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アンジェラ・加瀬 text by Angela Kase 
[2016.08.18]

ボリショイ・バレエ団の初ロンドン公演から60周年、ダイヤモンド・ジュビリー記念公演として祝った

The Bolshoi Ballet in London
ダイヤモンド・ジュビリー記念 ボリショイ・バレエ ロンドン公演
'Don Quixote' by Alexei Fadeychev after Petipa & Gorsky
'Swan Lake' by Petipa, Ivanov, Gorsky and Yuri Gregorovich
『ドン・キホーテ』アレクセイ・ファジェーチェフ:振付(プティパ、ゴルスキーに基づく)
『白鳥の湖』プティパ、イワノフ、ゴルスキー、グリゴローヴィチ:振付

7月25日、3年ぶりのボリショイ・バレエ団ロンドン公演初日の幕が上がった。
今年は1956年にソビエト時代のボリショイ・バレエが初めて西側(ロンドン、ロイヤル・オペラハウス=ROH)で大規模な公演を行ってから60周年にあたる。これを祝してダイアモンド・ジュビリー(60周年)記念と冠されたこの夏の引っ越し公演は、7月25日〜8月13日までの3週間に『ドン・キホーテ』『白鳥の湖』『じゃじゃ馬慣らし』『パリの炎』『海賊』の5演目を21公演するもの。
来英メンバーは、ザハロワ、アレクサンドロワ、ニクーリナ、クリサノワ、スミルノワら女性陣とスクフォルツォフ、チュージン、ラントラートフ、オフチャレンコ、ロヂキンら男性プリンシパルだが、バレエ団を代表するプリマのザハロワが日本で公演していた関係で、ロンドン開幕公演と『白鳥の湖』の初日を飾ることが出来ず、やや地味な幕開けとなった。

開幕作品の『ドン・キホーテ』は、今年2月に本拠地のモスクワ、ボリショイ劇場でお披露目した新制作版。これは日本でもお馴染みのA・ファジェーチェフ版の振付をそのまま残しながらも、2幕の酒場の場面に酒場の女と男性3人によるコミカルな踊りのジーグを挿入。ほぼ従来通りの振付とはいえ、セット、衣装が改定されたため、たいへん目新しく映った。
25日の初日を務めたのはオリガ・スミルノワとデニス・ロヂキンの若手ペア。闘牛士エスパダをベテラン・プリンシパルのルスラン・スクフォルツォフ、ガマーシュをデニス・メドヴェージェフ、ストリート・ダンサーをアンナ・ティホミロワ、森の女王を昨年マリインスキー・バレエから新たな活躍の場を求めてモスクワ音楽劇場に移籍、その後ボリショイ・バレエに入団したユリア・ステパノワ、キューピッドをダリア・ホフロワ、第3幕のグラン・パ・ド・ドゥの第1ヴァリエーションをティホミロワが踊るという豪華な配役となった。

スミルノワは演舞に不足はなく、彼女なりのキトリを好演。3年前は容姿に優れた新人としてロンドンにお目見えしたロヂキンは、ソロでは音楽性とダイナミックな踊りを見せ、今ではバレエ団を代表する若手プリンシパルになったことを強く印象付けた。ただイギリスのバレエ関係者やファンの多くが、お姫様バレリーナであるスミルノワを奔放なスペイン娘のキトリとして見ることが出来ず、3年ぶりの来英公演初日をがっかりした思いで観ていたのであった。

翌26日はマリア・アレクサンドロワのキトリ、ウラディスラフ・ラントラートフのバジル、ガマーシュをデニス・サヴィン、エスパダをビターリ・ヴィクティミロフ、森の女王とキューピッドは前日に続きステパノワとホフロワ、グラン・パ・ド・ドゥの第1ヴァリエーションをダリア・ボーチコワが踊った。
 アレクサンドロワのカリスマとダイナミックな演舞はキトリ役が似合いで、ROHの満場の観客から盛んな拍手とブラボーの声が寄せられた。思えば3年前のロンドン公演中にROHの舞台で同じ相手役ラントラートフと『バヤデルカ』を主演中に怪我をしたアレクサンドロワ。長い休養とリハビリの後、舞台復帰し、今では私生活のパートナーとなったラントラートフと再びROHの舞台で主演するのは、彼女にとっても感慨深かったようで、1幕の後のカーテンコールでは、3年前に痛めた足の個所を指さした後、大きく微笑みながら観客に輝く目で「怪我ならもう克服したわ。」と無言のメッセージを送る様子が忘れられない。貴公子ダンサーのイメージが強いラントラートフは、バジルを時に茶目っ気とユーモアたっぷりに演じ踊って踊り手としての更なる成長を示した。

