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大村真理子(マダム・フィガロ・ジャポン パリ支局長)
Text by Mariko OMURA 
[2017.03.13]

オペラ座ダンサー・インタビュー:カール・パケット

Karl Paquetteカール・パケット(エトワール)
3月9日からオペラ・バスチーユでバランシンの『真夏の夜の夢』が始まった。カールはその中の2役に配役され、さらに3月16日からはオペラ・ガルニエのパブリック・スペースで『ア・ブラ・ル・コール』を4月2日まで踊るという活躍ぶりだ。

今月のオペラ座来日ツアーには参加していないカール。パリに残り、2つの作品の稽古のためバスチーユとガルニエを往復する日々である。来年度2017〜18年度のプログラムを紹介するフランスのマスコミは、同時にその次のシーズンの2018年12月に開催される彼のアデュー公演についても非公式ながら触れたものがあった。近況だけでなく、まだ少し早いがこのアデュー公演についても、語ってもらうことにしよう。

Q:今、バスチーユでの稽古が終わったところですね。

pari1703d_08.jpg 『真夏の夜の夢』
photo Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris

A:はい。オペラ・バスチーユで来週から始まるバランシンの『真夏の夜の夢』で、僕はまったく異なる2つの役に配されてるのです。1つはティターニアの騎士役、もう1つは婚礼のディヴェルティスマンです。このディヴェルティスマンは文字通りのもので、35分の第二幕で踊られるもので、物語とはまったく関係がありません。この作品の中でもっともバレエのテクニックを見せる部分といえるでしょう。コール・ド・バレエの6カップルと共に、僕たちが踊るパ・ド・ドゥはきれいですよ。

Q:パ・ド・ドゥのパートナーはどなたですか。

A:セ・ウン・パクです。彼女と6公演踊ります。映画館でライブ上演があるので、そのための録画もあるんです。これを踊らないときは、バレエの冒頭部分で踊るティターニアの騎士役。これは彼女の価値をより引き出す、というのが仕事で・・今世紀最大の役、というのじゃ、全然ないですよ。でも、バレエ作品には必要な役。今、パリに残っているダンサーはあまり大勢いないし・・・。

Q:目下、東京ではオペラ座来日公演の真っ最中ですね。

A:だから、こちらはとっても静か ! で、僕は退屈してる暇なんてないわけです。この2役の稽古で、日中のたいそうな時間をとられていますからね。これと並行して、僕はボリス・シャルマーズとディミトリー・シャンブラの『ア・ブラ・ル・コール』の稽古もあるんです。これはオペラ座にレパートリー入りする新しい作品で、僕にとって、まったく新しい作品となります。スタイルはかなりコンテンポラリーです。

pari1703d_07.jpg 『真夏の夜の夢』photo Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris

Q:これはオペラ・ガルニエのロトンド・ド・グラシエで踊られるのですね。

A:そうです。とても、内輪な感じの公演なんですよ。6メートル×8メートルという小さなステージと、客席の壇が二段設けられて・・・だから、最大でも150〜160名くらいの観客しか入れません。作品は45分くらいの長さのデュオ。ステージ上には僕たち二人だけで、音楽がちょっとだけあって・・静寂が・・・これまで知ってる作品とは全く異なるもので、面白いですね、こういうのも。こうした作品を踊るのは初めてです。何がなんでも踊りたいと夢見ものじゃないけれど、ある年齢に達したところで、これまでと異なる作品に接することができるというのは、いいことですよ。

Q:二人だけで踊るのですか。

pari1703d_03.jpg 『白鳥の湖』
photo Svetlana Loboff/ Opéra national de Paris

A:はい、ステファン・ビュリオンとで、デュオあり、ソロあり、というもの。この作品は、男性二人が踊るという本格的作品ですね。快適ですよ、ステファンと僕との間に通じあうものがあるので、美しいアルケミーがあって・・。

