伝説のバレリーナ、スペシフツェワの軌跡に基づいてメリル・タンカードが振付けた"TWO FEET" をオシポワが熱演した

ワールドレポート/オーストラリア

岸 夕夏 Text by Yuka Kishi

Adelaide Festival アデレード・フェスティバル

"TWO FEET" Choreographed by Meryl Tankard
『二本足』メリル・タンカード:振付

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AF 2019 "Two Feet" Natalia Osipova Photo by Regis Lansac

南オーストラリア州のアデレードで1960年に始まったアデレード・フェスティバルは、オペラ、演劇、音楽、ダンス、作家などオーストラリア国内外の第一線で活躍するアーティストを招いた国際芸術祭だ。今年は3月1日から17日間に132のイベントが開催された。この中でとりわけ注目を集めたのが、元ボリショイ・バレエのスターダンサーで、現在、英国ロイヤル・バレエ団のプリンシパル、ナタリア・オシポワが主演する『二本足TWO FEET』の世界初演。4公演のチケットはまたたく間に完売した。オリジナルの『二本足 』はオーストラリアの著名な女性振付家、メリル・タンカード(ピナ・バウシュのヴッパタール舞踊団の元プリンシパルダンサー)が1988年ブリスベン万博のために創作した作品。今回再構築され、オシポワのバレエ学校時代のエピソードも加わった。この作品には、ヴッパタール舞踊団の元ダンサー、青山眞理子が副芸術監督およびリハーサル・ディレクターとして参加している。
『二本足』は、アンナ・パヴロワと並ぶ20世紀初期を代表するバレリーナ、オルガ・スぺシフツェワの軌跡が基になっている。スぺシフツェワはマリインスキー劇場で人気を博し、バレエ・リュスでニジンスキーと踊り、パリ・オペラ座のエトワールを経て、後に世界各地で公演しながらも精神障害を起こし、後半生の20年間を精神病院で過ごした。「観客を美の破滅で魅了する」と評されたスぺシフツェワ。オシポワも当たり役は、このロシア人バレリーナと同じジゼルと言われる。

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AF 2019 "Two Feet" Natalia Osipova Photo by Bill Cooper

2時間の舞台に登場するのはオシポワ一人だ。片手にバケツ、もう片方の手に魚釣り網を持ったオシポワが登場し、どこからか聞こえてくる指導者の声に従って、バケツと網を使った「バレエレッスン」を受ける。口を尖らせた十代の反抗的な少女の表情のオシポワは、超一級のコメディエンヌ。ジョーク好きのオーストラリア観衆の心を射止め、オシポワ自身が舞台を心から楽しんでいることが伝わってくる。それだけに場面転換して、虚ろな表情で同じバー・エクササイズを執拗に繰り返すだけのシーンになると、心理状態の落差の激しさが際立つ。後方のスクリーンにはモノクロの巨大な円柱が立ち並び、上下白の練習着を着たオシポワはまるで魂を抜き取られた操り人形のようだ。

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AF 2019 "Two Feet" Natalia Osipova Photo by Regis Lansac

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AF 2019 "Two Feet" Natalia Osipova Photo by Regis Lansac

クリスマスの夜にごちそうを食べた後、嘔吐してから必死に行うエクササイズ。椅子にのり高圧的な態度で物言う年輩者と、床にひざまずきながら舌を出すしたたかな少女の一人2役を、オシポワがロシア語でしゃべりまくる一人芝居。バレリーナの卵たちの悲惨な日常が、生き生きと喜劇の中で描き出される。
驚異的な衣装の早替わりで、コミカルな場面と壊れていく精神状態を交差させ、陰と陽、虚無と煌めく生命感を連動させながら、巧みに観客を惹きこんでいく。コミカルな場面では、赤のギンガムチェックの衣装のまま、少女から大人の女の顔へ変化させて、時の流れを映し出した。青い霧がかかった森の木立の中でさまよう、ジゼルの一つひとつの動きはあたかも詩の韻をふむようだ。

『ドン・キホーテ』のキトリの闊達な跳躍と回転。『ジゼル』狂乱の場面では強靭なピルエットが鮮烈な絵となって表れた。舞台に小さな火を焚き、水の入ったバケツに頭を突っ込み、鬼気迫る形相で、燃え立つように乱舞するオシポワの気迫が発露した『春の祭典』。水の飛沫が狂気の中で煌めいて「生贄の乙女」は見る者を圧倒した。

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AF 2019 "Two Feet" Natalia Osipova Photo by Regis Lansac

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AF 2019 "Two Feet" Natalia Osipova © Regis Lansac

