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インタビュアー/関口 紘一
[2011.06. 9]

新国立劇場バレエ団ソリスト、小野絢子ロングインタビュー

『ロメオとジュリエット』そして『マノン』に挑戦します

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----日本舞踊を習われていた、とお聞きしましたが。
小野 はい、日本舞踊は小学校一年生から六年生くらいまでずっと習っていました。でもバレエを先に習い始めていました。

ーーーーそれはバレエのためにというお考えがあったのでしょうか。
小野 いえ、まったくありません。両方とも稽古場がご近所にありましたし、踊ることが好きでしたし、四つ上の姉が両方とも習っていたので始めたんじゃないかな、と思います。

ーーーーお姉さまの後ですからあまりイヤとかは言わずに。
小野 でも例えば最初は体操教室とか行かされたけど、直ぐにやめました。踊ることが好きでしたし、両方とも家から徒歩一分のところにあったから続いたのかもしれません。

ーーーーそうですか、ではバレエは「もうやめる!」とか思わずに。
小野 でも高校二年生の時に、2ヶ月間きっぱりバレエをやめてまったくお稽古にいかなかったことがあります。進路を考えなくてはいけない時期だったので、今までは好きなだけでなんとなくやってきていて、はっきりした自分の意志がわかりませんでした。それで考える期間を作ったのです。

ーーーーそれはどのくらいの段階といいますか。
小野 当時、私はまだコンクールなどにも全く出ていませんでした。小林紀子先生にずっと教えていただいてきましたが、私のほうからプロになりたいと意志表示しない限り、先生からプッシュされることはありません。しかし、高校生になって少しずつプロフェッショナルになるためのクラスになってきましたので、だんだんしっかりと考えなければいけない状況になっていました。

ーーーーそれで先生に話されたわけですか。
小野 はい、休学させていただきたいとお願いしました。ただその2ヶ月間というのは、高校の英語のコースでアメリカに行くことがカリキュラムで組み込まれている期間でした。語学研修のコースでしたが、私には主に今後の進路を考える期間になりました。

1106ono02.jpg 「白鳥の湖」ナポリ(左)撮影/瀬戸秀美

----環境が大きく変わりましたね。
小野 ええ、2クラス全員一緒に、提携している大学の寮に入って授業を受けさせてもらいました。
バレエとかそういうのがまったくなくなって、テネシーの田舎だったのでほんとになにもなくて。

ーーーーアメリカに行ってじっくり考えて、答えが見つかりましたか。
小野 でも結局、毎日体育館の隅でバレエの基本の動きをやっていました。

ーーーーえっ、シューズとか持っていかれたんですか!
小野 はい、一式やっぱり。お教室でみんなと一緒にクラスを受けるのと違って、一人で続けるのは忍耐がいるというか覚悟のいることですから、自分でもそんなことできるのかな、と思いながら持っていったんですけど・・・でも割とできたのです・・・・はい。

ーーーーそれは良かったということになりますね。
小野 そうですね、ほんとうに大切なものが改めて確認できましたし、自分に対して発見がありました。

1106ono03.jpg 「くるみ割り人形」 撮影/瀬戸秀美

ーーーーやっぱりシューズは捨てられないという・・・。
小野 ふふ、持っていきました。

ーーーーそうですか、それで帰って来られた。
小野 はい。「プロでやっていきたいのでよろしくお願いします」とはっきり紀子先生にご報告して、そこからコンクールに初めて挑戦するようになりましたから、ほんとにジュニアぎりぎりの時期からしか参加したことがないんです。17歳の一年間だけです。

ーーーーコンクールに参加するということはいかがですか。
小野 普通にお稽古していた場合、本番の舞台を踏む機会が発表会しかないので、一年に一回になってしまいます。けれどもコンクールに挑戦することでテクニックなどは強くなりますし、ダンサーとしての目標もできるわけですから。

