ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

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岡元ひかる text by Hikaru Okamoto 
[2018.05.10]

コンテンポラリー・ダンスのショーケース公演『ダンスの天地』が神戸でスタート

「ダンスの天地vol.00」
『DUAL』京極朋彦:振付・演出・出演、『水の記憶』山﨑モエ:振付・出演、『苺ミルクの妖精になりたい』大熊聡美:振付・出演、『シンタイカする器官』高瀬瑶子:振付・出演、『Rehearsal of Heaven』山本和馬:振付・構成・出演

神戸で新しいコンテンポラリー・ダンスの企画が始まった。神戸の新開地にある複合施設、神戸アートビレッジセンターで開催された『ダンスの天地』である。2018年3月31日(土)の昼と夜、そのキックオフとして『ダンスの天地Vol.00』が開催され、公募により選出された振付家が作品を発表した。京極朋彦、山﨑モエ、大熊聡美、高瀬瑶子、SickeHouse(昼公演のみ)、山本和馬(夜公演のみ)である。筆者は夜公演にしか足を運べず、SickeHouseの下村唯が振付けた作品を見逃したのが残念であった。
この企画は「ダンスの自明性を問ふ。」をコンセプトとして掲げたショーケース公演であり、何らかの実験的精神を持つ振付家が集まることが目指されている。今回は全体的に、それぞれの振付家が追求する身体性をテーマとした作品が多い印象を受けた。
夜公演のプログラムの順番を追いながら、それぞれの振付家の作品について報告したい。

osaka1805c_01.jpg 京極朋彦『DUAL』撮影/岩本順平 osaka1805c_02.jpg 京極朋彦『DUAL』撮影/岩本順平

トップバッターの京極朋彦は『DUAL』を発表した。身体性へのこだわりに深さと一貫性があり、この公演で発表された作品の中で最も洗練されていたと感じる。
冒頭、床の上をころがる京極の体勢が、無音の中でさまざまに移ろってゆく。その間、筋肉に力が入る様子が見えず、かといって勢いや遠心力を使って動いている感じもしない。何の準備もチラつかせずに、こちらの気がつけば、いわゆる「自転車こぎ」のポーズさながら天地のひっくり返った奇妙な格好になっている。動こうとする野心が最小限に抑えられているかのようであった。京極が打ち出す身体性については、タイトル『DUAL』が興味深い。たがいに異なる二つの感覚や意識を同時に持つことが、独特な踊りを創るためのポイントだったのかもしれない。
こうした動きの途中で、軽妙な振付が入る。四つん這いになって手首と足首を折り曲げてゆく姿は、木の枝に擬態する虫を想わせた。また、しゃがんで身体を小さく畳んだ状態から片脚を前に出す振りがあったが、これにはかなりの技巧が要りそうだ。ところがこの脚の動きも、軽い骨だけをヒョイっと扱うようで小気味よい。
音楽が入った次のシーンでは、暗くなり中央だけが照らされる。このあたりから、身体で流線を描く動きが目立ってきた。身体から発せられるエネルギーが増し、そのうちに京極から滴り落ちる汗や、汗ばんだシャツにできる皺が横からのライトに照らされてくる。それまで飄々とした相貌を崩さなかった身体に、今ここのリアリティが強くにじみ出すシーンである。
照明が明るくなり、また無音に戻ったラスト、舞台の奥へ歩いてゆく京極の左腕が、力なくヒラヒラと動かされる。その左手が、朽ちるかのように下に落ちると同時に、作品が終わる。この時、冒頭でみた動きの質感が、ふと脳に蘇ってきた。どこか侘び寂びのイメージを与え、あるいは「草食系」とでも形容され得るような、京極の踊り方に呼応したように感じられたのである。

osaka1805c_03.jpg 山﨑モエ『水のキオク』
撮影/岩本順平(すべて)