「青のディベルティスマン」とプログラムに書かれた第2幕の冒頭シーン。悠然とした静けさの中、光沢のある青のドレスを着たオシポワの優美なポール・ド・ブラは、ヘンデルの「ラルゴ」を歌い上げるように裸足で踊った。

『二本足』は、ヴィジュアル・デザイナー、写真家であるレジス・ランサックの映像が作品を支える重要な柱になっている。表情豊かな映像は心象風景を巧みに描写し、時に物語を雄弁に語り、副芸術監督の青山は「メリルとレジスの作品は熱い石が固まって一つになったよう」と言う。
舞台には投げられた花が散らばり、後方のスクリーンにスぺシフツェワの『ジゼル』狂乱の場面が映写された。スぺシフツェワの魂を宿ったオシポワが静かに現れると、舞台にひたひたと水が流れてきた。

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AF 2019 "Two Feet" Natalia Osipova

スクリーンは青い霧がかかった木立に変わり、ウィリとなったオシポワのドレスが前かがみになって水につかった。青の木立が水面に映り、現世と異界との境界で、何かを希求するようなアラベスクの何と美しく哀しいことか。オシポワの放つ水音が壊れていく心の叫びの前奏曲になり、リアルな効果音になって響きわたる。水の張られた舞台のそでに置かれたバーで、エクササイズを繰り返すオシポワのスぺシフツェワは息が途切れ、立つこともおぼつかない足取りで、狂ったように水しぶきをちらし、ジゼルを踊る。何度も、何度も水に倒れ、花を拾い、回転し、死の淵に立った『ジゼル』終盤の嘆きを全身びしょ濡れになって踊り続けた。暗転させた舞台でスポットライトを浴び、水の上に浮かび上がったオシポワは亡霊のように見えた。スぺシフツェワの映像が映し出され、観客は惜しみない拍手を送り、長いスタンディング・オベーションでオシポワを称えた。
『二本足』は、トップダンサーへの過酷な道のりを鮮やかなユーモアの色彩で包み込み、妥協をせず、芸術へのたゆまぬ探求心を持った3人のたぐいまれなアーティスト、スぺシフツェワ、オシポワ、タンカードの物語が織り込まれた佳作である。

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AF 2019 "Two Feet" Natalia Osipova Photo by Regis Lansac

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AF 2019 "Two Feet" Natalia Osipova © Regis Lansac

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AF 2019 "Two Feet" Natalia Osipova © Regis Lansac

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AF 2019 "Two Feet" Natalia Osipova

最終公演日の翌日、『二本足』副芸術監督の青山眞理子に作品の核となるもの、オシポワについて話を伺った。
「スぺシフツェワとメリル・タンカードというダンサーの舞踊にかけた情熱が作品の核」
「あれだけ素晴らしいダンサーはいない。毎日、練習、練習、血が出ていても練習。毎回のリハーサルで、私は涙がでた。オペラ座、ミュンヘン、いろいろな所で仕事をしてきているが、オシポワのようなダンサーに会ったことがない。真っすぐで、心が開いていて、自分に厳しいアーティスト。彼女のダンスは心の琴線にふれる。役と一体になりながら、俯瞰(ふかん)する目をもち、芸術家として到達した域に達している」
(2019年3月5日 Dunstan Playhouse)

『TWO FEET  - 二本足』
監督・振付:メリル・タンカード(Meryl Tankard)
出演: ナタリア・オシポワ(Natalia Oshipova)
ヴィジュアル・デザイン: レジス・ランサック (Regis Lansac)
照明デザイン: ベン・ヒュー (Ben Hughes )
オリジナル衣装デザイン:ダイアン・ブリドソン (Dianne Bridson )
オリジナルチュチュ製作:アンソニー・フィリップス (Anthony Philips)
副芸術監督 / リハーサル・ディレクター:青山眞理子(Mariko Aoyama)

音楽:
『ジゼル』アドルフ・アダン / ピアノ演奏 ナイジェル・ゲイノール
Giselle- Adolphe Adam, Piano played by Nigel Gaynor
『春の祭典』抜粋 イーゴリ・ストラヴィンスキー
Excerpt from the Rite of Spring - Igor Stravinsky
『クセルクセス』よりラルゴ ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル
Largo from Xerxes - George Frederick Handel
『ピアノ協奏曲22番』ヴォルフガング・A・モーツァルト / ピアノ演奏 上原彩子
Piano concerto No.22 - W A Mozart, piano played by Ayako Uehara
『美しきロスマリン』 フリッツ・クライスラー / ピアノ演奏 アシュレー・フイバー
Schön Rosmarin - Fritz Kreisler, piano played by Ashely Hribar
(音楽は全て録音された音源を使用)

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