Q:女性パートナーはあなたに絶大な信頼を寄せていますが、ステファンはどうでしょうか。

A:それはステファンが言うことで・・でも、そうあって欲しいですね。作品中、ちょっとした部分は絡みがあるけれど、ポルテがあるわけではありません。いつ始まるのかがわからない、といった、ちょっと個性的な作品なんです。デュオ、ソロ、静寂、音楽・・・という構成。これまでとは異なるスタイル、といえます。ボリス・シャルマーズとディミトリー・シャンブラはリヨンのコンセルヴァトワールの出身で、これは彼らが20年くらい前にクリエートしたものなんです。以降、何度も彼らが踊る間に徐々に最初の創作からは変化していって、今のものになったのだと思います。今もリハーサル中に、僕とステファンのやり方が彼らのと違うときに、「ああ、そのままでいいよ」みたいな感じですからね。この作品は観たことがなかったけれど、二人とは以前からそれぞれ知り合いなんです。ボリスはオペラ座のバレエ学校で僕より上のディヴィジョンにいました。ディミトリーはオペラ座の3エム・セーヌを担当してましたね。彼とは数年前に知り合いました。彼らと僕たちの合計4人でリハーサル・スタジオで稽古する時間、とっても快適なんですよ。

Q:ステージではなく、パブリック・スペースで踊ることについてどう思いますか。

A:長いこと大きな舞台で踊ってきた僕にとって、これは未知のセンセーションを発見する機会となるでしょうから、面白いことになるでしょう。

Q:新しい作品に取り組むときに何がモティベーションになりますか。

A:経験のない新しいことに向あうことは、それまでの経験、知性の証明となりますね。同じ作品に再度取り組むというときは、喜びがありますね。すでに役は知ってる、コツは心得ている・・・より深く役柄を掘り下げられます。

Q:『真夏の夜の夢』は今回初めて踊る作品ですか。

A:はい。バランシンの作品は過去にいろいろ踊っていますけど、こうして新らしい作品を知るのは、興味深いことです。オペラ座ではここのところバランシン作品が多いですね。例えば今シーズンは、『ブラームス・シェーンベルグ・カルテット』がありました。この第四楽章を踊ったのだけど、これまでのバランシンと違っていて、なかなか個性的な振付でした。

Q:この時、同時に『バイオリン・コンチェルト』も踊りましたね。

pari1703d_05.jpg 『ブラームス・シェーンベルグ・カルテット』第四楽章
photo Sébastien Mathé/ Opéra national de Paris

A:『バイオリン・コンチェルト』はオペラ座のレパートリーに入ってかなりになる作品です。この役は踊ってないけれど、最後に公演があった時に参加してるので、ヴィジュアル的に記憶に残っていたので、馴染みやすく・・・こうした場合、仕事がよりはやく進むんですよ。10〜11月の公演中、同じ晩に『バイオリン・コンチェルト』と『ブラームス・シェーンベルグ・カルテット』の両方を踊ったこともありました。これは肉体的には大変でしたけど、まっとうしなければならないことで・・。『ブラームス・シェーンベルグ・カルテット』の第四楽章は13分くらいのものとはいえ、その間ずっと激しい振付なのに対し、『バイオリン・コンチェルト』はそれに比べるとネオ・クラシック・スタイル。異なるエネルギーが要求されました。2作品の間の20分の幕間は、メークを直し、衣装を替えて、ということであっという間に過ぎましたね。

Q:踊るのが好きなのは、どんなタイプの作品でしょうか。

A:それは時代と共に変化してますね。例えば、20歳の時に初めて『ラ・バヤデール』を知ると、こうした3幕物の素晴らしい作品には心をとらえられますよね。
公演に至るまでの日々の歩みもあって、そして仕事を成就したという興奮があって・・。ところが、その後で他のバレエをいろいろ経験し、例えば『ロメオとジュリエット』のような悲劇を発見することになる。こうした悲劇は感情的に強いものがあるので、素晴らしい思い出となります。僕はこの作品を何度も踊ったので、役柄の幅を広げることもできました。『椿姫』『オネーギン』『シンデレラ』といった役も、感動がありましたね。昨年末、『白鳥の湖』で最後のロットバルト役を踊りました。この役はテクニック的にはそれほどきついものではないのだけど、強烈です。4幕を通じて、ずっと人物像を保ってなければなりませんから。初めて踊った15年前と、今のロットバルトでは、僕が描く人物に変化があります。身体も変化していますし・・・。2002年に踊ったロットバルトのビデオをみると「ああ、昔はこうしてたんだ」みたいなことがあります。同じ役を年齢を重ねながら繰り返し踊れるというのは、人物像を膨らませることができて面白いですね。これまでの舞台上での最後の大きな感動、それは踊るのはこれが最後だとわかっていたこともあり、昨年12月のこのロットバルト役ですね。

