オーストラリアの現代舞踊の先端を走るシドニー・ダンス・カンパニーが鮮烈な4作品を上演した
- ワールドレポート
- オーストラリア
掲載
ワールドレポート/オーストラリア
岸 夕夏 Text by Yuka Kishi
SYDNEY DANCE COMPANY "NEW BREED"
"Inertia" Choreographed by Jesse Scales "Nostalgia" by Chloe Leong
"Wagan"(Wiradjuri for "Raven")by Joel Bray "Cult of the Titans" by Raghav Handa
シドニー・ダンス・カンパニー" NEW BREED"
『イナーシャ』ジェス・スケール:振付、『郷愁』クロエ・レオン:振付、『ワタリガラス』ジョエル・ブレイ:振付、『巨人の狂信』ラグハフ・ハンダ:振付
新型コロナウイルスの影響で2020年3月にオーストラリア中の劇場が閉じて以来、観客を入れたシドニーでのダンス公演は今回が初めてとなる。現代舞踊のシドニー・ダンス・カンパニーは1965年の創立で、海外公演も多く行っている。海外でも著名なオーストラリア人振付家のグレアム・マーフィーが、2006年までの30年間芸術監督を務めたカンパニーだ。2009年からはスペイン人の振付家ラファエル・ボナチェラが芸術監督に就任した。
Sydney Dance Company "Cult of the Titans" Jesse Scales Photo by Pedro Greig
新種を意味する"New Breed"はその名のとおり新進の振付家を招き、今年で7回目の公演となる。チケット発売時点で客席使用率を50%に制限する規制も要因の一つと思われるが、"待望の生の舞台"となった11月26日から12月12日までの15回の公演チケットは即座に完売した。公演会場はキャリッジワークス。鉄道の拡大により1880年から機関車に関わる修理・製造を担ってきた、巨大倉庫の一角にあるホールで、現在もその名残りを保存している。
Sydney Dance Company " Inertia". Photo by Pedro Greig
最初の演目はカンパニーダンサー、ジェス・スケールによる11分の小品『イナーシャ』。慣性や惰性の意味をもつ演題は、スケールが駅で倒れた時に、周囲が冷たい傍観者だった実体験に基づいて振付けている。
「行動を起こさないことと道徳的な勇気の差は僅かでしかない。また、誰もがそのどちらにもなりうる」とスケールはプログラムで語っている。
倒れた者は苦しみを隠すが、周囲の無慈悲な冷淡さについに叫び声をあげる。傍観者であった11人グループの半数が、次第に顔を隠すという匿名の存在に変貌して、被害者をさらに苦しめる。ひとりの女性が起こした救済の行動により場面は一転するが、被害者は光の中に飛び込んで舞台は暗転した。彼は救われたのか否か、作品は観客に明確な答えを提示していない。
鍛え抜かれたダンス技術が、被害者の肉体と心の苦しみ、傍観者の移り変わる心情を語る。心の迷路をさまよう、感情の機微をえぐり出していくようなヨハン・ヨハンソンの音楽と見事に共鳴した作品となった。
SDC "Nostalgia" Davide Di Giovanni © Pedro Greig
SDC "Nostalgia" Luke Hayward © Pedro Greig
続く演目『郷愁』は、2人の男性ダンサー、デヴィッド・ジョバンニとルーク・ヘイワードによるデュエットで、カンパニーダンサー、クロエ・レオンによる13分間の振付デビュー作品。
演目の開始前、舞台横のテレビ画面に中国人とイタリア人の父母を持つレオンが映し出され、作品解説を行った。「郷愁という言葉はギリシャ語の<家に帰る>と<痛み>の2つから成ります。郷愁への甘さと苦さの矛盾した思い、個人と非個人、存在と不在、想像と記憶。郷愁とは、"すべての時間にわたる、すべての人間存在の一部である" という観念に惹かれました」
心臓の鼓動のようなビート音が規則的に響く中で、ジョバンニとヘイワードは1年間舞台から遠ざかったいたとは思われないダンスで、郷愁への内省を表した。
Sydney Dance Company " Wagan" Dean Elliott Photo by Pedro Greig
5万年前にも存在したとも言われるオーストラリア先住民アボリジニの血をひくジョエル・ブレイは、イスラエルとヨーロッパでダンスのキャリアを積んだ。ダンサーとしては国内の芸術祭で複数の賞を受賞し、振付作品はオーストラリア国内の主要都市で上演されている。
3番目の演目の原題『WAGAN』とは、アボリジニの一部族が使うウィラドゥリ語で、ワタリガラスを意味する。美しい虹色のカラスは、焼かれて真っ黒になったというアボリジニ伝承と、ヒッチコックの映画『鳥』からも触発を受けた意欲作。ブレイは作品について次のように語っている。「ワタリガラスはウィラドゥリの言い伝えでは賢く、アボリジニ神話『ドリームタイム』ではヒーローです。それに対して、ヨーロッパ文化では「黒」は恐怖とされ、映画『鳥』に見られるように、微妙な人種差別的な恐怖の象徴となっています」
舞台後方のスクリーンに映画『鳥』の一場面が映写され、その前方で女装をした男性ダンサーが画面と同じマイムをする。
