上田遙×東山義久:『モーツァルト‥‥―オレは誰だ!!―』インタビュー

上田遙が作・演出・振付をするDramatic Super Dance Theater「モーツァルト‥‥―オレは誰だ!!―」が銀座、博品館劇場にて来月開幕する。これまでにも「サロメ」や「マクベス」などで東山義久とタッグを組み、毎回独自の世界観で全く新しいオリジナルのダンス公演を創り上げてきた二人に、次回の新作について話を伺った。

----モーツァルトについては様々なジャンルでたくさんの作品がありますが、今回の作品の特徴を教えてください。

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上田 僕が小さい頃から目標にしていたひとつがチャップリンの世界、道化の世界なんです。放浪者チャーリーはチャップリンが努力の末に作り上げた道化なんですよね。
今回で東山君とは4作目ですが、初めて道化的な世界をやることにしました。道化というのは一つはおどけて物語を仕立てていく。もう一つは人間の悲しみとか絶望、そういうものを全部背負っている。だけどそういったものを人には見せずにいて、自分の中にはぽっかり空いた孤独というものがある。そういう道化のモーツァルトを仕立て上げる。そしてほかの出演者も全員道化なんですよ、ゲーテもマリー・アントワネットも。デタラメといったら言い方がおかしいですけど、その時代がこうだったというのではなく、道化が出てきて演じている中で、モーツァルトを演じているもう1人のモーツァルトが、人間の音楽とは何なのか、人間とは何なのかという真実にだんだん近づいていく。チャップリンの映画の中でも必ずそういうシーンがあるんです。
しかも人間に対する希望であって人間を否定するものではない。愛というものが溢れている、そういう喜劇的なダンス公演です。
基本的にはダンス公演で、東山君と、今回は同世代の植木豪くんというカードの裏表のような二人が向かい合うことによって物語が展開していく中で、音楽とは何か、というようなものを探り当てていく。音楽とは何かというのは、イコール踊りとは何かというのとそっくりなので、そういった物語にしようと思っています。

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『モーツァルト‥‥―オレは誰だ!!―』舞台稽古より

----チャップリンの世界を目指すに当たって、モーツァルトを題材に選んだきっかけは何でしょうか。

上田 モーツァルトの曲って踊りたくなるんですよね、あの時代のポップスだから。バッハのように神に対して書かれているわけではないし、王様に書いたわけでもない。だから食べていけなかったわけです。大衆の音楽で、初めてのポップスと言われている。死ぬまでの間にオペラも含めてものすごい数の曲を書いていますが、それを悩まないで絵が浮かんだように書いていく。それだけの音楽がどこから生まれてくるのかを考えるとモーツァルトこそが本当の天才で、そしてもう一人忘れてはいけない人物がベートーベン。彼は努力の人だけど、モーツァルトは天才だったと誰もが言う。
色々な資料を読んだ中でゲーテが、モーツァルトの音楽は悪魔の音楽で、彼の音楽を聴くとみんな仕事をしなくなってしまう、人類を滅ぼす音楽だというようなことを言っていたりとか、そういった様々な証言をまとめていった僕なりのモーツァルトが、自分の才能についていけず、自分の中の孤独からなぜ音楽が生まれて来るのか。僕が結論づけたのは、小さい頃に読んだ大好きな手塚治虫先生の世界のように宇宙が作った、宇宙の孤独が音楽を生み出した、音楽は宇宙の生命体なんだ、ということなんです。踊りや振付も含めて、答えなんて本当はないのですが。
ゲーテの名言「美しい時よ止まれ」とか、いくつか自分の好きなものを拾い集めて、あとは頼むねと東山君に投げていて、どうにかしてくれると思っています(笑)。
東山君にはジャンルというものがないんですよ。植木君もないし、僕もあまりそういうのは持っていないので自由さがあります。いまリハーサルしていても、表現のアイデアがぽんぽん浮かんでくるようにキャッチボールがあるので、進行表はつくりますけど、まだどういう風に仕上がるかは分かりません。どうなるのか楽しみです。

