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三崎 恵里 text by Eri Misaki 
[2017.02.10]

ロサンゼルスを拠点とするコンテンポラリーのカンパニー、ボディトラフィックのニューヨーク公演

Bodytraffic ボディトラフィック
“Private Games: Chapter One” by Anton Lachky、 “3 Preludes” by Richard Siegal、“Death Defying Dances” by Arthur Pita
『プライベートゲーム、第一章』アントン・ラッキイ:振付、『三つのプレリュード』リチャード・シーガル:振付、『死を恐れぬダンス』アーサー・ピタ:振付

ロサンゼルスを本拠に活動するコンテンポラリーダンスカンパニー、ボディトラフィック(Bodytraffic)がニューヨーク公演を行った。アメリカ西海岸のカンパニーの中でも将来を担うカンパニーとして、高く評価されているグループである。

ny1702c_03.jpg BODYTRAFFIC dancer Matthew Rich.
Photo by Rory Doyle

『プライベートゲーム、第一章(Private Games: Chapter One)』はアントン・ラッキイ(Anton Lachky)の振付。
もやがたちこめる薄暗いステージに、ドラム曲が流れる中、半裸の男性が床に座り、ドレスを着た女性がその肩に手を置いて立ち、彼女の髪の毛を整えるようにするもう一人の女性の姿で作品は始まる。軽快な音楽になると女性たちが消え、数人のダンサーが男性に加わり群舞となる。
クラシック曲に非常に速い振付だ。バレエを基にしたテクニックだが、大きくデフォルメされている。主役の裸の男性が他のダンサーを操るような動きがあった後、ソロを踊る。ゲームのコマのように動く他のダンサーたち。裸の男はぶつぶつと何かを言いながら、一人の世界に入って動いている。すると、ドレスの女性が出てきて、観客に向かって突然しゃべりだす。自己紹介をし、男は自分の夫だという。妻の言いなりに動く男。どうやって二人が逢ったかを「妻」が説明する間、その経過を表現するかのようにダンサーたちが踊る。
超高速で速い回転などが入っているが、非常に困難で難解な動きだ。突然、ドラムの激しい音楽になり、ダンサーたちが叫び出す。「夫」だけがステージに残って、ゲームにはまり込んでいる様子。気が付くと他のダンサーが全員動きを止めて、自分の言いなりになると彼は気づく。再び激しい音楽になって、全員がリズミカルなドラム曲に速い動きで踊る。スモークはゲームの世界にはまり込んでいる人間の意識を示すかのように思われた。ダンサーたちは激しく踊ってすむと自分で手を叩いて、観客に拍手を促す。すると一人の男性が「妻」と全く同じセリフをしゃべりだす。主役の男性を「夫」と紹介して、先ほどと同じような場面になるが、妻が現れる。「夫」を取り戻した妻にスポットが当たり、「皆さん、ごきげんよう」と語りかけて終わるが、しゃべっている途中で、わざと声がつっかえる。これは妻そのものも、ゲームの世界の存在だと示唆しているのだろうか?つまり、一人の男がいかにゲームの虜になっているかを表現した作品と思われた。
ダンスに台詞を導入するのは、長年新しいスタイルを模索する、特に米国西海岸のモダンダンスカンパニーの間に流行った手法である。ある意味、懐かしい思いがしたが、ダンスに台詞を入れるのは動きでの表現の努力を妨げる、安易な方法として、私は賛成できない。確かに昨今のコンテンポラリー・ダンスは動きの斬新さを作ることに流れて、非常にメッセージを伝える力が弱いものが多いが、台詞に逃げず、動きだけでどうやったら観客と本当にコミュニケートすることができるか、ということにフォーカスを当てて欲しいと思われた。

次に踊られた『三つのプレリュード(3 Preludes)』は、リチャード・シーガル(Richard Siegal)の作品。ジョージ・ガーシュイン(George Gershwin)の同名の曲に振付けられたものだ。これは完全に踊りだけの作品で、第一セクションでは、普段着の3人の男性と一人の女性の踊り。比較的オーソドックスな動きで見やすいものだ。第二セクションは男女のデュエットから、もう一人の男性が加わってトリオになる、リリカルなダンスだ。ロマンチックな動きで終わる。第三セクションはすっきりとした、スリックな群舞であった。全体を通して、違和感を感じさせない、ダンスらしい作品だが、完全な音楽の視覚化で、見る者の心に何も残るものはなかった。

ny1702c_02.jpg "Death Defying Dances" by Arthur Pita. Photo by Yi-Chun Wu.

最後に踊られた、『死を恐れぬダンス(Death Defying Dances)』は1960年代にアメリカでビート世代の女王(Queen of the Beatniks)と呼ばれたシンガーソングライターのジュディ・ヘンスキー(Judy Henske)の人生を彼女の曲を使って踊りにしたもの。アーサー・ピタ(Arthur Pita)の振付。注釈として、「このカラフルで魂こもる作品は愛の悲劇を語るものである」とあった。
ステージは多くのセットで飾られており、床に大きな正方形の布を敷き、黄色いレースの布を後ろに張ってある。立っているダンサーたちの中の男の一人が女にキスをして、そのまま横たわらせて作品は始まる。
カラフルでカジュアルな衣裳のダンサーたち。踊るダンサーの一人にもう一人がキスをして横たわらせることを繰り返す。ダンサーたちが床の布を取り去ると、「愛なんてくそくらえ(Love Sucks)」と書いてある。作品はヘンスキーが歌った曲を使って、どんどん物語が展開した。この作品でも、音楽に重ねて、ストーリーがダイアローグという形で流された。ヘンスキーと思われるキャラクターを女装の王妃(クィーン)として表現。ちやほやされながら、妊娠する彼女を表現する。しかし、夫との関係が悪化して、二人は別れる。この間に後ろ全面にかけられていた大きな黄色いレースの布をダンサーたちが操って、天幕の様にアレンジしなおして場面の転換を行う。ところどころで、ダンサーにもう一人がキスをして横たえ、横たえられた方はすぐに起き上がって踊り続けるということを繰り返す。これは観客の意識を刺激することには成功しているが、何を意味するのかが全く不明で、不可解な気持ちだけが残った。
時にダンサーたちが動物の置物を舞台全体に置いたりするが、これも意味が不明。主人公は産まれた子供を抱いて踊る。その次の場面では、男性ダンサーがヘンスキーの肖像画を顔の前に立てて、娼婦のような恰好をして踊る。恐らくは、離婚して人生の次の章に移行したヘンスキーを描いたものと思われる。流れるダイアローグに合わせて、ハイヒールを履いてくねくねと踊り、ヘンスキーのパワフルな歌声が流れる。ここではダンサーたちも歌いながら踊った。女性たちはハイヒールをはき、絵筆を口にくわえている。やがて活気あるフォークソングになり、6人のダンサーたちが踊りあげ、最後にみんなキスをして倒れる。
この作品では、歌詞もあればダイアローグも流して、観客に分かりやすくなっており、好感を持った観客も少なからずいたようである。しかし言葉を使うのであれば、ダンスである必要はないと思われた。ミュージカルのように言葉とダンスで表現するのも、確かに一つの表現のスタイルだが、ダンスカンパニーと名乗るからには、踊りだけでしっかり表現し、メッセージを伝える舞台を見たいと思われた。
(2017年1月22日午後 Joyce Theater)

ny1702c_01.jpg "Death Defying Dances" by Arthur Pita. Photo by Yi-Chun Wu.