能楽、観世流宗家が23年ぶりにニューヨーク公演を行い、能『羽衣』『葵の上』、狂言『佛師』を上演した

ワールドレポート/ニューヨーク

ブルーシャ西村
text by BRUIXA NISHIMURA

Lincoln Center Festival 2016、Kanze Noh Theatre

リンカーンセンターフェスティバル 観世流宗家 能楽

ニューヨークで毎年夏恒例の芸術の祭典、リンカーンセンター・フェスティバルで、日本の重要無形文化財である、能楽の観世宗家が招聘され、7月13日から17日まで公演を行いました。日本能楽会に登録された能楽師は520名以上にのぼる、最大流派です。率いるのは、能楽観世流二十六世宗家の観世清和です。(観世会公式ウェブサイトは、http://kanze.net/
ニューヨーク公演は23年ぶりとなり、観世流の能役者や囃子方など30人が出演し、6公演を行いました。日本と変わらぬ舞台を、質を保ったままニューヨーカーに見せるために、日本から組み立て式の仮設舞台を運んだそうです。舞台上方に英文字幕を用意していました。今回、選ばれて上演された演目は能が6作品、狂言が2作品です。
私が観劇したのは7月16日夜の公演です。ジョン・レノンが、言葉と内容が分からないのに能の舞台に心を打たれて感動し、観に行くのが大好きだったそうなので、能楽は日本が誇る、世界に通じる舞台芸術なのだと確信しています。そのため、このニューヨーク公演を楽しみにしていました。
もともと、昔から能舞台は神殿に向けられていて、神前にお供えする儀式のようなもので、神霊が降臨して五穀豊穣を祈る役割もあったとお聞きしたことがあります。宗教的な教えも取り入れて、神前の儀式としても、また人々を楽しませる演劇としても発達していったのでしょう。

観世流は、南北朝時代に大和(奈良県)で活動していた大和猿楽四座の結崎座に由来し、そこに所属して大夫(代表する役者)であった観阿弥清次(1333年〜1384年)が流祖です。能楽における能の流派の1つで、シテ方、小鼓方、大鼓方、太鼓方があります。観阿弥は息子の世阿弥(1363年?〜1443年)とともに京都に進出し、足利義満(室町幕府三代将軍)の庇護のもと、勢力を伸ばしました。都の貴族文化(和歌、連歌などの上流階級の教養)を吸収した観世座の能は、観阿弥と世阿弥によって洗練され、成長していきました。
能楽とは、能、狂言、式三番(「翁」「神歌」)を含む日本の伝統芸能です。重要無形文化財で、ユネスコ無形文化遺産に登録されています。700年近い歴史があり、世界で最も古い舞台芸術の1つです。
このような歴史の長い能楽を、ニューヨークで上演して紹介する貴重な機会となり、劇場は日本人よりも外国人やニューヨーカーの観客のほうが多く、満員でした。中国系の観客も多かったので、アジア人にも興味をもたれていることに驚きました。

『翁』(C) Kanze Noh Theatre

『翁』(C) Kanze Noh Theatre

私が観劇した日の演目は3つで、能の『羽衣』『葵上』と、狂言の『佛師』です。出演者は全て男性です。舞台セットは木で作られていて、シンプルな直線的なデザインで、上手に役者が出入りする五色の揚幕が横向きについていて、そこから短い橋掛が真ん中に位置された舞台につながっていました。橋掛の前には丈の小さい松が3本置かれていました。この松は、橋掛での演技の際の目印にするそうで、一の松、二の松、三の松というそうです。揚幕の両横には太く長い赤い紐が垂れ下がっていました。舞台後方は壁一面の木の板に大きな松の絵が描かれていました。この松の絵は、春日大社の影向の松がモデルとされていて、神の依り代としての象徴だそうです。舞台後方に四拍子が出てきて演奏していました。

『羽衣』(C) Kanze Noh Theatre

『羽衣』(C) Kanze Noh Theatre

『羽衣』は、羽衣伝説を元にしたもので、能の中で最も人気のある曲です。天人は観世芳伸(シテ)、 漁師は森常太郎(ワキ)が演じました。最初は楽器を演奏する人々と謡の人々が舞台上に歩いて出てきてそれぞれの位置に座りました。
囃子の四拍子の笛、小鼓、大鼓、太鼓の4名の生演奏と、謡(地謡)の8名のバックコーラスが謡いました。地謡は舞台下手に位置している地謡座で前後二列になっていて、舞台の方を向いて客席に対して横向きに座っていました。それぞれ扇を持っていて、謡う時には構えて、休みの時には下ろしていました。
小鼓、大鼓の方々は、パンッパンッという固く響く音をたたきながら、よう〜、よお〜、ほっなどのような大きな声を合いの手のように絞り出して響かせていました。それが効果音のようにずっと続き、音が鳴る度に、舞台がさっと引き締まるような緊張感が漂い、迫力を加えていました。