SDC "Wagan". Riley Fitzgerald. © Pedro Greig
SDC "Wagan". Dean Elliott. © Pedro Greig
オリエンタルな音楽が響き、夜明けや夕陽を模した照明の中で、鳥を象徴する6人のダンサーは紗幕の向こうで漆黒の影となり、ゆったりとしなやかに、風と戯れるかのように踊った。『鳥』の金髪美女が鳥に襲われ、恐怖に怯え血を流すシーンを後方のスクリーンに映し出す一方で、前方の6人のダンサーは身体が弧を描くように、悠々と舞い続ける。影の中で女装者はカツラを投げ捨て、服を抜いで紗幕の向こうから現れた。
ブレイは自然と人工を対照させ、差別や偏見、アイデンティティへの思念をユーモラスに、上質で辛口のスパイスを効かせるように織り込んだ。が、私にはむしろ、作品から湧き上がる大気の感触と、ダンサーが造型した美しい悠久を想わせる普遍性が心に残る。とりわけ、『郷愁』を振付けたクロエ・レオンののびやかなダンスに目を引かれた。照明デザインと新たに作曲された音楽が振付と共鳴した効果は際立って、作品をより輝かせた。
最後の演目はインド系オーストラリア人、ラグハフ・ハンダの『巨人の狂信』だった。
Sydney Dance Company "Cult of the Titans" Photo by Pedro Greig
ヒンドゥ教や仏教では吉祥の印として用いられるまんじ・卍は、インドでは数千年にわたり、平和と幸運の象徴だ。しかし20世紀になって、ナチスドイツが鉤十字(ハーケンクロイツ/英語・サンスクリット語でスワスティカ)をシンボルとして使って以来、暗い記憶にすり替わってしまった、とハンダは語る。「多くの人が悪とみなすシンボルに真の光を充て、盗まれたシンボルを取り戻し、再聖化すること。スワスティカは人間存在である、誕生、生命、死、不死の円環の象徴なのです」と振付家は舞台横のテレビ画面で観客に熱く語りかけた。
映画やドキュメンタリーなどで目にしたことのある凄惨な光景が、精妙な身体言語で再現された。ダンサーは身体で卍を表して行進し、いつしか阿鼻叫喚の画となる。大音響の中で流れるインド風の音楽と光の点滅、時空がうねり、儀式を想わせる取り憑かれたような狂気のダンスに変わっていく。最後に6人の男たちがもがき苦しみながら死んでいく様は、胸が締めつけられる。
すべてが処刑された中で唯一生き残ったのは、2015年のグリーンルーム賞 (多岐にわたる分野で、オーストラリアの舞台公演に関わった賞)で、最優秀女性ダンサーに選ばれたジェス・スケールだった。身体性と感性が共鳴し、スキンヘッドで鮮烈な存在感を示したスケールは、ハンダが語る再聖の象徴なのだろうか。身体から純粋な輝きが放たれたスケールのダンスは生と聖が一体となり、毒性を持つ作品の中で美しく、崇高にすら感じられた。
ウイルス感染拡大防止のため、創作開始時点で4人のアーティストは振付に社会的距離規制を課せられた。閉塞感のある今日の社会で、4作品の舞台公演は現代アートへの挑戦でもあり、その意義は大きい。それを支えたのは、若者から中高年男女の多層な観客でもある。
(2020年12月9日 シドニー・キャリッジワークスat Sydney Carriageworks)
『イナーシャ』INERTIA
振付:ジェス・スケール(Jesse Scales)
音楽:ヨハン・ヨハンソン The Rocket Builder by Jóhann Jóhannsson
ニール・フラウン/ アン・ミュラー Let my key be C - Nils Frahm, Anne Müller
衣装:アリーシア・ジェルバート(Aleisa Jebart)
照明:アレクサンダー・ベルラージ(Alexander Beriage)
『郷愁』NOSTALGIA
振付:クロエ・レオン(Chloe Leong )
音楽:ロブ・キャンベル(Rob Campbell - The Nights)
衣装:アリーシア・ジェルバート(Aleisa Jelbart)
照明:アレクサンダー・ベルラージ(Alexander Beriage)
『ワタリガラス』WAGAN Wiradjuri for "Raven"
振付:ジョエル・ブレイ(Joel Bray)
音楽:ブレンダ・ギフォート(Brenda Gifford)
衣装:アリーシア・ジェルバート( Aleisa Jelbart)
照明:アレクサンダー・ベルラージ(Alexander Beriage)
ビデオクリップ:アルフレッド・ヒッチコック『鳥』
Video clips: Alfred Hitchcock, The Birds, Universal Pictures 1963
『巨人の狂信』CULT OF THE TITANS
振付:ラグハフ・ハンダ(Raghav Handa)
音楽:ジェームス・ブラウン(James Brown)
衣装:アリーシア・ジェルバート(Aleisa Jelbart)
照明:アレクサンダー・ベルラージ(Alexander Beriage)
リズムとタブラ:マハリーシ・ラバル(Maharshi Raval )
文化コンサルタント:サーシ・ハンダ(Shashi Handa)
監修:ヴィッキー・ヴァン・ハウト(Vicki Van Hout)
*本作はシドニーにあるユダヤ人協会から助言を受けている
音楽は全て録音された音源を使用
記事の文章および具体的内容を無断で使用することを禁じます。