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東山 どうなるんでしょうね。まだ10日くらいしかやっていないのですが、全体でどれくらいの時間になるのか測るために一応1幕から2幕まで通してみたんです。一人で台本読んでいるよりもみんなと通してみたことで、着地点はここでこういうことを言いたいんだな、というのが分かりました。
上田先生とは「サロメ」の再演も入れると5回目になりますが、振付とかすごく早いんです。15分の振付をまさか1時間で終わらせるなんて、普通はないんですよ。それでさっきも言われていたように、あとよろしくね、それは与えた具材とレシピだから、あとは作りたいもの分かったでしょ、と。任せてくださることの嬉しさもあり、任されたからにはちゃんとやらなくてはという怖さもあります。
最初に先生からモーツァルトやるからって聞いた時に「そうなんですか、観に行きます!」って言ったら、東山君がやるんだよ!って言われて(笑)。もう本当にたくさんの人がモーツァルトは演じているし、演奏しているし踊っていると思います。帝国劇場で上演されているモーツァルトの印象も強いですし、僕は歌手でもないしミュージカル俳優でもないので、正直なところ最初はなんか嫌だなと思って(笑)。時代劇で言うと織田信長みたいに、散々やっているからもうええやんか、っていうような。やり尽くされていて、こうあるべきというような人物像が出来上がってしまっている感じがして、そういったものと次は戦わないとならないのかというのがまず最初にありました。
先生と僕とでは初めての喜劇的な作品で、喜劇って見ていて楽しいけれど、本当は一人なのかなとか、孤独なんだろうなとか、大変なんだろうなと思わせるような二面性がないと成立しないと思うんです。そんな大変な喜劇で、先生はこんな膨大な量の台詞のある台本を書いてくださった。今までも台詞はありましたが、こんな膨大なのは初めてです。今までもありました?

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植木豪(ゲーテ)、東山義久(モーツァルト)

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今井瑞(マリー・アントワネット)、東山義久

上田 全員に台詞をつけたのは今回が初めてですね。みんなが踊る中で台詞があった方がいいだろうと。今回は踊らない人もいますしね。

東山 だから今回、先生ってこんなこともできるんだと新たな一面を知りました。僕はダンサーですけど台本をもらって台詞を読み解くことも多いのですが、今回先生の台本をもらって読んでみて、すごい!と思って(笑)。

上田 (笑)、憧れがあったから。僕、最初に踊りを始めた時は入門クラスで、東京ヴォードヴィルショーとか無名塾なんかの役者さんが大勢いて、ダンサーばかりのクラスよりそっちの方が楽しくて、上達してからもそっちにばかり行っていたんです。それで役者さんをたくさん見てきて、どうして踊りながら台詞とか声を出したらいけないのだろうと思ってやってみたら呼び出しですよ、当時は(笑)。ところが青山バレエフェスティバルとか自由にやっていいようなものも出てきて、本当はそうなんだろうなと。自分がやりたいと思ったことを、踊りでそれを生かすためにはこういうのもあっていいんじゃないかな。外国では好きにやっていますし。
クラシックバレエを最後に振り付けたのは20年前のKバレエカンパニーです。僕が言うようなことではないかもしれませんが、クラシックバレエはダンサーを育てるのが大切なんです。育てたダンサーは口で言えば踊れてしまう。それだったら僕じゃなくてもいいな、と思って。そうではなくて、どうなるのかわからないドキドキ感、この人とあの人がやったらどうなるのか見てみたいという創作意欲があったんです。そうして東山君とやることになった最初の作品が「サロメ」、彼は娘役でした。

東山 16歳の役ですよ(笑)。

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東山義久、Homer(ベートーベン)、中西彩加(ベーズレ)

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東山義久、咲山類(レオポールト)

上田 やらせてみたらどうなるんだろうって(笑)。そういうチャレンジを自分のエネルギーにする人だと思っていました。
僕は最後から作品を考えていくのですが、東山君にこういう絵面があってこうしていきたい、そのためにこれとこれが必要でって話して、最初はドタバタで始まるんです。もうこれがダンスの公演なのかっていうところから始まって、それがだんだん美しくなっていく。こういうことにチャレンジするには、よほどの力量がないといけないんです。
東山君の持っているエネルギーと、空間と、どんどん変えていくものや孤独感など、そういうのって技術じゃないんですよね。両親がバレエダンサーでというようなエリートではなくて、いきなり甲子園じゃなくて地区予選から戦って来た、みたいな人でしょ。僕もそうだけど。

東山 草野球からですよ(笑)。

上田 それも人数の少ないチームでやってきたメンバーが今回は揃ったな、という感じです。
クラシックバレエを否定するのではないけれど、東山君のような、もっと違う人間としての生き方のほうが面白いなと思います。振り付けたらあとは助手に任せてというのではなく、しばらく近くに置いておいてどうなるんだろうなって見ていると、オーラがあるから周りが上手くなるんですよ。こういう叩き上げの人たちって、今のダンス界ではあまり多くないように思うんです。

