公演直前インタビュー/西本智実:チャイコフスキーの音楽やホフマンの原作、デュマの翻案した物語に立ち返って『くるみ割り人形』を、今日の世界に甦らせます

-----今回、イルミナート・バレエとして『くるみ割り人形』を上演演目に選ばれたのはどうしてですか。

西本 前回は2014年、15年に『白鳥の湖』を上演しました。これはイルミナート・バレエとしての最初の公演ということで、ワガノワ・メソッドを中心に統一的なフォームを作ろう、ということがありました。もちろん、音楽的なことも含めてです。
『くるみ割り人形』をとりあげたのは、私が2007年からダボス会議に参加しておりまして、グローバリズムという観点から変革期というものを肌で感じておりました。
私は音楽とかバレエという芸術によって、今日の表現を創って行こう、と思っております。現代と似通った時代といいますか、現代はまさに価値観が非常に多様なものになっておりますが、フランス革命以後のヨーロッパも大きく変動し価値観が多様化した時代です。そうした点をこの作品に活かしていきたい、と考えました。もちろん、この作品を創作するに相応しいダンサーがいる、ということもありますが、現代の人々に観ていただいて、ただの夢のお話だけではなくて、通底する時代性を通して鑑賞していただけたら、と思って創っております。

phot/Yoichi Tsukada

photo/Yoichi Tsukada

----「幻想物語」とサブタイトルを付けられておりますが、ホフマンの原作の世界をよりフューチャーされるのでしょうか。

西本 『くるみ割り人形』の原作はドイツのE.T.A.ホフマンですが、ロシアではアレクサンドル・デュマのフランス語の翻案が一般に普及していましたので、そのことも充分に配慮しています。
通常上演されているバレエのヴァージョンでは、原作のエピソードは省かれてしまっています。
私はチャイコフスキー財団記念ロシア交響楽団の芸術監督を務めたこともありますので、チャイコフスキーの直筆の日記を拝見する機会がありました。チャイコフスキーはロシア革命が勃発する以前の1893年に、突然、亡くなりました。『くるみ割り人形』は、最後に作曲したバレエ音楽となりました。フランス革命以後のヨーロッパのどうしようもない変化の流れが、その頃既にロシアにも一部、飛び火していました。そうした中で『くるみ割り人形』は作曲されたました。チャイコフスキーはドイツ語もできましたが、当時のロシアの貴族階級はみんなフランス語を使っていました。そうしたこともあり『くるみ割り人形』はアレクサンドル・デュマのフランス語版に親しんでいたと思われます。また、当時のロシア帝室劇場の総支配人はフセヴォロジスキーでしたが、『くるみ割り人形』は振付と作曲が同時進行的に作られています。曲の小節単位でフセヴォロジスキーのリクエストがなされています。その片鱗が楽譜からも振付からも感じられます。
バレエですから踊りを見せることも大切ですが、私は原作から抜け落ちているものも入れていきたいと思っています。ドロッセルマイヤーにしてもホフマンの原作とデュマの翻案では職業も違っています。そのあたりも配慮しつつ取捨選択していきます。2幕では中国(お茶)の踊りが出て来ますが、物語の中にも漢字が出て来ます。そうすると1幕でお茶のキャラクターが出て来てもおかしくないですね。そこには作者たちの当時のアジアの認識も現れているわけです。
これまで私が観た舞台のほとんどは、ドイツの家庭の夢のお話で構成されています。原作を読んできたのでそれだけでは、なにかものたりない、と感じることもありました。2幕のディヴェルティスマンもいろいろな振り付けがありますが、単に踊りを見せてマリーをもてなす、というのではなく、時代背景の中で当時の世界の縮図みたいなものとして、物語と有機的に繋げて行きたいと思います。
そうした様々なことを考えて、まず私が台本を書き、それを元に振り付けをし作っていきました。

----ホフマンの幻想的な部分も登場するのでしょうか。

西本 「クリスマスの森」を通って「雪の世界」に入ります。そういった世界に入る瞬間の狭間の世界観をうまく表現したいです。
バレエ「くるみ割り人形」は、1幕は物語で2幕で踊りを見せる、という構成が基本ですが、やはり、1幕も2幕もを貫く筋立てにしたいですね。
また、ネズミについても、ホフマンの物語にあるように魂を入れることができれば魂を抜くことも出来るのではないか、と考えまして、ネズミを魂が抜かれた人間と仮定してみました。
原作では時計が「病気になった」等、本来魂を持たない時計を人形に魂が入ったものとしての描写がなされていきます。それとは真反対に魂を抜かれたような人間描写もあります。革命後の混乱期、人間性の否定をされる事も日常の中多くあった事でしょうから・・・。そういったメッセージをこの場面で作ってみました。

