ニューヨークで活躍中のバレエダンサーに聞く その2

ワールドレポート/ニューヨーク

インタビュー/平沢あやこ(バレエピアニスト) Ayako Hirasawa

ニューヨーク、人種のるつぼと言われるこの街にはとてもたくさんのダンサーたちが働いています。ダンス・スタジオは、バレエ、コンテンポラリー、ジャズ、タップはもちろん、カリビアンからミクロネシアンなど存在するすべてのジャンルが割拠しています。あらゆるダンスが自由闊達に24時間休むことなく踊られている街ニューヨークから、バレエピアニストとして日々ダンサーたちと仕事をし、交流している平沢あやこがダンサーたちの完熟したダンス生活について、インタビューします。

アロンソ・グズマン Alonso Guzman(メトロポリタン歌劇場、バレエ・ヒスパニコ、ダンサー)

----バレエはどんなきっかけで始められましたか。
グズマン 17歳のときに始めました。ダンサーとしてはずいぶん遅いスタートですね。それからモダンとコンテンポラリーも始めましたが、バレエは常にダンス生活の中心にあります。
バレエのヴィジュアル、美的なものにあこがれたのです。あと、完璧性をめざすため、とても厳しい枠にはまられていること、厳しいトレーニングによってその完成美が得られることに、すごく魅力を感じました。

----ニューヨークへはどういった経緯で来られましたか。
グズマン 17歳のときに、アルビン・エイリー・スクールの3年間のスカラシップ・プログラムに受かり、渡米しました。ニューヨークは今年で8年目です。小さいカンパニーでいくつか踊った後、幸いにもバレエ・ヒスパニコやメトロポリタンで踊らせてもらっています。

----ご家族は応援してくれましたか。
グズマン 家族は私がダンスをすることを、できる限り支えてくれました。だけど家族から離れてプエルトリコから出て行くのには反対でした。ニューヨークにくるのは本当に自分だけの判断で来ましたが、後悔はしていません。自分のしたいことだったので。プエルトリコにいて、他の仕事をしながらほそぼそとダンスをしていくより、ダンス一本で生活していく人生が欲しかったんです。

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----17歳でバレエをはじめ、スカラシップのオーディションに受かるのは異例だと思いますが・・・。

グズマン 幼いときから体操と、テコンドーなどのマーシャルアートをずっとやってきたので、バレエの動きはあまり難しいものではありませんでした。足を高くあげたり、跳んだり回ったりするバレエは、私にとってとても自然に感じました。
エイリー・スクールの3年間のプログラムのおかげで、バレエの動きをさらに洗練することが
できました。それまでは将来性があると言われても、まだまだ優れたダンサーとは言えませんでしたから。

----たいていの人々は、もっと幼いころからダンスをはじめてエイリーなどの名門スクールに入れると思うのですが、あなたの場合は1年のバレエ経験で入れたんですね。
グズマン 私は、ダンサーはダンス以外のことも体験するべきだと思っています。バレエというのは競争が激しく厳しい世界です。身長や体重など身体的に求められることも多く、落ち込むこんだり自信をなくすことも多いです。しかし観客が本当に求めているものは、見た目の美しさだけではありません。それはアートであり、パーソナリティーです。知的なものを舞台で提供すべきです。私がここまでこられたのは、バレエ以外の世界を知っていたことで作品をより深く理解することができたからだと思っています。

----バレエダンサーとしての一番最初の仕事はなんでしたか。
グズマン バレエ・ヒスパニコ・セカンド・カンパニーです。セカンド・カンパニーというのは若いダンサーのためのカンパニーで、給料は良くなく、競争は激しく、大変な経験でした。バレエ・ヒスパニコだけでなく、大きなカンパニーには必ず若いダンサー向けのカンパニーがありますが、そこは自分を高め、コネクションをつくり、外にでていくための修行の場だと思った方がいいですね。大変なわりにはお金が稼げるわけではないので、辛かったです。

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----今までで一番よかった仕事は何ですか。
グズマン メトロポリタン・オペラです。ダンサーとして、とてもよい扱いをしてくれました。怪我をしたら保険で対処してくれたりする保証もありました。メトロポリタン歌劇場ではもちろん、オペラ歌手がメインですが、ダンサーはオペラの中で「観客の目をさます」非常に重要な役割を果たしてるんです(笑)。だからよいバレエダンサーであることが、ここで雇われることの必要条件なんです。

