ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

From Tokyo <東京>: 最新の記事

From Tokyo <東京>: 月別アーカイブ

関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi 
[2017.08.10]
♪バレエ昔も今も♪ BALLET OLD AND NEW♪
6月のボリショイ・バレエ団の来日公演に先立って、ユーリー・グリゴローヴィチの90歳の祝典が行われたという。グリゴローヴィチは健在だが、20世紀の巨匠、と言われた舞踊家たちのほとんどが鬼籍に入ってしまった、バランシン、ローラン・プティ、アシュトン、マクミラン、ピナ・バウシュ、アルヴィン・エイリー、グラハム、カニングハム・・・・アリシア・アロンソは、最近の映画の中でその姿を垣間見たが90歳を越えてなお、活動を続けているそうだ。
しかし、こうして名前を並べてみると、「20世紀は舞踊の世紀である」と宣言して活動を展開したモーリス・ベジャールの創造のスケールの大きさには本当に感心させられる。
ベジャールは、人類のあらゆる文化の原像を、自在に舞踊によって浮き彫りにした。『バクチ』ではインド、『ヘリオガバルス』ではペルシャ、『ディオニソス』ではギリシャ、『ピラミッド』ではエジプト、『ザ・カブキ』では日本・・・そしてアンドレ・マルローやアレキサンダー大王などの東西文明の架け橋をなした人物像を題材とした舞踊を創作している。
今年はベジャール没後10年にあたり、ジル・ロマン率いるベジャール・バレエ団が来日し、東京バレエ団とともに公演を行う。その記者会見では、過去に日本で上演されたベジャール作品の秘蔵映像が披露され、その想いをいっそう強くした。
今年、これから上演されるベジャール作品は9月には『春の祭典』、11月に『魔笛』『ボレロ』『ピアフ』、12月には<ベジャール・セレブレーション> ベジャールの『くるみ割り人形』である。今年、ジル・ロマンがディレクターに就任して10年目を迎える。21世紀に展開するベジャール・バレエに期待したい。

新国立劇場バレエ団の『ジゼル』、素晴らしかった木村優里と米沢唯の踊りに感銘を受けた

新国立劇場バレエ団
『ジゼル』コンスタンチン・セルゲーエフ:改訂振付、ジャン・コラリ、ジュール・ペロー、マリウス・プティパ:振付

新国立劇場バレエ団は、コンスタンチン・セルゲーエフ版『ジゼル』を1998年に初演し、何回か再演している。『眠れる森の美女』や『白鳥の湖』『くるみ割り人形』『ラ・バヤデール』などが、新国立劇場バレエ団のヴァージョンとして上演され、あるいは改訂が決まっていたりする中で、『ジゼル』はオープニング当初のセルゲーエフ版が上演され続けてきている。『ジゼル』は、ヴァージョンによってあまり大きな変化はないからかもしれない。しかし、ボリショイ・バレエはカンパニーを継承発展させていく中で、ボリショイでしか描けない『ジゼル』を創った。スタッフやダンサーが変わってもその伝統を誇りを持って守っている。ボリショイ・バレエでなければ見ることができない『ジゼル』を保持し続けているのである。

tokyo1708a_2060.jpg ジゼル/木村優里、アルベルト/渡邊峻郁
撮影/瀬戸秀美(すべて)

今回、6月に上演された『ジゼル』には、米沢唯/井澤駿、小野絢子/福岡雄大、木村優里/渡邊峻郁、という3組のキャストが組まれ、それぞれ2回上演された。
まず、木村優里のジゼルと渡邊峻郁のアルベルトで観た。ミルタは寺田亜沙子、ハンスは中家正博だった。
木村優里のジゼルは素晴らしかった。私は木村は『ドン・キホーテ』のキトリこそ、彼女の適役だと思っていた。はつらつとした伸びやかな踊りが活き活きとして素晴らしかったから。しかし、ジゼルのデビューとなった今回の舞台もまた感心した。このバレエの感情表現はシンプルなものだが、それだけに心のこもらない表現になるとたちまちしらけてしまう。初々しく純粋な気持ちをアダンの曲に乗せて、どこまで深く観客の胸に届けることができるのか。もちろん、テクニック、表現の巧拙は大切だが、ジゼルは真実、純粋に生きた、ということを観客に示すことがでるきか、それこそが重要である。
木村のジゼルは、第1幕では表情がやや単調となりもう少しだけ表現の細やかさが欲しかったかもしれない。しかし初々しい村娘の魅力は十分に表れていた。この初々しさが、アルベルトを魅了し、やがてはその魂を救済する。第2幕では、長い手足の指先まで、豊かな情感が息づいて観客の心の底にある感情の琴線を爪弾く。まるでバレエの国から来たような、精霊そのものを思い起こさせる身体性が『ジゼル』というバレエの精髄を語った、そんな気持ちにさせられたのだった。
渡邉峻郁のアルベルトは木村とも息を合わせてよく踊った。中家正博が扮した森番ハンスの逞しさに比べて、肉体的にはやや弱いが貴族の子息という雰囲気を出していた。しかしまた、貴族の誇りとジゼルを死に追いやってしまった罪の意識の相克を、その人物像の中にもう少しくっきりと際立たせて欲しい、とも感じられた。

tokyo1708a_1756.jpg ジゼル/木村優里 tokyo1708a_2144.jpg ジゼル/木村優里、アルベルト/渡邊峻郁
tokyo1708a_0611.jpg ジゼル/米沢唯、アルベルト/井澤駿 

米沢唯と井澤駿の『ジゼル』も観た。ハンスは中家正博、ミルタは本島美和だった。米沢のジゼルも見事だった。彼女は2013年に1公演だけジゼルを踊っているそうだ。今回の舞台では米沢自身のジゼルを作った、といえばいいのかもしれない。ステップのひとつひとつ、マイムのひとつひとつを彼女の想像の中で組み立て、それをパートナーとともに舞台に解き放つような踊りだった。井澤の安定感のあるサポートと息を合わせた米沢の動きには、クラシック・バレエでありながら「自由」な心を見ることができたようだった。言葉を変えると、クリエイティヴな意欲のある踊り、という感じを受けたのだ。これは最近の米沢の踊りにいつも感じることで、今後、もっとしっかりと見せてもらってきちんと書いていきたい、と思っている。
(2017年6月26日、7月1日 新国立劇場 オペラパレス)

tokyo1708a_0032.jpg ジゼル/米沢唯、アルベルト/井澤駿 tokyo1708a_0706.jpg ジゼル/米沢唯、アルベルト/井澤駿
tokyo1708a_0457.jpg 新国立劇場バレエ団『ジゼル』 撮影/瀬戸秀美