----外国人のダンサーも『くるみ割り人形』は、子供向け作品と見られているけれど音楽が本当に素晴らしいから踊りたいと思う、といいます。

西本 バレエ音楽はこれまではあまりにも伴奏的に使われ過ぎているのではないか、と思っています。チャイコフスキー以降のバレエ音楽は芸術として完成されていますので、演奏と舞台が有機的に結びついた総合芸術としてのバレエの良さを作っていきたいです。
私の演出の意図として、マリーがいろいろな試練を経て成長していきますが、そこに私はオペラの『魔笛』の音楽と同じものを感じています。チャイコフスキーはモーツァルトを意識して作曲したものも多いと言われています。『くるみ割り人形』には、ドロッセルマイヤーが作るもうひとつの世界というものを感じさせ、『魔笛』の試練を越えてそこに辿り着くという事と、同じような要素を使って組み立てました。

----そうしますと、2幕は通常版とは変わりそうですね。

西本 2幕はダンサー達の踊りの見せ場でもありますので、そういうところはしっかり踊りますが、変化に富んだ物語をとりこんで、簡単な「夢落ち」では終わらせたくはありません。
残っている台本を読みますと1幕と2幕では統一性がありません。ドロッセルマイヤーの役割りが2幕では急に欠落していきます。検閲が入ったとか何かがあったのではないか、そういう形跡を感じました。やはり、フランス革命以降の流れの中で、1幕のドロッセルマイヤーの世界観を持ってくると、もしかすると問題になったかも知れません。もうロシア革命の足音がすぐそこに聞え始めていた時期ですから、急に2幕で変わってしまいます。
そこを1幕と継続していく展開だとすれば、どうなるだろうか、そこのところを甦らせたい、と思っております。
『くるみ割り人形』のくるみは、ハシバミのことですし、松林となっているところは樅の森です。クリスマスツリーは樅の木です。冬でも枯れない"豊穣"の象徴です。特に日本語に翻訳する時に正確に出来ていなかった箇所です。クリスマスツリーがどんどん大きくなっていく音楽と、樅の森へと入っていく音楽は、モティーフが同じです。原作には、森に入ったマリーが「ここは何と美しいのでしょう」という台詞があります。その一言でこれまでとは別の世界に入った、クリスマスツリーの中を経て別次元に入ったと解釈し、そういう狭間の世界を表現できたらと思っています。クリスマスツリーにも意味がありますから、そういったことも掘り起こしていきたいのです。
私もロシアに長く住んでいましたから、雪が降り始める瞬間を何度も経験しました。チラチラと降ってきたなと思って、少しボーッとしていて再び外をみると、もう世界は真っ白になっているのです。これはチャイコフスキーの音楽そのもので、ダイヤモンドダストの描写も音楽で表現されています。そうした実体験から得た感覚も、ぜひ活かしていきたいです。当時の新しい楽器チェレスタを使ったのも、チャイコフスキーが音楽史上初めてです。それから雪の場面で合唱が入りますね、これも素晴らしい!今回は大阪も東京も少年少女合唱団が出演します。

写真/塩澤秀樹

写真/塩澤秀樹

----具体的な振付についてどのようにお考えですか。

西本 振付は、音楽構成の中でいくつかの柱を立てた後、それを軸に大力小百合、玄玲奈の2人が振り付けしていきました。ドラジェ(こんぺい糖)のヴァリエーション等は私共が敬愛するプティパ・イワーノフの素晴らしい振付も引用していますが、今回は台本を元に作っていきました。振付を2人が担当するということは、もうひとつの世界、ということも意識し、それによって違うタイプの動きが出来るので、多様性が広がるのではと考えました。
バレエという素晴らしい芸術をより総合芸術として表現したいとイルミナートは考えています。

-----普段はステージの上で指揮されているのに、オケピットに入って指揮されるというのはいかがですか。

西本 私はロシアのオペラ劇場の指揮者として働いてきましたのでオケピットで指揮する方が性に合います。舞台を支えているのが私の性に合っていると思います。

----バレエの場合は、ダンサーの動きを感じながら演奏されるわけですよね。

西本 私は幼い頃にバレエを習っていて本当に良かったと思っています。ワルツのステップ、マズルカのステップというリズム感が身体の中に入っています。今は約30カ国近くオーケストラ他、オペラ劇場で指揮していますけれども、こういった事も関係しているかと思います。

----指揮者の方がバレエの演出までなさる、ということはあまり聞いたことがありません。チャイコフスキーは家庭劇場なんかでバレエみたいなことを上演していたそうですが。

西本 オペラを演出される指揮者はいますが、バレエはないでしょうね、、、。
私が学んだサンクトペテルブルク音楽院では、チャイコフスキーが第1回の卒業生です。ですから彼が生きた片鱗や足跡がすぐ側にあり、景色も同じですし、馬車が車になったくらいで街並もほとんど変わっていません。『くるみ割り人形』でも、1幕の後半、クリスマスツリーの森に入って雪のシーンに至る場面は、まさにあのチャイコフスキーが見たであろう世界そのものです。

----指揮者と演出家を兼務されているということで、物理的な困難はありませんか。

西本 早目に準備をして、台本の大筋は昨年のうちにスタッフ・ダンサー達に渡して共有しました。スタッフもダンサーも30年以上の付き合いのメンバーもいます。若い頃からことあるごとに芸術談義を重ね、話し合って来ました。ですから急に始めたわけではなくて、実現し始めたのが今なのです。長年みんなで温めてきたものなのです。
今回、時計がひとつのポイントになります。時間軸がゆがむ。舞台が始まった時にはみなさんの時間軸も変えさせていただこうかな、と思っています。