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----上田さんはこれまでに多くのダンサーに振付や演出をされてきていますが、どんなダンサーに魅力を感じるのでしょうか。

上田 自分の予想を上回る人、こんな表現をするんだと思わせる人ですね。「サロメ」の時、東山くんは最後のリハーサルで足を痛めてしまったんですが、大丈夫?って聞くと、大丈夫って言うんですよ。全然大丈夫じゃないのに。もう足引きずって、っていう時にいよいよ本番。それでどうなったかというと、本番はもっと激しく踊っているんです。それで余計悪くしてるのに、聞くとまた大丈夫って言うんです。そういう人たちってなかなかいないですよ。お客さんが観に来た時にはもっとやるっていう人、僕が今まで出会って来た中でも数少ないうちの一人です。

----東山さんの魅力もそういったところでしょうか。

上田 東山君って、何に対してこんなにエネルギーを燃やせるんだという人なんです。「サロメ」の最後なんて、もう地獄のようなシーンで上から降り注ぐ塩だらけの中で踊るんですけど。

東山 水が欲しいって言ってるのに塩だらけで、漬物みたいになって(笑)。

上田 あのシーンは1曲踊るだけでもものすごいエネルギーが必要なんです、心と体力の両方で。それをやってもらっていました。

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東山義久

東山 そうですね。先生との最初の作品が「サロメ」で良かったなと思います。あれですごく自分の皮がむけて、こんなことも出来るんだと自分でも思いましたし、観客の皆さんも感じてくださったと思います。
あの時はDIAMOND☆DOGSのメンバーも出演していたので、いつも稽古場でバカやってるリーダーじゃなくてちゃんとこういう姿もあるんだ、と思ってくれたんじゃないかな。公演の最後の方は袖に観に来てくれていました。最後のシーンはある意味トランス状態だったので、もう360度観客がいるような感覚で踊っていました。
一番真ん中が汗かいてのたうち回らないと先生の舞台って無理なんですよ。そういうのをちゃんとメンバーにも見せられたし、自分でも経験できたというのは大きかったんじゃないかな。そのあとの「カルメン」や「マクベス」ものたうち回って、今回はもう少し汗かかずに出来るかなと思ってましたが、そうでもないようです。
僕はニジンスキーも演じたことがあるのですが、神格化された人ってそれを汚すなという部分がすごく多いと思います。イメージはこうだからというのがあって。さっきも言いましたが信長の髭はこうなってるみたいな。なのでこういう人物を演じる時に、いかにイメージをぶっ壊しながら、僕の主演でやる以上僕を通したモーツァルトであったりサロメだったりしないと、誰がやってもこうなるっていう台本でもないしテーマでもないので。そこが難しいけれど、それでも今の僕でしか出来ないと思いますし、僕がやるべきだと思います。

上田 東山君の魅力の一つに、生々しさというのがあるんですよ。これはなかなかみんな出さないものです。舞台は生々しいものをオペラだとかバレエという芸術だと偽って、実は白タイツをはいた人を貴族たちがグラス越しにそうっと見る、みたいなエロティックな部分もあったわけですよ。シェイクスピアだって結局は売れたかっただろうし女性にもてたかった、モーツァルトにだってどこかそういうところがある。だけどイメージもあるから、こういうことをやるのは勇気がいります。でもそんな綺麗な事ばかりじゃなかったというのも、大切なことなのではないかと思っています。そういう人間性の中でも絶対に持っているものはあると思うので、きっとこうだったんじゃないのかというのを勝手にやってもいいはずなんです。

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----モーツァルト以外の役柄についても、お話できる範囲で教えてください。

上田 まずゲーテ。昔から、本当は全員地獄の音楽が聞こえているのに、耳のサイクルがちょっと違うから聞こえていないんだという話があって、また、どうも悪魔に会った人がいるらしいっていう話があちこちにあって、創造の書というのも出ている。それがツタンカーメンのところに何枚かあって、全部集めると悪魔を呼び出せる、絶大な力を得られるという話がある中で、ファウスト博士だけが実際に会ったらしいというのをゲーテが聞いて「ファウスト」を書いた。そんな背景があります。
一方、今の世界もこれだけ科学が発達したのにまだミサイルを打ち合って人を傷つけていて解決できていない、僕が創り上げたゲーテはそれをどうにか解決できないかと真剣に考えている。悪魔を呼び出して世の中を全部綺麗にしたいと思った時にモーツアルトが出てきて、これは人類を滅ぼすからまずどうにか遠くに消さなくてはいけないと悪魔を呼び出そうとする。そのためにはモーツァルトに恨みを持った人間が一緒に魔法陣に立って歌を聴かせなければいけないという設定にしたんです。

