令和元年台風 19 号により、被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げますとともに、
被災地の一日も早い復旧をお祈り申し上げます。

フェリの美しいラインが印象に残ったマクレガーの『アフターライト』他、NYCBのトリプルビル

ワールドレポート/ニューヨーク

三崎 恵里  Text by Eri Misaki

American Ballet Theatre アメリカン・バレエ・シアター

"Symphonie Concertante" by George Balanchine, "Song of Bukovina" by Alexei Ratmansky, "Afterite" by Wayne McGregor
『シンフォニー・コンチェルタント(協奏交響曲)』 ジョージ・バランシン:振付、『ブコヴィナの歌』 アレクセイ・ラトマンスキー:振付、『アフターライト』 ウェイン・マクグレガー:振付

アメリカン・バレエ・シアター(ABT)の秋の公演を見た。ABTの秋の公演は古典は見せず、コンテンポラリー作品のみを見せる。
この日の舞台を開けたのは、ジョージ・バランシン(George Balanchine)振付の、『シンフォニー・コンチェルタント(協奏交響曲)(Symphony Concertante)だった。1947年にバランシンがモーツアルトの曲に振付けた古い作品で、まだバレエ・ソサエティーという名前だった現在のニューヨーク・シティ・バレエに振付け、当時バレエ団が入っていたニューヨーク・シティ・センターで初演された。ABTで初演されたのは1983年であった。

symconscene1ro.jpg

Christine Shevchenko, Blaine Hoven and Isabella Boylston in Symphonie Concertante. © The George Balanchine Trust. Photo: Rosalie O'Connor.

全体に大きく三つの場に分かれるこの作品の第一場は、16名のホワイトチュチュのコール・ドによる美しい群舞で始まる。プリンシパルのイザベラ・ボイルストン(Isabella Boylston)とクリスティーン・シェヴチェンコ(Christine Shevchenko)がリードした。非常にシャープで、冷たささえ感じるボイルストンの踊りに対して、シェヴチェンコはやわらかい、艶やかな踊りだ。この二人のプリンシパルは、音楽の中のソロの旋律をそれぞれ割り当てられており、従って互いにユニゾンで踊ったり、シンメトリーで踊ったり、あるいは担当する楽器の旋律をソロで踊ったりする。語り掛けの多いシェヴチェンコの踊りに対し、ボイルストンはシェヴチェンコにあまりコンタクトを持たない踊りで、これはダンサーそれぞれの作品と音楽の解釈の仕方と思えた。さらに6名のソリストを加えて、総勢24名の群舞は美しく揃い、圧巻だった。

第二場では男性ソリスト、ブレイン・ホーヴェン(Blaine Hoven)が加わり、二人のプリンシパルと踊った。ここでも二人の女性プリンシパルはそれぞれ別の味を見せ、シェヴチェンコは何気ないところに表情を見せ、ボイルストンは無表情でテクニックに集中した。
第三場は快活な群舞で始まる。コール・ドを後ろに控えて、ホーヴェンがソロを踊り、シェヴチェンコとのデュエットとなって、さらにボイルストンも加わる。三人とも安定したしっかりした技術で、よく揃った美しい踊り上げとなった。音楽を細かく分析しており、美しいが困難な振付の作品である。今年春にプリンシパルに昇格されたシェヴチェンコは絶やさぬ笑顔が美しく、終始柔らかい、艶やかな雰囲気で踊ったのが印象的だった。

sobshevchenkoroyal1ms.jpg

Christine Shevchenko and Calvin Royal III in Songs of Bukovina. Photo: Marty Sohl.

その次に踊られたのは、ABT専属振付家のアレクセイ・ラトマンスキー(Alexei Ratmansky)による、『ブコヴィナの歌(Songs of Bukovina)』であった。ABTのウエブサイトでは、この作品を「ABTの専属振付家ラトマンスキーが観客の皆さんを、村祭りにご招待します。レオニード・デシャツニコフ(Leonid Desyatnikov)の音楽に乗せて『ブコヴィナの歌』は東欧の山々の民族の伝統を探ります。」と紹介してあった。
ピアノソロの演奏で4組の男女のダンサーが両脇から走り出してきて踊る。バレエというよりは、柔らかいコンテンポラリー・ダンスといったイメージだ。真っ赤なドレスを着たクリスティーン・シェヴチェンコ(Christine Shevchenko)をカルヴィン・ロイヤル(Calvin Royal III)がエスコートして全体をリードした。エレガントなカップルだ。ロイヤルが促すようにすると、4人の女性たちが、一人、一人、二人と踊る。最後の二人は双子のように揃った踊りだ。すると、彼女たちにロイヤルを取られまいとするようにシェヴチェンコが、ソロを長い美しいラインとダイナミックな動きで踊る。バランシンの作品を踊る時とは全く違う表情の踊りだ。
最後に4人の男性がふわりと彼女をリフトする。するとロイヤルもソロを踊って応える、という風にこれと言って明らかなストーリーはないが、ダンサーたちは何かを語るように踊っている。振付は時に民族舞踊のように、時にモダンダンスのようにも見え、時折変わったシェイプや振りが入る。そして複雑で速い。しかしダンサーたちはよく解釈し、強いテクニックで整然と踊る。全員での踊り上げの最後には、シェヴチェンコが空中に跳んで、落ちるところをロイヤルが受け止め、美しいポーズで終わる。お祭りでの男女の交流と戯れ合いのような作品である。