3日目の27日はエカテリーナ・クリサノワとセミョーン・チュージンがキトリとバジルを踊った。小柄で幼く見えるクリサノワのキトリは10代の少女といった風情。冒頭のチュージン扮するバジルとの恋の駆け引きも、バジルに背を向けながら悩まし気にスカートを持ち上げて大きく脚を見せても、どこか清潔で日本人好みの可愛らしさがあり好感度が高かった。チュージンのバジルも同様で、キトリの目の届かぬところでキトリの女友だちとキスを交わすなどしても観客に許される魅力がある。この2人に対してエスパダのスクフォルツォフは大人のスペイン男の色気を振り撒き、ストリート・ダンサー役のティホミロワに迫るのだから、2組のダンサーの対比が鮮やかで開幕後最も楽しい一夜となった。チュージンは久々のROH主演に少々あがっていたのか、1幕のソロやデュエットのジャンプの一部が地味に纏まってしまい「足の具合でも悪いのだろうか?」とファンを心配させたが、3幕のグラン・パ・ド・ドゥはでは踊り手としての技量を存分に奮い、クリサノワが得意の旋回技を披露すれば、チュージンはマネージュの跳躍の軽さと振り出す足の爪先の角度の高さで観客の目を引きつけ、ボリショイの『ドン・キホーテ』らしい名人芸の掛け合いが楽しかった。

『ドン・キホーテ』最終日の7月28日は、来年のボリショイ来日公演での日本デビューが期待されるアルチョム・オフチャレンコがバジルを踊った。相手役は当初の発表ではエカテリーナ・シプーリナが踊る予定であったが、結局シプーリナは来英せず、直前になってバレエ団の現芸術監督のマハール・ワジーエフの大抜擢により、コール・ド・バレエの外国人バレリーナ、マルガリータ・シュライナーがキトリを踊ることになった。シュライナーは、ロンドン公演初日開幕直前にプレス写真家を招いて行われたドレス・リハーサルでは、高熱をおしながらキトリ役を1幕のみ踊り、直後にイギリス五大新聞の1つであるテレグラフに大きな舞台写真と簡単なインタビュー記事が掲載されるなどして話題になった。
ワジーエフに抜擢されるだけありキトリ役が似合う小柄で愛らしい容姿の持ち主で、超絶技巧こそ持たないがグラン・パ・ド・ドゥもそつなくまとめて見せた。ただバレエの世界の最高峰ロシア国立ボリショイ・バレエの『ドン・キホーテ』でバレエ団生え抜きのロシア人有名プリンシパルによるパフォーマンスを期待して高額なチケットを購入していたファンの多くが、なぜこの無名の外国人バレリーナを見せられなければならないのか? 抜擢するなら、例えば初日と前日にストリート・ダンサーを踊って観客を魅了したアンナ・ティホミロワのような容姿や技巧に優れ、大きなスター性を有するロシア人バレリーナを起用すべきなのではないか?と大いに失望したのであった。

london1608Rodkin-5.jpg ”1幕より” デニス・ロヂキン
photo/Angela Kase
london1608Rodkin-7.jpg ”1幕より” デニス・ロヂキン
photo/Angela Kase
london1608Rodkin-1.jpg ”黒鳥のグラン・パ・ド・ドゥより”
photo/Angela Kase

7月29日(金)『白鳥の湖』の初日の幕が上がった。主演はロンドン公演初日と同じくオリガ・スミルノワとデニス・ロヂキン。悪の天才はリーディング・ソリストのアルテミー・ベリャコフ、家庭教師はベテラン・キャラクター・ダンサーのアレクセイ・ロパレーヴィッチ、道化をヴァチェスラフ・ロパーティン、1幕で王子とパ・ド・トロワを踊る王子の友人をニーナ・カプツォーワとクリスティーナ・クレートワが踊った。
スミルノワ、ロヂキン共に『ドン・キホーテ』よりも『白鳥の湖』のような古典作品の姫や王子役が似合いのダンサー。
湖畔の情景の場面で青い照明の中しっとりと愛を紡ぐ2人の姿は美しくロマンティックで絵になった。またスミルノワはワガノワ・バレエ学校出身者らしく、黒鳥のグラン・パ・ド・ドゥにも超絶技巧を織り込みはせず、品性の高さでオデット、オディールの2役を演じ踊り分け、ロヂキンは王子のソロに大技を盛り込みながらも、王子らしい節度と優美を奮って関係者や観客の心を掴んだ。道化のロパーティンは一時膝を悪くしていた時期があったことなど微塵も感じさせぬ超絶技巧を見せ観客の喝さいを浴び、悪の天才役のベリャコフも3年の間にダンサーとして大変な成長がうかがわれ、気品と風格、演舞で全幕に渡って舞台を支配、作品を引き締めて見せた。
スミルノワは、今回のロンドン公演中3人の王子を相手役に『白鳥の湖』を踊ることになっており、8月1日にはラントラートフと共演。レベルの高い公演ではあったが、毎晩公演に通って来るようなロンドンの熱心なロシア・バレエ・ファンたちは「スミルノワはロヂキンやラントラートフよりも、これまでに数多く共演しているチュージンとの公演のほうが、より感動的な舞台を見せてくれるのではないか?」とロンドン公演最終週8月9日の公演に望みを繋いだ。

