『薔薇の精』『グリーンテーブル』他が踊られたアメリカン・バレエ・シアターの「ミックス・プログラム」

ワールドレポート/ニューヨーク

三崎 恵里
text by Eri Misaki

American Ballet Theatre アメリカン・バレエ・シアター

"After You" by Mark Morris、" Le Spectre de la Rose" by Michel Fokine, " Valse Fantaisie" by George Balanchine, "The Green Table" by Kurt Jooss
『お先にどうぞ』マーク・モリス:振付、『薔薇の精』ミハイル・フォーキン:振付、『ワルツ・ファンタジー』ジョージ・バランシン:振付

アメリカン・バレエ・シアター(ABT)が恒例の秋の公演を、ニューヨークのリンカーンセンターのディヴィッド・H・コーク・シアターで行った。以前、ニューヨーク・ステート・シアターと呼ばれていた劇場である。2008年に慈善事業家のデーヴィッド・コークが1億ドル(約1兆円)を投じて10年間にわたる改装を宣言、現在も工事中だ。以前は全くアイル(通路)が無かった1階オーケストラ席が仕切られ、二本の通路が縦につけられて、客席に入りやすくなっている。ロビーにはいたるところにビデオモニターが取り付けられて、カンパニーのリハーサル風景などが映し出されている。アメリカはお金持ちが持っているお金の額も、そのお金でやることもケタが違うのである。
今秋のABTの目玉は『薔薇の精』と『グリーンテーブル』であった。この日は4本立てのプログラムで、マーク・モリス振付の作品『お先にどうぞ(After you)』で幕を開けた。こんなタイトルの作品を真っ先に持ってくるのも、ABTのユーモアのセンスだろうか。ヨハン・ネポムク・フンメルの美しい曲に鮮やかな色彩と、複雑かつ鮮やかなステップを駆使した群舞である。速いアレグロ、しっとりとしたアダージオ、カップルたちが踊るメヌエットと三つの構成に別れている。素晴らしい音楽の解釈で、複雑なステップを難なく軽々とこなすのは、さすがはABTのダンサーたちだ。

『薔薇の精(Le Spectre de la Rose)』は人気プリンシパルの一人、ハーマン・コルネホが踊った。ミハイル・フォーキンの振付、カール・マリア・フォン・ウエーバーの曲にヴァスラフ・ニジンスキーが踊ったこのバレエは、古典バレエから抜け出して現代バレエに至る過程に活躍したバレエ・リュスの時代を代表する作品である。お姫様と王子様の世界を抜け出し、新しい表現を求める当時の芸術家たちの意欲と勇気を感じる作品でもある。
舞台中がヨーロッパの家屋の居間に見立てられ、大きな窓に囲まれた部屋で、舞踏会を初めて経験した若い娘がうたた寝をする。その夢に舞踏会に着けていった薔薇の精が現れ、娘と踊って消える。

「薔薇の精」ハーマン・コルネホ photo/Marty Sohl

「薔薇の精」ハーマン・コルネホ
photo/Marty Sohl

コルネホはニジンスキーとよく似た、小柄で筋肉質の体つきで、エレガントながらきびきびと踊り、赤い、小さな薔薇のイメージだ。時折、ニジンスキーが振付けた『牧神の午後』を想像させる動きを交えてある。これは、フォーキンの振付をニジンスキーが『牧神の午後』に取り入れたのか、或いはコルネホがニジンスキーを意識して、敢えてそのように踊ったのか? コルネホの薔薇はふわりと大きくジャンプをすると、さっと窓から外へ消え去った。娘はサラ・レーンが踊った。
三番目の作品は、大御所ジョージ・バランシンの『ワルツ・ファンタジー(Valse-Fantaisie)』。ミハイル・グリンカの曲にバランシンが振付けた、音楽の視覚化を試みたバレエである。ニジンスキー同様、バレエ・リュスから20世紀バレエの時代を生きたバランシンの、古典バレエから抜け出そうとする独自の試みを代表する作品の一つである。エメラルドを想像させる、緑色のチュチュを着た女性の群舞や、しっとりとしたデュエットを踊るリードダンサーたちは、まだまだ古典バレエの風味を保っていて、多くの古典を踊るABTのダンサーたちだからこそ、当時の味わいを再現できるのだろう。小さな宝石箱のようなバレエである。

「グリーンテーブル」マルセロ・ゴメス(死神) Photo: Marty Sohl (記事の公演日のキャストではありません)

「グリーンテーブル」マルセロ・ゴメス(死神)
Photo: Marty Sohl
(記事の公演日のキャストではありません)

最後はクルト・ヨースの名作『グリーンテーブル』で幕を閉じた。グリーンテーブルとは、この作品では政治の場、いわば国会を意味している。国と国が争う時、一番簡単な方法が戦争であった。しかし、戦争になって一番苦しむのは庶民であり、常に厳然と存在する死。やがて死が全てを制してしまい、国も人も疲弊する。結局、戦争はしたのか、それともしなかったのか? それは、この舞台を見た観客自身が解釈することである。
死神をローマン・ズルビンが力強く踊った。ダンサーたちはいずれも表情豊かで、ああでもない、こうでもないと議論する政治家、兵役に駆り出される若者、悲しむ家族、苦しむ人々の間を姑息に動き回る悪党、娼婦化する女たちや、反発して処刑される者、誰もかれもが死んでいく様が、一コマ一コマのストーリー展開で描かれる。

面白いと思われたのが、照明のトリックで、いつの間にか死神が舞台の上に現れているという演出。思わずぞくっとする。作品はピアノ演奏のみで演じられるが、すべての意味でシンプルに作られてあるがゆえに、強烈な主張を見る者に届けてくる。
優れた作品というものは、踊りに限らず、何年もの間に見る側の人生経験によって、いろんな呼びかけをしてくるものだ。10年前はこの作品を見て、こう思った。あの時は、こういうことに気づいてなかった、と、自分の成長を感じさせたり、新しい発見をくれるものだ。この『グリーン・テーブル』はまさにそういう作品の一つである。
(2015年10月23日 ディヴィッド・H・コーク・シアター)

「グリーンテーブル」Photo:Marty Sohl

「グリーンテーブル」Photo:Marty Sohl

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