オーストラリア・バレエ団芸術監督を退くデヴィッド・マカリスターに聞く

ワールドレポート/オーストラリア

岸 夕夏 Text by Yuka Kishi

「芸術監督としてリスクに挑戦すること、ホールバーグへのバトン、危機における芸術の力・・・」

Long interview to David McAllister, Artistic Director of the Australian Ballet

今年末、芸術監督を退任するオーストラリア・バレエ団のデヴィッド・マカリスター。在任中は多くの古典、現代作品をバレエ団のレパートリーに採り入れ、また全幕バレエでも観客を楽しませてきた。しばしばチケットは完売し、再演された作品も多い。
マカリスターが就任直後に製作した全幕バレエはグレアム・マーフィー振付の『白鳥の湖』で、日本公演を含む世界各地の公演で評価された。彼はあるインタビューでマーフィー版『白鳥の湖』の制作について、「この作品はオーストラリア・バレエ団史上最大のヒット作になるか、私がバレエ団史上最も短命の芸術監督になるかどちらか」だと、バレエ団の幹部役員に語ったと伝えられている。マカリスターは就任したばかりの芸術監督の座を賭けることも厭わない、チャレンジ精神の持ち主だったのだ。

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The Australian Ballet David McAllister © Christopher Rogers-Wilson

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TAB Murphy's "SWAN LAKE" Steven Heathcote & Simone Goldsmith © Jeff Busby

----マーフィー版『白鳥の湖』を制作したこと、そのリスクに対するお考えを聞かせてください。

DM:この作品の上演はバレエ団の創立40周年記念公演だったと思います。オーストラリア・バレエ団が創立された時の最初の公演は『白鳥の湖』でした。バレエ団はマーフィー版『くるみ割り人形』を既に創作していたという経緯がありました。次に全幕作品を振付けるとしたら何にするとマーフィーに聞くと、『白鳥の湖』という答えでした。私は、これは『白鳥の湖』の新制作に取り掛かるのには良い機会ではないか、と思いました。しかしこの時には、伝統的な『白鳥の湖』とここまで違ったものになるとは思いもしませんでしたが(笑)。
出来上がった作品は斬新で、通常の古典版『白鳥の湖』とはかなり異なっていたため、大きな決断とそのリスクについて学びました。『白鳥の湖』は人々に最も愛されている古典バレエの一つですが、私たちが新たに制作した『白鳥の湖』は古典のものとはかけ離れていました。よく人々が「そこには手を出すな」と言いますが、広い意味ではそこが大きな成功になることもある、ということをこの時に学びました。確かに私は、芸術監督の座を賭ける覚悟、とバレエ団の幹部役員には言いました。でもそれは単に私の評価が下がるというリスクでした。ありがたいことに作品の評判は良かったのです。
新制作が成功してカンパニーのためになることを、いつも願ってはいますけれど、新たな作品に取り掛かる時は常にリスクがあります。時には成功することもあるけれど、上手くいかないこともあります。でも、バレエが未来に前進するためにはリスクを恐れないということを、私はとても大切にしています。

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The Australian Ballet "NIJINSKY" Kevin Jackson © Wendell Teodoro

----ジョン・ノイマイヤーの『ニジンスキー』がオーストラリア・バレエ団のレパートリー入りするのに15年を要したそうですね。どのようにしてこの作品を上演することになったのですか。

