キリアン、フォーサイス、ウィールドンの研ぎ澄まされたコンテンポラリー・バレエ
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AUSTRALIAN BALLET 「VITESSE」オーストラリア・バレエ団「ヴィテス」
"FORGOTTEN LAND" Jiří Kylián "IN THE MIDDLE, SOMEWHAT ELEVATED" William Forsythe, "DGV: Danse à Grande Vitesse" Christopher Wheeldon
『忘れられた土地』イリ・キリアン;振付、『イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド』ウィリアム・フォーサイス:振付、『DGV―高速のダンス』クリストファー・ウィールドン:振付
オーストラリア・バレエ団は、2016年シーズンの最初はメルボルン。「VITESSE」(フランス語で速さの意)で幕を開けした。そしてシドニーでは、連日ほぼ完売の3週間の『白鳥の湖』公演後1週間もしないうちに、「VITESSE」が幕を開けた。
オーストラリア・バレエ団は年間200回以上の国内外の公演があり、世界でも最も忙しいバレエ団のひとつだそうだ。今回の公演のタイトル「VITESSE 」は、クリストファー・ウィールドン振付の『DVG ―: DANSE A GRANDE VITESSE』(高速のダンス)にちなんでいる。キリアン、フォーサイス、ウィールドンと現代を代表する振付家による3つの小作品の構成で、それぞれが全く異なる色彩を放っていた。シドニーでは約3週間、11回公演され、初日の公演を観た。
まず、1981年にドイツのシュツットガルト・バレエ団で世界初演された、イリ・キリアン振付『忘れられた土地』が上演された。『忘れられた土地』は、「叫び」で有名なエドヴァルド・ムンクの絵画『生命のダンス』にインスピレーションを受け、ベンジャミン・ブリテンの交響曲『シンフォニア・ダ・レクイエム』に振付けた作品。
"Forgotton Land" Lana Jones & Rudy Hawkes Photo by Daniel Boud
幕が上がると、客席に背を向けたダンサーたちが見える。舞台装置は作曲家ブリテンの生まれ故郷、英国のイースト・アングリアの海辺をモチーフにしている。暗い海、垂れ込める厚い雲、その前に立ちはだかるように金属で組まれた堤防らしきもの。それだけのシンプルな舞台装置だった。冒頭の海に吹きすさぶ風の音は、キリアン自身がマイクに息を吹きかけて録音したという。それからティンパニーの腹に響くようなサウンドが続く。
最初のパ・ド・ドゥの女性ダンサーは黒の衣装をまとい、ドレスの真ん中に入った深い赤が、舞台全体に立ち込める鈍いうす闇の中に、まるで生き物のようにダンサーの動きに合わせて鮮やかに浮き上がる。女性ダンサーの上半身、腕の動きは失った何かを追い求めるように、宙にむけて摑まえようと動く。最初の黒の衣装のペア、ラナ・ジョーンズとルーディ・ホークス(Lana Jones , Rudy Hawkes)は、吹き叫ぶ風の中で孤独と無力を感じ、哀しみにうちひしがれた慟哭を表現しているようだった。キリアンは語る。「私のすべての作品は愛と死をテーマにしています。愛とはロマンスだけでなく、音楽やアート、自然、森羅万象に対してです」
赤の衣装のペア、ヴィヴィエンヌ・ウォングとキャメロン・ハンター(Vivienne Wong, Cameron Hunter)からは激しい情熱が発散され、ともにプリンシパルのアンバー・スコットとアダム・ブル(Amber Scott、Adam Bull)が踊った白の衣装のペアは、抑制された情感がさらに深い静謐を醸し出した。
ムンクの絵画『生命のダンス』に描かれている赤、黒、白のドレスの3人は、一人の女性の人生を表している。年齢を重ねた「黒」が見つめるかつての「赤」の情熱と「若き日の白」の純粋さ。嘆きから希望へ、命の誕生から避けることのできない死へ。そこにあるのは、生と死の間にある忘却の彼方、「忘れられた土地」なのだろうか。命のリズムを潮の満ちひきに喩え、ダンサーたちは哀しみ、情熱、愛を研ぎ澄まされた表現で表わした。
"Forgotton Land" Amber Scott & Adam Bull
Photo by Daniel Boud
" Forgotton Land" Rudy Hawkes & Lana Jones
Photo by Daniel Boud