pari1703d_04.jpg 『白鳥の湖』
photo Svetlana Loboff/ Opéra national de Paris

Q:昨年12月のロットバルト役では、何名のプリンスと踊りましたか。

A:記憶にないですね、代役がいたり、けが人がいたりしたので。ロットバルトを踊るときは、まず僕とそのダンサー本人との関係に合わせるようにしています。僕が与えるキャラクターに、自分の目の前にいるダンサーが居心地がよくなければなりませんからね。身体的な適応というのもあります。僕の好みとしては、プリンスを踊るダンサーは家庭教師の僕より大きすぎないことですね。支配的なところを見せるので・・。12月に僕が踊ったプリンスたちは、僕よりみんな小柄でした。それは観客にとっても、二人の関係がわかりやすいという利点があります。例えば『白鳥の湖』でプリンスより白鳥のほうがダンサーが大きいとなると、二人の関係が歪んでしまう。それと同じです。ロットバルトとプリンスの力関係を見せるためには、ロットバルトが大きい方がいいのです。

Q:次のシーズンのプログラムが発表されました。何を踊るのでしょうか。

A:もうじきオーレリーと話し合うことになると思いますが、今は何も知りません。自分自身で踊りたくないと思っている作品は、もちろんわかってますけどね(笑)。

Q:踊りたいのは何でしょうか。

A:『オネーギン』のオネーギン役は、また踊りたいですね。それからベジャールの『ボレロ』も踊りたい。

Q:その次のシーズンの、2018年12月の『シンデレラ』があなたのアデュー公演だという記事をみかけました。

A:あ、もう発表されてるのですか ? そうです。2018年の12月で、でも、まだ日程は決まっていません。

Q:『シンデレラ』でアデュー、というのはオーレリーからの提案ですか。

A:どのバレエでぼくがアデューをしたいかと、オーレリーが親切なことに聞いてくれたんです。それでぼくは、「それはオーレリーが何をプログラムに入れたいかによることでは ?」と言ったところ、彼女が「いいえ。オペラ座を去るにあたって、自分のパリ・オペラ座のキャリアの高みを見せるにふさわしいバレエをあなたが選ぶのがいいと思うの」と・・・。それで、1つ選ぶのであれば、何度も踊っている作品でもある『シンデレラ』の俳優役だ!とこれに決めたのです。踊るのが簡単な作品ではないけれど、でも、好きな役柄だし、自分に合ってるし・・・。美しい物語で、お祭り気分のある陽気な作品がいいな、と思うのです。アデューといっても、何か別のことの始まりでもあるのだから、悲しくないのがいい、と。

Q:『シンデレラ』のパートナーは決まっていますか。

A:いえ。僕の最初のシンデレラはデルフィーヌ・ムッサンでした。クレールマリ・オスタ、エミリー・コゼット、ドロテ・ジルベール・・・・それから、マリー=アニエス・ジロとも踊っています。だから誰がパートナーになっても、恐れません。

pari1703d_09.jpg 『シンデレラ』photo Laurent Philippe/ Opéra national de Paris

Q:あまり怪我をしないようですが、それは何か秘訣があるのでしょうか。

A:おそらく、生まれ持ってそういう身体だということもあります。でも、とても若いときから、クロード・ベッシーとマックス・ボゾニという二人の偉大な人物によって育てられ、鍛えられてもいます。両親はもちろんですが、彼らによって、仕事をすることで何かが得られるのだ、という徳を学びました。10歳の時以来、決して譲歩ということをせずにきています。昔、撮影されたレッスンの映像を見ると、とにかく僕は一生懸命真似をして、稽古し続けています。こうやって、仕事の厳しさを体得してるんです。可能な限りたくさんのことを得て、ストックして・・。そのおかげでこうして怪我をせずに長いこと仕事が続けることが可能なんですね。17歳でバレエ団に入ってからも譲歩せず、犠牲というのではないけれど、仕事に集中するために週末の友人や家族のための時間を割いています。進歩するために、そして、役を踊りたい、という期待によってですね。やればやるほど、仕事量に対する適応ができてゆく。リハーサルの数、公演の数をこなすことについて、恐れるということは決してありませんでした。それに対抗できる耐久力が僕には備わっているのですからね。僕の場合、バカンスなど休養の後こそ逆に体を傷めずにすることが大変なくらいで。だから、常にアクティブでいる必要があるんです。といっても、確かに40歳を過ぎると体が以前よりは弱くなりますね。これまでたくさん踊っているので体もすり減っている。これは事実だけど、僕はまだ踊れる体だと思っています。35歳くらいで踊れなくなっているダンサーもいますけどね。僕は窓際におかれたくありません。仕事量を減らされたくないんです。エトワールとして十分にアクティブです。

