キャラクターダンス講座 庶民のダンス、民俗舞踊、伝統舞踊、国家の舞踊:それぞれの違い

キャラクター・ダンス講座 第2回

庶民のダンス、民俗舞踊、伝統舞踊、国家の舞踊:それぞれの違い

前回の記事で、民衆のダンス、伝統舞踊そして民俗舞踊がダンス・ドゥ・キャラクテールのインスピレーションの源となっていることを、どれほど強調したことでしょうか。これらの様々な定義の礎となっている概念から取り組むのが、今はいいでしょう。実際、多くの部分がそれらのダンスに共通していますが、それぞれの哲学と美しいステップは根本的に異なるのです。
伝統舞踊と民俗舞踊はどちらも、団結を維持するための社会の中で発展してきたという、同じ主張を持っています。舞踊、音楽、文学、詩、そして手工芸は、同じグループの個人同士の関係を密接に結合させる表現形態という特徴があります。民俗芸能(舞踊)とは、定義では「民族の知恵」という意味です。それぞれの民族、地方の人たち、国民が独自の世界観を述べ、それを自分たちの伝統のなかに吹き込みます。このように、民俗舞踊は、定められた集団によって、この同じ集団のために創られた集団の創造力のたまものなのです。民族がその民族のために生み出された踊りは、たいていはお祭りのときに、団結し、楽しみ、同じ集団に属することを認め合う絶好の機会を提供します。

「いわゆる民俗的な」舞踊を踊る踊り手は、昔からその社会のほかのメンバーにより、貴重な権力の保持者、まとめ役として認められていました。人々を集めるほかに、これらの踊りは農作業や戦闘に備えて、あるいは建築現場でも踊られました。敏捷な肉体、丈夫な身体を保つために、呼吸し、ストレッチをし、筋肉を鍛えたのです。民俗舞踊についての文献のなかでは、個々の肉体の特質について言及している場合が多く、踊り手は偉大さ、力、敏捷性の模範とされています。力強く永続する社会は、長年、丈夫な人間の共同体の形として考えられてきました。用いられた動きは、生き延びるために差し迫った必要性に応じて、またその地域の気候や地形に合わせて自然と変わっていきました。その結果、ある地域の踊りは、ほかの地方の踊りと共通点があるとしても、それぞれ異なったものに発展しました。

ヨーロッパでは、伝統と関係がある踊りを定義するために、民俗舞踊や庶民の踊り、伝統舞踊の専門用語を特に区別せずに使われてきたのは珍しいことではありません。これらの解釈のあいまいさが、時が経つにつれ、観る側にも大きな混乱をもたらしました。モーリス・ルイは、1963年、庶民の踊りを、「庶民の間で生まれ、庶民から好まれる踊り」と形容しています(モーリス・ルイ著 "Le Folklore et la Danse" 1963年 maison neuve et larose刊)。その頃、彼は、マスメディアが拡大し、「庶民」という言葉の意味が大きく変化するとは考えていませんでした。

庶民の踊りを論じる際に、モーリス・ルイは、アマチュアが集い、教養的なダンス・サークルについて言及しています。そういったサークルでは、メンバーが自分の父親や祖父、さらに遡った祖先が踊ったように踊っていました。「共に生きる」ための踊りは、概ね19世紀に定着しましたが、人々はもっと昔からだと考えるのを好んだのです。当時、「大衆」とは、まだ、ある社会階級に限られていました。
しかし、テレビや社会のネットワーク、動画サイトの到来により、「大衆」は巨大な規模に膨れ上がりました。これ以降、「庶民」だけでなく、もっと多くの人々が一つの振りを繰り返すには、ビデオクリップやヒットした映画の振付で十分です。こういった振りの真似が繰り返される現象は、国境や社会階級の枠を超えて広がっていき、流行の時以外はあまり見られません。庶民の踊りが現在では、大衆の踊りと混同されています。

付記1:庶民のダンス
ツイスト:1960台に世界的に大流行したダンスで、腰や足をひねって踊る。フランスの有名な歌手ジョニー・ホリデーは、ツイストを世界中に流行させた一人といわれる。
Johnny Halliday "Le Twist"(ジョニー・ホリデーの「ツイスト」(YouTube 参照)。ここではバックダンサーが、視聴者に踊り方のお手本を示すために登場する。)

