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インタビュー/針山真実
[2014.01. 6]

ABTに新たに入団した相原舞に来日直前インタビュー

アメリカン・バレエ・シアターとして日本に行けて、本当にうれしいです

2013年12月、加治屋百合子、小川華歩に続き現在日本人3人目として米国トップ、世界のスターが集結したバレエ団、アメリカン・バレエ・シアター(ABT)に入団した相原舞。
アメリカン・バレエ・シアターは近年では一般向けオーディションがなく、入団出来るのはABTスタジオ・カンパニーに所属する研修生、またはプライベートにオーディションを受けたダンサー。しかしプライベートオーディションも誰でもそう簡単には受けられない。
今回は、そのたいへん興味深い相原舞のABT入団の経緯、そしてこれまでのバレエ生活についてをたっぷりとインタビューした

1401abt_aihara01.jpg 「海賊」撮影:塚田・長川写真事務所

針山:まずバレエをはじめたきっかけと通っていた教室について教えてください。
相原:生まれたのは山梨県ですが、幼い頃は東京の国分寺市で育ちました。そして3歳の時に友だちのお姉さんのバレエの発表会を見に行って、自分からやりたいと言いました。レッスンは幼稚園の体育館を借りて行われていました。レッスンは1回90分ほどでほぼ毎日の週5回、小学3年生まで通いました。
そして4年生でこれからトウシューズを履ける!と期待をしていたときに、東京から山梨へ引っ越しとなりました。山梨県ではユミクラシックバレエに中学3年生まで通いました。

針山:コンクールは出場しましたか。憧れていたダンサーがいましたか。またプロになりたいと思ったのはいつ頃ですか。
相原:コンクールは小学5年生で初めて出場しました。やはりコンクールに出た頃からバレエに対しての意識がさらに高まりました。プロになりたいと思い始めたのは6年生の頃です。いつもテレビで放送されているローザンヌ国際バレエコンクールなどをよく見ていて、吉田都さんに憧れていました。それから中学の3年間はバレエに対して本気になり、その頃は一番頑張っていたと思います。

針山:ちなみにユース・アメリカ・グランプリには出ましたか。ニューヨークではとても有名なコンクールなので。
相原:はい。中学3年生の時に初めて日本予選に出てニューヨーク・ファイナルへの出場も決まりました。そして日本予選で憧れの英国ロイヤル・バレエ・スクールの1年間のスカラシップを頂きました。

針山:初出場ですごいですね! それが初めての渡米になったのですか。
相原:実はニューヨークが決まった後に大怪我をしてしまいました。4月のニューヨーク・ファイナルに向けて、初めてコンテンポラリー・ダンスにも挑戦して練習を重ねているうちに、腰に激痛を感じるようになりました。
あまりに痛くて医者に行くと「腰の骨折」だと言われました。レントゲンを見てはっきりと折れていることがわかりました。医者に「動いてはいけない。1年間徹底的に休むように。そうしないと治らない」と言われました。

1401abt_aihara02.jpg 「海賊」撮影:塚田・長川写真事務所

針山:それはとても辛いですね。相当痛かったでしょう、想像が出来ません。残念ながらニューヨークは諦めたのですね。
相原:すごく痛かった。でもニューヨーク・ファイナルは出たんです。いつも腰にコルセットを付けて生活し、踊る直前までコルセットを付けて痛み止めを飲んで踊りました。踊っている時は痛みを感じませんでした。でも残念ながらロイヤル・バレエ学校のスカラシップは諦めました。一番頑張っていた頃で憧れの留学先だったのでとてもショックでした。でも怪我を治さないといけないのでニューヨーク・ファイナル出場後、医者に言われたように1年間バレエを休みました。

針山:ファイナルに出たなんて! 信じられないです。中学生にしてプロの根性ですね。そのあと1年間踊れないのはストレスだったでしょう。復活は普通に出来たのですか。
相原:踊れない1年間は焦りも感じてストレスにもなりました。高校に入ってやっと腰も治ったのでバレエを再開するときに、友人の紹介で佐々木三夏バレエアカデミーに移りました。山梨から三夏バレエアカデミーのある神奈川まで片道2時間30分以上、高校生活の3年間通いました。

針山:高校へ行きながら片道2時間半かけてバレエですか。普通は来ません! どういう生活スタイルでそれをこなしたですか。ご両親のサポートも大きかったですね。
相原:朝から普通に学校へ行って勉強してそのままバレエへ直行。バレエは金曜日以外毎日で電車の中で勉強をしたり夕食も済ませることが多かったです。そしてレッスンをして他の生徒はまだ練習中でも、私は午後10時30分の電車に乗らないと家に帰れなくなってしまうのでスタジオを出ていました。深夜1時頃に家に着きました。両親はいつもサポートしてくれて毎日遅くても駅に迎えに来てくれて帰りを待っていてくれました。週末は神奈川に泊まりました。

