム感が良いので、偉大なミュージシャンや歌手が育ちます。でも優れたダンサーたちは、スペインから出て、海外へ行ってしまいます。そのため、私は少しでも、スペイン国内のバレエ界の力になりたいです。 

----芸術監督をする方向は考えていますか。

ホアキン はい。ニューヨークとスペイン、2カ所で可能性があり、考えています。やってみようと思っています。私は用意が出来ています。
スペインの社会の上部の人々から、政治家たちのメンタリティーを変えていかなければならないです。私のような者が引っ張って、バレエダンサーを援助していかなければなりません。私はニューヨークでも仕事はありますが、スペインのバレエ界のために力になって働きかけたいのです。私は何もしてこないままで、老人になってしまいたくないのです。老人になってからでは遅いので、後悔したくないです。
私がニューヨークで自分の活躍を広げることだけでは、十分に満足できません。スペインの後進の育成のために尽くしたいのです。

----子供の頃、どのようにバレエを始めましたか。

ホアキン 母の影響です。8年間、趣味でバレエを学んでいました。母は若い頃からいつもバレエ・ダンサーになることが夢でした。でも母は無学な家庭に生まれたため13歳から働かなければならなかったので、彼女自身の進路を発展させることが出来ませんでした。母は遅い時期に、夢を発展させました。そして、私と弟も母の影響でバレエを学び始めました。弟はバレエが続きませんでしたが、私は続けました。私はバレエに興味があったからです。バレエスタジオ、木の床、松やにの樹脂など。それに綺麗な女の子がたくさんいましたし。始めてすぐに、バレエに興味が出てきました。 

----どのようにしてスペインからアメリカへ引っ越してきましたか。

ホアキン ミハイル・バリシニコフの『ドン・キホーテ』のビデオを観て、母に、「私はこれをやりたい! アメリカに行きたい!」と言いました。でも私にはアメリカへ渡るお金がなかったですし、家族も私の渡米を援助するお金がありませんでした。そんな時、友人が、あるコンペティションの賞金が多額だと教えてくれたので、もし受賞したら渡米できるかと思い、第二回ヌレイエフ・インターナショナル・バレエ・コンペティション(ブダペスト)に出ました。そしてゴールドメダルを受賞し、渡米できたのです。

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----今後は、どのような活動をしていきたいですか。 すでにアイデアはありますか。

ホアキン 一つは芸術監督をやりたいと考えています。幸運なことに、世界の5大バレエ団でプリンシパル・ダンサーとして活動した経験があるので、用意は出来ています。舞台を監督することは好きです。振付やプログラムを作ることも好きです。一つの舞台作品は、様々な要素を構成して作るものなので、相乗効果がある総合芸術です。

----クラシック・バレエですか。

ホアキン いいえ、ダンス全部です。クラシック・バレエ、コンテンポラリー・ダンス、フラメンコなどです。
様々な要素のコラボレーションが大好きです。 あらゆるダンスを包括した全体的なカンパニーの監督を目指しています。

----フラメンコとバレエを混合ことも考えているのですか。

ホアキン はい。フラメンコは大好きです。フラメンコは「本物」です。この「本物」というのは「その人の内側から出てくる「本物」」ということです。それは「偽物」が出てくることは出来ないです。「偽物」を踊る人のことは、皆さんも見分けることが出来ます。フラメンコでは、人々は「本物」を踊ります。
クラシック・バレエでは「偽物」を踊る人のことは少し見分けにくいかもしれないですが。それでも、「本物」は明らかに分かります。例えば、ヌレエフ、パヴロワ、バリシニコフ、シルヴィ・ギエムなどで、彼等は「本物」のバレエを踊ります。

----バレエはテクニックだけではないですよね。

ホアキン そのとおり。今、バレエはそういう面では、世界的に大きな問題が出てきています。テクニックにばかり走った体操選手のような人々(ダンサー)が増えているのです。例えば、「なぜそのような多回転のピルエットをそこでやるのか」という疑問があります。テクニックとは、表現するための道具で、乗り物のようなものにすぎないです。バレエには、テクニックより大事なもの(表現)があります。
バレエでテクニックにばかり走る問題は、Ipad世代、ハイ・テクノロジー世代の問題点が現れているのだろうと思います。以前よりも情報が増えて、今はユーチューブで動画が簡単に見られるようになったからだと思います。
バレエは以前、そうではなかったのです。教師を信頼して、ダンサー自身はもっと内面の理解に努力を費やしていました。 でも現代の子供は動画を見て、ピルエットを真似して、それで「踊れるようになった」と勘違いしています。でもそれだけでは決して「踊れる」ということにはならないです。

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----あなたにとってバレエとは、何ですか。

ホアキン 私にとってバレエとは、観客へ向けて橋を作り上げていくことです。表現力、役作りに没頭すること、自分の内側から本物の表現を引き出すことです。

----舞台に出て踊る前に、何か特別なことをしていますか。

ホアキン いいえ、別に特別なことは何もしていません。普段通りに普通に過ごしています。日常生活も普段通りに送り、家族や友人と一緒に過ごすことを心掛けています。

----ご家族はあなたのパフォーマンスを観にスペインから来ましたか。
ホアキン ええ、もちろん何度も観に来ましたよ。
NYCB退団のさよなら公演にも、スペインから家族、両親、友人たちが多勢来ました。母も最後のカーテンコールの時に舞台に出て来て、私と一緒にセビジャーナスを踊りましたよ。

