「ルグリ・ガラ〜運命のバレエダンサー〜」について:マニュエル・ルグリ=インタビュー

――ルグリさんは、オペラ座のエトワールの時代からウィーン国立歌劇場バレエ団の芸術監督に就任されても、自身が主宰する多くのグループ公演を日本で行ってきました。今回の「ルグリ・ガラ〜運命のバレエダンサー〜」が、今までのあなたの公演と違うところはどういうところでしょうか。特別な想いがあれば聞かせてください。

ルグリ 今回、皆様にお見せしますのは、マニュエル・ルグリのこれまでの姿、現在の姿のまとめ、と言ったらいいでしょうか。これまで私はダンサーとして、芸術監督として、少し振付家としても仕事をしてきました。そうしたこれまでに私が行ってきたことの集成と言いましょうか、「今までこういうことをしてきたよ」「それで今日はこういう状態だよ」、そしてまたそれは「今回で終わるかもしれないし、あるいは終わらないかもしれないけれど・・・」。
そうした形で一つの節目として、これまでの自分の全貌をお見せしたい。その意味では未来というよりも過去のヒストリーに焦点を当てるものです。監督・振付家としてのマニュエル・ルグリのすべてをお見せしたい、ということなのです。

――ルグリ・ガラのプログラムについて、お聞きします。2016年にあなたは初めて全幕バレエ『海賊』を振付けられました。初めて全幕バレエを振り付けるにあたり、なぜ『海賊』を選ばれたのですか。

マニュエル・ルグリ (c)Michael-Poehn

マニュエル・ルグリ (c)Michael-Poehn

ルグリ まず『海賊』は、ウィーン国立バレエ団のレパートリーになかった、ということがありました。ウィーンのダンサーたちと何か新しい経験をしたいし、私にとっても非常に注意深く豊かな経験になるだろう、と思いました。私自身は100パーセントの振付家ではありません。私には脈々と古典バレエの血が流れているだろうと思っています。そうした中で新しい経験として『海賊』を選びました。
結果として非常に豊かな素晴らしい経験となりました。振付をすることができた、という経験だけでなく、音楽的にも歴史的にも様々な経験をさせていただきました。歴史をさかのぼって研究していくうちに、通常使われている音楽とは違う音楽を見つけることになりました。オダリスクの踊りで使われている楽譜に関しても通常使われてこなかった楽譜をピアニストと一緒に見つけることになりました。パ・ド・ドゥに関しても通常とは異なったドリーブの曲を使っています。
そしてこのドリーブの曲で、英国ロイヤル・バレエのプリンシパルのマリアネラ・ヌニェスが初めて『海賊』を踊ります。そのパートナーを務めるのワディム・ムンタギロフは、すでにウィーンに来て踊っていますし、ツアーではマドリッドでも踊っています。

ヌニェス&ムンタギロフ (c)ROH 2016. Photograph by Tristram Kenton

ヌニェス&ムンタギロフ (c)ROH 2016. Photograph by Tristram Kenton

----ルグリ版『海賊』全幕の特徴を教えてください。

ルグリ 『海賊』につきましては、ストーリーの書き換えというところから始めました。今まで多くの『海賊』を見てきましたが、正直に申しますと、何が起こっているのかよくわからなかったのです。コンラッドが出てきて、アリが出てきて、奴隷が出てきて・・・一体、何がどうなっているのか、というのが正直な感想だったわけです。友人の助けもありまして、このストーリーを私にとってロジカルであるように、書き換えをしました。その中で各シーンを書き換えていき、そのシーン合う曲探しをしました。そうした様々なステップがあって、振付という作業は最後の段階です。私自身全幕物の振付は初めてでしたので、果たして、スタジオに出向いてすぐにインスピレーションが湧くものかどうか、わかりませんでした。しかし、このようにストーリーの書き換え、それに合った曲探し、そして振付というステップを踏みながら進行して、完成させることができました。

――アダンの音楽も使われているのですか。

ルグリ ベースとしてはアダンの音楽を使っております。私がいつも聴いていたのはリチャード・ボニングの『海賊』でした。その中に新しい曲を入れたりとか、奴隷のダンスに特徴的な振りを付けたので、それに見合った音楽を使ったり、というような形です。実際、この『海賊』という作品は様々な音楽家が作曲に携わっておりました。同時代の作曲家の曲が残っており、私が選んでいくつか採り入れました。結果としてはウィーンで初演した時は、大好評をいただき、オリジナルの『海賊』のヴァージョンを観たようだ、と言われました。

