ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

From London <ロンドン>: 最新の記事

From London <ロンドン>: 月別アーカイブ

アンジェラ・加瀬 text by Angela Kase 
[2008.05.12]

ロイヤル・バレエ団『セレナーデ』『ラッシュズ』

 ロイヤル・バレエ団は4月23日から、キム・ブランドストラップの新作を含む「バレエ・トリプルビル」を上演した。
 バランシンの『セレナーデ』、ブランドストラップの『ラッシュズ 失われた物語の断片』、アシュトンの『女王陛下に捧ぐ(オマージュ・トゥ・ザ・クィーン)』という魅力的な小品集であった。

 初日23日と24日、2キャストで観る。
 23日は『セレナーデ』をマリネラ・ヌニェズ、ローレン・カスバートソン、マーラ・ガリアッツィ、フェデリコ・ボネッリ、ルーパート・ペネファーザー、 2日目はサラ・ラム、アレクサンドラ・アンサネッリ、イザベラ・マクミーケン、デイヴィッド・マカテリ、ヴァレリー・フリストフが踊った。

 女性ダンサーの中では、ローレン・カスバートソンが持てる資質と技量のすべてを発揮し、他を圧倒して水際立っていた。豊かな音楽性でバランシン作品の一 貫したテーマである「音楽の視覚化」をいとも易々と体現。長く美しい四肢のコントロールと見事なコーディネーション、バレエ芸術の主役ダンサーに必須の品 格の高さと、たおやかな女性美を見せた。

 カスバートソンといえば06年のヴァルナ国際バレエ・コンクール銀賞受賞者である。だがテクニックを前面に押し出すことなく、あくまで役柄や作品の中に 自らの芸術性を奮うタイプのバレリーナ。その資質は、玄人目にはくっきり際立って見えるが、一般バレエ・ファンには理解されがたいかもしれない。
 だが今シーズンは、『眠れる森の美女』のオーロラ姫、『ラ・バヤデール』のガムザッティで見せた品位とダイナミズム、マクレガーの『クローマ』のような アブストラクト・バレエでの圧倒的な存在感と、古典、ネオクラシック、コンテンポラリーのすべてを好演し、現在同バレエ団で最も成長がうかがわれる次期女 性スターといえよう。
 日本ではこの夏、ヤノースキーの代役として『シルヴィア』を主演するというが、イギリスに先立って彼女のデビューを目撃するであろう日本のバレエ・ファンを、私は関係者として非常に羨ましく思う。

 男性陣ではペネファーザーとフリストフが主役バレリーナの影に徹しながらも、この美しく求心的な作品の雰囲気に見事に溶け込む豊かな感受性とダンスー ル・ノーブルとしての優れた資質を見せたほか、群舞では、小林ひかるが音楽性あふれるパ・ド・ブレや腕使いを披露し、印象に残った。

 世界初演作品『ラッシュズ 失われた物語の断片』を振付けたキム・ブランドストラップはデンマーク出身。ダンサーを志したのは19歳と遅く、その直前ま でコペンハーゲンで映画の道を志していた。若き日のブランドストラップが心惹かれていたのはヒッチコック名画の数々だった。そのような背景から、85年以 来自らが率いるアーク・ダンスカンパニーや、バーミンガム・ロイヤル・バレエ、ENBなどを通じて彼が発信し続けるバレエ作品は、その殆どが「心理劇的小 品」である。

 新作の『ラッシュズ』は、ドストエフスキーが名作『白痴』を執筆するにあたって書きとめていた、という初期の作品構想メモにヒントを得て作った舞台。作 品の題名は、映画となるため編集される前の映像を指す。音楽はプロコフィエフが映画『スペードの女王』用に1936年から作曲を始めながら、スターリンの 新文化政策により38年に完成を放棄した楽曲を一部バレエ用に編曲して使用した。

コジョカル、アコスタコジョカル、アコスタ
コジョカル、アコスタモレーラ、アコスタ


 時代は帝政ロシアの昔ではなく現代。主人公は一人の男。彼を惹きつけて止まない一人の魅力的な女性と、男を心より愛する別の女性の3人が主要登場人物である。
 『白痴』でいえば、主人公ムィシキンに愛されながら、別の男ロゴージンの元に走り、最後にロゴージンに殺されるナターシャがバレエでも魅力的な赤いドレ スの女(初日ラウラ・モレーラ、2日目タマラ・ロホ)、ムィシキンを愛し相思相愛になりながらも、ナターシャの魅力を脅威と感じ嫉妬するアグラーヤが灰色 のドレスの女(初日アリーナ・コジョル、2日目リアン・ベンジャミン)なのであろう。