----日本に何度も公演で来ていますよね? 日本はいかがでしたか。

ホアキン はい、公演のため8回来日しました。ABTで3回、NYCBで2回、その他は様々なガラで、例えばホセ・カレーニョと、ダニール・シムキンと、ディアナ・ヴィシュネヴァと。日本は大好きです。朝8時に魚市場で寿司を食べましたよ。日本の文化が大好きで、尊敬しています。きちんと規則正しいですね。また、日本人は外の文化に対してオープンで、親切です。
----日本人は内気ですよね。
ホアキン はい、そうですね。でもだからこそ、私たちスペイン人と正反対だからお互いに惹きつけ合うのでしょうね。日本とスペインは、まるで陰と陽のようですね。
今後は、日本にも教えに行きたいです。

----様々なところで、子供たちも含めて教えてきましたね。

ホアキン はい、アメリカだけでなくスペイン、プエルトリコ、メキシコなどです。

----プロのバレエダンサーになりたいと夢見ている人には、どんなアドバイスしてあげたいですか。

ホアキン 「努力」と「意思」と「強さ」の3つによって、常に必ず全ての扉が開かれます。なぜなら、私の家族は無学でしたが、私自身はこの3つによってここまで実現することが出来たからです。常に地に足をつけて努力することが大切です。

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----あなたは42歳まで現役でNYCBのプリンシパルを務めたなんて、驚くべきことですよね。

ホアキン はい、現在42歳です。ここまで現役を続けることが出来たのは、幸運だったからでしょう。私の肉体にも感謝です。
私は8年前に足を怪我して痛めて、背中から膝まで全く神経を感じなくなりました。医師たちは「もう二度と踊れません」と言いました。でも私はあきらめず、その後、ある大学を訪ねて、ある医師と知り合い、彼は私と一緒に治療の研究をしてみたいと言いました。そして、マッサージ、トレーニングなどを彼とともに重ねて、なんと2か月後に舞台に復帰しました。
そしてその後、私のバレエ人生はすっかり変わりました。ダンサーとして踊る肉体を維持するために、ものすごくたくさんのトレーニングを続けなくてはならなくなったのです。でもそれ以前に比べて、今のほうが私の肉体は強くなったと思います。

----あなたは、精神がとても強いですね。

ホアキン はい。人生自体が教えてくれるからです。人間は皆、アインシュタインもジョン・レノンも、平等に1日24時間を与えられていますよね。 もし鍛錬を積む努力をし続けると、後に大きな果実が得られます。
スペインでもそうですが、他の人のことを文句ばかり言っている人が多いです。でも他人に対して文句ばかり言うのは忘れなさい、と私は言いたいです。自分はどうなのか、と。
他人に文句を言わずに、「私は」どうなのか? 「私は努力しているのか?」 だけを見つめて、自分の努力を黙々と続けることが大事です。他人に文句を言うヒマがあったら、自分の努力をすることです。

----あなたのトレーニング方法に興味があります。

ホアキン 多くのトレーニングを組み合わせています。TRX、ピラティスなどです。

----それは、バレエダンサーに良いトレーニング法ですか。
ホアキン いいえ、バレエ・ダンサーにだけではなく、他のすべての人々にも良いトレーニング法です。
多くの人々は1日中、机やパソコンに向かってじっとしていて動かないでしょう?
でも人間の体は知的によく出来ているのです。もし1日中長時間同じ姿勢を続けていると、肉体の状態はそのまま固まっていき、肉体がなまってきます。テクノロジーの発展によってそうなってきていると思います。以前はそうではありませんでした。昔は人々には、たくさんの肉体労働がありました。人間の肉体は「動く」ためにデザインされているのです。
もし身体を動かさなければ、まるで「お花」のようになっていきます。
身体はすべてつながっているので、どこかの部分を動かさないでいると滞り、他の部分も調子が悪くなっていきます。全体を動かすのが良いのです。

----最後に、日本の読者へ何か一言、お願いします。

ホアキン 大好きな日本に、また近い将来、再び行きたいです。
(2018年11月末 ニューヨーク、マンハッタン)

ホアキン・デ・ルース

1976年、スペイン・マドリッド生まれ。ヴィクトール・ウジャーテ・バレエ・スクールでクラシック・バレエを学び、1992年から95年までプロ・ダンサーとして所属。その後、バレエ・メディテラネオ、ペンシルバニア・バレエで踊る。1997年12月にABTにコール・ド・バレエとして入団し98年にソリスト。2003年にNYCBにソリストとして移籍し、04年にプリンシパルとなり、18年10月に退団。
数多くの世界的カンパニーやイベントにゲスト・アーティストとして出演。
サンフランシスコ・バレエ、スペイン国立舞踊団、キューバ国立バレエ団、アルゼンチンのテアトロ・コロン、コンパニーア・ナシオナル・デ・ダンサなど。
スターズ・オブ・21センチュリー、キングス・オブ・ダンス、ダニエル・シムキン「インテンシオ」、ザ・ワールド・オブ・ディアナ・ヴィシュネヴァ、インターナショナル・ダンス・フェスティバルなど。
1998年に、リスボン・アート・エキスポにスペインのアート・アンバサダー。2013年ブロードウェイ・ミュージカル"On your Toes"出演。
1996年、第二回ヌレイエフ・インターナショナル・バレエ・コンペティションのゴールドメダル、97年、ライジング・スター賞(Seven Arts Magazine)
09年、ブノワ賞 ベスト・男性ダンサー・オブ・ザ・イヤー。10年、マドリッド・アート賞。16年、スペイン・ナショナル・ダンス・アワード受賞。
また、スクール・オブ・アメリカン・バレエ講師、 フィラデルフィアのザ・ロック・スクール・フォー・ダンス・エデュケーション講師などを歴任。15年パーソナル・トレーナー資格取得。ダンサーのためのパフォーマンス向上・負傷防止プログラムのコーチとして活動。17年初めに、New York City ballet strength and conditioning programの共同創設者となる。

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