----だんだん、完成に近づいていくとチャイコフスキーの気持ちに、改めて気が付くというようなこともありますか。

西本 バレエ音楽の『くるみ割り人形』は、チャイコフスキーの最晩年の作品ですが、彼はほとんど同時期に交響曲の「悲愴」を作曲しています。「悲愴」には、主観的な彼の告白日記のようなものを感じます。じつは私は、ロシアに行くまでは「悲愴」があまりに主観的作品だったから、逃避的に『くるみ割り人形』を作曲したのではないか、と思っていました。しかし、彼の日記を読んだ時に、"全くそうではなかった!"と実感しました。「悲愴」は個人の作品ですが、『くるみ割り人形』は現実世界とより密接なのです。

photo/Akito Koyama

photo/Akito Koyama

-----最愛の妹が亡くなってすぐに作曲したものだと聞きました。

西本 そうなんです。ですから、死生観とか、そういうものも強く感じられますし、「ジゴーニュおばさん」などの意味も改めて考えられると思います。妹と一緒に歌って遊んだりしたフランスの曲が引用されており、チャイコフスキーの人間性もとても感じられます。そういった彼の想いを大切にしたいです。

----メインのダンサーについて教えていただけますか。

西本 はい。マリー役の小田綾香さんは貞松・浜田バレエ団出身で、イルミナートベトナム公演でもキャスティングさせて頂きました。私はマリーの描写を読んでいる時に、すぐに小田さんをイメージしました。ジャストフィットです。くるみ割り人形役のグリゴリー・バリノフは、『白鳥の湖』の時は道化役を、そして今回はくるみ割り人形。今回、雪の女王の役を敢えて作りました。貞松・浜田バレエ団プリマの竹中優花さんが踊ります。彼女もイルミナート「白鳥の湖」では2羽の白鳥を。雪の場面では、時には優しく包み込み、時には厳しく吹雪く情景があります。マリーがそこを乗り越えて行くということも含めて、雪の女王が優しく見える瞬間もあるし、厳しく見えるときもあります。ものごとの見え方が角度によって変わる、というように、ひとつのキャラクターの見え方も変わってくるところを竹中さんは見事に表現してくれます。西田佑子さんはドラジェ(こんぺい糖)。彼女が10代の頃から知っていまして、その頃から素晴らしいダンサーでしたが、今まさに熟成された輝きを感じています。それからドロッセルマイヤーとドッペルゲンガーとして、宮下靖子バレエ団吉田旭さん(ドロッセルマイヤーの甥)と法村友井バレエ団法村圭緒さん(ドロッセルマイヤー)。とても重要な役割を担っています。私は何と!法村友井バレエ団のバレエ学校出身。圭緒さんはこれまではダンスールノーブル役を中心に日本を代表するバレエダンサーでイルミナートバレエのプリンシパルでもあります。今回はお芝居の要素を前面に出した役作りです。ドロッセルマイヤーの年齢は最初はちょっと老け気味で、だんだん若くなります。このあたりはドッペルゲンガーを使ってうまく表現しようと思っています。それによって時間軸を変えて行こう、という想いもあります。ホフマンの原作のそうした幻想的部分も表わしてみようと思います。

----2幕のディヴェルティスマンはありますか。

西本 ええ、全部あります。

----いろいろと幅広い活動をなさっていますが、今後はどんなご予定ですか。

西本 今年の秋からのシーズンはイスラエルやヴァチカン、北京や上海にも行きますし、ロシアにも久々に行きます。大阪の松竹座でまたオペラ『蝶々夫人』全幕も上演します。京都南座で上演してきたように祇園の芸妓さんと舞妓さんにも出演して頂きます。『蝶々夫人』は日本が舞台。外国の劇場から『蝶々夫人』の指揮オファーもこれまでありましたが、それはとても光栄なことですが、日本の美的感覚の扱われ方に違和感がありましたので、松竹さんと井上八千代氏と共に日本の美徳を感じさせられる舞台を創ってまいりました。
私にとって『くるみ割り人形』制作は、ダボス会議から与えられた影響がとても大きい。
この7月、中国の天津に於いて開催された夏期ダボス会議に出席しました。A.I.(人工知能)の世界を目の当たりに体験しました。A.I.の進化は、もうホフマンの世界と直接に繋がっていくように感じます。だから私はこの『くるみ割り人形』をこの今という時期に上演したかった。もはや、人工知能によって人形には見えない、人間よりも人間らしい感情をもった人形を、いつか描いてみたい、そう思っております。

積水ハウスpresents
西本智実 芸術監督・演出・指揮
幻想物語 バレエ『くるみ割り人形』全2幕

大阪公演
●8/16(火)
●フェスティバルホール
http://www.chacott-jp.com/magazine/information/stageinfo1/presents-2.html

東京公演
●8/30(火)・31(水)
●新国立劇場オペラパレス
http://www.chacott-jp.com/magazine/information/stageinfo1/preents-2-1.html

インタビュー

[ライター]
関口紘一

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