この日の最後の作品は、ウェイン・マクグレガー(Wayne McGregor)による、『アフターライト(Afterite)』であった。プログラムにはイゴール・ストラヴィンスキーの曲とだけ掲載されて、何故か曲の名前はない。しかし、音楽が鳴り始めると、それが『春の祭典』と分かる。ステージの左奥にはグリーンハウスが設置され、エルマン・コルネホ(Herman Cornenejo)を含む男女が現れて踊る。バレエとは呼べない非常に抽象的な振りだが、ダンサーたちは美しいラインと強いテクニックで踊る。男女ともにはタンクトップかTシャツと短パンのみという、極めてシンプルな衣裳だ。後ろのグリーンハウスには人々が随時出入りする。動きは物語を体現するようなものではなく、振付家のマクレガー独特の動きだが、何か惹きつけるものがある。バラバラに動くかと思うと、一瞬にしてユニゾンのシェネになったり、揃うところは綺麗に揃っている。後ろの幕の中央から突然アレッサンドラ・フェリ(Alessandra Ferri)が現れ、コルネホとのデュエットとなる。恐らくこれは夫婦の設定なのだろう。フェリ独特の美しいラインが目を惹きつける。生贄になる女のイメージが漂う。男たちに翻弄され、フェリは頭に黒い袋をかぶせられる。一人の男が彼女を押しやるようにしてグリーンハウスの柱に連れて行き、立たせる。まるで柱に縛り付けられたかのようだ。コルネホが男と抗うように踊り、男女の混乱するような踊りが続く。フェリを囲んで男たちが踊り、女たちも同様に踊る。グリーンハウスの中に二つの人影が見える。フェリの頭の黒い袋をコルネホが取る。一瞬、彼女がグリーンハウスに走り寄ろうとするのをコルネホが制止し、再び人々の混乱したような群舞となる。
グリーンハウスの中の人影は奥に入る。フェリの頭をコルネホがなで、目が見えないかのように踊るフェリ。満月の様な照明がバックドロップに当たる。フェリはグリーンハウスに入って中にいる二人の人影に語り掛ける。外の女性たちが苦悶を表現するかのように踊る。儀式を執り行うかのようなユニゾンの踊りだ。男の一人がグリーンハウスを閉めると、全員で外からたたくなど混乱が表現される。
突然全体のムードが変わり、人々の動揺を表すかのような踊りとなる。グリーンハウスからフェリが二人の女の子を連れて出てくる。小さい方の子がすぐに幕の後ろへ走り去り、フェリは大きい方の子を抱きしめる。彼女に向かって地面にひれ伏す人々。子供を庇う様に立つフェリ。そして子供の頭に口づけをする。人々は地面に伏して懇願するように踊る。女の子を抱きしめるフェリ。コルネホが子供をグリーンハウスに連れて行って中に入れ、戸を閉める。フェリに語り掛けるように踊る男たち。フェリは怒りを表現して踊る。これは強い拒否にも見えた。そして、コルネホとのデュエットで二人の苦悩が表現された。コルネホがグリーンハウスに近寄って何かをすると、一瞬にして家の中にスモークが立ち込めた。狂ったように踊るコルネホ。拒否し、倒れるフェリ。彼女は煙が立ち込めたグリーンハウスを眺めて、諦めたような顔で終わる。強い絶望の空気が残った。

arferricornejo1ms.jpg

Alessandra Ferri and Herman Cornejo in AFTERITE. Photo: Marty Sohl.

この作品のタイトルはAfter(後)とRite(儀式)の合成語と思われ、つまり、祭典の後が作家であるマクグレガーのテーマだったと思われる。プログラムには、「最後の植民地において、人間性はもろい辺境であり、生存は最も適正な存在であることを要求する。自然がその儀式を繰り返すとき、母親は最も大切なものと、失うことを許容できるものの選択を迫られる」という言葉が掲載されていた。この言葉とダンスを併せて、自然の儀式とは何なのか、生贄になったのは誰なのか、と考えさせられた。世界中で起こる巨大化する自然災害で多くの人々が犠牲になる昨今、本当の生贄は死ぬ者なのか、生き残る者なのか?

ところで、ゲスト出演のフェリは相変わらず美しいラインで、見ているだけで満足させてくれた。表情を含んだ動きとしなやかな体の使い方は、これがフェリの踊りだったと思い出させてくれる。恐らくは彼女の年輪も、この作品をより深くしたものと思われた。
(2018年10月24日夜 David H Koch Theater)

ページの先頭へ戻る