天界から追放され、苦悩と生と死を与えられた人間を描いたアクラム・カーンの凄絶な問題作『ゼノス』

ワールドレポート/ニューヨーク

三崎 恵里  Text by Eri Misaki

Lincoln Center White Light Festival
リンカーンセンター、ホワイト・ライト・フェスティバル

"Xenos" by Akram Khan
『ゼノス』 アクラム・カーン:振付

踊りには大きく分けて二つのタイプがある。一つは音楽に身を任せ、音楽から感じるものを動きにして表現するタイプ。もう一つは自分の考えを観客に伝えるために音楽やセットを選ぶタイプのものだ。前者は自然と踊りのフォーカスが動きやテクニックに向く。後者は少々動きを犠牲にしても、自分が伝えたいメッセージの表現にフォーカスが置かれる。ニューヨークで昨秋行われたリンカーンセンターのホワイト・ライト・フェスティバルに招待された、バングラデシュ系イギリス人振付家、アクラム・カーン(Akram Khan)の作品『ゼノス(Xenos)』は、その後者にあたる作品であった。
カーンはこれまで自身もソロダンサーとしても活動してきたが、これが彼の最後のソロ・パフォーマンスとしている。最近のカーンの作品としては、イングリッシュ・ナショナル・バレエに独自の解釈で振付けた『ジゼル』が知られている。ちなみに、カーンの踊りはインドの古典舞踊の一つカタックダンスとモダンダンスを統合した独自のスタイルである。

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XENOS ©Jean Louis Fernandez

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XENOS ©Jean Louis Fernandez

開演30分前から二人のミュージシャンがインド民謡を舞台の上でライブ演奏して、入場する観客を迎えた。一人が見事な声で歌い、もう一人が民族楽器のドラムを叩く。舞台には、天井からぶら下がる裸電球や長いブランコ、数脚の椅子、大きなクッション、低いテーブルなどが置かれている。後ろの大きな、斜めになったセットには、たくさんのロープが上から垂らされており、くるくると巻かれているものもある。開演時間が過ぎても、観客が座りきれないため、ミュージシャンたちは楽し気に歌い続ける。時おり、客電がついたままの会場に雷鳴の様な音が入り、その度にステージの天井からつるした裸電球が瞬くように暗くなる。

突然、カーンが太いロープを腕に巻いて現れた。照明は暗く、陰鬱なイメージだ。カーンはロープを放し、後ろ向きに舞台を横断し、ぶつかったテーブルに崩れかかると、テーブルの脚が壊れて、土のようなものが床にこぼれる。花火の様な爆発音がして暗転。カーンがマッチの火をつけると、「これは戦争ではない。世界の終わりだ」というナレーションが入る。シンガーが再び歌い始め、ゆっくりと薄い照明が入る。カーンが悶えるように動くたびに足首に着けた鈴の音がする。モダンダンスの動きにインド舞踊の足踏みが入った、感情が深くこもった踊りだ。ミュージシャンが音楽ではなく、リズムと声でカーンに語り掛ける。カーンはテーブルの上の黒い粉を床の上に積む。子供を抱くようなしぐさをする。カーンの表情は暗く厳しく、常に強い緊張感が漂っている。速いターンを何度も入れ巧みな動きながら、カーンの悩み苦しむ心情が伝わってくる。ドラムと足踏みの掛け合いや、掛け声とステップが絡んで、音と動きが見事に溶け合っている。

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XENOS ©Jean Louis Fernandez

バシバシという音がして電気がかすみ、カーンが倒れる。彼は二人のミュージシャンを抑えるようなしぐさをすると、ロープの端を自分の足に巻き付け、たくさん鈴が付いたひもを両足から巻き取る。その端を両手で持って踊りだす。自分の足かせに縛られているようなイメージだ。もがくカーン。鈴の紐は鎖のような音がする。それを床に投げ付けたり、自分の首や体に巻き付けたりしながら、跳ぶように床を踏み始める。激しい怒りのイメージだ。突然天井から吊り下げられていたブランコが落ち、舞台の上のセットが後ろのセットの坂に巻き上げられるように上に引っ張られる。それまでは気付かなかったが、セットは全てロープにつながれている。カーンも足をロープにつながれていて、一緒に引っ張られる。彼は抵抗するが、全てが巻き上げられて、後ろのセットの向こうに消える。人間の力では抗えない、絶望的なイメージが湧き上がる。すると舞台は暗転し、坂の上に5人のミュージシャンの姿が浮かび上がる。

非常にドラマチックな展開で、世界はどうなるのだろうという気持ちになる。腹に響く音がして、抽象的な音楽を演奏しながらミュージシャンたちの姿が高く上がっていく。また暗転。下からわずかな明かりが差し、水のような音がすると、上からカーンが転がるように降りてくるのが見える。砂が流れるような音。何かをささやく声。カーンは砂をかき集めるような動きをする。それはまるで、壊れた世界に一人生き残った最後の人間であるかのように見えた。彼は動きが止まらなくなった手を止めようとする。犬の鳴き声が遠くでする。

