アメリカにおけるアジア人ダンサーについて

ワールドレポート/ニューヨーク

三崎 恵里  Text by Eri Misaki

約1年前、ニューヨークのミッドタウン、タイムズ・スクェア付近にある小さなブラック・ボックス劇場で、複数の小さなダンスカンパニーによるショーケース(合同公演)があった。友人が出ていたので足を運んだ私だが、5つくらいのカンパニーが出演した中で、一人の男性アジア人ダンサーが二つのダンスカンパニーで主演しているのに気が付いた。彼は端正なテクニックと豊かな表現力でのびのびと踊っていた。これはいいダンサーだと思うと同時に、これだけ踊れれば、もっと大きな所で踊っていてもおかしくないのに、と思った。そしてその時、ごく自然に私の頭の中に浮かんできた言葉は、「やっぱりアジア系だから、チャンスに恵まれないのかな」というものだった。それは私がニューヨークで現役で踊っていた頃から今日まで、常に感じ、常に諦め、そしてずっと考えないようとしてきた気持ちが言葉になったものだった。

ニューヨークにダンス留学などをして住んだことがある人なら覚えがあるかもしれないが、アメリカは白人至上主義と言われて久しい。アメリカ政府は長年機会均などを呼びかけ、企業のみならず我々が住むダンス業界にも、多様な人種の採用を奨励している。しかし、下の表を見て頂きたい。これはアメリカでそこそこの規模と歴史を維持しているダンスカンパニーと、規模は小さくても活発に活動しているダンスカンパニーで踊るアジア人ダンサーの人数の割合を出したものだ。数字は全て、各カンパニーが現在ウエッブサイトなどで公表している資料に基づいている。

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ここで言うアジア系とは、日本人、韓国人、中国人、東南アジア人、フィリピン人、インド人、そしてこれらの混血を指している。お気付きのように、アジア人が占める割合はオクラホマ州にあるタルサ・バレエを除いて非常に少ない。ほとんどは政府の機会均等奨励に対応するため、申し訳に数字を入れているとしか思えないような数字だ。何故、プロのアジア人ダンサーは少ないのか?  アジア人は芸術的に力量が劣るのか?  いいえ、そうではない。私は過去30余年、アメリカにいる素晴らしいアジア系ダンサーたちを多く見てきた。だが、「何故なのか?」という質問は正直なところ無意味で、明白な回答は期待できないというのが、長年ニューヨークに住んだ私の正直な気持ちだ。では、アメリカでダンスに生きたいアジア人はどうすればいいのか、という疑問になる。

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I-Nam Jiemvitayanukoon in "Narcissus" choreographed by Isadora Dunkan. Photo by John Bruno.

今年の秋、私は昨年あの小さな劇場で二つのカンパニーをリードしていたダンサーが、たまたま私の友人の友人であることを知った。彼はアイナム・ジェムヴィタヤムグーン(I-Nam Jiemvitayanukoon)という名前のタイ人のダンサーで、非常に頭のいい、堅実な人柄の青年だった。私は彼がこの問題をどう考え、どう対処しているのか知りたくて、話を聞いた。彼の話しをここで共有させていただきたい。彼の名前は非常に長いので、彼の愛称のナムと呼ぶことにする。

ナムがダンスを習い始めたのは、なんと大学を卒業してからだった。高校時代にクラブ活動で演劇を始め、その足しになるかと思ってバレエを習いだしたのだという。自分が踊りを好きかどうかも知らなかったため、スタートが遅れた。最初はバンコックでバレエを教えていたフランス人教師について、じっくり基礎を習った。1ヶ月後、ナムはせっかく就職したIBMを辞めて、ダンスに専念する決心をする。「右を見ても左を見ても、コンピューターの画面を見ている人ばかりで、俺の人生はこんなんじゃないと思った」と彼はいう。もっと芸術的な要素のある生活がしたかったのだ。当然、家族はいい顔をしなかった。アジア系の家庭は安定した職業と収入を重要視する傾向が強い。ナムの家も例外ではなかった。

しかし、ナムは自分の意思を押し通した。彼はバンコック・シティ・バレエでレッスンを取り始め、1年間通った時にバレエ団から奨学金が降りた。殆ど毎日クラスを取り、カンパニーが必要とした時は舞台に立った。ギャラは無かった。そして、多くのプロのダンサーを見たり、レッスンを重ねるうちに、彼もプロのダンサーに成長した。やがて、ナムはバンコック・シティ・バレエのカンパニーメンバーとなる。マリインスキー・バレエがタイに公演に来た時は、バンコック・シティ・バレエにエキストラ提供の依頼が来て、ナムも『ラ・バヤデール』と『ドン・キホーテ』の舞台に立ち、プロの姿を舞台の上で見ることができ、素晴らしい経験となった。

その頃、ナムは芸能界関連の仕事もしていた。タイの大きな芸能企画で天井から絹の布を垂らしたエアリアル・シルクを使った振付をしたり、タイ人の有名なシンガーのミュージックビデオで踊ったり、タイの国王即位60周年祝賀映画に出演したりした。また、最初の教師とは別のフランス人バレエ教師と出会い、その教師のモダンダンスカンパニーの設立メンバーになるなど、ダンスキャリアを着々と積み上げていた。