Q:食事や生活態度に気をつけることもしていますか。

pari1703d_02.jpg 『オネーギン』
photo Julien Benhamou/Opéra national de Paris

A:はい。でも、生きる、ことを楽しむことを大切にしています。自分で快適に感じられないと身体が不満を感じてしまいます。日常生活を気持ち良く過ごし、頭の中もきちんとしてると、そうしたことによって痛みを克服でき、次々と公演を続けてゆけるのです。日常的に幸せだと感じることが大切。朝起きることが幸せ、仕事にでかけることが幸せ・・こうした喜びって忘れがちだけど、基本ですよ。仕事を振り返ると、とてもハードだった。でも、それをやったのはなぜか、と考えると、そこには喜びがあったからなのですね。この仕事は、そうでなければ・・・。

Q:42歳以降の予定は決めていますか。

A:計画はありますよ。僕は教えることが好きなんですね。両親ともに教育者の家庭で育ちました。子供時代、伝承することに情熱をもって、自分を捧げている二人の姿を見ています。昔を振り返ると、小さい時に何が気に入ったのかというと、ダンスにせよ、地理にせよ、先生が自分の教科を情熱をもって教えてくれて、その教科に興味をもたせてくれたことなんですね。僕は入団した時からずっと自分に言ってるんですよ、踊れなくなったら教える側にまわるんだって。僕の体のおかげで、幸いにも42歳まで踊れるようですが、でも、ずっとそのための準備をしてきたんですよ。入団3年目、20歳の時にダンス教師の免状を取得しています。

Q:狙いはオペラ座のバレエ学校の教師ですか。

A:もしポストがあったら、それは嬉しいですね。自分が育った学校で、素晴らしい学校なのですから。僕の子供時代そのものであり、僕のルーツ。僕はオペラ座バレエ学校のナンテールの建物に入った最初の学年の生徒です。次々と入ってくる生徒たちを見てきました。ダンスの基本、それは若さ。10歳のときから、始まってるのです。13歳とか遅く始めた場合、失われた年月を追いつくことは決してできないのです。芸術面だって、90パーセントがテクニックにかかっています。だから、若い人を教えることは大切なことです。歳月をかけて学んだことを僕は若い人に伝えていきたい。何かを得るための鍵、何かに至れるための鍵を見せてあげるのは大切なことです。“僕は仕事をする。進歩があり、発見があるから”と言えることには満足感があるでしょ。発見。これ以上素晴らしいことはありません。僕の幸運は、良い教師に出会えたことです。

Q:どのようにダンスを始めることになったのですか。

A:これは偶然といえます。ぼくがダンスを習うことは、両親の希望だったのです。兄二人は柔道、音楽、ソルフェージュ、身体表現などをやっていたけれど、僕はダンス以外したいこともなくって・・・。こうして道がつくられてったのですね。ダンスのコンセルヴァトワールに入ったのは、6歳くらいだったかな。

Q:それでダンスが気に入ったのですね。

A:気に入らなくはなかった・・でしょうか。やりたくないなあ、と思った記憶はありません。コンセルヴァトワールで始めたら、あるとき先生が僕の両親を呼んで、「もし本格的に彼がダンスをするのであれば、そして彼が本当にダンスが好きならマックス・ボゾニのところで習うべきだ」と。その当時、彼こそがバレエ教師とされていましたね。それで、それに従って素直に彼のところに行ったんです。ボゾニから最初に、「僕のところに来たということは、オペラ座の学校を受けるためで・・」というように言われて、「あ、そうなの???」って感じでした。自分で理解しないまま、その行程に入っていったというわけです。当時、バレエ作品をあれこれ見てみたいとか、そういう積極的なものじゃなかった。特にダンスが好きというレヴェルではなかったんですね。こうして研修のあと10歳でオペラ座のバレエ学校に入って・・寮生活も順調で、学校のすべての教師が教えてくれることを、僕は好きになりました。パントマイムのレッスンのように、いったいこれが何の役にたつのかって、ちょっと子供には馬鹿げて思えるようなものでも、気に入ったんです。学校は素晴らしい養成の場で、毎日学ぶことがあり、幸せな毎日を学校時代送っていました。

