大役を見事に果たした山田悠未のクララと、ダンスの成熟が滲み出た近藤亜香の金平糖の精、オーストラリア・バレエ団のピーターライト版「くるみ割り人形」

ワールドレポート/オーストラリア

岸 夕夏 Text by Yuka Kishi

AUSTRALIAN BALLET: オーストラリア・バレエ団

Peter Wright's "The Nutcracker"
Choreographed by Peter Wright, Lev Ivanov, Vincent Redmon
Production : Peter Wright
ピーター・ライト版『くるみ割り人形』
振付:ピーター・ライト、レフ・イワノフ、ヴィンセント・レドモン
演出:ピーター・ライト

オーストラリア・バレエ団の2019年最後の演目はピーター・ライト版『くるみ割り人形』だった。シドニーでは11月30日から12月18日までに22回の公演が行われ、かなり早い時期に全公演のチケットが完売していたようだ。海外からのゲストアーティストとして、英国バーミンガム・ロイヤルバレエのプリンシパル、セリーヌ・ギッテンスと、アメリカン・バレエ・シアターのプリンシパルであり、オーストラリア・バレエ団の常任ゲストアーティストのデヴィッド・ホールバーグが迎えられた。9月に行われた8回のメルボルン公演では、ボリショイバレエのプリンシパル、セミョーン・チュージンが客演。くるみ割り人形の王子役でオーストラリアデビューをした。
シドニーの初日マチネ公演を観た。
ピーター・ライト版『くるみ割り人形』は、英国ロイヤルバレエが1984年に世界初演したものと、その後改訂振付けされて、1990年に英国バーミンガム・ロイヤルバレエが世界初演したものとがあり、この2つはかなり異なっている。今回の公演は2つめの改訂版で、2007年にオーストラリア・バレエ団のレパートリーに加わった。
オーストラリア・バレエ団のデヴィッド・マカリスター芸術監督はこの改訂版を、洗練された振付けだけでなく細部まで素晴らしい美術や衣装全てを含めて、最も美しいバージョンと呼ぶ。1993年にマカリスターがバーミンガム・ロイヤルバレエに客演し、金平糖の精のオリジナルキャストの吉田都と踊った時に、いつかこの作品をオーストラリア・バレエ団で、と願ったと語る。
この改訂版ではドロッセルマイヤーはクララの叔父から魔術師に変わり、クララは15歳のバレリーナを目指す少女だ。

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TAB "The Nutcracker" Yuumi Yamada, photo by Jeff Busby

シドニー公演では5人がクララに配役され、私が観たのはコリフェランクの山田悠未(ゆうみ)だった。山田を除いた4人はそれぞれが3〜4公演だったのだが、山田だけは7公演にキャスティングされていて、芸術監督らの山田への高い期待が窺える。
幕が開くとシュタルバルム家の舞台セットが現れた。高い天井まで届きそうな巨大なクリスマスツリー、エドワード様式の深紅の壁と螺旋階段のある家、バッスルの入った濃紅の夜会服をまとう元バレリーナのクララの母親、時を経ても愛し合っているクララの両親、行儀の良いパーティーの客人、これらから物語のアウトラインが伝わってくる。
純真で伸び伸びとした佇まいの山田のクララは、小柄なせいか、15歳の少女にも見えるのだが、ひとたび踊ると素晴らしいダンサーであることが瞬時にわかり、観客は一瞬で彼女に心を奪われた。互いに想いを寄せあうクララのダンスパートナー、マーカス・モレリとのパ・ド・ドゥでは、ふわりと綿菓子を包み込むような温かく愛情を込めたリフトから、古き時代の節度ある男女の仕草が語られる。
この公演の魔術師ドロッセルマイヤー役はカラム・リネインだった。ミステリアスな雰囲気を漂わせながら終始舞台に登場し、水先案内人のようにクララを幻想の世界に導いていく。『くるみ割り人形』はおそらく世界中で最も上演されるバレエだろう。それは何よりもチャイコフスキーの素晴らしい音楽の功績でもある。「くるみ割り人形」はチャイコフスキーの生涯最後のバレエ音楽で、最愛の妹を亡くしたばかりの後に作曲され、作曲家自身もこの2年後に急死した。冷たい表情をしたリネインのドロッセルマイヤーがクララに向けるまなざしの深奥に、憂いと慈しみが宿っているように感じ、それはあたかも、作曲家チャイコフスキーが妹を想う影となって、私の中で重なったのかもしれない。
くるみ割り人形の王子役は、怪我でしばらく舞台から遠ざかっていたプリンシパルのチェンウ・グォだった。脱力したグォのダンスは人間的な深みを増し、澄明な軽さでエレガントに浮遊する。山田は驚きや歓びのマイムが実に自然で、生き生きとした情感はそのまま端正な踊りになった。人形からハンサムな王子に変身したグォとクララの幸福感溢れるパ・ド・ドゥと、グォの流麗なマネージュは客席を沸かせた。

