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守屋光嗣 text by Koji Moriya 
[2007.06.10]

「ミックス・プログラム」 『七つの大罪』 『月に憑かれたピエロ』 『ラ・フィン・デ・ジュール(いち日の終わり)』

ロイヤル・バレエに振付けられた、今シーズン最後の新作となるウィリアム・タケット作の『七つの大罪』を含むトリプル・ビルが4月から5月にかけてコ ヴェント・ガーデンの舞台を彩った。大雑把に括ってしまうと、3作品とも過去50年以内に作られたものばかり。

『七つの大罪』
二人のAnna
  ロイヤル・バレエ出身、現在もゲスト・プリンシパル・キャラクター・アーティストとして舞台にも立つタケットだが、ここ数年は振付家、演出家としての活 動のほうが急速に彼のキャリアの中で比重を増している。この『七つの大罪』は、1933年にベルトルト・ブレヒトとクルト・ヴァイルの二人によって創作さ れたものをタケットが新たに演出したもの。
ブレヒトとヴァイルについては、ドアーズのファースト・アルバに収録されている「アラバマ・ソング」しか知らないので、プログラムやこちらの批評家のレ ヴューから集めた情報によると、『七つの大罪』の初演はパリでジョージ・バランシーンが振付けたとのこと。バランシーンは更に1950年代に新たに挑戦し たらしいが、双方とも大成功には至らなかったそうだ。また、モーリス・ベジャールとマクミランも手掛けたことが有るとのこと。今回のプロダクションは、振 付がタケット、セットはこれがコヴェント・ガーデンのメイン・ステージでのデビューとなるレズ・ブラザーストン。
あら筋は、大恐慌時代のアメリカ、二人のAnna(Anna I:マーサ・ウェインライト、Anna II:セナイダ・ヤナウスキー)が家を購入する金を得るために、アメリカ南部から西部の大都市を巡る、というもの。振付はかなりきわどくセックスを強調し ていた。また4人のオペラ歌手も参加するなど、異色の作品だ。過去の振付がどんなものであったかは全くわからないが、この『七つの大罪』の唯一にして最大 のポイントは、歌手が居ること。今回Anna Iを演じたマーサ・ウェインライトは、父親がラウドン・ウェインライトIII、兄がルーファス・ウェインライトと恵まれた環境で、舞台での彼女の演技は堂 々たるものだった。

セナイダ・ヤナウスキー ヤナウスキー、ウェインライト ヤナウスキー、ウェインライト、エリック・アンダーウッド ヤナウスキー、ウェインライト、シアゴ・ソアレス

  この「歌手が居る」という状況を、タケットがバレエとしてダンサー、物語に結び付けたかと言うと、正直な所、ロイヤル・オペラ・ハウスのメイン・ステージに持ってくるたぐいのものではない、というのが率直な感想だ。
まず、過去のタケットの「失敗作」と評される作品と共通していたのが、ダンサーの資質に頼り過ぎていた点。ヤナウスキーの熱演はいつにも増して素晴らし いのだが、純粋なバレエ・ダンサーである彼女にとってやる意義はあったのだろうか?下着姿で、多くの男性に乱暴に扱われるヤナウスキーを観るのは、ときに つらいものがあった。

更に、同じ舞台に歌手とダンサーが居る状況だと、これまでの経験からすると、歌と踊りが拮抗するという状況はありえないのではと思うくらい稀だ。今回 は、一応「バレエ」ということでヤナウスキーや他のダンサーに集中しようとするも、コンセプトが振付を邪魔するような印象を拭いきれなかった。反対の例が ある。ヤナウスキーの伴侶であるイギリス人バス・バリトン歌手、サイモン・キーンリサイドがシューベルトの『冬の旅』を、ダンサーとコラボレイトしながら 歌うという舞台を、2003年にロンドンのバービカン・ホールで観た。振付はトリシャ・ブラウン。面白いことにその時は、踊りが邪魔で仕方なかった。
バレエへの解釈は振付家によって様々だろう。この『七つの大罪』をやり甲斐のある企画として取り組みたい気持ちは判らなくもない。が、リスクは大きい。
セナイダ・ヤナウスキー ヤナウスキー、ヌニェス マリアネラ・ヌニェス