――美術は誰が作られたのですか。

ルグリ ルイザ・スピナッテリです。実はヌレエフ版の『白鳥の湖』をウィーンで上演しようとした時、この作品をレパートリーにするならば、衣装とセットを新しくするように、という条件が付きました。そこで、ルイザに手掛けてもらいました。この舞台も大きな成功を収め、ルイザからこれからどんな演目をやるの?と聞かれて『海賊』をやるつもり、と伝えると「あなたが振付けするのであれば、絶対に美術を作りたい」と言われたのが契機となりました。当時、まだ自分で振付けるとは決めておらず、ABTの『海賊』を上演しようかな、などと考えていたのですが、ルイザに「ぜひ、あなたが振付けなさい」と背中を押されて実現しました。セットそのものはツアーにも持っていけるように作ったので、それほど重厚なものではありませんが、とても美しいセットです。
また、私が別の作品を手掛ける機会があれば、迷わず彼女と一緒に作りたい、と思っています。彼女のおかげで、私は様々なストレスから解放されることができました。

――そうですか、では日本でも上演することは可能なのですね。

ルグリ そうなると嬉しいですね。

――今回公演でルグリさんが踊り、世界初演となるソロを振付けるナタリア・ホレツナについて、日本ではまだあまり知られていないので教えてください。

ルグリ 彼女とはウィーンでも一緒に仕事をさせてもらっています。素晴らしい私の作品を振付けていて、ツアー先で踊った時には賞をいただいたこともあります。ヘルシンキでは『ロミオとジュリエット』を振付けています。私も数多くの振付家と仕事をしてきましたが、多くの方が男性でした。ですから、女性の振付家が私のこれまでのキャリアを知った上で、どのように私に振付けるのか、非常に興味がありました。

――ボリショイ・バレエのプリンシパル・ペア、スミルノワとチュージンも出演しますね。彼らはウィーン国立バレエでも踊られていると思いますが、今回踊られるマイヨー版『じゃじゃ馬馴らし』はウィーンのレパートリーにはないですね。

ルグリ マイヨー作品は、『じゃじゃ馬馴らし』以外の作品はウィーンのレパートリーにもいくつかあります。ただ、彼らのようなスターダンサーになりますと、ガラ公演にも慣れております。ですから、彼らが何を踊リたいか、ということと、私の方でどんなものを求めるか、を調整するのが難しいこともあります。オルガ(スミルノワ)は、マリインスキー・バレエからボリショイ・バレエに移籍した古典を得意とするダンサーですが、マイヨーといくつかの仕事をしています。日本では、「彼女は『白鳥の湖』以外も踊れるんだよ」、というところも見ていただくと良いのではないかと思っています。

スミルノワ&チュージン photo by Alisa Aslanova

スミルノワ&チュージン photo by Alisa Aslanova

イザベル・ゲラン (c)Deborah Ory and Ken Browar

イザベル・ゲラン (c)Deborah Ory and Ken Browar

――ルグリさんは、シルヴィ・ギエムと久しぶりにパートナーを組んで踊ったり、イザベル・ゲランさんともずいぶん時間をあけてから踊られました。パートナーシップというものは、時間をあけて踊っても感覚的にすぐ戻るものなのでしょうか。

ルグリ そうですね、イザベルとは最後に踊ったのが15年前でした。確かに15年という歳月はダンサーにとって、様々なことがあります。特にイザベルの場合は踊ることを止めていましたから。再開すると「お互い歳をとったね」ということはもちろんあるわけです。これはイザベルだけでなく、モニク(・ルディエール)もエリザベット(・モーラン)、オーレリー(・デュポン)にもあるわけです。
様々なダンサーと新たに踊るときには、その再開が1年ぶりであっても10年ぶりであっても、もちろんその分の歳はとっているわけです。しかし、常に同じ新鮮さは感じられると思います。同じ言語を持っている相手だ、ということ、同じ歴史を持っていて同じ歴史を生きてきた相手であるからです。確かに若い人たちとの経験も楽しいものですけれども、そうして青春の一時期を共にし、お互いに成熟し、苦しい時、危機的な時もあるいは素晴らしい時も、同じ時代を生きてきた人たちと再会するのは喜びですし、その点に関して、観客の方々も大変喜んで観てくださるように思います。「世界バレエフェスティバル」で、私とイザベルが踊った時に、お客様が「まだ、踊っている!」と驚かれたと同時に非常に感動した、と言ってくださった方が多かったのです。
また、私たちの年代になりますと、自分で、これができるよ、と言うことを証明する必要はなくなっていますので、そのままの自分であればいい、ということがあると思います。イザベルともそうですし 。

