存在の儚(はかな)さともろさ、そして「アナザーワールド」。深い余韻を残してシドニー・ダンス・カンパニー の『無常』が世界初演された

ワールドレポート/オーストラリア

岸 夕夏 Text by Yuka Kishi

SYDNEY DANCE COMPANY シドニー・ダンス・カンパニー

" IMPERMANENCE" Choreography : Rafael Bonachela
『無常』ラファエル・ボナチェラ:振付

海外公演も多いオーストラリアの現代舞踊団、シドニー・ダンス・カンパニーの1年ぶりメインステージ復帰公演を見た。
オリジナルの『無常』公演は、昨年、初日公演を目前にして新型コロナウイルス感染拡大のためにキャンセルされ、とうとう幕が開くことはなかった。今回の世界初演となる『無常』は、舞台公演休止を余儀なくされた1年近くの間に、オリジナルの40分から1時間強の作品に拡大されたもの。2月16日から2月27日までに全12公演が行われ、チケットが完売した日もある。

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Sydney Dance Company "Impermanence" Jesse Scales, Rhys Kosakowski & Luke Hayward © Pedro Greig

『無常』を振付けたのは、シドニー・ダンス・カンパニーの芸術監督、ラファエル・ボナチェラ。『無常』の楽曲を作曲したのはアメリカ人で、パリ在住のブライス・デスナー。デスナーはアメリカのアイコン的ロックバンド、ザ・ナショナルの設立メンバーでギターリストだ。クラシック音楽の作曲家としてグラミー賞を受賞し、2台のピアノのための協奏曲はロンドン交響楽団で世界初演された。2016年のアカデミー賞で3部門を受賞した映画『レヴァナント:蘇えりし者』では坂本龍一とともに作曲を担当している。
2019年パリのノートル・ダム大聖堂で大規模な火災が発生したその直後に、ボナチェラはデスナーとパリで会い、存在の儚さともろさに着想を得た新作の話しをしていた。それから数ヶ月後、オーストラリアでは5ヶ月近くにも及ぶ甚大な被害をもたらした大規模森林火災が起きた。

「私は、世界中で起きた崩壊と喪失、そしてパニックに打ちひしがれましたが、その後に現われた希望と美しい予感にも強く影響されました」と デスナーはプログラムで語っている。

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SDC "Impermanence" Emily Seymour, Liam Green, Chloe Young, Dimitri Kleioris. Photo by Pedro Greig

大地を想わせるアース色のコスチュームはシンプルで、舞台装置は何もない。
楽曲の12楽章にはそれぞれタイトルがつけられている。第1楽章のタイトル「かつて―Before」と題した冒頭では、のどかな水際の波紋を想わせる流れがダンサーの身体から描き出され、横たわったアンサンブルからさざ波が表出した。その光景には演題の「無常」とは相反する、太古から存在したであろう恒久の永続性が横たわる。しかし次の楽章の、怒りにも似た弦の激しく打ち鳴らす音で、「永遠と信じていた存在」は瞬く間に消滅した。緊迫したピルエットとジャンプのソロが次々に連動して他者につながり、連鎖していく。

照明で舞台が赤く染まり、弦はかすれた音を放った。もがく男女のデュエットがシルエットになって浮かび上がると、ダンスから喪失と絶望が立ちあがる。
舞台後方壁の真ん中に、美術家、杉本博司の『海景』の水平線を想起させる、ひとすじの眩しい白色光が差し込んだ。トリオ、ソロ、デュオへと変動するアンサンブルから生命再生の兆しが表出した。

あたかも作品の語り部のようになった照明デザインが強く印象に残る。<かつて> <警鐘> <崩壊> <残り火> <破片> <緊急> <無常> <脈動> <レクイエムー灰> <別の世界へ> など楽曲につけられた12のタイトルを照明は明確な意図で視覚化し、観客を奥深くへと導く役割を果たす。

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SDC "Impermanence" Emily Seymour & Jacopo Grabar© Pedro Greig

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SDC "Impermanence" Jesse Scales, Luke Hayward & Liam Green © Pedro Greig