ヤナウスキー、ギャリー・エイヴィス、クリストファー・サウンダーズ ヤナウスキー、ワトソン ソアレス、ヤナウスキー、ヌニェス


『月に憑かれたピエロ』
イヴァン・プトロフ
  皮肉なことに、バレエと歌の素晴らしい融合を同じ夜に観ることが出来た。グレン・テトリーの『月に憑かれたピエロ』だ。歌手が舞台にいない、という大き な違いはあるが、踊りと歌がお互いに刺激しあって、まったく別の芸術を生み出しているようだった。振付の詳細は、2005年12月号を参照してください。
http://www.chacott-jp.com/magazine/around/uk_36.html

今回、初日と最終日を観た。キャストは、イヴァン・プトロフ、ディードレ・チャップマン、カルロス・アコスタ。何人かの批評家が触れていたが、どうやら このキャストは、テトリー作品にとって理想のものだったらしい。舞台復帰後、徐々に調子を取り戻しつつあるプトロフは、カンパニー初演を成功に導いた自信 からだろう、今回も素晴らしい踊りだった。
それ以上に印象に残ったのが、アコスタだった。最終日の舞台でアコスタが見せた、鬼気迫る踊りからは目を離せなかった。『マイヤーリンク』のルドルフ役 を、「優等生過ぎて上品にしか踊れないところがある」と評されていた。しかしながら、最終日、アコスタはまるでブリゲラそのものになってしまったような迫 真の存在感だった。綺麗に踊ろう、上手く踊ろうという意気込みを抑えたのであろう、生のアコスタを観る想いだった。

ディードレ・チャップマン、プトロフ イヴァン・プトロフ チャップマン、アコスタ カルロス・アコスタ


『ラ・フィン・デ・ジュール(いち日の終わり)』
ケネス・マクミランが、『マイヤーリンク』と『マイ・ブラザー、マイ・シスターズ』というとてもディプレッシングな2作品のあと、1979年に初演を迎えたのがこの作品。
1920年代のキッチュな雰囲気に満ち、イアン・スパーリング(Ian Spurling)による、同じくとても派手な衣装とあいまって、重い作品が二つ続いた後、カーテンが上がると客席から自然と拍手が湧き起った。ちなみ に、イギリスのプレスはスパーリングの衣装が殊のほかおきに召さなかったようだ。というのも、メインの女性二人の衣装は、ワンピース仕様の水着に、昔のパ イロットが被っていた帽子とめがねというもの。コール・ドの衣装も男性には、「1920年代」に、人々が思い描いたであろうちょっと未来的な衣装。筆者か らすると、目くじら立てるほどのものではなかった。軽やかに見える踊りとはいえ、そこはマクミラン。難易度の高いリフトがふんだんに盛り込まれていて、ダ ンサーにとっては決して楽な振付ではなかったであろう。
怪我で降板したアリーナ・コジョカルの代役を踊ったナターシャ・オウトレッドはどこか自信なさげにみえた。この演目で一番印象に残ったのが、プリンシパ ルのサラ・ラム。振付、舞台の雰囲気が彼女に合っていたと思う。印象を強くしたのは、ラムは、客席に彼女の顔が向いているとき、瞬きの回数を意図して減ら していたようなのだ。彼女自身が決めたことなのか、それとも誰かの指示なのかは判らない。
いつもいつも、目を開けていなければならない、ということを言っているのではない。瞬きが、感情を表現する重要な意思表示の手段になることもある。ま た、ラムがこのようなことをどの演目でもしているわけではないだろう。しかしながら、この演目ではラムのダンサーとしての舞台の存在感が、瞬きをしないこ とによって非常に鮮やかなものになった。瞬きをしないダンサーは、ロイヤル・バレエには他にも居る。例えば、キャラクター・アーティストのフィリップ・モ スリイは、『マノン』の第1幕第1場で金を取られてしまう紳士役で、また『リーズの結婚』のシモーネ未亡人の静かな場面で瞬きを極力しないようにしている ようだ。
サラ・ラム、リカルド・セルヴェラ ヨハネス・ステパネク