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ロビンズ生誕100年記念フェスティバルのスプリング・ガラをニューヨーク・シティ・バレエが開催

ワールドレポート/ニューヨーク

ブルーシャ 西村 Text by BRUIXA NISHIMURA

New York City Ballet ニューヨーク・シティ・バレエ

SPRING GALA "ROBBINS 100" スプリング・ガラ「ロビンズ100」
"The Four Seasons", "Circus Polka", "A Suite of Dances", "Something to Dance About" by Jerome Robbins  "Easy" by Justin Peck
『四季』『サーカス・ポルカ』『ア・スイート・オブ・ダンスィーズ』『サムシング・トゥ・ダンス・アバウト』ジェローム・ロビンス:振付、『イージー』ジャスティン・ペック:振付

4月24日から6月3日まで、ニューヨーク・シティ・バレエ(NYCB)の春のシーズン公演でした。5月3日のスプリング・ガラ、「ロビンス100」のプログラムを観に行きました。当日は劇場前にレッドカーペットが長く敷かれていて、寄付を納めているニューヨークの重要な人々や著名人、報道陣がたくさん詰めかけており、華やかな光景でした。

5つの作品が上演されました。
アメリカを代表する振付家、演出家、映画監督のジェローム・ロビンズ生誕100年の特別公演です。ロビンスは1918年、ニューヨークのマンハッタン生まれ、1998年に亡くなりました。ダンスと演劇を学び、1940年にはABTのソリストになりました。1944年に『ファンシー・フリー』を振付けて脚光を浴び、それは後にミュージカルの『オン・ザ・タウン』(1944年)となり、『踊る大紐育』(1949年)として映画化されました。1949年にニューヨーク・シティ・バレエの副バレエ・マスターに就任し、多くの作品を振付けました。『王様と私』(1951年)『ウエスト・サイド・ストーリー』(1957年)『屋根の上のヴァイオリン弾き』(1964年年)など、ブロードウェイ・ミュージカルの振付も手掛け、ヒット作を多く生み出し、多数のトニー賞、映画化されてアカデミー賞を受賞しました。ミュージカルの金字塔に輝く名作の振付をたくさん残しました。誰でも必ず人生のどこかでロビンスの振付作品を観たことがあることでしょう。ロビンスの振付けたミュージカル作品に憧れてダンサーを志した人々は、日本人でも多いと思います。

最初に舞台挨拶がありました。その後、舞台上の大きなスクリーンに、生前のジェローム・ロビンスのショートフィルムが上映されました。ロビンスが若かりし頃にピアノの前で振付けている白黒映像など、振付作業の様子などがつなげられて貴重な映像も観ることが出来ました。