DM:オーストラリア・バレエ団がノイマイヤー作品を一度も上演したことがないことは、常に私の頭にありました。彼は偉大な振付家です。私はどうしても彼の作品を上演する機会が欲しかったのです。芸術監督就任直前に、ヨーロッパを訪問しました。その時に初めてノイマイヤーと会いましたが、彼は私に対して寛容でした。その時、ちょうど『ニジンスキー』が上演されていて、私は鑑賞後にジョンの素敵なアパルトマンで夕食の招待を受けました。ジョンは私に聞いたのです「私の作品でどれがやりたいですか」。正直に言うと、実は生の舞台はもちろんのこと、ビデオでも私は彼の作品を見ていなかったのです。それで、「そうですね、『ニジンスキー』は素晴らしい作品です。『ニジンスキー』ができれば」と言ったら、ジョンが「ノー!」と(笑)。
その後、彼のどの作品がオーストラリア・バレエ団にふさわしいかを見てもらうために、オーストラリアに来てもらう機会を模索し、2002年に実現しました。ジョンのスケジュール調整は難しく、また私自身も彼の作品をいつオーストラリア・バレエ団のレパートリーに組み込めるかという確信が持てませんでした。
カナダ国立バレエ団が『ニジンスキー』を上演するということを聞いたのは、確か2014年、彼と会ってから12年後ですね。ジョンも他のバレエ団に『ニジンスキー』の上演権を渡すのに機が熟したと思ったようです。それから私はジョンと交渉を始めました。『ニジンスキー』を上演することができたのは素晴らしいことです。ジョンが私にこの機会を与えてくれたことを、永遠に感謝しています。私がとても残念に思っているのは、彼の他の作品を上演できなかったことです。オーストラリア・バレエ団はジョンとの仕事に敬愛の念を持っています。次期芸術監督のデヴィッド・ホールバーグは熱烈なジョンのファンですから、きっとこの関係を継続してくれることでしょう。『ニジンスキー』の上演は、私の芸術監督としての特別な思い出です。

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The Australian Ballet. "SLEEPING BEAUTY" © Daniel Boud

----あなたは20年間、芸術監督として在任して稀有な成功を収めました。そしてバレエ団、ダンサー、観客、地域社会とそれぞれが有形、無形の豊かさ、喜びを享受しました。この成功の秘訣は何ですか。

DM:まず、お褒めにあずかりありがとうございます。オーストラリア・バレエ団が成功したのは、芸術的な側面と経営面が常にとても良く融合されたことだと思います。カンパニーによっては、この2つが緊張関係にあることもあります。芸術監督はカンパニーの資金から作品にお金を使いたいのだけれど、経営サイドは芸術監督にあまりお金を使わせないようにします。オーストラリア・バレエ団はそこのバランスが取れていて、芸術監督とエグゼクティブ・ディレクターが対等で、両者は常に協調しています。
私は、観客が観たいと思われる演目をプログラムに組みます。 「いつもヌードバレエのようなショッキングなものにしたら、観客が来なくなる」というジョークを以前によく言ったことがありますが、 観客が観たい、ダンサーが踊りたいという作品選びに、私は拘りました。 私は、そうしたことがバレエ団が上手くいった理由の一つだと思います。バレエ団が発展してきた足跡に目を向け、観客の好みを知り、それらが上手くいくように作り上げることは私の喜びです。前にも言いましたが、常に良い結果が出るわけではありません。
それと、オーストラリア人の美意識や、彼らの好みの傾向が他の国とかなり異なることを、私は世界を周って気がつきました。文化の違いによって観客が好むバレエも変わってきます。バレエ自体の良し悪しでなく、その環境で求められるものが何であるかを見極めることが大切です。 学ぶことや観客を理解するだけでなく、組織が必要とし、ダンサーがワクワクする作品は何なのかを知ることも大切です。古典と現代作品の程よいバランスが必要です。それは観る側も同じです。
『ニジンスキー』は良い例です。私自身はとびきり素晴らしい作品と思っていましたが、オーストラリアの観客がどのように評価するかわかりませんでした。ですから古典的な『白鳥の湖』もその年のプログラムに併せて組み込みました。心配は杞憂に終わり、『ニジンスキー』は大成功を収め、観客は総立ちの拍手を送りました。成否が不確かであってもリスクを取ることもあります。究極的には観客とダンサーの求めるバランスが成功に導くのだろうと私は思っています。

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TAB "COPPELIA" David Hallberg © Kate Longley (リハビリ後2年半ぶり初の舞台復帰)