1401abt_aihara03.jpg 写真:Iwan Whalen 1401abt_aihara04.jpg 写真:Iwan Whalen

針山:ドイツのジョン・クランコ・バレエ学校に留学していたと思いますが、どういう経緯で留学をしたのですか。
相原:18歳の時、夢だったローザンヌ国際バレエコンクールに出ました。その時にジョン・クランコ・バレエ学校からスカラシップを頂いて、高校を卒業後の9月から2年間留学しました。授業は英語とドイツ語です。

針山:以前ニューヨークで一度会った時はまだジョン・クランコに在学中でしたよね。バレエ学校を卒業してからアメリカン・バレエ・シアターに来る前はどこにいましたか。
相原:ドイツのドレスデン・バレエ団の研修生になりました。でもドレスデン・バレエの研修生は1年間のみと決まっているので、その間にもヨーロッパでバレエ団のオーディションを受けました。
そして2013年の4月にドレスデン・バレエにゲスト講師として来られていたシンシア・ハーヴェイが(元アメリカン・バレエ・シアターのプリンシパル。ミハイル・バリシニコフと踊った『ドン・キホーテ』のDVDでも有名)、「ABTが小柄なダンサーを探しているのでオーディションを受けてみないか」と声を掛けてくださったのです。

針山:ここからがABT入団の経緯ですね! ぜひ詳しく教えてください。
相原:シンシアに声を掛けて頂いて、すぐに「行きたい!」とお返事しました。そしてシンシアがABTに取り持ってくださって、5月にオーディションを受けられることになりました。私はドレスデン・バレエからお休みを貰って1泊2日でニューヨークへオーディションのためだけに行きました。ちょうどABTがメトロポリタン・オペラハウスで公演をしているシーズン中で、劇場で行われている朝のカンパニーレッスンを受けました。レッスンにはポリーナ・セミオノワがいて感激しました。でも周りのダンサーのことは気にせずにリラックスして受けました。バーレッスンはソフトシューズでセンターレッスンはポワントシューズでした。レッスンにはバレエミストレスのスーザン・ジャフィーと芸術監督のケヴィン・マッケンジーが見に来られました。

針山:そして合格はすぐに分かったのですか。
相原:「メールをする」と言われました。そしてドイツに戻って2日後にオーディション合格のメールが届きました。すぐに両親と三夏先生に連絡をしました。労働ビザの取得に時間もかかるので、12月からの契約となりました。

1401abt_aihara05.jpg 写真:Iwan Whalen 1401abt_aihara06.jpg 撮影:相原恵二

針山:そして無事12月にニューヨークに来ましたね。実際に入ってもう既に『くるみ割り人形』公演にも出演(13公演中、11公演に出演)しましたね。リハーサル時間も少なくたいへんでしたか。入団してどんな感じですか。
相原:とにかく毎日が刺激的で学ぶことも多く全てに感動しています。『くるみ割り人形』のリハーサルは1週間ありました。私だけ振りを知らないので、バレエ団が送ってくれるビデオを家で見て覚えたり、ダンサーたちも皆優しくて振りを書いたノートをくれたんです。ダンサーが昔自分が覚えるために書いたノートを破って私にくれたんですよ。嬉しかったです。『くるみ割り人形』の公演をしながら昼は既に次の公演のリハーサルがあり、『コッペリア』と『ジゼル』のリハーサルをしました。

針山:メットシーズン(春から夏にかけてのメインシーズン)やツアーに向けてたくさんの演目を覚えないといけないですね。日本公演もありますね!
相原:はい。次の公演が日本ツアーでとても楽しみです。私の初めてのツアー公演がなんとアメリカン・バレエ・シアターで日本に行けるんです。本当に嬉しい。そしてアブダビとワシントン公演があってメットシーズンの8週間と続きます。

針山:忙しいですね。本当に入団おめでとうございます。これからABTで見られることをとても楽しみにしています! 頑張ってくださいね!

1401abt_aihara07.jpg 撮影:相原恵二 1401abt_aihara08.jpg 撮影:相原恵二
1401abt_aihara09.jpg 撮影:相原恵二

後記:
小柄で可愛らしい舞さん。口調はおっとりしていますが、おっとりしていても3年間ほぼ毎日往復5時間以上かけてバレエ通い、お休みの日にも自分は筋力が弱いので筋力トレーニングをするなど芯はたいへんしっかりした努力家。
怪我をした1年間は辛かったでしょうけれど、それがなければ今はまた違っていると思うので怪我も良かったと思えることもあります。これからABTでいろいろと吸収して成長していきたい、と素晴しい抱負を語ってくれました。