プログラムの2番目は、高知県在住の山﨑モエが創作した『水のキオク』である。
まずは暗闇のなか、心臓音と泣き声の音が流れ、舞台中央にスポットライトが浮かぶ。照明の形はすぐに人間の胎内であると思わせられた。その後、しばらく丸い照明の中で続いた踊りでは、身体の各部位をバラバラに動かす姿が印象に残った。移動はせずに定点で踊っているにも関わらず、上半身の動きだけで、自分の周りの空間をダイナミックに変化させていたのである。胸や首などの関節の可動域の広さが、よく活かされていたためかもしれない。
後半、ノイズ音が挿入されると、動きがロボット調に切り替わる。このあたりから、照明や音や動きの要素ひとつひとつが、何か特定のものごとを表している感じが強くなってきた。そのためロボットのように動く山﨑に故障が起き、床に崩れ落ちるというストーリーが見えてくる。分かりやすさも作品の一つの良さに違いないが、ダンスの自明性を問うという公演のコンセプトに照らすならば、ダンスを意味で満たす手法には目新しさは感じられない。しかし水、胎内、生前の記憶といったテーマから、こうした流れに急展開することには意外性があり、作品の発展の可能性を感じた。最後は仰向けになり、ひとりでに動く山﨑の手が、自分の腹部を持ち上げているように見せるマイムが行われる。単なるイリュージョンを超えて、その場に静謐な空気を立ち上げていた。
踊りもマイムも、技術力の光るダンサーである。

osaka1805c_04.jpg 山﨑モエ『水のキオク』 osaka1805c_05.jpg 大熊聡美『苺ミルクの妖精になりたい』
osaka1805c_06.jpg 大熊聡美『苺ミルクの妖精になりたい』

3番目は、大熊聡美による『苺ミルクの妖精になりたい』である。この公演のラインナップの中では、ダンスと演劇の中間にある作品という意味で目立った存在だ。
照明が点くと、うさぎのぬいぐるみが中央に置いてある。このスタートの印象と作品タイトルの雰囲気からして、さては過剰な「カワイイ」を、それがイタさになるほど見せつける路線か、と予測してしまった。確かに、前半には歌詞つきの音楽をBGMにしたはちゃめちゃなダンス、ヘッドホンを乱暴に扱うところなど、そのことを彷彿とさせる要素が登場する。こうしたポップさや過剰さの提示は、国内のコンテンポラリー・ダンスにありがちだ。しかし大熊は、緊張感のあるメランコリックな気分をキープし続けることで、独特な個性を見せた。特に、何かに思いつめたようにこわばり、狂気の色さえ覗かせる表情には、彼女が所属するダンスカンパニー、BATIKの影響を忍ばせたようにも感じる。
いわゆるダンスらしい動きは少ないが、その中で印象深かったのは、首をブルッとふるわせる振付だ。バレエに通ずる観客は、古典作品『白鳥の湖』の主人公、オデット姫に特有の振付を想い起こしたかもしれない。首をかしげて何かを憂うかのようなこの動きが前半のそこかしこに挿入され、メランコリックな作品の空気を効果的に助けていた。
中盤からは、タイトルの「苺ミルク」がそのまま登場する。大熊は、小さなバスケットから取り出したグラスに牛乳を注いでから、両手いっぱいに盛った苺を上からにぎり潰した。ぐちゃぐちゃになった苺が牛乳と一緒になって、グラスから床へグロテスクに溢れ出す。これを大熊は相変わらずシリアスに行うので、苺ミルクをめぐる具体的な行為は、彼女の個人的な思い入れや、感情を吐露するかのようだ。実はこうなると、観客と演者が同じ状況をシェアするというより、演者が観客に「自分」を語るという一方向的な関係になりやすい。そのため、現に後半から少し冗長になったことは否めないが、演出によって効果の是非が分かれる難しいキャラクターが打ち出されたと感じた。

プログラムの4番目、『シンタイカする器官』を発表した高瀬瑶子は、これまで白井晃や森山開次、近藤良平などの作品に出演してきた。彼女はこうべ全国洋舞コンクールで一位を受賞するなど、モダンダンサーとして確かな実力を持つ。バレエダンサーが羨むような高い甲が目を引く身体的条件も、特筆すべきだろう。
作品の最初、高瀬は客席側に背を向けて腰を下ろしているので、顔が見えない。その状態で、脚だけのダンスが始まった。脚の上げ下げや床に足をうつ動きなど、振付はミニマルだ。ところがこの単純な動きが何度も繰り返されるにつれ、人間の身体の一部として見ていたはずの高瀬の脚が、だんだんと見慣れない印象を持ちはじめる。身体というより、物体にすら見えてくる。さらに肌を露出し、甲からの曲線美が強調されるダンスは、最終的にフェティッシュな官能性をも漂わせた。
ところで彼女も、自分の身体の用い方についてリサーチしていると語っていた振付家の一人である。高瀬が立ち上がると赤いユニタードを着た全身のフォルムが露わになり、その後は腕や上体がメインに使われる。肘や肩、背中との間にある距離を縮めたり伸ばしたりして部位同士の距離感を多彩に変えてゆく動きが面白い。上半身の様々な部位が、様々な角度で小さな円を描く。このとき顔は髪の毛で覆われ、いまだに身体の匿名性は続いたままだ。さきほど官能性に触れたが、本作で女性性は押し出されていない。むしろ器官がむき出しになった保健室の人体模型のように、ジェンダーを超えた存在が踊っている。
途中から端正ではっきりとした目鼻立ちの顔が見えると、ようやく高瀬個人が現れた。そこからは観客の目の前に立つだけでその場の状況を非日常的にしてしまう、佇まいの強度が作品を支えていたことが印象に残っている。