2作目はフォーサイスの「IN THE MIDDLE, SOMEWHAT ELEVATED」。舞台装置は何もなく、通常より広く開け放したシドニー・オペラハウスの舞台は端のスピーカーなどをむき出しにして、無機質なイメージを与える。音楽はトム・ヴィレムス作曲のシンセサイザーを使った形容しがたい楽曲だ。浅葱(あさぎ)色の光沢のあるレオタードの衣装と、緊張感のある音楽と振付けが一体になり、初演から30年経った今日でも斬新な印象を受ける。膝や手首の角度は鋭角で、脚のラインは直線的。制作された80年代の闘争的な雰囲気が漂うシャープな振付だ。初日公演のメインキャストは、どちらもプリンシパルの近藤亜香(あこ)とケビン・ジャクソン(Kevin Jackson)だった。最初にお断りするが、筆者は特別な近藤贔屓ではない。けれど同夜の近藤の踊りは特筆すべきだった。流れがとにかく美しい。そしてしなやかだ。そこに妖艶さと鋭さが加わる。彼女自身がスポットライトを放つようで、四人で踊っているときにはそれが際立っていた。近藤はプリンシパルのチェンウ・グオ(Chengwu Guo)とパートナーを組むことが多いのだが、同夜のジャクソンとのペアは新鮮でセンシュアルな輝きを放っていた。照明との陰影で腕の動きの残像が美しく軌跡し、ジャクソンのギリシア神話の英雄を思わせる筋肉質な身体性の輝きと重なって、彼の存在自体がひとつのアートのようにさえ見えた。
"In The Middle" Ako Kondo & Kevin Jackson Photo by Daniel Boud
シニアアーティストのロビン・ヘンドリックス(Robyn Hendricks)のシャープな切れ味の良い動きにも惹き込まれ、ジャクソンとのパートナーリングにも目を離せなかった。ジャクソンは女性ダンサーをより輝かせる才能があるのかもしれない。チェンウは野性味のあるしなやかさを見せ、ダンスの神様に選ばれた踊るために生まれてきた人のように感じた。大きな喝采が客席から沸いた。
"In The Middle" Robyn Hendricks & Kevin Jackson
Photo by Daniel Boud
"In The Middle" Dimity Azoury & Chengwu Guo
Photo by Daniel Boud
最後の演目は前のクリストファー・ウィールドン振付の『DVG ― DANSE A GRANDE VITESSE』。音楽はマイケル・ナイマンの『MGV―高速の音楽』で、フランスの高速鉄道TGVでの旅をテーマにした、明るく浮き浮きとしたスピード感が伝わってくる。舞台にはTGVをイメージしたメタリックな車両のようなセットが置かれている。
管楽器が高らかに奏でる軽快なリズムに刻まれて、いつの時代も変わらない旅へのロマン、非日常的な光景と出会う前の高揚感が漂う。4組のカップルは、ロマンス、スピード、危険、テクノロジーといった旅の側面を表現している。ユニゾンのロコモーションの動きから「さあ、旅に出ようよ」と、観客も架空の旅の世界に入っていくようだ。青っぽい照明に照らされたケビン・ジャクソンとロビン・ヘンドリックスのパ・ド・ドゥはこの作品中最も美しく叙情的で恋人どうしの旅を思わせた。ヘンドリックスの腕の動きは鳥のようにしなやかだ。エンディングが近づく頃、舞台袖で待機していた3人のドラムがユニゾンで響き、18人の群舞が加わった舞台は華やかで歓喜に満ちたフィナーレを迎えた。オーケストラの音が静止し、4組のカップルの動きだけで幕は閉じられていった。
"DGV" Kevin Jackson & Robyn Hendricks Photo by Daniel Boud
"DGV" Amy Harris & Andrew Killian
Photo by Daniel Boud
"DGV" Kevin Jackson & Robyn Hendricks
Photo by Daniel Boud
この原稿を執筆中、オーストラリア・バレエ団からニュースレターが届き、『DGV』のエンジェル・リフト( 映画『ダーティー・ダンシング』のリフトで有名)の大きな写真に目が釘付けになった。男性ダンサーが真っすぐに腕を上げて、頭上高くリフトした女性ダンサーの骨盤を支えている。女性ダンサーの腕と脚も直線で、2人の状態はアルファベットのT字型なのだ。超難度なバランスのとり方、男性ダンサーに要求される強靭さ、そしてパートナー同士の絶対的な信頼。同夜にこのエンジェル・リフトを観た記憶はなかった。見逃したのか? それともエンジェル・リフトをしなかったのか、今は定かではない。ウィールドンが『DGV』に込めたコンセプト「時間と空間の浮遊」を視覚化したこのリフトを観てみたいと強く想う。
( 2016年4月26日 シドニーオペラハウス)
ワールドレポート/オーストラリア
- [ライター]
- 岸 夕夏