――ギエムの場合はまた、スタイルの違うカンパニーに移りましたが、表現の上での食い違いみたいなものは感じられませんでしたか。

ルグリ シルヴィに関しましては、特別かもしれません。彼女は常に人の先を行く非常に個性の強いダンサーです。彼女は誰かに指示されるというタイプではないのです。常に自分で切り拓いていくようなダンサーですから、それもあってオペラ座を出たのかもしれません。それに対して私は、オペラ座が私にすべてのものを与えてくれた、と思っています。素晴らしい振付家との出会いもありました。ですから、それぞれがそれぞれの歴史を生きてきた、といえるかもしれません 。どちらが正しいとかいうことではなく、それぞれの道を歩いてきた、ということなのです。

ダヴィデ・ダト (c) Ashley Taylor

ダヴィデ・ダト (c) Ashley Taylor

ナターシャ・マイヤー (c)Ashley Taylor

ナターシャ・マイヤー (c)Ashley Taylor

――ローラン・イレールとは、オペラ座時代はライバルでしたが、ベジャールの『さすらう若者の歌』を仲良く踊られました。この時の感想はいかがでしたか。この作品は、失恋した友人への共感を踊るという曲でした。

ルグリ この作品にはいろいろな意味がありました。ご存知のように『さすらう若者の歌』はヌレエフのために振付けられた作品でしたが、ベジャールがこの作品ををローランと私に踊ることを許してくださった時、たいへん光栄にまた、誇りに感じたことを覚えています。私にとって、ベジャールへの想いは非常に強い意味を持っていました。なぜかというと、ヌレエフがこの作品を踊っていたのを何度もみていましたし、ヌレエフの葬儀の時の葬送の曲だったことを思い起こします。
ローランは私と同時期にエトワールになりましたが、二人ともヌレエフに大事に育ててもらいました。彼との関係はライバルと言いましても非常に健全な健やかなものでした。ライバルとして、彼がこれをマスターしたのなら、私もこれを会得したいし、私がこれを得ると彼もこれを得る、というように切磋琢磨するものでした。当時はお互いにキャリアの終盤にかかっていましたので、競争する必要は特にありませんでした。とても良い関係でエトワールとして競い合えました。

「エトワール・ガラ2008」(c)Hidemi-Seto

「エトワール・ガラ2008」(c)Hidemi-Seto

「エトワール・ガラ2008」(c)Hidemi-Seto

「エトワール・ガラ2008」(c)Hidemi-Seto

――まさにオペラ座の舞踊史に残る二大スターの競演の時期でした。 バレエのコーチとしてのルグリさんもほんとうに素晴らしいと思いました。NHKの「スーパーレッスン」や『ゼンツアーノの花祭り』『ナポリ』などの教えを見て感心しました。ルグリさんがバレエをコーチする時、最も大切にしていることはなんですか。

ルグリ テクニックのコーチとしては私より優れた良い先生はたくさんいると思います。私が大切にしているのは、「バレエの魔法」ということです。
それは舞台をどのように歩くのか、舞台にどのように登場するのか、そういうところにあるわけです。現在のバレエを観ていますと、テクニックは本当に発展していて、私でも踊れないような技術を持っているダンサーが数多くいます、ちょっとスポーツ的な傾向もあるのかもしれません。でもその中で、ぜひ、みなさんに考えていただきたいのは、「どうして踊るのか」ということです。バレエは芸術です。そしてただ高く跳べばいいと、記録を競うものではないのです。観客としては、バレエを観たとき、何か夢見心地になります。「何であんなに軽々と跳べるのだろう」「何であんなに軽やかなんだろう」と、その夢見心地が大切なのだ、と思います。
そのためには、バレエは確かに足で踊りますが、それよりもまず心、そして頭を使うものなのです。付け加えれば、何かテクニックを見せて拍手をもらう時よりも、踊り終わった後の観客の一瞬の沈黙は拍手以上の反応です。例えばピルエットの後にワァーッという拍手をもらうかもしれません。しかしそれよりもダンスの後に2秒間の沈黙があれば、それは観客が心を動かされたという証なのかもしれません。ですから私は拍手よりもそれが価値があるものだと思います。

――ルグリさんに「これはバレエなのだから」と指摘された生徒が、たちまちダンサーに生まれ変わったのを、私は確かに目撃しました。

(c)KYOKO

(c)KYOKO

ルグリ そこから役の捉え方に発展するかもしれませんし。

――ルグリさんは23年間パリ・オペラ座の最高峰のエトワールとして活躍されました。その後、バンジャマン・ミルピエが芸術監督に就任し、いろいろな変化がありました。そのことについて、外から見られていてどのように感じられていましたか。

