インタビュー & コラム

コラム(その他)

身体にまつわるコラムやダンサー日記など、「観る」「読む」「学ぶ」コンテンツをお届けします。

コラム(その他)の記事一覧

キャラクターダンス講座 クラシック・バレエとキャラクターダンスその4:メヌエットについて

キャラクター・ダンス講座 第6回クラシック・バレエとキャラクターダンスその4:メヌエットについてブロッサール大修道院長だった、ある一人の司祭こそ、メヌエットについて最初に思い浮かぶ人物です。彼の話によれば、この踊りはフランス中西部のポワトゥーで生まれたとされます。メヌエット(menuet)という名前は、細かく(menus)ぎっしり詰まったステップに由来するそうです。メヌエットの基本のパ(ステップ)

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2014/01/10掲載

キャラクターダンス講座 クラシック・バレエとキャラクターダンスその3:チャルダッシュについて

キャラクター・ダンス講座 第5回クラシック・バレエとキャラクターダンスその3:チャルダッシュについてチャルダッシュはハンガリーの踊りで、1830年頃最盛期を迎えました。その名前は、「宿屋」「ビール屋」といった意味です。チャルダッシュの音楽は2拍子系で、たいてい4分の2拍子か4分の4拍子です。ゆっくり始まり、いつも速いテンポ、さらには非常に速いテンポで終わります。その起源は、ハプスブルク家(オースト

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2014/01/10掲載

キャラクターダンス講座 クラシック・バレエとキャラクターダンスその2:タランテラについて

キャラクター・ダンス講座 第4回クラシック・バレエとキャラクターダンスその2:タランテラについてタランテラは、陽気ではじけた踊りで、南イタリアから伝わり、古い伝説をもちます。この音楽は2拍子系で、たいていは4分の2拍子ですが、時には12分の8拍子のものもあります。この踊りの始まりは、おそらくディオニソスの豊穣の祭りに端を発するようです。酒の神ディオニソスがメナードという巫女を伴う姿は、春の再来、緑

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2013/11/11掲載

キャラクターダンス講座 クラシック・バレエとキャラクターダンス:その1マズルカについて

キャラクター・ダンス講座 第3回クラシック・バレエとキャラクターダンス:その1マズルカについてマズルカ、チャルダッシュ、タランテラ:これら3つの踊りは、バレエにおいて特上の地位を占めています。その本質が民族的な伝統の中に見える3つそれぞれの独特な世界です。ここでは、それらの起源について述べていきます。多くの振付家や作曲家が、民俗芸能に対して興味を抱いていたことは、よく知られています。まず最初に例を

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2013/11/11掲載

キャラクターダンス講座 庶民のダンス、民俗舞踊、伝統舞踊、国家の舞踊:それぞれの違い

キャラクター・ダンス講座 第2回庶民のダンス、民俗舞踊、伝統舞踊、国家の舞踊:それぞれの違い前回の記事で、民衆のダンス、伝統舞踊そして民俗舞踊がダンス・ドゥ・キャラクテールのインスピレーションの源となっていることを、どれほど強調したことでしょうか。これらの様々な定義の礎となっている概念から取り組むのが、今はいいでしょう。実際、多くの部分がそれらのダンスに共通していますが、それぞれの哲学と美しいステ

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2013/08/12掲載

キャラクターダンス講座 はじめに ~ダンス・ドゥ・キャラクテールについて語るにあたって~ 

ナデジタ先生のダンス・ドゥ・キャラクテール講座 その1生まれ変わりゆく、ダンス・ドゥ・キャラクテールダンス・ドゥ・キャラクテールのテクニックは、クラシック・バレエの発展と密接に関連しています。 『白鳥の湖』『眠れる森の美女』『くるみ割り人形』など、グランド・バレエの代表作の中だけでも、理由は忘れられていますが、ダンス・ドゥ・キャラクテールが大幅に取り入れられています。そして、このダンス・ドゥ・キャ

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2013/04/10掲載

「日本のダンスはじまり物語」イトウミチオという舞踊家 Vol.3

伊藤道郎は、1914年、第1次世界大戦の勃発の混乱を逃れて、ドレスデンからロンドンに移る。当時は列強の帝国主義華やかなりし頃で、02年には日英同盟が締結され、04~05年は日露戦争、14年には日本はドイツに宣戦を布告している。   また1851年、ロンドンのクリスタルパレスで第1回の万国博覧会が開催され、オランダ人が日本の屏風を初めて紹介。1862年のロンドン万博では、初代駐日英国公使オールコッ

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2009/02/09掲載

「日本のダンスはじまり物語」イトウミチオという舞踊家 Vol.2

伊藤道郎は声楽家を目指して、1912年11月6日、日本郵船の伊豫丸に乗って横浜港からドイツへと旅だった。貨物船だったので同乗した船客は石橋勝浪と斉藤佳三の二人だけだった。ちなみに石橋はパイロットになるためにパリへ向かうところで、彼は後にフランスの空軍士官として戦闘に参加している。   斉藤は当初、音楽を志したが岡田三郎助の影響を受けて東京美術学校に転身した。山田耕筰と交遊があり、ベルリンでは共にロ

