ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

From London <ロンドン>: 最新の記事

From London <ロンドン>: 月別アーカイブ

守屋光嗣 text by Koji Moriya 
[2006.01.10]

『エドワード・シザーハンズ』受け入れてもらえない者の哀しみ

  舞台セットが予想をはるかに超える巨大、かつ複雑なもので、初日は組み立てが間に合わず、千秋楽は、ロンドン公演に続くイギリス国内ツアーの日程に間に合 うように解体できない、という理由でロンドンの初日11月22日と、千秋楽2月5日、両方ともキャンセル。ちょっと不安な出だしだったマシュー・ボーンの 新作『エドワード・シザーハンズ』。

今更マシュー・ボーンの経歴を語る必要はないだろう。個人的には、彼のプロダクションはバレエともダンスとも感じることが出来ないでいた。残念ながら、 『シザーハンズ』の第一印象も、「これが何でダンスといわれるのかわからない」、そんなものだった。ただ、第1幕最後の、エドワードとキムがトピアリー・ ガーデンで踊るシーンは、とても感動的だった。このシーンを除くと、いつも新作バレエ/ダンスに期待する、「この振付をこの世に生み出したかったん だー」、という煌きと想いを強く感じることは出来なかった。
 反面、「どうしても、この舞台を作り上げたかったんだ」、と言うボーンの強い意志を感じた気がする。
映画の『シザーハンズ』を観たことがないので、エドワードの出生の秘密とかは全く知らない。なので思い込みを承知の上で全体を通して強く感じたのは、 ボーンが惹かれたエドワードの物語は、組織、社会、人々の中に入りたい、一員とし認められたい、と強く願っている。にもかかわらず、結局、「最初から組織 に属していなかった者」との烙印を押されたら、何をしてもその願いは叶わない、そんな悲しみに溢れていたように思う。
巡り会ったボッグズ一家には受け入れてもらえても、彼を取り巻くその他の人々は、結局エドワードを「よそ者」としか見ておらず、ちやほやしていると思った ら、掌を返すように、自分たちの世界からエドワードを弾き出す。どうして受け入れてもらえないのか、エドワードには理解できないよう。自分は、何者なんだ ろう? 自分のことは判っているはずなのに、他者の視線、態度から感じるのは、as if I am nobody。そんな哀しみを、マシュー・ボーンが創り上げた今回の舞台からは感じた。

舞台セットは、ボーンと何度も組んでいるレズ・ブラザーストン。彼が作り上げた街の風景は、出色の出来。また、ハワード・ハリソンによるライティングも、セットが醸し出すちょっと不思議な感じの遠近感にはぴったりの効果をもたらしていた。
冒頭にも書いたように、ロンドン公演の最終日は、当初の2月5日はキャンセルになり、最終日は2月4日。2月5日のチケットを持っていて、いまだにサドラーズから連絡を受けていない方は、早急に連絡を取ることをお勧めする。
http://www.edwardscissorhands.co.uk/flash/
http://www.sadlerswells.com/whats_on/2005_2006/scissorhands.asp