Q:ダンスという職業を意識したのはいつ頃ですか。

pari1703d_06.jpg 『火の鳥』
photo Icare/ opéra national de Paris

A:第一ディヴィジョンに上がったときですね。それまで僕はバレエ学校から出された場合に備えていたんです。オペラ座の基準に自分は対応していない、いずれ放校されるんだ、ってずっと思っていましたから。優秀な生徒とはいえず、いつもビリから二番目だったんですよ。それで普通の学校生活に戻らねばならなくなった場合に備えて、両親はオペラ座バレエ学校の一般授業が効果的でなければ、って、すごく気にしていました。で、最終学年の第一ディヴィジョンの終わり頃に、思ったのですが、オペラ座バレエ団に入るというのは、無期限契約を得られること、だって。先に社会人になった兄たちをみていたので、オペラ座に入ったら25年間ほかの仕事を探す心配のない暮らしなのだ、これは大変贅沢なことだ、と思ったのです。でも、その年には入団できず・・・。その時にダンスという職業について意識を持ちました。第一ディヴィジョンをもう1年やり、その結果入団できました。1994年です。

Q:入団してからこれまでの間、ダンスやオペラ座を辞めたいと思ったことはありましたか。

A:どちらもありません。海外に招かれて踊る機会がたくさんあって、そこで他所の国はオペラ座の仕事環境とは比べ物にならないことを見ています。オペラ座というのは素晴らしいメゾンです。ただ、自分の階級にしては適切な配役がなされてないという感じがあったので、ちょっと気分を変えて新鮮な空気を吸ってみたい、新しい経験をしてみたい・・・と、一時期オーストラリアかどこか遠くで半年くらいやってみたいという気持ちをもったことはあります。結局、私生活上にいろいろ変化があり、パリを離れることはありませんでした。でも、それは後悔していません。

Q:今の気持ちは、オペラ座であと1年半しかない、まだ一年半もある、のどちらでしょうか。

A:1年半残ってる、というだけのことです。今シーズンは早く終わりそうなんです。『ア・ブラ・ル・コール』の後は、5月にバランシンの『ラ・ヴァルス』を踊り、それで今シーズンは終わりなんです。こんなにシーズンを早く終えるのは、初めてのことです。先のことはわかりませんが、次のシーズンは自分が踊らない可能性の作品があって・・・こうやって1シーズンがあっという間にすぎてゆきますね。そして次の2018〜19が9月に始まりますが、12月の『シンデレラ』がこのシーズンの最初の作品となるかもしれず・・・・という状況です。

Q:どうしても踊りたかったのに、踊れずじまい、という作品はありますか。

A:踊れなくって悔しいというほどではないけれど、グリゴローヴィチの『イワン雷帝』のイワンを踊ってみたかったですね。この作品が過去に公演された時、僕はクルプスキー役でした。イワン役は、踊ったらきっと気に入ったと思うんですよ。同じくグリゴローヴィチの作品で、『スパルタクス』も踊ってみたかったですね。ボリショイの2大バレエだけど、これらは踊る機会はないままとなりますね。それからベジャールの『ボレロ』・・。

Q:自分に合わないと思う役は何でしょうか。

A:『イワン雷帝』は見るたびに、このイワン役は僕に合った役だろうなって、思っていました。『眠れる森の美女』のプリンスも、『シルフィード』のジェームス役も踊ったことがありません。でも、自分がそれらの役に相応しいとは思わないので、踊らなくても問題ありません。僕がキャリアにおいて幸運だったなあと、今思うことは、多くの古典大作で2つの役を踊っていることです。『ジゼル』はアルブレヒトとヒラリオン、『ライモンダ』ではアブデラフマンとジャン・ドゥ・ブリエンヌ、『白鳥の湖』では王子とロットバルト、『ロメオとジュリエット』ではロメオとティボルト・・・これは誰もができることではなく、本当に幸運です。だからイワンが踊れなくても、軽い悲しみという程度なんですね。