それにもかかわらず、民俗舞踊と伝統舞踊は、今でも民族や、地域、同業者といった構成メンバーが強いつながりを持つグループの中で踊られています。それらの踊りは今でも、そして常に、参加する人々の間の強い絆をさらに強める役目を負っています。しかし、「民俗舞踊」と「伝統舞踊」の間には、明確な違いがありますので、ここで正確に述べるべきでしょう。民俗舞踊は、何よりもまず、ひとつの同じ社会集団の人たちの間で共有されていますが、

付記2 :民俗舞踊
a)フランス最南西部バスク地方の踊り
ムチコ(Mutxico)という名のこの踊りは、本稿の説明のため、2013年6月9日ビダール村役場前広場で、特別に撮影された。ここでご紹介するときのように、踊りに参加する者は、それぞれの気の向くままに踊りの輪に加わり、特別な演出もない。共通する同一性を共有することが重要なのである。衣装に特別な関心が払われることもなく、人々は「あるがままに」踊っている。髪や服装を直すのも自然に行われる。画面奥の子どもたちが夢中で大人の真似をしている姿にもご注目を。

b)フランス北西ブルターニュ地方フェスト・ノズで踊られた民俗舞踊。
一定の集団のダンス。参加者全員がそれぞれのレベルで踊るよう誘われる。ブルターニュ地方のそれぞれの紋章と旗が見える。(YouTube参照)

それらの踊りが生まれた社会で、それらの踊りの規則と構成要素が固定し、定期的に観客の前で再演されるようになると、伝統舞踊と見なされます。その基本的な役割は、単にグループの同一性を宣言するだけでなく、これらの行事の際、踊り手と彼らを観る観客との区別ができてきます。目的が変わったのです。生きていくための踊りから見せるための踊りの地位へ。伝統舞踊は、こうして、ある集団のメンバーの同一性を演劇化したものになっていきます。

付記3:伝統舞踊
アマチュアの踊り手が観客の前で踊る。以下の例において、参加者は共通の同一性を共有し、守り、主張したいと願っている。
a) フランス最南西バスク地方のグループ、アケラールによって踊られる「ムッシュー・ベテルのファンダンゴ」(FANDANGO DeMonsieur TETTELU):観客の前で踊るため、特別に創られた。このダンスは、バスクの踊りの創作者たちを再結集させることとなった。踊り手はアマチュアであるが、定期的に高度な訓練を受けていることは明らかである。衣装は手が込んでおり、深い意味をもつ。

そして、彼らは幼い時分からも踊っている:
b)バナコ(BANAKO):フランス最南西バスク地方のダンス-男らしさを競う踊り

c) アル・ヴロ・ヴィグデン・プリン(Ar Vro Vigoudenn plinn):フランス北西部ブルターニュ地方のダンス。観客は正面に座っているが、踊り手は背中を向けることを気にしていない。この場合、同一性の演出のほうが、観客を前にした踊りという概念に勝っている。(YouTube参照)

そのため、アイルランドの聖パトリックの集いやフランスのフェスト・ノズ(ブルターニュ地方のケルト音楽に合わせて踊るチェーンダンスパーティ)、カナダ、ケベック州の民俗芸能祭、そして他の多くのこのような祭りは大成功を収めています。どの国でも、自分たちのルーツの価値を引き上げるために、このような同じ考えに注目します。一人一人に、自分たちはユニークなので珍しいという感情を煽る現象は、それによってさらに、自分に誇りを抱かせるのです。

この微妙な点をもっと利用する術を心得ていたのが旧ソビエトです。旧ソ連政府は、異質なグループからなる均一でない民族に、一つの巨大な国家に属しているという感情をたたき込みたいがために、民族一覧表のような踊りを振付けるのに、様々な民族芸能から勝手に借用しました。ラインやステップ、華麗な一節、衣装などすべては人々の心に衝撃を与え、刻み込むために調達されました。固定した枠のなかで定められたこれらの作品は、この場合、国家の舞踊と呼ばなくてはなりません。これらの舞踊は実際、イデオロギーの演劇化であり、もはや集団の同一性の演劇化ではありません。

