オーストラリア・バレエ団プリンシパルダンサー、近藤亜香が 芸術監督デヴィッド・マカリスター にトーク・インタビュー

ワールドレポート/オーストラリア

インタビュー=近藤亜香

Interview to David McAllister, Artistic Director of the Australian Ballet

オーストラリア・バレエ団のデヴィッド・マカリスターは、今年末で、20年間務めた芸術監督を退任し、新たに芸術監督に就任するデヴィッド・ホールバーグにその任を譲る。マカリスターの知性と品格は、ユーモアに満ちた語り口と温かに誰にでも気さくに接する物腰にすっぽりと包まれている。
マカリスターはオーストラリア・バレエ学校を卒業し、1983年にオーストラリア・バレエ団に入団。1985年に第5回モスクワ国際コンクールで銅メダルを受賞後、ボリショイ・バレエ、当時のキーロフ・バレエ(現マリインスキー・バレエ)に客演した初めてのオーストラリア人ダンサーとなった。引退公演は『ジゼル』のアルブレヒト役。現役時代はとても人気の高いダンサーで、ファンは彼が芸術監督となってもサポートを続け、バレエ団史上最も在任期間の長い芸術監督である。
近藤亜香は2015年にオーストラリア・バレエ団初の日本人プリンシパルとなった。今回のオンラインのインタビューに近藤亜香を招き、ともに活動したダンサーとしての視座から、デヴィッド・マカリスターとのフリートークをお願いしたので、まず、その様子をお伝えして、続いて私(岸夕夏)もお話を伺ったので、次の記事でご紹介したい。

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The Australian Ballet "GISELLE" David McAllister final performance © Branco Gaica

近藤:デヴィッドは入団した頃からとてもよくしてくれて、たくさんのことを教えてくれました。とても心が広く、いつも快く悩みなどを聞いてくれました。
私たち海外のバレエダンサーにオーストラリア・バレエの扉を開けてくれて本当に感謝しています。今、私がオーストラリア・バレエでプリンシパルとして踊っていられるのもデヴィッドのおかげです。 私にとって、とても頼りになるディレクターです。今年いっぱいでいなくなってしまうのはとても悲しいですが、来年からディレクターに就任するデヴィッド・ ホールバーグと一緒に仕事をするのが楽しみです。
ジャパンツアーも含めて世界中で踊りましたね。日本での特別な思い出はありますか。

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The Australian Ballet Ako Kondo © Daniel Boud

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The Australian Ballet David McAllister © Georges Antoni

DM(デヴィッド・マカリスター):とてもスペシャルな思い出です。どうしてかと言うと、オーストラリア・バレエ団のメンバーとして最初に行った海外公演が日本なのです。1987年でした。その時に日本が大好きになりました。幸運なことに、1993年に再び日本公演ができました。私はそこで30歳の誕生日を迎えたんですよ! 

近藤:舞台で誕生日を迎えたのですか!

DM:そうなんです! ダンサーとして日本で踊ったのは1996年が最後ですね。それから 芸術監督として2007年と2010年に日本公演をしました。とても温かい歓迎を受けました。本当に素晴らしい思い出です。

近藤:最初の日本公演のプログラムは何ですか。

DM:『ドン・キホーテ』と『白鳥の湖』それからミックス・プログラムで、ゲストアーティストは森下洋子さんでした! 凄い公演になりましたよ。広島、名古屋、大阪、東京で公演しました。とても素晴らしいツアーでした。そうそう、ガラ公演もありました。『白の組曲(Suite en Blanc)』と、私とリズ・ツゥーヘイ(Elizabeth Toohey)は『タランテラ』も踊りました。次の日本公演ではメイナ・ギールグッド版『眠れる森の美女』と『シンフォニー・イン・C』、たくさんのパ・ド・ドゥを含めたミックス・プログラムでした。96年は『コッペリア』と『マノン』でしたね。

近藤:バレエセンターの廊下にかけてある、あの素敵なコッペリアのポスターですね。あなたは日本人プリマ・バレリーナの吉田都さんと踊ってますよね。

DM:そう、幸運なことにね!