Q:エトワール任命は良いタイミングでしたか。

A:はい、良い時期に任命されたと思っています。2009年12月31日に『くるみ割り人形』で任命されましたけど、ぼくは期待してなかったことなんです。エトワールになることは。側からはそう見えなかったかもしれないけど、エトワールになろうという努力をしたことがありませんでした。学校時代からぼくの望みは、エトワールの役を踊ることだったのです。学校時代はもし聞かれれば子供だから単純に、“エトワールになりたい”って答えますよね。でも、僕は入団以来プルミエ・ダンスールになるまで、ずっとコール・ド・バレエにしか配されず・・。2001年にプルミエに上がってから僕がラッキーだったのは、当時の芸術監督ルフェーヴルが僕をエトワールの代役に配したことなんです。ときどき、どころかお決まりのようにエトワールが怪我をしたので、舞台で毎回代役の僕が踊ることになり・・・。これはチャンスですよね。自分がずっとプルミエのままだ、ということに苦しむことはありませんでした。ぼくは準主役も踊り、かつ主役も踊る、ということが続き、これによって豊かな経験ができて、力を蓄えられて・・・パーフェクトなことでした。僕はプルミエ・ダンスールの立場を全うし、さらに、エトワールの役も踊ったのですから。確かに任命後は他の役にもアクセスができ、リハーサル環境のクオリティも上がりましたけど・・。任命は良いタイミングでした。後ろで踊るダンサーたちの模範である必要があり、観客に対してはパーフェクトなイメージを与えなければならず、そのための成熟がぼくには備わっていました。

Q:その12月31日の『くるみ割人形』も、誰かの代役として踊ったのですか。

A:いえ、これは代役ではなくプリンス役に最初から初めて配役されたときのことでした。確か12月22、26、31日そして1月2日といった日程で僕は配役されていました。レオノール・ボラックが『白鳥の湖』を1度だけ、それも12月31日に踊る、というような奇妙なものではありません。『くるみ割人形』の公演の2週間くらい前だったか、マニュエル・ルグリとすれ違ったときの雑談で、僕が彼に配役の日程を伝えたら、「ああ !! 12月31日に踊るんだね」という感じの反応があって・・・ぼくの任命を彼は感じたようです。ピラミッドの上にいると、いろいろ見えるんですね。

pari1703d_01.jpg 『オネーギン』photo Julien Benhamou/Opéra national de Paris

Q:日本で何か今後のプロジェクトはありますか。

A:日本に対して、僕は特別な愛情を持っています。よく仕事をするし、敬意を知ってる国民だし・・日本人は文化的に根を張りつつも、新しい時代へと目を向けることができる。文化的にも人間的にも日本は好きな国です。僕の最初の海外ツアーの行き先は日本でした。11歳で、日本。これは素晴らしいことですよ。何を踊ったのかはよく覚えてないけれど、11歳なのに素晴らしい条件で来日できて・・・。その後も来日のたび、素晴らしい応対で迎えられました。僕は12年くらい前から、有馬バレエの有馬えり子さんと友情で結ばれています。彼女の公演に参加できたことで、僕は自分を豊かにし、高めることができたのです。『シンデレラ』のアデュー公演の後、日本でも何か特別な公演ができるといいと願っています。

Q:アデュー公演後も、オペラ座の外でガラなどで踊ってゆくのですね。

A:いいえ、それはないと思います。ベスト・コンディションで踊り続けるには、日常の仕事が必要ですからね。決まったことではないけれど、2018〜19年シーズンの最後まで踊ることはあるかもしれませんが・・・。まあ、先のことはわかりません。2年後には、気持ちが変わるかもしれない。でも、引退後はダンスはストップしたいと思っています。オペラ座のこの場所は、エネルギーあふれる若者たちのものなんだ、と、ここのところずっと思ってるんです。僕はもう若くありません。これは事実です。ぼくは以前と変わらぬ喜びを舞台上で得ていて、成熟も経験もあり、それが僕を培っていて・・まだまだ何かをもたらすことはできます。でも、辛くても、若者に場所を譲るということは大切なんです。これまで23年間、僕は踊り続けてきました。僕の世代、すぐ下の世代のダンサーたちは知っています。「カール、君はすべてやったね !」と。こうして誰かの記憶に残る、ということはうれしいことです。