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「四季」photo/ Paul Kolnik

最初の演目は、『四季』(1979年)です。音楽はジュゼッペ・ヴェルディ(Giuseppi Verdi)。冬、春、夏、秋の4つの組曲の音楽と踊りで1つの作品となっています。舞台セットは、背景にクラシカルな模様とイラストで大きくヴェルディと書かれていました。
プリンシパルダンサーは、「春」にサラ・マーンズ、タイラー・アングル、「夏」にテレサ・レイクレン、「秋」にタイラー・ペック、ダニエル・ウルブリクト、ザッカリー・カタサロです。
最初、王冠をかぶってマントを着た男性が出てきて、色違いの王冠とマントを着た男性2名と女性2名の春夏秋冬の四季の代表者が登場しました。
冬は大きなスクリーンに雪が降る映像が映り、群舞は身体を縮こめて両膝を曲げ、両膝をガクガクブルブル震わせ、冬の寒さを表現していました。このシーンは観客に大いに受けて大笑いしていました。軽快で速いリズムの音楽で、楽しい元気な踊りが続きました。
春のサラ・マーンズがドレスで現れると、大勢いた冬のダンサーたちが去りました。そこに薄い黄緑色の衣装の男性4名が出てきてしばらくマーンズの周りで踊って去りました。ゆったりした音楽で、アングルも登場しマーンズとパ・ド・ドゥ、ソロを踊りました。
マーンズは優雅で丁寧な踊りでした。男性4名の踊りもあり、春の若葉のような元気いっぱいな感じを出しました。シャンジュマンを続けて、時々上に大きく飛び上がって空中でグランプリエのように両足を広げて曲げ上げていました。道化的な動きです。再びアングルとマーンズのパ・ド・ドゥがありました。その後ろに男性4名も加わって踊りました。元気で春のエネルギーあふれる感じの、明るい踊りでした。
夏はオレンジ色っぽい少しアラブ風の衣装で、ゆったりしたリズムの静かな音楽で、大勢、群舞と主役も含めて皆がリズムに乗ってドゥミプリエをずっと続けながら、膝をバウンドするように踊りました。パ・ド・ドゥも続きました。
秋は、角2本をつけた動物の格好で、道化のような軽やかですばしっこい動きの男性が踊りました。夏のダンサーたちが去って、濃いピンク色ドレスの女性と男性ペアがでてきました。周りには大勢のピンク色の群舞が踊りました。男性はグランフェッテ8回やピルエット4回転を入れたり、女性もピルエットとグランフェッテを混ぜて12回転以上して盛り上がりました。大技が続くシーンは喝采を浴びていました。
フィナーレでは春夏秋冬の全員のダンサーがポーズをとって終わりました。

続く演目は『サーカス・ポルカ』(1972年初演)、音楽は、イーゴリ・ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky)です。プリンシパルダンサーは、リングマスター役のアスク・ラ・クールです。黒いシルクハットとブーツ、赤いタキシードを着て、長いムチを持って床をたたいて、指導者を表現していました。大人が1人で他は大勢の子供たちが出演し踊りました。
サーカスで1人の監督がムチを持って、大勢の子供たちに指導してまとめて、演技をさせているシーンでした。とても短い作品でしたが、途中で大勢の子供たちが出演することで、微笑ましく、劇場全体が和みました。

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「サーカル・ポルカ」photo/ Paul Kolnik

3つ目の演目は『イージー』で、今回が初演です。振付はジャスティン・ペックで、彼がNYCBに振付た16回目の作品です。音楽はレナード・バーンスタイン(Leonard Bernstein)。1918年生まれで生誕100年を迎えたロビンズとバーンスタインに捧げられた作品です。この2人がバレエとブロードウェイ・ミュージカルでコラボレーションをして、幾つかの名作を作ったことはよく知られています。
舞台背景はカラフルな現代的イラストで、ダンサーたちの衣装もカラフルな蛍光カラーのショートパンツ、シャツ、Tシャツ、スニーカーでした。クラリネット演奏をフューチャーした、速いテンポの明るく軽快な音楽を使っていました。ウエスト・サイド・ストーリーを思い出すような、ストリート・シーンのミュージカル風の短い作品でした。

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「イージー」photo/ Paul Kolnik

4つ目の演目は『ア・スイート・オブ・ダンスィーズ』(1994年初演)です。音楽はヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach)の作曲、プリンシパルダンサーは、ホアキン・デ・ルースでソロでした。
ロビンズは特にバッハの音楽を愛好していたので、晩年に3つのバッハの振付作品を創作しました。
チェリストが舞台の下手端に座って演奏しました。ホアキンはゆったりと音楽に合っている流れるような振付で踊りました。スペイン人らしく、とても感情表現豊かに踊りました。

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「ア・スイート・オブ・ダンス」photo/ Paul Kolnik