osaka1805c_07.jpg 高瀬瑶子『シンタイカする器官』 osaka1805c_08.jpg 高瀬瑶子『シンタイカする器官』

夜公演の最後を飾ったのは、山本和馬による『Rehearsal  of  Heaven』(出演:木晃汰、遠藤僚之介、松縄春香、山本和馬)である、これは本公演の中で唯一、複数のダンサーが出演した作品となった。
まず「死」というチャレンジングな作品テーマに触れねばならない。日々のあらゆる営みが、刻一刻と死に近づく行為であると考えるならば、ダンスについても同じ見方ができる。山本による作品へのコメントを読むと、彼は観客に見せるために用意した上演でさえ、本番ではなく、死のためのリハーサルなのだと考えたことが分かる。
まず、出演者4人が仰向けで川の字になって横たわっていた。暗い照明の中、ダンサーたちの白い衣装がボウっと浮かぶように目立っている。そこから全員がゆっくり時間をかけて立ち上がると、それぞれが自分のバランスを崩し、床に身体を打ち付け、あるいは倒れこんでゆく。20分間の作品のうち、メインとなっていたのはここである。
誰でも、自分の身体が地面へ落ちるときには恐怖心が湧いて出てくるはずだ。恐怖の感情に限らず、とっさに手をついたり、安全な体勢をとったりする行動は、極論、死を避けるための生物共通の反応と言えるだろう。山本は、完全に身を床に投げ打つでもなく、かといって振付として固定された動きをしているわけでもない。死に対する自分の反応を完全に無視するのではなく、むしろ本能的に起こる防衛反応や恐怖心と遊んでいるかのようであった。リハーサルなのだから、100パーセント本気で死に向かって動くのではない。しかし死に向かおうとする感じは経験している。このように、常に何かと何かの間に居続ける身体性を、真摯に追求しているように思われた。ただ、他の出演者との間で、動きに関するアイディアが共有されているという印象は薄く、ダンサーの動きの質にバラツキがあった。もし戦略的にバラつかせているのであれば、そのことが伝わる工夫がほしい。
異界を想わせる演出は独特だ。ラスト、天井から粘り気のある白い液体が、細い糸のようにツーっと床まで落ちてくる。まさに天から垂らされた、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』である。小さな劇場空間を、壮大なスケールの世界観が満たしていた。

osaka1805c_09.jpg 山本和馬『Rehearsal  of  Heaven』 osaka1805c_10jpg 山本和馬『Rehearsal  of  Heaven』

以上が、今回筆者が鑑賞した作品である。最後に『ダンスの天地』では、主催者が振付家を訪ねて行ったインタビューが公開されている。さらに公式SNSやフリーペーパーなどで、批評家によるレビューを発信する点にもこの企画の特徴がある。筆者は、ダンスを言語化するプロセスにも力を入れた企画として『ダンスの天地』に注目した。関西でコンテンポラリー・ダンスが最も盛んなのは、やはり京都だろう。この意味で、神戸という場所で始まったこの企画の意義は深い。ダンス文化の活性化には、振付家やダンサーが活動するプラットフォームが必要だからだ。ただそれと同じくらい、生まれては一瞬に消えてしまうダンスという出来事をまずは拾い上げ、言語化し、文脈づけることも重要であるに違いない。せっかく生まれたダンスが単に消費されてゆくだけでは、あまりにもったいないからである。
今回のvol.00に続く、『ダンスの天地』vol.01は、2018 年9月2日(日)に開催予定である。
(2018年3月31日夜 神戸アートビレッジセンター)