『ラッシュズ』『ラッシュズ』

 

カルロス・アコスタ

  ちなみに『白痴』では善良な若き公爵ムィシキンと、暗い情念の男ロゴージンという対照的な男性2人が登場するが、作家の初期の構想メモでは男性登場人物 は「善良さ」と「暴力性」を秘めた一人の男のみであったという。よってこのメモに構想を得たバレエの主人公は、赤いドレスの女に惹かれながらも、彼女を殺 めてしまったことを苦悩しているらしい男(初日カルロス・アコスタ、2日目トマス・ホワイトヘッド)ただ一人である。

 初日は現在世界最高の超絶技巧の持ち主であるアコスタが、ロビンスの『牧神の午後』に続いて、殆どテクニックを見せない役に挑戦。赤いドレスの女を殺 め、裸電球の下、後姿に苦悩をにじませる姿は、演技者として充分説得力があった。また灰色のドレスの女を演じたコジョカルは、アコスタの包容力に満ちたサ ポートのもと、持ち前の優れた身体能力を存分に発揮。演技力にもあふれ、作品を特別なものにしてみせた。
 だがコジョカルのバレリーナとしての魅力と技量が災いし、観客には「主人公はなぜこのように魅力的な女性にかくも深く愛されながら、はすっぱな魅力を持 つだけの女(モレーラ)に走るのか」が分からず、観るものを大いに悩ませる結果となった。またアコスタに「くたびれたセーター姿の犯罪者」役があまりに似 合ってしまっただけに、類まれなる踊り手としての資質や、英雄的な役柄が最も似合うことを知る彼のファンや関係者の多くが、この作品の彼の姿を残念に思い もしたのである。

 関係者と観客に原作とバレエの美点をよりアピールしたのは、実は2日目のホワイトヘッド、ロホ、ベンジャミン組であった。
 ロホは登場の瞬間から馥郁と香る女性の艶やかさと愛らしさに満ち、世の男性を虜にする魅惑の女性を演じて、ホワイトヘッドや観客を魅了し、骨抜きにしてしまった。それは、ごく普通の男を狂わせ、犯罪に導くには充分すぎる女の魅力だった。

コジョカル、アコスタコジョカル、アコスタコジョカル、アコスタ


 プロコフィエフのスコアはパワフルで作品を大いに引き締め、また後半の照明使いは、舞台を美しい現代絵画のように見せるなど、総合芸術として興味深かった。
 また通常この種の演劇的な作品にタイプ・キャストされるエドワード・ワトソンの姿はなく、主人公にアコスタとホワイトヘッドが抜擢されたのも新鮮である。
 群舞にはチャップマン、アンダーウッド、ステパネク、プローニン、ケイ、オンデヴィエラら才能豊かなダンサーが用いられたが、観客の視点からは始終ビーズで作られたすだれの後ろに隠れていた。またこれら12人の群舞が作品に必要であったのかは、大いに疑問を感じる。

 初日のカーテンコール、観客はこの新作を大いなる歓喜と共に迎え入れた。
 ロイヤルはアントニー・テューダーやマクミラン作品の伝統を持つため、老若男女が心より楽しめる「夢にあふれたおとぎ話バレエ」より、人間の心の暗闇に焦点をあてた大人の観客のための「心理劇バレエ」の上演が多い。
 それらの中には『マイヤリング うたかたの恋』や『マノン』のような傑作もあるが、女性がレイプされる、男性によって殺されるといった性暴力が目立つ作 品も非常に多いのである。今回は特に同じようなテーマを扱った『ディファレント・ドラマー』上演から殆ど時期を置かずして、この新作が披露されただけに、 観客やバレエ・ファンの中にはただ手放しでこの種の作品を上演を喜ぶことのできない者も多くいたことをここに付け加えておく。

コジョカル、アコスタモレーラ、アコスタ『ラッシュズ』