5つ目の演目は『サムシング・トゥ・ダンス・アバウト』(初演)です。様々な作曲家の音楽で、監督&音楽ステージングは、ワーレン・カーライル(Warren Carlyle)です。
プリンシパルダンサーはアシュルー・ボーダー、ローレン・ラヴェット、サラ・マーンズ、タイラー・ペック、ホアキン・デ・ルース、アンドリュー・ヴィエッテ、ダニエル・ウルブリクト、テイラー・スタンリーです。
これはワーレン・カーライルが始めてバレエ・カンパニーを手掛けた作品です。カーライルは、トニー賞受賞の振付家&芸術監督です。ロビンズ生誕100年のために、ロビンズの輝かしいブロードウェイ・ミュージカルの振付へのトリビュート作品を作りました。30名のNYCBダンサーをフューチャーして、ロビンズの8つの歴史的ブロードウェイ名作を選んで作った、音楽と振付の小品集です。

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「サムシング・トゥ・ダンス・アバウト」photo/ Paul Kolnik

以下、上演されたミュージカル・ナンバーを順番に書きます。

"Peter Pan" (1954) Never Never Land:『ピーターパン』より:ネバー・ネバー・ランド。
"On the Town"(1944) New York, New York:『オン・ザ・タウン(踊る大紐育)』より:ニューヨーク・ニューヨーク
"Gypsy"(1959) All I Need is the Girl:『ジプシー』より:オール・アイ・ニード・イズ・ザ・ガール
"West Side Story"(1957) Something's Coming/ Dance at the Gym/ Cha Cha:『ウエスト・サイド・ストーリー』より:サムシングズ・カミング、ダンス・アット・ザ・ジム、チャ・チャ
"The King and I"(1961) Shall We Dance:『王様と私』より:シャル・ウイ・ダンス
"The King and I"(1961) Small House of Uncle Thomas:『王様と私』より:スモール・ハウス・オブ・アンクル・トーマス
"Billion Dollar Baby"(1951) Charleston:『ビリオン・ダラー・ベイビー』より:チャールストン
"Funny Girl"(1964) The Music that Makes Me Dance:『ファニー・ガール』より:ザ・ミュージック・ザット・メイクス・ミー・ダンス
"West Side Story"(1957) America:『ウエスト・サイド・ストーリー』より:アメリカ
"Fiddler on the Roof"(1964) Wedding Dance:『屋根の上のヴァイオリン弾き』より:ウエディング・ダンス
"On the Town"(1944) Times Square Ballet:『オン・ザ・タウン(踊る大紐育)』より:タイムズ・スクエア・バレエ
"The King and I"(1961) Something Wonderful:『王様と私』より:サムシング・ワンダフル

幕が開いて、女性シンガーが出てきて歌い始めました。そして大勢の群舞も含めたダンサーが出てきて踊りました。次々に、音楽とダンサーたちが入れ替わり続きました。
ロビンズ生誕100年特別公演の最後を飾るにふさわしい作品で、バラエティーに富んでいて、名作ミュージカルの名曲と振付を一度に味わえる圧巻で素晴らしい舞台でした。ロビンズは地元のニューヨーカーでしたし、ブロードウェイに数々の名作を残したので、この作品は、まさにニューヨークを象徴しているものです。有名な音楽と振付を集めたもので、見覚えのある踊りがあり、とても楽しい作品でした。
最後に近づく頃、男性ダンサーたちが10名くらい、横1列になって上で手をつなぎ、"ヘイ、ヘイ、ヘイ"とリズムを取りながら去っていきました。そしてフィナーレでは、大勢の人々が次々に登場して、ダンサーは入れ替わり立ち代わり少しずつセンターで踊っていきました。
全員去ると女性シンガーが再びセンターでソロで歌いました。大勢が再び現れて舞台上へ集まり静かに立ちました。そしてみんなで合唱し、背景のスクリーンに大きくロビンズの遺影が映りました。ダンサーたちは全員、後方のロビンズの写真を見上げ、その画像に向かってお辞儀をし、そのまま幕が降りました。とても感動的なシーンで、何も説明が要らない3秒くらいの短い動作と演出なのに、ロビンズに対する全員の深い敬意が表れていました。
そしてカーテンコールでは素晴らしい喝采が贈られました。
(2018年5月3日夜 David H, Koch Theater)

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「サムシング・トゥ・ダンス・アバウト」photo/ Paul Kolnik

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