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TAB "The Nutcracker" The dancers of the Australian Ballet © Jeff Busby

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TAB "The Nutcracker" The dancers of the Australian Ballet © Jeff Busby

衣装、美術を手掛けたジョン・マクファーレンは、鮮やかな色彩と大胆なデザインで、太陽と月、花、植物、鳥、水、雪など自然界のものを装置として意匠を凝らした。特に際立ったのが、第2幕冒頭の時空を飛び越えていく場面。クララがグース(雁)に乗って東の夜空から西へ向かうように舞台上空をゆっくりと飛行し、顔のある大きな三日月が対面上空から進んでくる。このシーンでは客席のあちこちから感嘆の息が漏れ、大きな拍手が沸いた。
第2幕のディベルティスマンでは、ドロッセルマイヤーはクララを導いて、クララは全ての踊りに加わる。静止したポーズにさえ時を語り、ダンスと音楽が一体となって古代の悠久が神秘的に浮かび上がったアラビアの踊り。スペイン、アラビア、ロシア、中国、ミルリトン、薔薇の精の踊りは広くて深い変幻自在を見せながら、ナイト爵を叙されたライト卿の気品が作品の中で砂金のように煌めいた。
この公演で唯一気になったのが、第1幕最後の雪の精の場面。群舞の微かなばらつきと、「雪」のもつ幻想性と冷たさ、儚さや激しさが私には十分に伝わってこず、実力のあるカンパニーゆえに惜しまれた。

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TAB. "The Nutcracker" Ako Kondo, photo by Jeff Busby

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TAB "The Nutcracker" Ako Kondo, photo by Jeff Busby

同公演の金平糖の精の役はプリンシパルの近藤亜香だった。近藤は一つ一つのフォルムを確認するように、古典バレエの美しいポーズを丁寧に連ねていく。このバージョンの金平糖の精は、クララが憧憬するバレリーナだ。近藤のダンスは後輩に向けたお手本のように、その至芸から彼女のダンスの成熟が滲み出る。グォとのグラン・パ・ド・ドゥでは、シルクの手触りのような滑らかさで高度な技を紡ぎ、二人の優美なダンスは内からの輝きを放った。グォのジャンプと狂いのない高速のピルエットへもたくさんのブラボーが送られた。
公演プログラムによると、当時81歳のライト卿はオーストラリア初演公演のために来豪し、「情熱のある素晴らしいカンパニー」と評した。この日の公演はまさに彼の言葉どおりだった。
(2019年11月30日 シドニー・オペラハウス)

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TAB. "The Nutcracker" Yuumi Yamada & Jake Mangakahia, photo by Jeff Busby

