ニューヨークで活躍中のダンサーに聞く その3

ワールドレポート/ニューヨーク

インタビュー/平沢あやこ(バレエピアニスト) Ayako Hirasawa

ニューヨーク、人種のるつぼと言われるこの街にはとてもたくさんのダンサーたちが働いています。ダンス・スタジオは、バレエ、コンテンポラリー、ジャズ、タップはもちろん、カリビアンからミクロネシアンなど存在するすべてのジャンルが割拠しています。あらゆるダンスが自由闊達に24時間休むことなく踊られている街ニューヨークから、バレエピアニストとして日々ダンサーたちと仕事をし、交流している平沢あやこがダンサーたちの完熟したダンス生活について、インタビューします。

ニッコロ・オーソラーニ Niccolo Orsolani

----バレエをはじめたきっかけはどんなことでしたか。
オーソラーニ トリノの小さい劇場で、子どもたちにジャグリングを教えていました。ある日、私を見た小さなダンスカンパニーの主催者が、彼らのパフォーマンスに参加してほしいと言ってきたんです。それから彼らと一緒にバーレッスンを受けてみて、もうダンスに夢中になってしまいました。
20歳のときでしたが、その頃勉強していた建築をやめてバレエクラスを受け始めました。イタリアでも名門のティアトロ・ヌオボ・トリノに入学して、ボリショイ・バレエやアメリカのアルヴィン・エイリー・ダンス・カンパニー出身の先生方から学ぶことができました。朝から晩まで、ふたつのスクールに通ってバレエ、コンテンポラリーのクラスを受けられるだけ受けました。もう夢中だったんです。建築は自分に合っていないとずっと感じていたので、自分の探していたものに出会えた高揚感がありました。
クラスは上級、中級、初級とすべてのレベルを受けてたんです。

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----ダンスをはじめてばかりで、上級クラスについていけたんですか。
オーソラーニ 最初はもちろんついていけませんでしたが、上級クラスを受けることで、ダンスの動きについてのイメージをつかんでいくことができたのです。上級クラスで覚えた動きを初級クラスでより洗練させていく、ということを毎日行っていました。
イタリアでは子どもの頃から夏のキャンプに参加すると、ポルカやマズルカ、ワルツなどをフォークダンスとして学びます。だからバレエの動きは私たちにとっては、とくに新しいものではないのです。また、子供のころから武術をしていましたので、自分の身体の使い方、エネルギーの使い方というのも、よくわかっていました。

----プロのダンサーになろうと思ったのはいつですか。
オーソラーニ トリノのダンススクールに通っていたときは自分がプロになれるのか、受け入れてくれるカンパニーがあるのかなんてわかりませんでした。ヨーロッパのいろいろなコースを調べてみても、入学制限はたいてい18歳以下で、私はすでに20歳を越えていましたから。
もっとダンスの勉強をしたかったのに、ヨーロッパでは私を受け入れてくれるところはないと感じました。
ある日、マーサ・グラハム・カンパニーがトリノに来て、ワークショップを開催しました。その中にイタリア出身の人がいて、仲良くなりました。私の悩みを聞いた彼が、もしニューヨークでマーサ・グラハムのコースを受けたかったら、彼の家に泊めてあげるよ、と言ってくれました。
3週間のコースを受けて、イタリアに戻ってすぐに、マーサ・グラハム・スクールに入学することに決めました。そこから私のダンサーとしてのキャリアが始まったのです。
このアメリカからは数えきれないくらいのチャンスをもらっています。スクールに入学できたこと、複数のバレエ団で踊らせてもらっていること・・・。ニューヨーク以外でもパーム・スプリングスのダンスフェスティバルに毎年招待されています。
ちなみにそのときニューヨークに誘ってくれた彼とは今では親友で、今でも一緒に暮らしています。

----それにしても建築からダンサーとは、すごい転身ですね。
オーソラーニ 今では建築を勉強してよかったと思っています。ダンスも身体の動きである限り、物理学的に考えることができます。建築で学んだ幾何学的な考え、空間に対する考えが、今、とくに振付をする上でインスピレーションになっています。
ダンスもステージ上で自分の身体、まわりの空間を使って型を見せるわけですから、ビジュアルアートであるという点では、ダンスも建築も同じだと思っています。
他のダンサーたちが子供のころから自然に身につけるダンスの動きを、大人になってからはじめた私は、構造学的な知識を活かすことで理解し、早く上達できたんだと思っています。
こっちの足が軸で、こっちの足を折り畳みパッセにすることでスピードを増すことができるから・・・みたいにね。

----マーサ・グラハムスクールでコースを終了した後、どうやってはじめての仕事を得ましたか。
オーソラーニ ニューヨークにくる前にも、イタリアでライブバンドと一緒にショーをしてましたから、パフォーマンスをしてお金を稼ぐということは昔から経験していました。その他ディスコやバーでショーをしたりしていましたし。ニューヨークではプライベート・コンサート、ショーが多いので、その時の経験が役にたっています。
小さなショーでは観客とのコミュニケーションというものを学ぶことができます。そういったショーでは観客は目の前にいますから、反応がまっすぐに返ってくるんです、それを恐れていてはパフォーマンスはできません。
カンパニーの大きなパフォーマンスの仕事は、すべてオーディションではなく、先生方や一度出演したダンスカンパニーの人々を通じて得てきました。人と会って話すこと、人脈をつくるということはアーティストにとって一番大事なことだと思っています。
私は遅咲きでフリーランスのダンサーですから、どんな仕事も取って、経験と人脈を得て次につなげていくことで生き延びているのです。

