「フラメンコ・フェスティバル2017」 ヘスース・カルモナ Jesus Carmona インタビュー

4月号で公演をレポートしましたヘスース・カルモナは、私にとって現在、世界一の実力派バイラオールです。クラシック・バレエに慣れている私が心底驚いたバイラオールは、歴史的に滅多に出てこないものではないかと直観しました。おそらく、他のバイラオールとは鍛錬の積み上げ方が違うと思われ、インタビューしました。
ヘスースは、私が観たフラメンコの中では速打ちのスピードが速く音も大きく、迫力があって正確なリズムだと思いました。
ヘスースが日頃からどんな鍛錬を積んでいるのか、その鍛錬法とプロとしての考え方などを中心に、お話してもらいやすいように彼の母国語のスペイン語でインタビューしました。

ヘスース・カルモナ Jesus Carmona
1985年バルセロナ生まれ。2004年、コンダル都市芸術大学(バルセロナ)でスペイン舞踊、フラメンコ舞踊の学位を取得。16歳でグラン・テアトロ・デル・リセウでプロ・デビュー。その後、アントニオ・カナーレス舞踊団に参加。2006〜09年にスペイン国立バレエ団に在籍し、第一舞踊手として活躍。2011年、第20回 スペイン舞踊・フラメンコ振付コンクールで最優秀舞踊家賞受賞。2012年にフラメンコ界で権威のあるコンクール、ウニオン国際カンテ・フェスティバル、舞踊部門で優勝。現在、自身のカンパニーを持ち、世界各地で活躍している。

Q:あなたはバルセロナ生まれですが、どのようにフラメンコのバイレを学び始めましたか。

カルモナ:私はバルセロナ生まれですが、育ったのはバルセロナとコルドバです。両親がコルドバ出身なのです。バルセロナは有名なフラメンコ・バイラオーラのカルメン・アマヤの出身地でしたから、フラメンコが盛んな地域です。(注:カルメン・アマヤCarmen Amaya(1918〜63)バルセロナ生まれのヒターナ(ジプシー)。不世出のバイラオーラと言われ、10歳でパリ公演を行い世界的に活躍した)
バルセロナにも長いフラメンコの歴史があるのです。フラメンコの歴史は、スペイン南部だけではないのです。ですから、フラメンコを踊るためにはスペイン南部で育たなければならないということはないのです。
私は6歳から、フラメンコをソニア・ポベーダに師事して学び始めました。彼女はミゲール・ポベーダ(有名なカンタオール)の妹です。
母によると、私は2歳くらいからいつも「(フラメンコを)踊りたい!踊りたい!」と言っていたそうです。いつも私は「踊りたい!」でいっぱいの状態が続いてきたので、「踊る」ために生まれたのだと思います。その小さな頃の私の様子を見た母が、私をフラメンコの良い先生のクラスに連れて行って、レッスンを受けさせ始めました。

(C) Beatrix Molnar

(C) Beatrix Molnar

Q:そんな幼少時からフラメンコを踊りたくてたまらなかったなんて、その頃からフラメンコ公演を生で観る機会があったのですか。

カルモナ:いいえ、幼少時にフラメンコを生で観る機会はなかったです。テレビで観たり、ラジオで聞いたりしていた程度です。両親も特にフラメンコ好きというわけではないです。母は主婦ですし、父はビールの運送業ですから、フラメンコとは関係ないです。不思議なことに、私の家族や親戚の中でフラメンコを習得しているのは、唯一、私だけなのです。そんなフラメンコとは縁遠い家族に生まれたのに、なぜ私がフラメンコのバイレに興味を持ち始めたのか、分からないのです。だから、これは私の個性として元からこのように「フラメンコを踊る役割の者」として生まれたのです。なぜこうなったのか、理由は未だに誰も分からないままです。
プロを養成するためのコンセルバトリオで、6年間のカリキュラムでダンスとフラメンコを学びました。第5クルソ(学年)の時に、ミゲール・アンヘル・ロッハスとカルロス・ロドリゲス(ヌエボ・バレエ・エスパニョールのディレクターたち)の二人が来て、私をスカウトしてマドリッドへ連れて行きました。15歳で、私のプロとしての活動がマドリッドで始まりました。15歳でマドリッドへ一人で引っ越して、一人住まいをして自活し始めました。

Q:他のタイプのダンスも学びましたか。

カルモナ:はい。クラシック・バレエ、コンテンポラリー・ダンス、フォルクローレ、ボレロ、ダンサ・エスパニョーラなど、あらゆるジャンルのダンスを学びました。カリキュラムの中には演劇もありました。学校で様々なダンスを習得することで、その後プロとして踊るための準備がよく整いました。特に、クラシック・バレエの鍛錬を積んだおかげで、役に立っています。『ドン・キホーテ』とか古典作品を踊るわけではありませんが、バレエの基礎を学びました。それが自分にとって役に立っていて、私がフラメンコを踊る時にはバレエのテクニックも使っています。例えば回転すること、重心の位置を変えること、バレエの動きを加えることなどです。
私はあらゆるダンスを学んで発達していったことによって、私のフラメンコ・スタイルにもそれが現れています。
フラメンコのバイレは、一人一人、個性が全く違います。それぞれが、自分のスタイル(作風)を発達させていくものなのです。フラメンコとは、各自がやりたいように表現するものなので、とても自由なのですよ。それぞれの経験によって踊り方を培っていき、踊り方には独自の人生が現れているのです。それがフラメンコなのです!