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木村咲哉

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今井瑞

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中西彩加

その一人がマリー・アントワネットで、モーツァルトが小さい時に求婚したという話がある。その小さい時に知られた秘密を二十歳になった時にみんなにばらしたモーツァルトを恨んでいるという設定です。
モーツァルトの父レオポールトは教育パパで一生懸命育てたのに、最終的には野良犬のように捨てられて死んでしまった。それを生き返らされて恨みを言いなさい、と。
ルイ15世は、当時は芸術家たちをコレクションしようとして拘束した時代だったんですが、モーツァルトはふざけるな、あんたの人形にはならないよと言ってルイ15世は捨てられ、傷ついた恨みつらみを持っている。
ベートーベンは、田舎者でボンから歩いて来て憧れのモーツァルト先生に会おうと思ったけど名前も覚えてもらえなくて、しかもその時モーツァルトがこいつはやばいぞ、才能あるかもしれないから潰しておいた方がいいんじゃないかと思ったなんて話もあったので、それをちょっと膨らませて。
そういう人間たちが魔法陣に集まって悪魔を呼び出す。この悪魔を意外と格好いいダンディな役にしてます。誰よりも格好いい、そして誰よりも人間らしい悪魔なんです。長澤君には今回初めて台詞をつけています。いちばん重要なところを。一番モーツァルトの心が分かっていて、君は才能がありすぎてより孤独だったんだね、と。

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長澤風海(大魔王サタン)

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長澤風海、東山義久

東山 僕の台詞で「次から次へとイメージがあって、ぽんと突然頭の中でまるで絵画を見るように音楽が飛び出すのさ」とあるのですが、そのまんま先生だな、と(笑)。1個あるとそこからもうどんどんどんどん、悪く言えばせっかち、良く言えば溢れ出したものを早く誰か受け止めてっていう稽古場なんです。実際、普通の人が4〜5時間かけるところを1時間くらいで終えてしまって、あとよろしくねって。それに応えられる人はなかなかいないです、情報と絵が早すぎますから。そういうような稽古場で、2年ぶりに先生のスピードを味わっています。
DIAMOND☆DOGSのメンバーも僕と中塚皓平、和田泰右、それから長澤風海と木村咲哉君は先生とやったことありますけど、(植木)豪も初めてだったので、最初の稽古の後に僕のとこ来て「上田先生ってああいう感じなの」「そう、慣れた方がいいよ」って(笑)。マシンガンのように話すから、情報が多すぎてついて行けなくなる。今回初めてのメンバーはきっと今頃、泡食いながらなんとか、という感じになってると思いますよ。
あと僕の周りにずっといるのが"ド・ミ・ソ"という役で、中塚、和田、新開理雄の3人がなぜか僕の音符の化身。(咲山)類とかだったらよかったんだけど(笑)。

上田 いや、だけど類君のレオポールトは一番意味深で、また一番きちっと歌を歌うので、今リハーサルを見ていてすごく気合が伝わって来ます。
僕が今まで役の作り方で一番評価されたのが"コロス"の使い方なんです。皓平君とか泰右君は今でも重要な役もやってますし、ソロでも踊れてなんでもできますが、今回のド・ミ・ソという役は・・。

東山 ネーミングセンスがすごい、ほかに何かなかったんですか(笑)。

上田 (笑)。全部の空間を転換していく、フォローしていくっていうのは、よほど僕のことを分かっていないとダメなんで、あえてコロス的な重要なところを任せたのが3人のド・ミ・ソとレオポールト。ここはきちっと僕のことも東山君のことも分かっていないとできない。リハーサルを進めていく上では本当に重要なところです。ここが信用できずに崩れてしまうと、学芸会っぽくドタバタになってしまうんですよ。でもこのド・ミ・ソがパッとやってくれたら空間が成立する、ということで抜擢してます。

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----モーツァルト役については、どんなふうに演じようと思っていますか。