----このインタビューを読んでいる若いダンサーたちへのアドバイスはありますか。
オーソラーニ キャリアをつなげていくには、人と会って、話して、自分のことを知ってもらうことが大事です。相手のことを考えて行動できること、「聞く」ことができるということが必要です。厳しい条件下で働くことも覚悟して、譲歩できるということもとても大切なことです。
私がパーム・スプリングスのダンスフェスティバルではじめてパフォーマンスをして、ワークショップを教えたのは代理でした。急なオファーで準備もなにもできていませんでしたが、できることを一生懸命やった結果、次の年は正式に招待されることになりました。
マーサ・グラハムや他のカンパニーの仕事も同じような経緯で得てきました。この国には才能あふれるアーティストがたくさんいますから、与えられた仕事を求められた以上にこなし、信頼できる人材であるということが、生き残っていくうえでとても大事なんです。

----それはピアニストをしていても感じます。トップで働いているブロードウェイやバレエのピアニストたちにお会いしましたが、才能だけでなく人柄も優れていると感じました。
オーソラーニ もうひとつのアドバイスは、本当にやりたいことなら絶対にあきらめないことです。「歳をとり過ぎている、テクニックが足りない、プロにはなれない」などと、周りからいろいろなことを言われたとしても、信じないことです。
この世界は広いのです。必ずどこかにダンサーとしてのあなたを受け入れてくれる場所があります。自分からそこに行かなければならないのです。

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----パフォーマンスだけでなく、クラスも教えているのですね。
オーソラーニ とくに子どもたちを教えることはとっても刺激的です。私たちだって結局は成長した子どもなんですから。彼らが「ごっこ遊び」の中で本当に役になりきっていること、信じきっているところは、パフォーマーとして学ぶものがあります。パフォーマンスする上で自分自身がストーリーを、役を信じきっていなければ、観客の誰も信じてはくれませんからね。テクニックというのはあくまで演技の道具であって、観客の感情に訴えるものがなければ、100回ピルエットが回れたとして、それは無に等しいと思います。
一人でも観客が感動したなら、演技者として仕事ができたと言っていいでしょう。逆に観客の一人も何も思うことがなかったのなら、それは演技者として仕事をしたとはいえません。

----これからの目標はなんですか。
オーソラーニ フルタイムで踊れるカンパニーを見つけることでしょうか。収入、生活が安定することで自分の振付作品にかける時間が増えますから。セカンド・カンパニー(アメリカの大きなダンスカンパニーに必ずある若手のためのカンパニー)は、パフォーマンスの時にしかギャラをくれませんからね。 興味のあるカンパニーはたくさんあります。マイケル・マオ・ダンスカンパニー(Michael Mao Dance) 、エリサ・モンテ(Elisa Monte Dance)・・・どれもコンテンポラリーですね。 フィラデルフィアのBellet Xもよいレパートリーを持っていて大好きです。 もちろんグラハム・カンパニーのメンバーになりたいですが、私は身長が足りないので無理でしょう。 グラハムでは身長の高い男性ダンサーが好まれます。 ギリシャ神話のヒーローのような、背が高くて筋肉質の男性ダンサーを使うのを彼らは好むのです。 その他、まだまだ知らないカンパニーもありますから、リサーチを続けていくことは私の課題ですね。 マシュー・ボーンの男性のみの『白鳥の湖』など、世の中には様々なプロジェクトがありますからね。
ダンサーというのは医者と同じで、生涯にわたって学び続け、成長していくものだと思っています。
世界的に有名なダンスカンパニーのソリストでも、満足していないダンサーをたくさん知っています。たくさんのダンサーがどこかの団員になろうと焦るものです。団員になってもオフシーズンがありますから、その時にいろいろなプロジェクトに挑戦して、経験を重ねる絶好の機会だと思います。様々なスタイルを学ぶことでダンサーとしてのボキャブラリーが増えますから、それがダンサーとしての自分のアイデンティティーをつくることにつながっていきます。

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----すべてのダンサーに聞いていますが、バレエダンサーであることで、一番大変なことと、一番素敵なことを教えてください。
オーソラーニ 最悪なことは、ある日朝起きて、身体のどこかが故障していることに気づくこと、ああ腰が痛いとか、膝がいたいとか。ダンサーというのは身体を酷使しますから、痛みというものに慣れる必要があります。
だけどきちんとウォームアップをして、トレーニングすれば、何でもできるような気分になれます。ダンサーの身体というのは諸刃の剣のようですね。
そして、トレーニングによって高めた身体で、観客とコミュニケートできること!! それがダンサーとして一番素敵なことです。

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ニッコロ・オーソラーニ Niccolo Orsolani

イタリア・トリノ出身。ティアトロ・ヌオボ・トリノ卒業後渡米し、ニューヨークのマーサ・グラハム・スクールに入学する。卒業後マーサ・グラハム・セカンドカンパニーに所属。ジャージー・シティ・バレエやアメリカン・リバティ・バレエなど多数出演する一方、パーム・スプリングス・ダンスフェスティバルに招かれ自身の作品も発表している。

 

 

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