ルグリ 難しかったな、と思います。確かにブリジット・ルフェーベルが20年間も務めていた後なので、オペラ座に変化が必要だったということは言えると思います。また、ミルピエについては、ダンサーとしては知っていました。ディレクターとしての彼は知りませんでしたし、特に先入観はありませんでした。彼が来ると聞いてそれもいいのかな、と思っていたのですが、ただ印象としては選び方が、ちょっとモード的というか、ファッション的というような人物を連れてくるのだな、という感じでした。パリ・オペラ座のような大きな組織になりますと、着任するに当たってはそれなりの考えを持って来なければならない、と思います。そして蓋を開けてみて、1年後の様子をみると、散々な状況になってしまったな、という印象です。芸術監督というものは、自分の考えばかりではなく、常に自身が率いるカンパニーのために考えていなければいけないと思います。

――ルグリさんは2010年にウィーン国立バレエ団の芸術監督に就任されました。その後の6年間の手応えはいかがですか。

ルグリ 正直に言いますと最初の2年間はたいへんでした。その間には自分がウィーンに留まり続けるかどうか考えていた時期もありました。というのも私にとって非常に重い責務もありました。オーストリアは私の母国ではありません。言語も母国語ではありませんでした。観客の反応もまだまだ掴みにくいものがありました。しかし私は大きな情熱と芸術的野心を持ってきましたので、その分、仕事も多かったわけです。時間が経つに連れてダンサーたちが私の想いをわかってくれた時、非常にスムーズに動くようになりました。ダンサーたちは、私と同様にこう言うことをやりたい、という気持ちを持ってくれるようになりました。そうしてみると芸術監督という仕事は、1年の任期ではとても足りません。少なくとも5年の時間は必要ではないかと思います。
現状のウィーン国立バレエ団は、音楽性も表現も良くなり、ダンサーたちも大いに進歩しています。観客の動員率も、チケットは少々高めですが、それでもほぼ100パーセントを保っています。私はとても満足しています。

――最後に、今回ルグリさんが初めて踊ることになるローラン・プティ振付の『ランデヴー』の見どころを教えてください。

ルグリ ローラン・プティは、ダンサーとしての私が踊る役柄を変えるきっかけを与えてくれた振付家です。それまでは私は、『マノン』や『ロミオとジュリエット』と言ったどちらかといえば王子的な役が多かったのですが、プティによって『アルルの女』とか、もう少しダークな役を踊る機会を得ました。そしてふと気がつくと、プティ作品でただ一つ踊っていないのはこの『ランデヴー』だと思い、ぜひ踊ろうと思いました。人間としての成熟と言いますか、ただテクニックを見せるのではなく、その個性を見せることができる作品だと思っております。

――大いに楽しみにしております。本日は本当にお忙しいところ、実に丁寧に質問のお答えいただきまして、ありがとうございました。

【情報】マニュエル・ルグリが脳科学者、茂木健一郎と語る番組が放送されます。

7月1日(土)・8日(土)の22時〜22時30分『Dream HEART』TOKYO FM

http://www.tfm.co.jp//dreamheart/

「ルグリ・ガラ〜運命のバレエダンサー〜」について マニュエル・ルグリ=インタビュー

「ルグリ・ガラ〜運命のバレエダンサー〜」について マニュエル・ルグリ=インタビュー

■『ルグリ・ガラ〜運命のバレエダンサー〜』公演概要
【日時会場】
2017年8月19日(土)14:00開演 大阪/フェスティバルホール
8月20日(日)17:00開演 名古屋/愛知県芸術劇場大ホール
8月22日(火)〜25日(金)18:30開演 東京/東京文化会館大ホール

【出演】
マニュエル・ルグリ/イザベル・ゲラン(元パリ・オペラ座バレエ団エトワール)
マリアネラ・ヌニェス/ワディム・ムンタギロフ(英国ロイヤル・バレエ団プリンシパル)
オルガ・スミルノワ/セミョーン・チュージン(ボリショイ・バレエプリンシパル)
ウィーン国立バレエ団ほかより、全16名

【演目】
A・Bプログラム予定。内容は公式ホームページをご覧ください
http://www.legris-gala.jp/

【料金】S席18,000円、A席16,000円、B席14,000円C席9,000円、D席7,000円、E席5,000円ほか

インタビュー&コラム/インタビュー

[インタビュー]
関口 紘一

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