ーーーーそうするとコンクールにも関心が湧いてきますね。
小野 ええ、経験を積ませていたたくわけですから。それから紀子先生が留学の手続きもしてくださいました。

ーーーーどちらに行かれたのですか。
小野 マルセイユに行ってパトリック・アルマン先生のところにお世話になりました。ここからローザンヌ国際バレエコンクールに出ました。それからアテネ・オリンピックのためにギリシャで特別に開催された英国のアデリーン・ジニー・コンクールにも、アルマン先生にみていただいてから参加しました。マルセイユを起点にしていろいろと活動することができました。大きなバレエ・スクールではなかったので個人的にしっかりとみてもらうことができました。

1106ono04.jpg 「くるみ割り人形」山本隆之と 撮影/瀬戸秀美

ーーーーマルセイユは地中海に面したフランス第二の都市ですね。どのような雰囲気の街でしたか。
小野 わりとイタリアに近いからでしょうか、ゆったりとしたとてもいい街でした。のんびりした雰囲気ですね、ブイヤベースが美味しい。

ーーーー海外のコンクールに参加されていかがでしたか。
小野 それまでもコンクールに出たことなかったのですが、日本から参加している方もいましたし、とにかく他の参加者たちが考えていることは「凄いな」と思いました。だいたい私のほうが年上で参加しているケースが多いのですけど、私は彼らの歳の頃まったく将来のこととか考えていなかった・・・。カルチャー・ショック受けました。日本から参加している人も、自分はバレリーナになるためにどこの学校に留学したいと、目標がはっきりしているんです。私はあの歳の頃なんにも考えていなかったのになあ、と。

ーーーーあまり目標を決め込んで思い詰めていないほうがいい、ということもあるかもしれません。そうですか、では帰国してからはプロとしての意識が高まりましたか。
小野 一生懸命すぎてプロということよりも、ひとつひとつきちんとやっていかなくちゃ、という気持でした。

ーーーー紀子先生のところに戻られたのですか。
小野 はい。今度は小林紀子バレエ・シアターの養成員になりました。朝はバレエ団のレッスン受けてそれからリハーサルがあればそこで勉強して、夜はアカデミーの生徒として習うという形になりました。

ーーーーやはり、英国のバレエには関心を持っていましたか。
小野 小さい頃から英国バレエが身近にあったという感じです。

ーーーー小林紀子バレエ・シアターのデビュー作と言いますと。
小野 子役で『くるみ割り人形』などに出ていましたけれど、高校生の時に生徒だけど勉強として「花のワルツ」のコール・ドで出させていただいたのがバレエ団と踊った最初の舞台ですね。

ーーーーソリストとしてはなにを踊られたのでしょうか。
小野 コンクールから帰ってきて、まだ養成員でしたが、夏の公演の『ライモンダ』第3幕でヴァリエーションをひとつ踊らせていただいたのが最初だと思います。


ーーーーそれからもう新国立劇場の研修所に行かれた。
小野 そうですね、バレエ団にいたのは一年間くらいです。紀子先生に教えていただいて新国立劇場の研修所に入りました。ただ、研修所に入ってからも夜や土・日はバレエ・アカデミーに生徒として通っていました。

ーーーー研修所では三期生として二年間習われて、新国立劇場バレエ団にはソリストとして2007年に入られたわけですね。すると新国立劇場デビューといいますと。
小野 立ち役としては研修所に入って直ぐの舞台実習で、踊るというより演技ですが『ドン・キホーテ』の街の人。あとは牧阿佐美先生が『白鳥の湖』を改訂された時にコール・ドとナポリの踊りに抜擢していただきました。

1106ono08.jpg 「アラジン」撮影/瀬戸秀美

ーーーーそれがソリストデビューということになりますね。あと毎年恒例となっているケネディ・センターのバレエ・スクールの招聘公演はありましたか。
小野 はい、第三期生の時からあのフェスティバルが始まりました。パリ・オペラ座、英国ロイヤル・バレエ、ロイヤル・ダニッシュ、あとアメリカとボリショイからも参加していたと思います。私たちは牧阿佐美先生がグノーの交響曲に振付けられた『シンフォニエッタ』を踊りました。
2009年「バレエ・アステラス2009」で再演された。