近藤:彼女は小さい頃からの私の憧れのバレリーナです。日本では皆に尊敬され人気があります。
吉田都さんとの共演はいかがでしたか? 英国バーミンガム・ロイヤルバレエで踊った『くるみ割り人形』の共演は特別なものでしたか。

DM:最初に都と踊ったのはオーストラリア。本当にラッキーでした。私たちはメイナ・ギールグッド版『眠れる森の美女』を踊りました。あれほど優雅に長く立っているローズ・アダージオを今までに見たことがありませんでした。 私は何もしないでただ立っているだけ(笑)。彼女がピルエットをしている間、ただ腰を支えているだけでした。彼女は親しみやすく、チャーミングな人です。共演者からみると、彼女はダンスに生き生きとした魂を吹き込ませることのできる真のアーティストです。
確か東京公演の後の1993年に『くるみ割り人形』で再び共演しました。その時には私たちはもう長年の友人のようでした。ディナーを一緒にしたり、長い時間を一緒に過ごしましたが、彼女のもてなしは最高です。その時に『くるみ割り人形』で3回パートナーを組み、このことがこの作品をオーストラリア・バレエ団のレパートリーになったらと願ったきっかけです。 彼女は世界初演をしたケヴィン・オヘアとペアを組むと思われていたのですが、シーズンの後半に私が踊ることになりました。 おもしろいもので、彼女は新国立劇場バレエの芸術監督になって、私はオーストラリア・バレエ団、ケヴィンは英国ロイヤル・バレエの芸術監督! 3人がそれぞれ芸術監督という輪になって繋がりました。

1995年にもスタントン・ウェルチ振付の『マダム・バタフライ』でパートナーを組む予定でした。ところが彼女がオーストラリアに来た時、私は膝に大きな怪我をしてしまい、プリンシパルのアダム・マーチャントが私の代わりを務めました。私たちの友情はずっと続いています。今年ブリスベンでディナーをご一緒しました。

近藤:そういえば、こちらにも立ち寄られましたね。
現在のオーストラリア・バレエ団のダンサーは20年前に比べると多国籍です。 これはあなたのひとつのゴールでしたか。

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TAB. David McAllister & Ako Kondo © Kate Longley (『メリー・ウィドウ』リハーサル)

DM:まさにその通りです! 私たちの国の歴史は白豪主義も含めて、移民の歴史です。私たち皆がオーストラリア移民です。オーストラリアでは移民問題が、良くも悪くも取り沙汰されます。 私が芸術監督になった時、オーストラリア社会が反映されたバレエ団にしようと思いました。オーストラリアのバックグラウンドを持つ人々が世界中に点在するように、オーストラリアにある素晴らしい人材を活かそうと思いました。アジア、アボリジニー、ヨーロッパ、中東のバックグラウンドを持つ人たちと一緒に、多彩にきらめく万華鏡のようなカンパニーにしようと思いました。 それは実現され、オーストラリアの多様な文化を映し出していると思います。

近藤:デヴィッド、あなたは私をいつも他の皆と同等に扱ってくれました。「あなたは東洋人だからこの役には適してない」とあなたは一度も私に言ったことはありません。「あなたが良いダンサーで、その役に適していたら、きっとその役が取れるから」と言ってくれたので、私はとても感謝しています。
公演後の観客とのQ & A セッションで「なぜあなたはいつもチェン(近藤の夫君)と踊っているの」という質問に、私はほんの少し悲しくなりました。そしたら、「大切なのは外見よりも、良いダンサーであり、優れた技術を持ち、役にふさわしいからです。だからこの役に選ばれたのです」と、あなたは観客に答えてくれましたね。

