ABTの『モノトーンズ2』、ファルキートの『孤独』などに観客が沸いた、フォール・フォア・ダンス

ワールドレポート/ニューヨーク

三崎 恵里
text by Eri Misaki

New York City Ceter ニューヨーク・シティ・センター主催

2016 Fall For Dance Festival Program One フォール・フォア・ダンス・フェスティバル 2016、プログラム1

ニューヨークの主要劇場の一つ、ニューヨーク・シティ・センターは、元々は1923年に建てられた集会場だったが、1943年に当時のニューヨーク市長フィオレロ・ラガーディアによって、一般庶民がパフォーミングアーツに接する劇場として出発、1970年代半ばまでニューヨーク・シティ・オペラとニューヨーク・シティ・バレエの母体的な存在であった。このフォール・フォア・ダンス(「秋のダンス」という意味と「ダンスに惹かれる」という二つの意味がある)は、2004年にこの劇場の主催で始まったフェスティバルで、世界中から選んだカンパニーやアーティストが参加して1作ずつ見せ、しかもチケット代を$15という格安価格で、若い世代にダンスの世界を知ってもらおうという企画である。今年も、素晴らしい舞台が紹介されている。

各プログラムで4作品ずつ紹介する中で、プログラム1はストレブ・エクストリーム・アクション(Streb Extreme Action)による、『エアスライス(AirSlice)』でスタートした。エリザベス・ストレブ(Elizabeth Streb)率いるこのカンパニーは、ダンスでもサーカスでもない、過激ともいえるムーブメントを追及するカンパニー。その危険極まる過激なアクションが人気を呼んでいる。
舞台の上には巨大な鉄骨のセットと、斜めになった台やクッションの台が設置されていた。男女二人ずつのパフォーマーが出てきて、舞台正面におかれた斜めの台に次々に直立不動の姿勢で倒れ始める。

(C) Stephanie Berger

(C) Stephanie Berger

台は表面は柔らかく、バウンスするように作られているらしく、パフォーマーたちは腕を使わずにそのまま倒れるという命知らずの荒業を繰り返す。倒れながら台の上に四人で様々な形を体で作る。彼らの体はそうした荒業に耐えるべく、余分に筋肉をつけている。自虐的にすら見える「倒れ技」が終わると、今度は全員で鉄骨に上る。この鉄骨は巨大な鉄製のはしごの台座で、はしごの中心が台座に固定され、風車のように回転する。パフォーマー達はこのはしごに乗り、重力とバランスとタイミングの遊びのような演技を続けた。はしごや鉄骨の櫓の上で演技しながら、時折、急に下のクッション台に飛び降りて観客をギクリとさせた。危険度いっぱいで、劇場は物凄い興奮に包まれた。

(C) Stephanie Berger

(C) Stephanie Berger

振付家のダダ・マシロ(Dada Masilo) は出身の南アフリカのカンパニー、ダンスファクトリー(The Dance Factory)と共に『春 (Spring)』を発表した。プログラムノートとして、「『春』は人間の自己犠牲の暴力性と美しさを追求するもの。ボツワナで先祖とコミュニケートするときに伝統的に使用されたという、動物の動きに基づいて製作した」と記されている。マシロ自身を含む5人の非常に安定したコンテンポラリー・ダンサーたちが、シンプルな衣裳に動物の角のような飾りを頭に付けて踊る。
ストラヴィンスキーの「春の祭典」で始まった作品は、マックス・リヒターの「四季」、アルヴォ・パートの「ファー・アリーナ(Fur Alina)」の合計3曲で構成された。バックドロップには小さな花の様な模様や、放射状に発する光のようなプロジェクションが照射される。マシロの振付は美しいとは言えないが、体の内側から迸るような洗練された動きだ。物語性はなく、抽象的な動きの連続だが、何かを示唆するものがある。心のあがきのような動きから、とまどいと迷いのような動きとなり、やがてマシロが逃げようとすると、他のダンサーたちがそれを遮り、引き戻す。目の前の苦悩から逃げるな、というようだ。いつの間にかマシロはサポーターだけの半裸になっている。頭の角飾りも投げ捨てて激しく踊る。自らを犠牲にして何かを成し遂げる心理を描いたものと思われる。体をくねらせ、奇妙な美しさを持つダンススタイルで主張はあるが、自分から観客にメッセージを伝えるよりは、観客に何かを受け止めることを要求する作品である。

アメリカン・バレエ・シアター(ABT)からはフレデリック・アシュトン(Frederick Ashton)がエリック・サティの「ジムノペディ3番」に振付けた『モノトーンズ2 (Monotones II)』が出品され、ヴェロニカ・パート(Veronika Part)、トーマス・フォスター(Thomas Forster)、コーリー・スターンズ (Cory Stearns)が踊った。このトリオは女性がほとんどをポアントで立って次々とポーズするのを、男性二人が支えて踊りにしている作品だ。白いユニタードに白い帽子を被ったダンサーたちが、1960年代の宇宙のイメージを彷彿とさせる振付を踊った。クリーンなラインと動きが音楽を見事に視覚化して、それはまるでシンプルな自然の営みのようで、波にも見え、星にも見えた。

(C) Stephanie Berger

(C) Stephanie Berger

この日の最後は、スペインから招待されたファルキート(Farruquito)が『孤独 (Mi Soledad )』を踊った。ファルキートというのはニックネームで本名はファン・マニュエル・フェルナンデズ・モンタヤ (Juan Manuel Fernandez Montaya)、スペインでは知る人ぞ知るフラメンコダンサーである。
幕が開いたとたんに目に入るのは、舞台の上の4人のミュージシャンたち。この時点ですでに会場の空気はどっしりとした、自信に満ちた落ち着きに覆われた。ギタリストがジプシー音楽を奏で始めると、渋い声で女性が歌う。男性が出て来て、舞台に敷かれた板の上に立つ。立派な立ち姿だ。ファルキートが激しく足を踏み始めると、床に敷いている板は特に加工したものなのか、素晴らしい音が出る。上体をほとんど動かさず、足だけ小刻みに激しく床を踏む。精気が空を彷徨い、素晴らしい音とリズムが空間を凌駕する。足を踏みながらファルキートは時折安定したターンを見せる。寂の聞いた歌声がそれに絡む。精力的でセクシーな踊りだ。歌手が手を打つ音も打楽器の役目を果たして、音楽に重みを加える。熱く激しく、まるで男の生き様を見る様な踊りだ。ダンディズムと言うのだろうか、これほどにもセクシーなフラメンコは初めて見た。数曲踊った後、観客の興奮が発する物凄い熱気の中を堂々と歩き去った。ミュージシャンも素晴らしい。最後に全員で肩を組んでバウをした。この日の舞台で最も熱く、圧巻の舞台であった。
(2016年9月23日夜 New York City Center)

(C) Stephanie Berger

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