漁師が釣りに出てくると、羽衣を見つけ、宝にしようとして家に持ち帰ろうとしていました。その時に、お面をつけた1人の美しい女性が現れて、羽衣を返してほしいと訴えます。でも猟師は、それは天人の羽衣だと分かったので、返そうとしません。天人はそれが無いと天に帰れないと嘆き悲しみます。漁師は哀れに思い、羽衣を返す条件として天人の舞を見たいと頼むと、しばらく葛藤があり、羽衣を天人に渡して舞を見せてもらいました。天人は美しい舞を舞い続けて、天に帰ってしまいました。
この『羽衣』は、舞のシーンが多い作品なので、私にとっては一番面白かったです。舞の型の基本は摺り足で、足裏を舞台の床につけたままで、踵をなるべくあげないようにして、すべるようにサササッと歩く、独特な動き方で、それがずっと続きます。時々、拍子という、片方の足を上げて強くバンッと舞台の床を踏んで大きな音を立てます。台詞は、独特な節回しの、喉を開けて大きく遠くまで響くように搾り出すような謡い方で、朗々とした謡でほとんど表現されていきます。それと同じ謡をバックコーラスの地謡が重ねて謡い、音を増幅させて、遠くまで大きく響いて分かりやすいようにしていました。
これらの謡の発声方法や、床を足で踏んで大きな音を入れる拍子、ゆっくりと展開していく動きと物語の速度、舞の型は、マイクや音響装置や照明が無かった太古の昔に発達したため、遠くから見ても分かりやすく聞こえやすいように、理解しやすいように工夫されてきたものなのだろうなと思いました。それが現代の劇場で、音響設備が整っていて、照明の下で演じられているので、客席にまでピンと張り詰めた緊張感、迫力がせまってきて、伝わりました。

二つ目の演目は狂言。台詞劇の『佛師』です。佛師は山本泰太郎(シテ)、田舎者は山本則孝(アド)です。囃子と謡なしです。台詞と舞、床を足で鳴らす拍子をたくさん入れて、朗々とした発声方法でゆっくりと台詞を語っていました。間に1つ、狂言の演目が入ることで、全体でアクセントになっていて、気分転換になりました。

三つ目の演目は『葵上』です。「源氏物語」の有名な場面を能に仕立てた室町時代の作品です。六条御息所の生霊は観世清和(シテ)で、後ジテでは鬼のような角が生えたお面をつけて演じていました。巫女は坂口貴信(ツレ)、小聖は森常好(ワキ)、延臣は森常太郎(ワキ、ツレ)、家人は山本則孝(アイ)です。生霊に取り付かれている主人公の葵上は、小袖を舞台上に寝かすこと(出し小袖)で表現されていました。囃子の笛、小鼓、大鼓、太鼓の4名の生演奏と、謡(地謡)の8名が謡いました。
光源氏の正妻である葵上は病に苦しんでいました。巫女が呼ばれて、葵上に取り憑いている生霊は光源氏の愛人である六条御息所だと分かりました。小聖が呼ばれて祈祷が始まると、その生霊は怒って鬼の形相に変わって、凄まじく襲いかかっていました。やがて最後は、祈りによって浄化されて、去っていきました。
台詞の掛け合いのシーンが多く、大声で独特の発声方法で朗々と謡われるので、迫力がありました。小聖が祈祷しているシーンはかなり長かったです。赤い袴を着た生霊は般若の面をつけていて鬼のような形相で舞い続けました。足を踏む拍子の入れ方も、メリハリがあってよかったです。

『葵上』(C) Kanze Noh Theatre

『葵上』(C) Kanze Noh Theatre

『葵上』(C) Kanze Noh Theatre

『葵上』(C) Kanze Noh Theatre

最後に、プログラムの演目になかった『土蜘蛛』という短い作品が、サプライズで披露されました。男性が6名出てきました。白い玉を手に握って投げると、白い糸が広がって蜘蛛の糸になるというシーンです。この蜘蛛の糸の作り方は能楽が起源だそうです。その後、歌舞伎役者などにも広がって、今では様々なシーンで使われています。この蜘蛛の糸を投げるシーンは、ニューヨーカーは客席で声を上げて、驚いて喜んでいました。
素晴らしい公演で、大成功でした。観ることが出来てよかったです。
(2016年7月16日夜 Rose Theater)

観世清和は1959年生まれ、観世元正の長男。社団法人日本能楽会常務理事。財団法人観世文庫理事長。社団法人観世会理事長。1964年4歳の時に『鞍馬天狗』花見で初舞台。(東京芸術大学音楽学部邦楽科別科卒。1990年9月家元継承。フランス、アメリカ、インド、中国、タイ、ドイツ、ポーランドなど海外公演多数。受賞歴多数で、芸術選奨新人賞(1995年)/フランス芸術・文化勲章シュヴァリエ受章/芸術選奨文部科学大臣賞(2013年)/第33回伝統文化ポーラ賞大賞(2014年)/紫綬褒章(2015年春の褒章))

『翁』(C) Kanze Noh Theatre

『翁』(C) Kanze Noh Theatre

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