DM:本当にそのように思ってます。私の容姿は完全なバレエ向きでないといつも思っていました。背も高くないし、同期のスティーブン・ヒースコート(Steven Heathcote) のようなハンサムでもないですし。なので、何よりも大切なのは才能だといつも信じていました。不思議なことに、これまでほとんど意識していなかったのですが、これだけ異なったバックグラウンドを持つダンサーがいるのだと、改めて気がつくようになりました。2シーズン前に『くるみ割り人形』のためにバレエ・マスターを迎えました。とても良いカンパニーと言われて、「ありがとうございます、私たちは良いコンディションを保つために大変な努力をしていますから」と言ったら、「ところで、このカンパニーはアジア人がかなり多いですね」と言われてびっくりして、「えっ‼ そうですか? そんなこと思ってもみなかった。私にはみんなオーストラリア人にしか見えないですよ」と。(笑)
バレエ団は世界中にあります。バレエはヨーローパ人だけのものでなく、アジア人だけのものでなく、ユニバーサルであり、バレエ団はその映し鏡であるべきと思っています。

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TAB "SYLVIA" David McAllister & Ako Kondo © Jeff Busby (『シルヴィア』で老羊飼いに扮したマカリスター)

近藤:あなたの20年間の芸術監督としての功績は卓越していました。質問の意味が広いかもしれませんが、20年前と比べて、多文化との共存の他に、今バレエ団はどの位置にいると思いますか。

DM:そうですね、大きな質問です。 私たちは未来を見つめた作品の創作に取り組んできただけでなく、カンパニーの芸術面と技術の向上だけを目指してきただけでなく、同時に、私たちが歩んできた過去とのつながりを断ち切らないように大切にしてきました。私はそのことを芸術監督として誇りに思っています。
芸術監督によっては就任した直後に、 ある意味で過去を全て切り捨てようとしていると感じたことがあります。私は、これまで築き上げてきたカンパニーの誇りと遺産を確かに繋いで行くつもりでした。このことは私のポリシーの一つです。

その他には、すべてのオーストラリア人が、ナショナル・カンパニーである私たちを誇りに思うようになることでした。なぜならその国の文化の象徴のようなナショナル・カンパニーは世界中にありますが、私たちはそのような存在ではありません。オーストラリアでは皆がスポーツを愛好し、文化的な生活とはあまり親密ではありません。その点では私たちは若干控えめな存在だと思います。
オーストラリアのオリンピックチームやクリケットチーム、サッカーチームを国民が誇りに思うのと同じくらい、オーストラリア人皆がオーストラリア・バレエ団を誇りに思えるようになることへも力を注ぎました。達成できたかどうかわかりませんが、SNS や様々なキャンペーンを通して、少なくとも国内での知名度は高くなったと思います。
海外においては、もちろんできる限り海外公演をしてきましたが、世界中の各地に行けたわけではありません。日本公演は2010年が最後です。
インスタグラムやフェイスブックなどのデジタル配信、それに映画館でのライブヴューイングなどによって、私たちのプロフィールも広がったように感じています。 これについては、国際的な知名度を持つデヴィッド・ホールバーグが次の芸術監督になって前進させていくでしょう。私はとてもワクワクしています。これを機に日本公演がまた実現するかもしれません。

近藤:20年間のあなたのディレクター時代に、国内、海外共にオーストラリア・バレエ団のプロフィールが高まったと私は確信しています。私がスーパーに買い物に行くと、よく何の仕事か聞かれます。そして「オーストラリア・バレエ団で働いてます」と答えると、皆が、「ワー! すごいですね」って言ってくれて、誰もがオーストラリア・バレエ団のことを知ってるのですよ。

DM:私の大きな夢の一つは私の『眠れる森の美女』の日本公演です。

近藤:日本では皆があなたの『眠れる森の美女』を知っていますよ。

DM:とても美しい作品です。亜香とチェンが踊る『眠れる森の美女』を東京で公演できたら夢が叶います。

近藤:装置、衣装、音楽、日本の観客の皆さんはきっと気にいると思います。

DM:いつかそうなることを願ってます。
(2020年5月27日にオンラインで行われました)

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The Australian Ballet. David McAllister © Christopher Rogers-Wilson

構成 / テキスト 岸夕夏 Translation / Text by Yuka Kishi

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