しかし、ナムはもっと芸術的な人生を求めた。ニューヨークへ行ったのは、ダンスだけでなく、いろんな芸術に関われると思ったからだ。タイはイギリスと歴史的な関係を持ったおかげで、教養のあるタイ人は流ちょうに英語を操る。ナムもその一人で言語の心配はなかった。ブロードウエイにも夢を持っていた。そして、タイで知ったジャイロキネシスとジャイロトニックの発祥地であるニューヨークで、その源泉を見たいという気持ちもあったという。

2014年、ナムはニューヨークのリモーン・インスティチュートに留学する。アメリカのモダンダンスの第一世代、あるいは草分けともいわれるホセ・リモーン(Jose Limon)のスクールだ。ニューヨークに来て素晴らしいと思うのは、誰でも公平で居られるということだと彼は言う。成功していてもいなくても、とにかく他人と同じレベルで戦える。これはタイにはないものだ。つまり、人々の間にリスペクト(尊重)が存在するのだ。日常生活においては、特に人種差別と感じるような扱いを受けることはない。むしろ、東南アジア出身の男性ダンサーということで、珍重されるような傾向すらあったという。

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I-Nam Jiemvitayanukoon in "Unsung" choreographed by Jose Limon. Photo by Jon Taylor.

しかし、そんな彼にも悔しい経験があった。ある著名なカンパニーのオーディションに行った時に、たまたま彼自身が踊ったことがあるそのカンパニーの作品が、オーディションの課題で出た。彼は熱心にそのカンパニーのクラスを取り、その作品は実際に踊って高く評価された。そのオーディションでも、彼は自分でも納得がいく出来だったと思った。しかし、オーディションの最終段階で彼は落とされた。怒りと悲しさが入り混じった気持ちだった。「何故?  一体、何がいけなかったんだ? 俺の身体的な条件がいけなかったのか? なんで採用してもらえなかったんだ? というのが僕の素直な疑問でした。」とナムは語った。技術の問題ではない、なら自分の何か独特なものがディレクターの気に入らなかったのか? と彼は考え続けたという。

これを必ずしも人種差別だと決定する必要はないかもしれない。しかし、それはされる側がともすれば自分を責めるアジア人独特のメンタリティーで、諦めているのかもしれないのだ。タイ人のナムは身長は高いし、四肢も長い。テクニックも水準を超える。私の目にも、申し分ないダンサーと思われた。が、例えそれが明らかに差別だとしても、落とされた方は文句を言えないし、言うと更に悪い結果を導いてしまう可能性がある。

ナムは現在、アメリカのモダンダンスの大御所の一人だったアンナ・ソコロウ(Anna Sokolow)が設立したソコロウ・シアター/ダンス・アンサンブルと、モダンダンスの生みの親イサドラ・ダンカン(Isadora Duncan)の現在のカンパニー、ダンス・ヴィジョンNYでリードダンサーとして踊っている。いずれもかつては大きく、尊敬されたカンパニーだ。ナムはこの二つのカンパニーで献身的な活動を続けるという。「どちらも、僕は大好きなカンパニーなんです」と彼は言う。それで、食べていけるの?  と聞くと、「ダンスに経済的な成果は求めません。教えるとなると別ですが。振付でも稼ごうとも思いません。ただ、今は教えることは考えていません。今はもっと踊りたい」と彼は答えた。

しかし、かつて夢見たブロードウエイは彼の視野にはもうない。そして、コンテンポラリーダンスではなく、もっとモダンダンスに関わりたい、とナムは言う。彼がそう言うと、人々は彼が古いと笑う。確かに、最初にモダンダンスができて、ポストモダンが生まれ、それがコンテンポラリーに発展したという歴史の流れから言うと、彼が考えていることは時を逆行しているかもしれない。しかし、モダンダンスとコンテンポラリーダンスは、今や全く違う体質のものとなっている。だから、ナムにはモダンダンスが時代遅れとは思えないというのだ。

コンテンポラリーが新しい、人とは違った動きを追及するのに対し、モダンダンスは動きはオーソドックスだが、踊り手から観客に伝えるメッセージが常に存在した。もし、一人の振付家がそんなモダンダンスの「特徴」に注目して、自分自身の方法でその特徴を追及したら?  「実は、それが僕が心の奥底で考えていることなんです。」とナムは言った。「まだうんと心の深いところに秘めてあるだけなんですが。」どうやら、彼は既に自分自身の指標を持っているようだ。

最後に、彼にアジア系ダンサーに伝えたいことを聞いてみた。「僕は恐れるものは何もないと思います。世界は今、もっと開かれた心を持っている。特にニューヨークでは、みんな困難なこと、差別、人種差別などから遠ざかろうとしている。(例えば、#MeToo運動のように) 自分で何かをするために、自分自身で何かを創るために、他のカンパニーに関わるために、あるいは他の振付家と仕事をするためにも、何も怖がる必要はない。ただ、ショービジネスは別の話かもしれません。だが、芸術の世界はもっと幅が広いし、人間としての機会をもっとくれる。国も、人種も超えて、人間として。」

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