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2009/02/09掲載

「日本のダンスはじまり物語」イトウミチオという舞踊家 Vol.1

 第一時世界大戦が勃発する前の1910年代から、東京オリンピックが開催される直前まで、アメリカやヨーロッパの舞台を巡って活躍した伊藤道郎という日本人舞踊家をご存知だろうか。  伊藤道郎は、芸術家兄弟として有名な、鉄衛(建築)・祐司(音楽/舞台美術)・熹朔(舞台美術)・圀夫(千田是也・俳優/演出)伊藤兄弟の長兄である。  道郎は、1893年(明治26年)神田三崎町に生れた。父は明治19年に渡米し、

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2009/02/09掲載

「日本のバレエはじまり物語」エリアナ・パヴロバとオリガ・サファイア その十一 エリアナ・パヴロバと貝谷八百子

コラム/その他関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi 前回まで書いてきたように、エリアナ・パヴロバは日本のバレエ界を発展させる多くの教え子を育てた。エリアナはその多士済々の教え子の中で貝谷八百子には、華やかなスターの資質を認めていたと思われる。   八百子の父は、九州で財をなした代議士の貝谷真成である。八百子は1921年福岡県に生れ、幼い頃は身体が弱かった。日本舞踊を基本と

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2009/01/31掲載

「日本のバレエはじまり物語」エリアナ・パヴロバとオリガ・サファイア その十 エリアナ・パヴロバと服部智恵子

コラム/その他関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi 服部智恵子は1908年12月25日、帝政ロシア治下のウラジオストックに生まれた。父は滋賀県出身の貿易商で、彼女は長女だった。 ウラジオストックでは日本人小学校に学んだが、ロシア人の友人も多く、社交ダンスを学びやがてバレエに魅了される。 サンクトペテルブルクのバレエ・アカデミーでアンナ・パヴロワと同期だったルジンスキーに師事

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2009/01/31掲載

「日本のバレエはじまり物語」エリアナ・パヴロバとオリガ・サファイア その九 エリアナ・パヴロバと東勇作

コラム/その他関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi 東勇作は、前号でご紹介した橘秋子や貝谷八百子とともに、当時の日本には存在しなかったバレエを非常に熱心に苦労して学び、日本にバレエを確立しようと情熱を傾けた最初の人である。 特に東勇作は、ディアギレフによって世界的な評判となったバレエ・リュスへの関心が強く、海外から取り寄せた資料によってフォーキンやニジンスキーの作品の上演を

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2009/01/31掲載

「日本のバレエはじまり物語」エリアナ・パヴロバとオリガ・サファイア その八 エリアナ・パヴロバと橘秋子

コラム/その他関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi よくいわれるように、エリアナ・パブロバの下からからは、多くの日本バレエの先駆者たちが巣立った。東勇作、貝谷八百子、橘秋子、服部智恵子、島田廣などがその代表的な人々である。しかしみな日本のバレエの先達らしく、それぞれ自身の目的をもっていたので、つぎつぎと彼女の下から去っていった。東勇作はエリアナの公演がほとんど小品ばかりだっ

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2009/01/31掲載

「日本のバレエはじまり物語」エリアナ・パヴロバとオリガ・サファイア その七 オリガ・サファイアの遺品について

コラム/その他関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi むろん、「オリガ.サファイア展」で展示した彼女の遺品を解説するのにふさわしい人は、ほかにいると思われるが、暫定的にどんなものがあったか、主な書籍関係について簡単にご紹介させていただきたい。   まず、最も豪華な装丁で、一際、目をひいたスイチン社版のトルストイ作品集(全20巻)。これはオリガの夫君、清水威久の母校東京外国語

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2009/01/31掲載

「日本のバレエはじまり物語」エリアナ・パヴロバとオリガ・サファイア その六 オリガ・サファイアのロシア時代

コラム/その他関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi オリガ・サファイアは、サンクトペテルブルクで三つのバレエ学校に通っている。   最初は1918年頃に、ミクロス男爵のバレエ学校に入学した。この学校はガガーリン街にあり、ガガーリン御殿とも呼ばれた建物を使っていた。この建物は現在も残っている。ミクロス男爵については不明だが、ニコライ2世の愛人としてマリインスキー劇場で権勢をふ

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2009/01/31掲載

「日本のバレエはじまり物語」エリアナ・パヴロバとオリガ・サファイア その五 オリガ・サファイア

コラム/その他関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi オリガ・サファイアは、以前も述べたように1936年に、日本劇場でクラシック・バレエを教える、というひとつのはっきりした目的を持って、政治的な緊張が高まる時節に来日した。 その翌年からは外国人と日本人外交官の結婚は条例によって禁止されたから、今日からみると、日本のクラシック・バレエにとって際どい一年であったともいえる。  

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2009/01/31掲載

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