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XENOS ©Jean Louis Fernandez

照明が入ると、先ほどの大きな坂が砂でおおわれている。凄いセットだ。その坂の上の右端にラッパ型のスピーカーを付けた大きな古いレコードプレーヤーの様なものが置いてある。壊れて取り返しがつかなくなった世界のようだ。時々キーンという高い音がして、カーンはそのたびに直立する。暗く不安な緊張感。具象的な動きではなく感覚の動きだが、非常に緻密で物凄い集中力で踊っている。ヒッという音と銃声のような音がする。カーンはまた太いロープを持つ。うなだれていたレコードプレーヤーのスピーカーがいつの間にか水平になっている。カーンがプレーヤーから出ているロープに、自分が持っているロープを接触させると音が出るので、繋いでみるとはっきりした人の声が聞こえる。その声は「You are already dead (お前はもう死んでいる)」と繰り返す。カーンは二つのロープを離すが、声は止まらない。女性が歌う声が流れる。カーンはロープを次々と引っ張り出して体にかけ、前に傾いて坂を降り始める。その間にスピーカーが観客の方を向く。カーンは坂の途中で座り込み、スローモーションのように両足をあげてゆっくり転がるように動く。そして下まで滑り落ちると、坂の上から降りている数本のロープを取ってより合わせて太い綱にする。衝撃音がして、その度にもんどりうつ様に動き、悶えて気が狂ったように踊るカーン。

それはアクラム・カーンという個人ではなく、人間を総称した存在に私には見えた。流れているのはインドの音楽だが、もう関係ない。地獄でも天国でもないところに存在する、ただただ孤独な人間の姿に見えた。坂の上に再びミュージシャンの姿が浮かび上がる。恐怖と混乱でじたばたするように踊るカーン。逃げると言っても、逃げる所がもうないのか? 頭を抱えるカーン。やけくそになり、胸をかきみしるようにして上着のボタンをはずす。「あなたは世の中をこんな風にしたいか?」というメッセージが聞こえるようだ。やみくもに回転し、頭を抱え込み、不気味な音楽の中、体を引きずるようにして坂に倒れる。「神とは誰だ?」「誰の火だ?」「誰がこれを与えた?」「誰が生きる?」「誰が私を歩かせる?」・・・「誰が私の銃を?」「誰が撃つ?」と次々と問う声が流れる中、カーンは独自の動きで踊る。そして、ロープにつかまって上に上がり、坂の上に立つと薄い明りがさす。ロープを首にかけると何重にも頭をぐるぐる巻きにする。女性の穏やかな歌声が流れる。カーンはロープを頭に巻いたまま踊りだす。鳥のように両腕をなびかせる。流れるような、滑らかな腕の使いだ。それは自由を夢を見ているのだろうか? しかし、彼は痙攣すると頭からロープを取る。そしてとぐろを巻いているロープを枕に眠るように横たわる。つかの間の安らぎか、それとも疲労困憊しているのだろうか?

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XENOS ©Jean Louis Fernandez

突然スピーカーが光り、観客席にオレンジ色の光を照射する。そして崖の上を照らすように動く。人の声がするが、何を言っているのかわからない。照明が観客の顔を照らして動く。「また起こる、また起こる、私は死ぬ、殺される、そしてまた、私は人間」といった輪廻を想像させる声が続く。薄い照明が入ると坂の上に上半身裸のカーンが横たわっている。ゆっくりと転がるように斜面に出ると、滑り落ちるように降りる。柔らかい女性の歌声が流れる。砂まみれになったカーンはステージに降り立ちつと、再び苦悩するように踊る。コンテンポラリーと舞踏の混合のような動きだ。音楽はレクイエムのような曲になる。5人のミュージシャン全員が歌う。苦しみながらカーンは手に石ころを持ち、回転しながら踊る。石ころが手から転がり落ちる。くねくねした動きをしたかと思うと、回転を凄い速さで続ける。そして顔を覆う。坂の上から大量の石ころが流れ出る。その中にひざまずくカーン。石の流れが止まると、カーンは坂を上っていき、頂上に座って石を一つ手に取る。そして石を転がせる。物憂く低い音がして、そして暗転して終わった。

カーンがソロ活動に終止符を打つためのこの作品のテーマは、最初はギリシャ神話のヒーローの一人、プロメテウスだったという。神と人間が区別された時にゼウスは人間から火を取り上げたが、プロメテウスは火を人間に与え、結果人間は文明の発展と繁栄を得たが、同時に戦争や武器も作り出してしまった。プロメテウスはゼウスの怒りを買い、コーカサス山の頂上にはりつけにされ、ヘラクレスに救出されるまでの3万年間、生きながらにして鷲に毎日肝臓を食べられるという辛苦をなめた。「Xenos(ゼノス)」という言葉は古代ギリシャ語から来たもので、「異境」という意味があるという。神から区別され、天界から追放され、苦悩と生と死を与えられた人間がテーマだったと思われるが、最初のプロメテウスの構想はカーンの中で発展するうちに、イギリスのインド系移民二世であるカーン自身の経験や知識、つまり自分のアイデンティティの悩みや、第一次世界大戦でイギリス軍に含まれた多くの移民兵士(特にインド系兵士)が、異国のために戦死したり、捕虜になって結果として死を待つことを余儀なくされた苦しみへと移っていったという。それは3万年もの間肝臓を食べられ続けたプロメテウスの辛苦が啓発したものだったろうか?

カーンの経験や苦悩は私自身が共有するものではない。しかし生と死、苦悩、恐怖といった人間の本質を突いた表現をしているため、カーンの経験とは別の形で私自身の思考の中に入ってきた。恐らく、それはこの作品を見た観客一人一人に起こったことであり、誰もがそれぞれの経験で共感するものがあっただろうと思われる。優れた抽象作品の典型である。なお、この製作は非常に緻密なレイアウトで行われており、カーンが単に一人で振付けて自分で踊ったものではなく、劇作家や演出者も加わって、あらゆる角度から検証して完成させている。抽象アーティストが陥りやすい独りよがりな作品ではなく、観客に問題意識を喚起する素晴らしい作品であった。
(2018年10月31日夜 Rose Theater)

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