----新芸術監督に、あなたがデヴィッド・ホールバーグを選んだ理由をお聞かせください。

DM:デヴィッドが次の芸術監督に決まったこと以上の喜びはありません。彼は芸術形式に優れた理解を持っています。彼はバレエの申し子であり、素晴らしいアーティストであるための努力を惜しみません。ただここ数年ひどい怪我に苦しみ、私たちのバレエ団でリハビリを行っていました。その間に、彼はバレエ団とオーストラリアという国をより深く知り得ました。オーストラリア・バレエ団が彼を舞台復帰させ、そのことでバレエ団が彼の心の中で、何か特別な存在になったのではないでしょうか。私が芸術監督を退任することを決心した時、後任の一人として、彼が私の心の中にありました。それに何よりもデヴィッド・ホールバーグに決まればエキサイティングですしね! 世界中の候補者による正式な審査選考から、バレエ団の幹部役員も最終的にデヴィッド・ホールバーグが適任と、私と同意見になりました。私とデヴィッドはともにバレエ団と芸術に対して熱い想いを持っていますので、引き継ぎはとても順調です。彼はバレエ団を異なる方向に導いていくでしょうし、私はそれが必要であると思っています。 私は、バレエ団は発展と成長を継続しなくてはならないと思っています。私が退任する理由は、そのためのちょうど良い時タイミングだと思ったのです。私は彼の誠実さが発揮されることはわかってますし、バレエ団は彼が描く未来へのヴィジョンを大切にすることも重要です。私はこのポジションの引き渡しをこの上なく幸せに思っていますが、何をするかは話しません(笑)。それは新たに芸術監督となる彼の責任ですからね。彼はわくわくしながら集中して仕事に取り組んでいますよ。

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TAB David McAllister "SLEEPING BEAUTY" Bluebird rehearsal © Kate Longley

----芸術監督としてのやり甲斐や喜び、また最も難しいことは何ですか。

DM:最大の喜びは、ダンサー、振付家、デザイナー、音楽家など作品に関わるすべてのアーティストと一緒に、舞台を作り上げていくことです。それでも基本的に、私の時間の大半はダンサーと一緒です。彼らのキャリアを築いていくのがアーティスティック・スタッフの仕事です。やり甲斐があり、エキサイティングです。
最も難しいことも、多分ダンサーとの関わりでしょう。当然ながら芸術監督は、ダンサーのカンパニーにおける地位やキャリアの決断を下します。時には厳しいフィードバックを伝えなくてはなりません。そのダンサーにとってオーストラリア・バレエ団が適所と思われない場合は、他へ移ることを示唆することもあります。あなたのダンサーとしてのキャリアは終わりに近づいているだろう、と言うことは大変に難しい会話です。改善の必要性を示したり、次のキャリアに移るタイミングを考えた方が良いのではないかといった話、厳しい決断をしなくてはならない時は、彼らにとても正直に向き合います。私は人にハッピーでいて欲しい性格なので、このようにダンサーと向き合うのは、常に困難なことです。難しい会話を適切にできるようになったかどうかわかりませんが、以前よりは上手くできるようになったと思います。
バレエ団とダンサー、双方が求めるバランスもあります。より一層の鍛錬を要求することもあれば、役を演じてないという指摘もします。究極的にはこれらがダンサーのためにもなるからです。長く踊りすぎることによって、彼らのキャリアに影が差し、低く評価されるような状況は見たくありません。大変さよりもやり甲斐や喜びの方が大きいですが、芸術監督として得られる喜びと困難は一対なのです。

---- かつて人間は多くの危機や困難に直面してきましたが、芸術は生き残り、新たな創造を生み出してきました。新型コロナウイルス感染という、今私たちが渦中にいるこの困難から、バレエは新たな創造を生み出すでしょうか。