東山 僕自身以上のことはできないと毎回思っているので、僕が演るモーツァルトがこの台詞を言うんだとしたら、この台詞にいくためにはどうするのかということをやはり自分の実体験から考えます。例えば僕にとっての孤独と彼にとっての孤独は全然違うと思いますが、実体験をモーツァルトという役を通して表現するしか僕の良さは出ないと思うので。それに今回はすごい量の台詞もあるし、今までの自分を総動員しないとだめだなと思っています。
昨日は稽古が休みで、5月に開幕する「ミス・サイゴン」の撮影があったんです。この作品で僕はエンジニア役をやりますが、この役はこれまで市村正親さんが演じてこられた流れがあって、受け継ぐ形になります。実際、例えばここで3番の立ち位置で後ろを振り返って指差したらジジやキムがいたりする。それは下手の3番から振らなくていけない、上手の4番じゃだめなんです。そういった意味での自由はないので、決まっている形を潰さないことが前提にあります。その中で指の指し方だとか声を発するタイミングとかで、同じ役を演じる4人の違いを出さないとならない。衣装も決まっているし、キャラクターのイメージももちろん決まっているじゃないですか。
それと今やっているモーツァルトは全くの真逆で、ゼロの怖さがあるんです。どちらが好きなのかというのは人それぞれだと思いますが、僕はゼロを1にするのがすごく難しいけれど好きなんでしょうね。だから僕はたくさんの様々なオファーをいただいても再演はやらなかったり、僕でなくてもいいのではないか、と考えてしまったりもしますが、この作品は自分でないとできないなと思うし、また僕のために脚本を書いてくださった。そのように両極端をやっているんだなと思った時、どちらが良いとか悪いとかではなく、どちらも成功させるけれど、成功のさせ方がまったく違うんだなと思います。

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左:Jeity(ルイ15世)

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東山義久、中西彩加(ミューズ)

上田 必ずこれを守りなさいっていうのは「白鳥の湖」などでもあるじゃないですか。自分はこう思ったけどそれが伝統だから、というのが。それに対してマシュー・ボーンたちは自分たちには自分たちの表現がある、こういう形があるんだと新解釈をしたりする。ずっと再演していこうと思ったら、同じことをし続けていくことになる。こういうことってオペラなんかでも起こっているんですよ。今度やるオペラでも、20年前の初演のスタッフが僕しかいなくて、そうするとビデオを見てこうだったらしいって作るから、魂が入っていかなくなってしまう。
最初に作った時のやりとりを知らないので、多くのものが失われてしまう。それで真似になってしまったりする。それを壊せるかどうかっていうのはなかなか難しい。自分たちが創ったものであればできるかもしれないけれど。
だから、"創る"ということをジャンルではなくスタイルでもなく、ただ、いま創る。なんて呼んでもらってもいいんです。ダンス公演って言ってもいいし、今回はたまたま台詞が多くなったというだけで。

東山 Dramatic Super Dance Theaterなんで、ダンスはやらないと(笑)。

上田 こういう東山義久を見てみたいと思ったから書いたので。
実は最初に東山君を観に行った時は怖くて声をかけられなかった。やばいな、近づかない方がいいって(笑)。なかなか勇気いりますよ、扱うとなると。よほどの作品を持ってこないとだめだなと。
だけどプロデューサーに推されて考えた末に、一番最初にやったのが「サロメ」。これだったら僕の作品が東山君に似合うものになるんじゃないかなって。やっぱり似合わないとね。

東山 うちのスタッフも、今まで色々やってきた舞台の中で3本のうちの1つが「サロメ」だって言いますよ。

上田 それは嬉しい!

東山 僕のダンス公演としては確かな代表作ですし、上田先生もこれ以上できないんじゃないかって言うくらい(笑)。いちばん近くで見て来たスタッフがそう言うんです。そういうのは嬉しくもあるし、毎回あれを上回らなくては、とも思います。

上田 挑戦状を叩きつけているようなものだね。叩きつけるものがないと挑戦状も書けないから。それがやっぱり嬉しいですよね。
チャップリンが、あなたの創った作品でどれが一番好きですかって聞かれると「Next One」て言う、次の1作を見ろって。そういう風な心構えでいなくてはいけない。東山君、植木君は「俺はもっと!」って、常にそういう雰囲気がありますね、この、中に収まらない感じが。それがいいと思います。

