エドガー・アラン・ポーの短編小説『赤死病の仮面』に基づく恐ろしいダンス、ムーブ・ザ・カンパニー

ワールドレポート/ニューヨーク

三崎 恵里  Text by Eri Misaki

Joyce Ballet Festival, Move:thecompany / ジョイス・バレエ・フェスティバル、ムーブ:ザ・カンパニー

"The Masque of The Red Death" by Joshua Beamish
『赤死病の仮面』 ジョシュア・ビーミッシュ:振付"

振付家ジョシュア・ビーミッシュが率いるコンテンポラリー・バレエ・カンパニー、ムーブ・ザ・カンパニーがジョイス・バレエ・フェスティバルで新作『赤死病の仮面(The Masque of The Red Death)』を発表した。エドガー・アラン・ポーの同名の小説に基づいた作品である。

物語を簡単にご紹介しよう。因みにプログラムには物語のあらすじではなく、ポーの詩の一部のみが掲載されていた。
ある国で「赤死病」という疫病が広まり、人々を苦しめていた。ひとたびその病にかかると、発症から三十分も経たないうちに体中から出血して死に至る。国王プロスペローは、臣下の大半がこの病にかかって死ぬと、残った臣下や友人を連れて城砦の奥に立てこもり、疫病が入り込まないよう厳重に通路を封じた。城外で病が猛威を振るうのをよそに、王は友人たちとともに饗宴にふけり、5〜6ヶ月経った頃仮面舞踏会を開くことを思い立つ。舞踏会の会場は7つの部屋が続きの間として不規則につながり、それぞれの部屋の壁一面が違う色に塗られていた。やがて人々は奇妙な仮装をした人物が舞踏会に紛れ込んでいることに気付く。その人物は全身に死装束をまとい、仮面は死後硬直の様な不気味なもので、赤死病の症状を示唆するかのように仮面にも衣装にも赤い斑点があった。その仮装に怒った王はこの者を追い詰めると短剣を衝き立てようとするが、振り返ったその人物と対峙した途端、倒れて死んでしまう。参会者たちがその人物の仮装を剥ぎ取ってみると、その下には何もなかった。この瞬間、赤死病が場内に入り込んでいると判明、参会者たちはすべて赤死病にかかって倒れる。

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Jane Cracovaner and Elijah Laurant of MOVETHECOMPANY. Photo © Craig Foster

作品は物語に沿って作られ、赤いレンガでできた劇場のステージの裏側の壁をむき出しにした前で、ダンサーたちが踊って始まる。グレーの長いドレスを着た一人の女性を除いて全員黒い衣裳で、一人はガスマスクの様なマスクを被り、手のひらを赤く塗った手袋をはいている。この人物が赤死病を意味していると思われる。踊っているダンサーの半分を占める男性たちが倒れると、ガスマスクが一人ずつ後ろの壁の搬入口の穴の中に入れていく。残った女性たちが踊り続ける中、ガスマスクは舞台上にある照明器具の玉を入れ替え、舞台の中央に設置してライトをつける。後ろの壁の前のカーテンが閉まると、女性たちは童謡を口ずさみながら、ライトの周りをまわる。プログラムに書かれているポーの詩の朗読がスピーカーから流れる。

グレーのドレスを着た女性に二組の男女が加わって踊っていると、長い鮮やかな衣を着た男性が現れる。これがプロスペロー王と思われる。人々が去り、王と一人の女性のデュエットになる。バレエで鍛えられた肉体と動きから、長い美しい線が流れる。男性はガウンを脱いで赤いラメのシャツ姿となり、女性は金のラメのスカートを履いている。暗い絶望的なイメージが溢れる。
その後ダンサーたちが踊る間に、その一部がガスマスクを被って踊り、それは王が下界を遮断して隔離されたスペースにも、だんだんと疫病が忍び込んでいることを表現しようとしたのではないだろうか。踊りが進行すると同時にダイアローグは続くが、録音の質が悪いのか、あるいはわざとそうしているのか、何を言っているのか分からない。背景の色が変わり、舞踏会の会場の様子を示すような場面となる。やがてマスクを着けマントを着けた男が出てくるが、そのまま消える。踊っている人々はその存在に気付かない様子だ。

二組の男女が出てきて中世の衣裳を着、仮面舞踏会用のマスクを着ける。ミラーボールの光が舞台を照らし、彼らは踊り始める。その後ろにガウンを羽織り、ガスマスクを着けた男が立ち、そして踊りに加わる。やがて音楽に咳が入り、だんだん増えて激しく咳き込む音となる。不健康なイメージが広がったと思うと、突然止まる。ガウンを着たガスマスクの男を囲んで踊るダンサーたち。一人の男が上着を脱ぐ。ガウンの男がその周りをまわり、倒れる。ガウンの男が消え、ダンサーたちが舞台後方で両手を木のように上げて立つ。ガウンの男がその向こうを横切り、その後ろを男が必死に追う。そして紗幕の向こうのガウンの男に対峙するように向き合うと、男は倒れる。人々が駆けだしてきて、弔うような悲しむ様な動きをする。様々な色を並べてその力関係を語るようなダイアローグが流れている。嘆き悲しむ様なダンサーたちはやがて全員が倒れる。

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Jane Cracovaner and Elijah Laurant of MOVETHECOMPANY. Photo © Craig Foster

さて、この記事を読まれた限り、この作品は比較的物語に忠実に作られたと思われる読者が多いのではないだろうか? しかし、この記事は実は私のリサーチの結果である。実際は、私を含めてポーの作品を知っている観客は少なかったと思われたのに対し、ビーミッシュはあくまでも観客がこの作品を知っていることを前提に振付けており、プログラムに物語の説明も掲載せず、抽象的な動きと物語性に欠ける場面展開の結果、観客はキツネにつままれたような気分で舞台を観ていたのが実情だった。動きは非常に個性的かつ抽象的で、バレエのテクニックは見えるが、極度にスタイライズされているため、正直なところダンサーたちがどれだけの技量を持っているのかは分からない。会場には言葉にならぬはてな(?)マークが漂い、挙句の果ては途中で退席する観客も見られた。

コンテンポラリー作品の落とし穴は、ともすれば振付家の自己満足に終わることだ。新しいものを創る時は、自分の思い込みや自分独自の動きに流されず、自分とは異質の観客にいかにメッセージを伝えるかを考えることが大切だと思われる。常に作品と観客の間のキャッチボールがあってこその舞台なのだ。バイオグラフィーによると、この作家はロイヤル・バレエやナショナル・バレエ・オブ・カナダを含む世界的なバレエ団や著名なダンサーなどと仕事をする多忙な振付家だということだが、彼自身はまだ若い新進アーティストに過ぎない。恐らくはそのユニークな動きが注目された結果と思われるが、真に観客にメッセージを伝えることとはどういうことか、考えてみて欲しいと思われた舞台だった。
(2018年6月29日夜 Joyce Theater)

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