----バレエ以外の仕事もされてますか。
グズマン そうですね。ニューヨークに来て8年たって、アルゼンチン・タンゴに興味をもちました。プエルトリコで育ちましたので、ラテン系のボールルーム・ダンスは私にとって自然なものでしたが、タンゴはより複雑で、官能的で、技術的にもハードルが高いです。新しい挑戦をみつけたと思いました。
3年勉強したあと、教え始めました。とくに私のようなプロのダンサーで、ボールルーム・ダンスのスキルも得たい人々に教えています。あとはパーソナルトレーナーをしていた頃もありましたが、ダンサーとして成功していく中で、自分のやりたいことだけを仕事としてできるようになってきました。

----振付の仕事もされていますね。ダンサーとしてもっと踊っていきたいですか、それとも振
付の仕事をもっとやっていきたいですか。
グズマン 振付をもっとしていきたいです。8年間、他の人々の作品を踊ってきましたから、そろそろ自分自信の作品を踊る時期だと思っています。技術的にはバレエがベースですが、シアターや、コンテンポラリー、モダン、タンゴのエレメントもあります。これまでの振付では、特にタンゴのエレメントを大きく出したデュエットの作品がとても好評でした。

----振付をしていきたいと気づいたのはいつでしたか。
グズマン 踊り始めたときからいつも思っていました。特に好きではない振付を、お金を稼ぐために踊らなければいけませんでしたから。
生活費を稼げるようになったら、振付の仕事に集中していこうと思っていました。応援し
てくれるダンサーの友人がたくさんいて、私は恵まれています。ダンサーの協力がないと、作品は見せられませんからね。振付家として優秀であることを証明し、かつダンサーにインスピレーションを与えることができないと、よいダンサーたちは集まってきません。メトロポリタン・オペラの仕事を得たときに、「この仕事のあとはもっと振付をしていくぞ」と決心しました。いまのところ、3つの作品を完成しています。

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----好きな振付家はいますか。
グズマン イリ・キリアンは一番好きな振付家の一人です。あとはアレクサンダー・エクマン。キリアンの『プティ・モルト』は、すばらしいダンサーによって表現されたらダンスの見方が変わるのではないかと思います。ダンサーによる振付の理解ということが、作品にとってはとても重要ですから。
少数のとてもよいダンサーとすばらしい振付がそろえば、すばらしいアートが提供できると思っています。それが私の目標です。

----5年後にはなにをしていたいですか。
グズマン 自分の非営利団体、ダンスカンパニーをもつことです。すでにプロセスをはじめていますが、書類を作る作業が大変です! 自分のカンパニーでダンサーたちと定期的にトレーニングし、私のスタイルを学んでもらい、一緒に作品をつくっていきたいと思っているのです。
自分でビジネスをして自分の生活を支えていく、ということが私の目標ですし、ダンサーのみならず、ニューヨーカーすべての目標であると思いますよ。

----女性の多いバレエの世界で、男性バレエダンサーとして苦労したことはありますか?
グズマン 私は身体能力が優れていたので、バレエを始めたときからみんな私をダンサーとして真剣に扱ってくれました。
バレエ学校では私を含め二人しか男の子がいなくて、男性ダンサーとしてどうあるべきなのかわからなくて、自分をおかしく思ったり、混乱した時期もありましたけれど。若いころは男性として、もしくはバレエのプリンス(笑)として、どうあるべきか悩みますが、結局、そんなことは大切ではないのです。重要なことは、毎日一生懸命練習して、技術を磨いて、自分にできる最良のものをやって見せることです。自分と同じような人がまわりにいないからといって、落ち込む必要はありません。

----男性のバレエダンサーを目指している人たちへのアドバイスをお願いします。
グズマン 自分のいる場所で少数派であることに悩んだりする時期を克服して、そこを抜けたら、同じようなことで悩んできた多くの男性ダンサーに出会える場所に至ることができます。そういった出会いは、自分自身を次のレベルへ押し上げてくれます。お互いにサポートしあい、同じ悩みや希望をもっているわけですから。そこではもう一人ではありませんし、ともに高め合っていくことができます。

----ダンサーとして一番辛かった時期はどんな時ですか。
グズマン 故郷のプエルトリコを離れ、ニューヨークに来た17歳のときです。エイリー・スクールで勉強することができて、それはすばらしいことでしたが、友だちもいなく、家族から離れて本当に一人ぼっちでした。料理もできませんでしたから、毎日マクドナルドを食べて。ひどい生活をしていましたね。友だちと遊びにも行かず、鬱々としていました。ですが、自分には本当にダンスしかありませんでしたから、ひたすら練習をしていました。踊ることで自分を表現することができて、つらい時期を乗り越えてきたのです。

----あなたのように、若くして自分の国を離れて、違う文化の国でダンスを勉強したい人たちにアドバイスはありますか。
グズマン そういった経験をすでにした人にいろいろ聞いてみることです。今はインターネットもありますから、たくさん情報をあつめて、どこが自分に合いそうか、どこに住むのが大変そうか、リサーチすることです。決めたら思い切って外に出て、経験を積むべきです。ダンスを愛しているのだったら!