DM:生み出すと思います。芸術家は困難に立ち向かい、新たな道を模索するのが得意です。新型コロナウイルス感染という経験を通して、私たちはより強くなり、よりものを見据えるようになりました。ダンサーは自分の心を見つめ、なぜ踊りたいかを考える良い機会になったと思います。一方、組織にとっては、観客や一般視聴者に向けてどのようにバレエ鑑賞を届けられるかを考えなくてはなりませんでした。無料のオンライン教室を設けたり、様々な方法のデジタル配信によって、私たちのバレエ・コミュニティは彼らと繋がりました。このような発見はとても価値のあることです。そして劇場が戻ったとき、カンパニー全員がこれまで以上に「生の感動」を得るでしょう。観客もより強く私たちとの繋がりを感じるだろうと思います。今は全く公演ができる状況ではありませんが、いつか劇場に戻ることができる時が来たら、その存在価値を改めて実感するでしょう。現在の困難な状況は、 愛するものとより強く繋がるためのひとつの機会だと思います。
私個人については、多くの人が私に「最後の年なのに... どんな思いか...」と気の毒そうに言ってくれるので変な気持ちですが、この災禍が私の在任中に起きて、ある意味良かったと思っています。というのは、この困難を乗り越える一員でいられるからです。私がカンパニーから立ち去った後に起きたら、手助けを申し出辛くなりますからね。 自分の経験と知識を役立てて、私の最後の年のこの災禍の中に、皆をサポートすることができて良かったと思っています。次期芸術監督も一緒になって乗り越えようとしているのは、とても嬉しいことです。カンパニー再生のようでもあるし、新たな団結でもあります。パワーと愛が詰まった公演を再び見ることをとても楽しみにしています。 今年中にもしかしたら若干の公演ができるかもしれません。実現できれば、それは素晴らしいことです。

----来年のフィンランド国立バレエ団創立百周年を記念した新作『白鳥の湖』の振付を含めて、あなたの今後の予定をお聞かせください。

DM:芸術監督のマデリーン・オンネ(Madeleine Onne)からこの話があった時はワクワクしました。2015年にオンネがオーストラリアに来た時に『眠れる森の美女』を観て、それが最初の閃きでした。ともに芸術監督であり、それ以来私たちは良き友人となりました。私が新たに創りたかったのは『白鳥の湖』です。百周年の祝祭なので、フィンランドという国とその文化を軸にすることにしました。国民は北欧文化に誇りを持ち、冬景色を大切にしています。白鳥がフィンランドの国鳥であることを知って、とても興味深く感じています。このヴァージョンは特に文化に焦点を当て、美しい雪のニュアンスが感じられる、初冬の場面を「"白"のシーン」にすることに決めました。 全体的には裏切られたプリンセスの悲劇で、白鳥が湖を去ると冬が到来し、ここで物語の結末が暗示されます。春が訪れても呪いは残り、オデットとプリンスは彼らの命を賭して呪いを解こうとします。全体像は冬から春へのうつろいです。フィンランドは北欧諸国の一員で、新しい国です。異なる国々から侵略された歴史を持ち、国民のアイデンティティが高まりました。メタファーとも言えますね。私が制作した『眠れるの森の美女』の美術を担当したガブリエラ・タイレソバ(Gabriela Tylesova)とまた一緒に仕事ができることもとても嬉しいことです。フィンランド国立バレエ団は規模の大きい素晴らしいカンパニーです。古典様式を用いたこの豪華で壮大な作品には、フィンランド文化のレンズを通して劇的なロマンス、愛の物語を吹き込みます。

----長時間にわたってお話をいただき本当にありがとうございました。
(2020年5月27日にオンラインによるインタビュー)


(注記)マカリスターが初めて演出、追加振付をした『眠れる森の美女』へは多くのサポーターが寄付をして、制作費用の大半が寄付金でまかなわれた。オーストラリア・バレエ団は年間200公演以上をこなし、席の稼働率は85パーセント。子ども向けの「ストーリータイム・バレエ」や教育、観客が参加できるプログラム、新たな振付家を発掘し、その才能を育成する「Body Torque」など、マカリスターは多くのプログラムを創設した。

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