ーーーーコンクール以外で海外の舞台で踊った初めての経験ということになりますか。
小野 はい、そうです。ワシントンのとてもきれいで素敵な劇場でした。

ーーーー新国立劇場バレエ団の主役デビューは、2008年のデヴィッド・ビントレー振付『アラジン』の世界初演ですね。
小野 はい。オーディションでした。

ーーーービントレーに認められた。
小野 ビントレー作品を踊るのは初めてでした。

ーーーー『アラジン』は世界初演の新作でしたし、音楽も既に作曲されていたとはいえあまり馴染みのない曲でしたからビントレーは、いろいろと指示を出したのではないですか。
小野 でも彼は、最初は振りをぽんとくれるだけでした。

ーーーーもう少しなにかあっても・・・。
小野 とりあえず、ソリストの人たちがペアを組まされて、だいたいこんな感じ、じゃこれやってみて、そんな形でオーディションは始まりました。私はプロとしては初めての経験でしたから、そういうものかと思っていました。

1106ono09.jpg 「アラジン」八幡顕光と 撮影/瀬戸秀美

ーーーー振り自体はいかがでしたか。
小野 今まで踊ったことのないタイプのものでしたので、最初は苦労しました。

ーーーーマクミランの振付とかも踊ったことはなかったのですか。
小野 はい、その時はまだ。

ーーーー初めての外国人振付家の作品を踊るところからプロとしてのスタートとなったわけですね。
小野 最初は緊張してパニックもあって。

ーーーーそんなに緊張するほうですか。
小野 踊る時はいつもしてます!! 多分、そういう緊張が邪魔してなかなか覚えられなかったりしていました。

ーーーーしかし、ビントレーはさすがに目がありますね。初めての挑戦を受けとめてしっかりと素晴らしいダンサーを育てているのですから。
小野 どうして選んでくださったのかはわかりませんけれど、ほんとうに感謝しています。


ーーーー『アラジン』の次は何を踊られたのでしたか。
小野 ローラン・プティの『コッぺリア』のスワニルダを踊りました。かつてローラン・プティのバレエ団で踊られていたキューバのロイパ・アラウホが来て教えてくださいました。凄いストロングテクニシャンの方でした。

1106ono06.jpg 「コッペリア」 撮影/瀬戸秀美

ーーーー『アラジン』といいプティの『コッぺリア』といいキャラクター的というか、人物像をくっきりと描かなければならない役ですね
小野 そうですね。それに強く振付家の独特のテイストが現れる役でした。でもそれは目指すものがはっきりしていて、かえって踊りやすかったです。役をよくわかっていて直接教えてくださる方がいて、「こうするべき」というものがありましたから。

ーーーービントレーはある程度まで振りを与えたら、後は自分で動いてみて、といった作り方はあまりしないのですか。
小野 そうですね、例えばまず、登場人物とシーンのイメージを話してくださって、なんかいい動きがないだろうかかみたいに「ジーッ」とこちらを見られていることがあるので、動いてみるんですけど・・・。基本的には頭の中にはっきりとしたイメージがあるのですが、それがまだ具体的な動きになっていない時にダンサーの意見というか、動きを見るのではないでしょうか。

-----そうですか、それから牧阿佐美先生の作品を踊られた。
小野 そうですね、『くるみ割り人形』があって『白鳥の湖』です。クラシックの2作品を踊らせていただくことになりました。

----『くるみ割り人形』はサンタクロースがでてくるヴァージョンでしたね。牧先生の教え方はいかがですか。

小野 牧先生はその時にその場ですぐに注意されます。踊っている最中ですから、すぐにできないとその注意を逃してしまうのです。それまでは踊り終わってからダメ出しがあって直す、という感じだったのでしたが、牧先生の場合は注意されたらその瞬間にできないとダメなので、すごく緊張します。
牧先生はご自身もすごく身が軽いですし、バランス感覚がすごいので習っているダンサーができないと、ご自分でさっとやってみせてくださったりしましす。役作りなどはヒントをくださいますが、あとは自分で考えなければならないわけで、逐一おっしゃることはないです。