昏迷の闇が明けるような淡い紫に染まった舞台で、ダンサーは身体のラインを屈折して、嘆きから再生へと向かいだす。ダンスと音楽が絡み合い、時おり4本の弦楽器そのものが、ダンサーの動きを造型しているような錯覚を引きおこした。

水平線の上方に、ダイヤモンドダストのような光の塵が降り注ぎ、生命の息吹を感じさせる若草色のライトが床に広がった。美しい夢幻を想わせるヴィジュアルとは対照的に、静かな嘆きを奏でる2本の弦楽器と、荒々しい音で対峙する別の2本の弦楽器が混迷した世界を抽出し、目と耳を破調させる空間が生まれた。

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Sydney Dance Company Jacopo Grabar, Rhys Kosakowski & Emily Seymour. Photo by Pedro Greig

舞台の片隅で1時間、オーストラリア弦楽四重奏団は音が途切れることなく渾身の演奏を続けた。鍛え抜かれた技を持つ17人のダンサーもまた、様々な編成のアンサンブルを形成して絶え間なく踊り続けた。

最終楽章で美しい夜明けが訪れると、チェロの独奏に合わせてリアム・グリーンのソロが始まった。性別を超越したアノーニのヴォイスが歌いあげる『アナザー・ワールド』は、亡き人を弔い、失われたものすべてに捧げる鎮魂歌だ。
「別の世界へ行きたい。海が、雪が、蜂が、木々が、太陽が、動物が、君たち皆が恋しくなる」。『アナザー・ワールド』の歌詞には『無常』のすべてが内包されている、とふたりのクリエーターは言う。
流動してとどまることを知らないボナチェラの振付は、1時間を疾風のように駆け抜けた。ダンスが最後に立ち止まった「アナザー・ワールド」で、客席に背を向け天上を指し、頭を抱えた男は何を語ったのだろうか。振付家は重い問いを観客に持ち帰らせた。

このコンテンポラリー・ダンスの豊潤さは、深い余韻を残し、胸が打ち震えるような感動とともに、忘れ難い私の記憶の一つになるだろう。カーテンコールで観客が示した歓喜と感動、大きな拍手と足踏みの歓声は劇場を怒涛のように埋めつくした。

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Sydney Dance Company "Impermanence" Emily Seymour & Rhys Kosakowski. Photo by Pedro Greig

(2021年2月18日 シドニー ロズリン・パッカー・シアター Roslyn Packer Theatre in Sydney )

『無常』 IMPERMANENCE
振付:ラファエロ・ボナチェラ(Rafael Bonachela)
音楽:ブライス・デスナー(Bryce Dessner)
照明:ダミアン・クーパー(Damien Cooper)
衣装:アリーシア・ジェルバート( Aleisa Jebart)
舞台デザイン:デヴィッド・フレシャー(David Fleischer)

ダンサー
ジュリエット・バートン(Juliette Barton) / イザベラ・クレイン(Isabella Crain
サビン・クランプトン=ワード (Sabine Crompton-Ward) / ダヴィデ・ディ・ジョバンニ(Davide Di Giovanni)
ディーン・エリオット(Dean Elliott) / ライリー・フィッツジェラルド(Riley Fitzgerald)
ジャコボ・グラバー(Jacopo Grabar) / リアム・グリーン(Liam Green)
ルーク・ヘイワード(Luke Hayward) / テレア・ジェンセン(Telea Jensen)
ディミトリー・クレオリス(Dimitri Kleioris) / リース・コサカスキー(Rhys Kosakowski)
クロエ・レオン(Chloe Leong) / ジェス・スケール(Jesse Scales)
エミリー・シーモア(Emily Seymour) / ミア・トンプソン(Mia Thompson)
クロエ・ヤング(Chloe Young)

オーストラリア弦楽四重奏団(Australian String Quartet)
デイル・バートロップ / 第1バイオリン(Dale Barltrop)
フランチェスカ・ヒュー / 第2バイオリン(Francesca Hiew)
クリストファー・カートリッジ / ヴィオラ(Christopher Cartlidge)
マイケル・ダレンバーグ / チェロ(Michael Dahlenburg)

*『アナザー・ワールド』はアノーニが歌う録音された音源に、ブライス・デスナーが弦楽四重奏ライヴ演奏用に編曲した。

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