----食生活には気を遣っていますか。
グズマン そんなに厳しい節制はしていませんし、けっこう何でも食べますが、炭水化物はできるだけカットしていますね。タンパク質と野菜をなるべく多く摂るようにしています。パンは食べません。とくに年をとってくるにつれて、炭水化物は体にたまって、頭の回転や動きを鈍くするような気がするんです。お米は少し食べますが、毎日ではありません。
プエルトリコの伝統的な食事、お米と豆とチキンといったものが懐かしいですが、なるべく軽いものを食べるようにしてます。

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----ダンサーであることで、一番素敵なことは何ですか。

グズマン 自分の大好きなことが仕事だということですね。とても恵まれてることだと思います。舞台やショーで、自分のスキルや自分自身を表現できるということはすばらしい経験です。これをやるために生まれてきたんだ、と思います。

----日本語を勉強したことがあるそうですね。
グズマン 小さいときから日本の文化に興味があったんです。文字や日本の絵や盆栽やアニメとか。また、日本もプエルトリコも島国ですが、日本の文化を知るにつれ、似たような精神性を感じることがあります。日本もプエルトリコも、ハワイも島国であることで特異な文化を保持してきました。とても興味深いです。 能や、Butoh(暗黒舞踏)に非常に興味があります。たとえばアメリカのバレエを見慣れた観客は、Butohの感情表現は暗く、過密すぎると感じます。しかしそのスタイルがどこから来たのか、どうやって生まれたのか、ということを知ると、ダンサーが舞台でその体を使って伝えているものが、驚くべきことだということがわかります。

----能や舞踏はあなたの振付に影響していますか。
グズマン もちろんです。人は何か特殊なものを見ると、特殊な経験を得ます。だけど振付家として、それがどこからくるのか、きちんと研究しなければなりません。それは自分の作品がどこにゆくのかを知ることにもつながります。見て、ただまねをするだけではなく、自分がどこに
いるのかを知るためにも、自分に影響するものがどこから来ているのか、という知識を得るこ
とは人間としても大切だと思います。多くのの振付家が動きにとらわれがちですが、本当に心に伝わる振付をつくる人たちはたくさんの研究をされています。

ダンサーとして、一番大変なことは何ですか。
グズマン 自分の体をケアすることです。やり過ぎないこと。自分の可能性と、自分のできることに対してクリアな考えを持つことです。たくさんのダンサーが目標を大きく持ちすぎて、自分を追いつめてしまい、それが怪我につながります。現実的でなければいけません。自分の身体を酷使しすぎると、思ったよりも早くダンスのキャリアが終わってしまいます。長く踊っていたいなら、身体を本当に大切にしなければいけません。もちろん食生活も含めてですね。

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----日本のダンサーへのメッセージはありますか。

グズマン 他の文化についてや世界でなにが起きているかを知ることです。もし海外にいくことが難しいのなら、ビデオをたくさん見て、例えばアメリカのバレエはどういったものか、ヨーロッパではどんなものか、ということ学んでください。たくさん知識を得て、比べて、自分がどのスタイルにあっているか、どう動きたいのか、ということをプロのダンサーとして知っていなければなりません。
また、プロのダンサーになるなら、キャリアの最初のうちは本当にひどい条件の仕事がたくさ
んあることも、念頭においておかなければいけません。少なくともニューヨークでは給料が悪かったり、ダンサーのケアをしてくれなかったり、というようなことがあります。だけど踏ん張ってたくさん努力すれば、自分がずっとしたかった仕事を得るのに手を差し伸べてくれる人々がみつかりますよ。

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<アロンソ・グズマン>

プエルトリコ出身。17歳でバレエをはじめる。1年後、名門アルビン・エイリー・スクールのスカラシップ・プログラムを得て渡米。バレエ・ヒスパニコ・セカンド・カンパニーを含め、様々なバレエ、コンテンポラリー作品、ミュージックビデオに出演。現在はメトロポリタン歌劇場およびバレエ・ヒスパニコ所属。コンテンポラリー作品の振付家でもあり、また、アルゼンチン・タンゴのインストラクターでもある。幼い頃から数々の武道を習い、テコンドーは黒帯。

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