1106ono07.jpg 「コッペリア」 撮影/瀬戸秀美

----小野さんの踊りは、外国人のダンサーのように凄いフィジカルの強さを感じさせるというわけではなくて、柔らかいとても魅力的なラインを描いている、と私は思います。それはかなり本格的に日本舞踊を習われていたことと関係があるのではないかと思うのですか。
小野 特に意識したことはありませんが、日本舞踊はバレエと違って大きな動きはあまりありませんね、特に女踊りですと。でも形というのが止まっているのだけど止まっていない、といいますか、ちょっとした動きでも何かを表現しなければいけないわけです。外国人の完璧なプロポーションの人がきちっとアラベスクすれば、それはもちろんきれいなんですけども、私はそんなラインを持っていないので、そうみえるように作るというか、ないところまで表現しなければならない、という意識はあります。

----日本舞踊は動きというよりも仕草ですね、その中に込められているものがバレエに採りいれられるのは日本人のダンサーしかいないと思います。かつて牧先生のお母様の橘秋子は日本人の素養をカリキュラムに採り入れて、全人的なアーティスト教育を行って国際的に踊れる日本人ダンサー、大原永子さんや森下洋子さんを育てました。小野さんはその系譜に連なるダンサーですから、ぜひ世界的なダンサーに成長していただきたいと思います。
初めて牧先生のオデット、オディールを踊られていかがでしたか。

小野 ええ、辛かったです。

1106ono05.jpg 「白鳥の湖」山本隆之と 撮影/瀬戸秀美

---- 映画『ブラック・スワン』でも話題になっていますが、登場人物として白鳥と黒鳥を踊り分けるのは初めての経験ですよね。
小野 そうですね。白と黒とくっきり分かれていますからね。でも結局、どちらもいろいろな可能性があって完成するということはないと思います。だから難しいし、これが最高のオデット、オディールというのもないと思います。両方ともテクニック的にもほんとうに誤摩化しがきかない役、というプレッシャーもありますが、だからといってテクニックが完璧だったらいいとは言えないと思います。
また、来年、挑戦させていただくのですけれども、その時もきっと苦しむのじゃないかと今から思っています。

---- 初めて挑戦される作品として、次は『ロメオとジュリエット』ですね。マクミランの振付を踊るのも初めてですね。

小野 小林紀子バレエ・シアターで『ロメオとジュリエット』のバルコニーのシーンだけ踊らせていただきましたが、全幕は初めてです。デニス・マトヴィエンコさんと踊りますが、ゲストの外国人ダンサーとパートナーを組むのも初めてです。

---- たいへんですね、まだ『マノン』もありますよ。

小野 はい。『マノン』は一年以上先ですけれども・・・。

---- マノンは相手役のデ・グリューは決まっているのですか。

小野 福岡雄大君です。日本人がデ・グリューを踊るのは初めてだと思います。

---- そうですか。福岡雄大君ならいい舞台になるのではないでしょうか。とっても楽しみです。
でも、今年から来年に掛けて初役の大役を次々と踊ることになりますね。ビントレー、アシュトン、プティ、牧阿佐美と踊って、さらにマクミランの主役を踊るわけですから凄いですね。アシュトンの振付はいかがでしたか。

小野 難しかったです。振りが非常に細かく決まっていますので、なかなか踊りにくいというか、マスターするのがたいへんでした。プティも動きの中でプティ独特のニュアンスを表現しなければならないので難しかったです。
とにかく、今年、『ロメオとジュリエット』を踊って、来年『マノン』を踊るなんて考えてもいなかったので、「これってほんとうなのかな」という気持ちです。

---- そうですか、でもやりがいのある役ですから日本のバレエ界のためにもがんばってください。また、マクミランを踊り終わられたら、ぜひお話を聞かせてください。本日はお忙しいところありがとうございました。