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”黒鳥のグラン・パ・ド・ドゥより ソロ” デニス・ロヂキン photo/Angela Kase

7月30日(昼)はアンナ・ニクーリナとルスラン・スクフォルツォフがオデット/オディールとジークフリート王子役で共演。若いころはこの作品を苦手にしていたニクーリナだが、今では悲しみの表現に大きな成長の後がうかがえ、スクフォルツォフはボリショイの正統派王子らしい品性とエレガンス、優れたパートナー技術を見せてくれた。このペアの競演は静謐な中にもオデットと王子の間に脈打つ豊かな愛情が感じられるロマンあふれるもので、ROHに集った観客を大いに嘆息させたのであった。またこの公演ではユリア・ステパノワがロシアの花嫁候補者を踊り、その類まれなる美貌と彼女独特の求心力に富んだメランコリックな目の表情で観客に強い印象を残した。

london1608Stepanova-1.jpg ”湖畔の情景よりソロ” ユリア・ステパノワ
photo/Angela Kase

8月2日はユリア・ステパノワとアルチョム・オフチャレンコによる『白鳥の湖』が予定されていたが、劇場に足を運んでみると、王子役がデニス・ロヂキンに変更になっていた。正式なアナウンスこそなかったが、オフチャレンコは当日膝の具合が良くないため、降板したのだという。ステパノワはマリインスキー時代に『白鳥の湖』全幕主演経験があり、2年前のロンドン公演でもオデット/オディール役で好評を博している。この日は移籍後ボリショイ・バレエと踊る『白鳥の湖』全幕主演デビュー当日で、ロンドンのロシアバレエファンが指折り数えて待っていた公演であった。
ステパノワとロヂキンという容姿に優れた2人による共演はロマンティックで、ステパノワのドラマティックな演技に触発されたのか、ロヂキンの王子にはいつも以上の感情の発露が見うけられた。だが何か一つ物足りない思いが残ったのは、急な配役変更で組んだ若手2人による公演だからなのであろう。昨年末にBBCで放映されたヌレエフ西側亡命のドキュメンタリー・ドラマで若き日のヌレエフを演じ踊ったオフチャレンコを観て、彼のジークフリートを楽しみにしていロンドンのファンも大いに落胆した一夜であった。この夜の公演で特筆すべきは悪の天才を踊ったリーディング・ソリストのイーゴリ・ツヴェリコである。13年のモスクワ国際バレエ・コンクール2位受賞のドミ・キャラクテール・ダンサーで技巧派の彼は、筆者が観ることがかなわなかった7月30日(夜)のクリサノワ・チュージン主演公演当日に悪の天才役でデビュー。2回目の8月2日もボリショイの悪の天才らしいダイナミックな跳躍やシャープな旋回技、アクの強い演技で全幕通して舞台を駆け抜け、主役であるオデット・オディール、ジークフリート王子を見事に支配してみせた。

london1608Rodkin-8.jpg デニス・ロヂキン
photo/Angela Kase
london1608Stepanova-2.jpg ユリア・ステパノワ
photo/Angela Kase
london1608Stepanova-3.jpg ユリア・ステパノワ
photo/Angela Kase

バレエ団は8月3日からジャン・クリストフ・マイヨー振付の新『じゃじゃ馬慣らし』を公演、その後『パリの炎』ザハロワ/ロヂキン、スミルノワ/チュージン主演の『白鳥の湖』と『海賊』全幕を公演予定。この様子はまた9月号で詳しくお伝えする予定。
(2016年7月25、26、27、28、29、30日(昼)、8月1、2日 ロイヤル・オペラ・ハウス)
(写真はバレエ団 ロンドン公演招聘元提供)