Q:あなたは、フラメンコ・バイラオールの中では世界一と言っていいほど、飛びぬけて体の重心がピタッと安定していますが、どのように日頃の練習を積んでいますか?

カルモナ:私はバイラオールの中では特に、スタジオにこもって長時間の練習するほうなのです。重心、動き、パタ、違う回転などを探求し続けています。踊りを通じて「私自身」を探求しています。
身体の中心を見つけること、重心を取ることは、学校でピラテスの授業もあったので、その知識も役に立っています。ダンスも格闘技も体の中心(体幹)を鍛えることが大事です。
公演の度に、私はスタジオにこもって研究します。まず振付の練習を始める前に、振付を1つ1つの動きに分解して、1つずつ鏡の前で観察し、研究します。一つ一つの動きの重心の位置を探して取ること、感覚をつかむこと、バランスを取ってキープすることなど、1つ1つの動作について探求して確認します。すべての動作を確かなものにしてから、振付の練習に入ります。公演全体を通して、振付の1つ1つの動きを明確にするためです。このように、事前の研究と練習を丁寧に準備することによって、「私の踊り」を踊るので、力むことなく、自然に表現します。

(C) Beatrix Molnar

(C) Beatrix Molnar

Q:見ていると、余裕が感じられて、簡単そうに踊っているように見えます。力んでいないですし、自然な感じです。そしてどんなに激しく踊っても、疲れている様子が無いですね。

カルモナ:そこまで到達するには、簡単ではないですよ。日頃から、ソファに寝そべってボーッと過ごすようなことはないです。私は研究熱心で、休みの時でもジムに行ったり、スタジオに行っています。練習は毎日欠かさずやります。
TRXという筋トレも取り入れています。自分の体重の重みを利用し鍛えるトレーニングです。深い呼吸をする練習(呼吸法)も研究しています。
誰でもこのレベルまで到達しようとすると、踊りのアートとしての面だけではなく、肉体的にも科学的に鍛錬を積むことが大事になります。踊りはアートなのだけれども、それをこのレベルまで極めるためには肉体が十分に準備されている必要があります。
私の公演で1時間20分のものの時には、呼吸法の練習をします。長時間、激しいフラメンコを踊り続ける公演のためには、最後まで私の肉体を最高の状態に保って最高の踊りができるように、体力を長時間保てるように呼吸法を工夫しているのです。だから、私にとっては15分位の踊りは、全く負担にならないのです。
2011年から私自身のカンパニーを率いて、世界中で公演をしています。それ以来、ありがたいことにたくさんの仕事の予定が詰まっています。運が良かったことと、上手く努力してこられたお陰かもしれません。アーティストの人生は、チャンスがやって来た時にさっとつかめるように、それまでに十分な準備が出来ていることが大事なのです。

Q:働き者ですね!

カルモナ:はい、すごい働き者です。私は小さい頃からすでに、プロになりたかったのです。バイレを始めた6歳の頃はまだ、「踊りたい!」という気持ちだけでした。でも9歳ではすでに「プロになりたい」と固く決心していました。その頃から真面目に練習して、長時間集中して、毎日過ごし続けてきました。コンセルバトリオの学生生活では毎日5時間、様々なダンスのクラスがありましたが、それ以外に、週末にも別の先生のクラスを受けに通っていました。
現在は、私自身の公演の準備のためには、朝9時から3時まで、6時間最低限は、毎日練習を続けます。その後の時間も、時には練習します。

Q:踊りのためには、食生活にも気を付けていらっしゃいますか

カルモナ:バランスのとれた食事を摂るように気を付けています。肉、野菜、果物、ドライフルーツ、パスタなどの全体のバランスが取れるように食べています。

Q:日本のファンへメッセージをいただけますか。

カルモナ:日本へ、大きなキスとハグを送ります。
日本は、私を熱烈に大歓迎してくださった国で、私は自分の家のように感じていますし、尊敬しています。私は日本の文化と日本食が大好きです。日本人が大好きで、本物の人たちで、とてもピュアだと思います。日本のフラメンコ愛好家は、スペイン人のそれと同じようにフラメンコを愛しています。日本の方々には大変感謝しています。
(2017年3月10日午後 ニューヨーク)

ワールドレポート/ニューヨーク

[ライター]
ブルーシャ西村

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