振付:ピーター・ライト、レフ・イワノフ、ヴィンセント・レドモン
(Choreographer: Sir Peter Wright, Lev Ivanov, Vincent Redmon, Production: Sir Peter Wright)
音楽:ピュートル・チャイコフスキー(Piotr Ilyich Tchaikovsky)
美術・衣装:ジョン・マクファーレン(John Macfarlane)
照明原デザイン:デヴィッド・フィン(David Finn)
照明デザイン:ジョン・バスウェル(Jon Buswell)
ニコレット・フレリオン 指揮 オペラ・オーストラリア交響楽団
(Nicolette Fraillon conducting Opera Australia Orchestra )

◎ 配役 (11月30日 マチネ)
金平糖の精:近藤亜香(Ako Kondo)
くるみ割り人形の王子:チェンウ・グォ(Chengwu Guo)
ドロッセルマイヤー/ 魔術師:カラム・リネイン(Callum Linnane)
クララ(バレエ生徒):山田悠未(Yuumi Yamada)
魔術師の弟子:ジョージ・マレー・ナイチンゲール(George-Murray Nightingale)
クララの母(元バレリーナ):イングリッド・グォ(Ingrid Gow)
クララの父:ティモシー・コールマン(Timothy Coleman)
フリッツ(クララの弟):ガブリエル・ベネット(Gabriel Bennett)
クララの踊りのパートナー:マーカス・モレリ(Marcus Morelli)
クララの祖母:キャサリン・ゲルダルド(Katheleen Geldard)
クララの祖父:コリン・ピースリー(Colin Peasley)
執事:フランコ・レオ(Franco Leo)
アルルカン:ジェイク・マンガカヒア(Jake Mangakahia)
コロンビーヌ:根本里奈(Rina Nemoto)
箱の中のジャック:ルシエン・スゥ(Lucien Xu)
くるみ割り人形:ドゥルー・ヘディチ( Drew Hedditch)
ネズミの王:エドワード・スミス(Edward Smith)
雪の精:ニコラ・カリー(Nicola Curry)
雪の精の従者:根本里奈(Rina Nemoto)/イモーガン・チャップマン(Imogen Chapman)/シャーニ・スペンサー(Sharni Spencer)/カレン・ナナスカ(Karen Nanasca)
風:ネイサン・ブルック(Nathan Brook)/ルーク・マーチャント(Luke Marchant)/マーカス・モレリ(Marcus Morelli)/クリストファー・ロジャー=ウィルソン(Christopher Rogers-Wilson)
スペインの踊り:ジャスミン・ドゥ―ハム(Jasmin Durham/)ブローディ・ジェームス(Brodie James)/ジェイク・マンガカヒア(Jake Mangakahia)
アラビアの踊り:アマンダ・マクガイアン(Amanda McGuigan)/マシュー・ブラッドウェル(Matthew Bradwell)/ジョセフ・ロマンスウィッツ(Joseph Romancewicz)/ダニエル・イダザック(Daniel Idaszak)
中国の踊り:ジョージ・マレー・ナイチンゲール(George-Murray Nightingale)/ドゥルー・ヘディチ ( Drew Heddutcg)
ロシアの踊り:ルシエン・スゥ(Lucien Xu)/ルーク・マーチャント(Luke Marchant)/イツゥワン・ワァング(Yichuan Wang)
ミルリトンの踊り:カレン・ナナスカ(Karen Nanasca)/渡邊 綾(Aya Watanabe)
ソフィー・モーガン (Sophie Morgan)/ジャクリーン・クラーク(Jacqueline Clark)
薔薇の精:ベネディクト・べメイ(Benedicte Bemet)
薔薇の精の従者:ジャレッド・マデン(Jared Madden)/ネイサン・ブルック(Nathan Brook)/ショーン・アンドリュー(Shaun Andrews)/クリスティアーノ・マルティーノ(Cristiano Martino)
花のワルツ:イングリッド・グォ(Ingrid Gow)/ダナ・スティーブンソン (Dana Stephersen)/根本里奈(Rina Nemoto)/シャーニ・スペンサー(Sharni Spencer)

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