付記4:国家のダンス
a)ロシア赤軍合唱団のコサックダンス
コサックと思われるこのダンスにおいて、赤軍合唱団は理想的な愛国心を演出している。戦いと強さは名誉なのである。ステップでのこれらの主張は、大衆にとって、ロシア国家(旧ソ連)の踊りの代表的なものとなった。振りは、本質的にウクライナとロシアの民俗舞踊のステップから取られており、高いレベルのプロのダンサー向けに手直しされている。衣装は一般的で、伝統的なものをいくつか組み合わせたものに当てはまるようだ。音楽は、旧ソ連の特定の一民族を思い起こさせないようにアレンジされている。(YouTube [ les choeurs de l'armee rouge(les danse cosaque) ]参照)。

b)ウクライナ国立民族舞踊団パブロ・ヴィルスキーのコサックダンス Virsky Hopak(Ukrainian danse)
ロシア精神の真髄を適切に表現しているこのダンスも、旧ソ連のすべてのダンス、この例ではウクライナの踊りを引き継いでいる。男性のステップは、上記a)のロシア赤軍合唱団のステップと違いはない。(YouTube [ Virsky Hopak(Ukrainian danse) ]参照)

庶民のダンスが流行と結びついた、大衆による現象であるのに対し、民俗舞踊はその踊りの愛好家の間で行われます。また、伝統舞踊は観客と共有し合い、国家の舞踊は思想を強制するものです。これら4つの舞踊形態は、ある思想の集大成であり、社会的であれ、民族的あるいは政治的であれ、一つの集団に共通の創造力の成果である点が共通しています。

ダンス・ドゥ・キャラクテールは、実際に、これらの様々な舞踊のバリエーションから着想を得ていますが、その思想は全く共有していません。

付記5:ダンス・ドゥ・キャラクテール
ナデジダ・L・ルジーヌ振付、ゲルシー・アカデミーの生徒による演技。ダンス・ドゥ・キャラクテールで、観客にスラブ地方を彷彿とさせるミニチュア版を見せる目的で、ウクライナを引用。大きなスラブ地方全体を模写することが問題ではなく、ミニチュアを通して、詩情豊かに物語を語ることが重要である。


ダンス・ドゥ・キャラクテールは、何よりもまず、一人の芸術家、ただ一人のクリエイターの考えを演劇化したものです。それはプロのダンサー(または、さらに国家の舞踊のように、教えを受けたアマチュア)によって踊られ、演出の作法の正確な枠組のなかで進化していきます。キャラクテールの踊り手は、自分のアイデンティティを主張するのではなく、ある人物を演じるのです。そして人生の一面を演じます:矛盾や夢、欠陥、逆上、喜びで形づくられた一人の人間、私たちの人生。本物らしい人物、あり得る人物、信じられる、もしくは信じられない人物であっても生き生きしていれば、その人物が本物かどうかは、ほとんど重要ではありません。

伝統舞踊はひとつの同じ社会のメンバーを結びつけるものをよりどころにしていますが、ダンス・ドゥ・キャラクテールは、ひとつの世界を描くという目的で、登場人物一人一人の違いを重視しています。

ダンス・ドゥ・キャラクテール、すなわち「登場人物の踊り」は、伝統舞踊、あるいは庶民の踊りから演劇的方向に傾いていますが、登場人物と観客の間に、「役者」という追加の存在でもあり、根本的な存在をもたらすのです。

[筆者紹介] ナデジダ・L・ルジーヌ Nadejda L. Loujine

現在、ゲルシー・カークランド・アカデミー(New York)、ゲスト教師。ジョフリー・バレエ・スクール(New York) ゲスト教師。
元パリ・オペラ座バレエ学校教師。
パリ・オペラ座バレエ団、ジャン=ギヨーム・バール振付『泉』のレ・ダンス・コカジエンヌ(コーカサスの踊り)振付助力。テアトル・デュ・ソレイユ 教師および振付アドバイザー アリアーナ・ムーシュキン演出『Les Naufrages du Fol Espoir』。バルセロナ・オペラ座 Grand Teato del Liceo 『スペードの女王』振付・指導。その他、モリエールをはじめ、多数の演劇作品に振付。
Chevalier des Arts et des Lettres受章。
著書 「ダンス・ドゥ・キャラクテール」アンフォラ社
URL www.dansedecaractere.com

コラム/その他

[ライター]
ナデジタ.L. ルジーヌ Text by Nadejda L. LOUJINE
[監修]
今井 美樹 Miki Imai
[訳]
香月 圭 Kei Kazuki

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