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植木豪

----植木さんとは久しぶりの共演でしょうか。

東山 きちんと共演するのは2年ぶりですね。振付やその他のことでは色々と協力してもらっていますが。

上田 僕は今回が初めて。「ALTAR BOYZ」を観た時に、こいつも変なやつだなって(笑)。

東山 僕とほとんど思考が同じですからね(笑)。

上田 東山君が出ると周りがちょっと萎縮したりすることもあるでしょ、自分の方が後ろだなって。植木君はそうじゃなくて、「そこどけよ、邪魔」みたいな(笑)。そういうことを言える人がいないと楽しくないに決まってるんですよ。全部ひとりで作品を背負っていかなくちゃならないし。

東山 いてくれて本当によかったですよ。僕一人じゃ保護者みたいになるから。初めてこういう作品に出るのもいるし。

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東山義久、木村咲哉(少年モーツァルト)

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東山義久、長澤風海

----最後に、今回の公演で注目して観てもらいたいところと、2020年はどんな年にしていきたか、抱負をお願いします。

東山 みなさんが持っているであろうモーツァルト像というのを、僕が前に出てぶっ潰してやろうと思っています。そうでないとこの作品はできないので。賛否は100パーセントあるとは思いますが、その中でもご覧くださった方々が、僕を通したこの作品を見た時に、こういう風な表現の仕方もあるんだ、これもありなんじゃないかな、と思える作品にしたいと思います。おそらくみなさんが予想されているような作品にはならないと思うので、良い意味で期待を裏切ったモーツァルト像、この作品を先生とキャストと一緒に創っていきます。
今年の抱負は・・。毎年書き初めをしていて、大体いつもは1文字なんですが、今年は「百花繚乱」と書きました。僕はダンスから始めましたが、僕より踊りが上手い人もたくさんいるし、歌や芝居が上手い人もたくさんいます。でも全部のそういうツールを自分の中に入れた時に、ここ歌いましょう、ここ踊りましょう、芝居しましょうっていうのが、自分の面白いところだと思うのです。だから今まで先生やメンバー、様々な方からいただいた刺激をインプットして、アウトプットする時に百花繚乱、舞台上で東山義久を通して作品をご覧になっていただけたら、というのが目標です。

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東山義久

上田 僕には作品を創る時に重要なものに空間というものがあります。銀座の街をこう行って、博品館についてエレベーターに乗って、劇場まで上がってドアを開けて入っていく。それが空間で、それをどう生かすのか。今回の劇場が持っている広さの中でこれだけのものをやると、かなり表情も見えるし、演者のやりとりがすごく細かく見える。博品館劇場は、舞台と客席が近いので熱が伝わりやすい、それを楽しんでいただけたらと思います。そのためにも一人ひとりを作り込んでいます。演出家っていうのはその人の良いところをどう引き出していくか、空間を含めてきらきらさせないといけない。このキャッチボールが生きて、演者が本当に役になりきって最高に楽しまないと面白くないので。そしてそれをお客さまも一緒に楽しんでもらって、参加しているような感じになるといいなと思っています。
今年はやっぱり、東山君には次にどういう人をもってきたらやばいんだろうっていうのを、ゆっくりまた考えて企画書を書いて色々なところに持っていくのが仕事かな。今ね、もう5つくらいは考えているんです。
今考えている一つに「死」というのがあります。ヴィスコンティの「ベニスに死す」ってありますよね。ベジャールがやったマーラーのあの綺麗なアダージェットをやったらどうかなって。
それから全然変わりますが、伊藤多喜雄さんという民謡界のレジェンドで本当のソーラン節をやってきた方。これもいいんじゃないかな、「東山義久ソーラン節を踊る!」って(笑)。
それから「シャコンヌ」を古澤巌さんとやってみて欲しい、これはみんな見たいんじゃないかな。というか俺が見たい。
そういうのをいくつか考えているんですけど、東山君は今のままでいいんじゃないかな。また違う人とやる時にどんどん違う東山義久が出てくれば。そいうことをこれから企画書を書いて持ち込もうと考えています。

東山 そのためには、まず今回の舞台を成功させないと次はないですから!どうぞよろしくお願いいたします。

----本日はお忙しい中、どうもありがとうございました。一体どんな舞台に仕上がるのかとても楽しみになりましたし、今後の新作にも期待しております。

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モーツァルト‥‥―オレは誰だ!!―

●2020年2月5日(水)〜14日(金)
●博品館劇場
●お問合せ:博品館劇場 03‐3571‐1003
http://theater.hakuhinkan.co.jp/pr_2020_02_05.html

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インタビュー&コラム/インタビュー

インタビュー・写真=上村 奈巳恵

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