パリ・オペラ座エトワール イザベル・シアラヴォラ=インタビュー
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インタビュー&コラム/インタビュー
- [インタビュー]
- 関口紘一
パリ・オペラ座のイザベル・シアラヴォラが『天井桟敷の人々』公演のために来日した。彼女はオペラ座バレエ教師のアンドレイ・クレムとともにDVD『パリ・オペラ座のエトワールのマスタークラス』を刊行したが、他にもクラシックのレッスンの講師を各地で務めるなど、バレエに関わる仕事の幅を広げている。
----昨夜、『天井桟敷の人々』を見せていただきましたが、あなたのガランスとマチューのバチストのパ・ド・ドゥがたいへん素晴らしかった。
シアラヴォラ 最初のですか、最後のですか。
----最後のです。別れることをお互いに知りながら踊る、愛の宿命を理解しているふたりの感動的なパ・ド・ドゥでした。
シアラヴォラ そう言っていただけるとたいへん嬉しいです。
----コルシカ島のご出身ですね。
シアラヴォラ そうです。コルシカ島に生まれて、13歳半まで過ごしました。両親はまだコルシカ島にいます。それから踊るためにパリに行きました。
----どんなところですか。
シアラヴォラ "セ・マニフィック!" コルシカ島はいろいろな素晴らしい風景があります。海あり山ありですが、ここからはとても遠いです。
----コルシカ島出身者としては、ナポレオンとシアラヴォラさんが有名ですね。
シアラヴォラ ナポレオンと並べていだいて光栄です。
----コルシカ島の素晴らしい風景がシアラヴォラさんの性格や芸術に影響を与えているかもしれませんね。
シアラヴォラ そうですね、時には頑固と言われることもありますが。
----コンセルヴァトワールからパリ・オペラ座バレエ学校に編入されたわけですが、その時はバレエ教育の上でギャップを感じたことはありますか。
シアラヴォラ 全くなかったです。といいますのは、コルシカ島からパリにきた時に年齢的にオペラ座のバレエ学校には入れませんでした。それでクリスチアーヌ・ボサール先生のクラスに入りました。2年間ボサール先生に師事しました。そしてコンセルヴァトワールの首席になり、オペラ座のバレエ学校に編入が認められました。ボサール先生は最上級生を教える方で、非常に厳しかった。そこで私は徹底的に鍛えられました。ですからオペラ座のバレエ学校に編入した時に全くギャップがなかかったのも、それだけの土台があったからです。
----すみません、あまり時間がないので次の質問は、エトワールに昇進するまでの間・・・・
シアラヴォラ (笑) では、次は墓場ですか?(笑)
----ご自身のバレエが飛躍的に発展したのは、いつ頃だと思われますか。
シアラヴォラ 憶えていません(笑)。コリフェの間、もっとほかの踊りもしたい、と思ったりしたのですが、特に行動もとらず、そのまま踏みとどまって踊り続け、結果的にはそれが良かったと思います。
----オペラ座に入られてもっとも困難だったことといいますと。
シアラヴォラ 毎年あったコンクールです。嫌いでした。すごいストレスなんです。私たちのキャリアが二つのヴァリアシオン、2、3分で決まってしまうのです。その期間中は厳しい雰囲気が支配します。鈴のようなベルで呼ばれて踊るのですが、ほんとうに好きではなかったです。ニヶ月間ヴァリアシオンを徹底的に練習して、20名のうちたったひとりしか選ばれないのです。
コンクールはいつもだいたい12月ごろで、それさえクリアしてしまえばいいんですが。けれどもコンクールがなければ、どこかで自分を許してしまうところがあると思います。カドリーユそしてコリフェでは、ソリストとしてのチャンスを与えられません。しかし、コンクールでソリストとしての才能のある人は、見出してもらえるというメリットがあります。やはり、自分の個性をアピールする機会は必要です。
----オペラ座の日本人ダンサー、藤井美帆をご存じですか。
シアラヴォラ 穏かなすごくいい女性です。彼女のポール・ド・ブラは大好き、とても美しい。彼女はいつも魂で踊っています。
----DVD「パリ・オペラ座エトワールのマスタークラス」を見せていただきました。素晴らしいポワント・ワークでとても感心しました。
シアラヴォラ 私じつはこう見えてもとてもシャイなんです。でも褒めていただいてうれしいです。
最初、アンドレイ(アンドレイ・クレム、オペラ座バレエ教師)からこの話をもらった時、これはきっと年齢を重ねた時の私のいいアーカイブになるな、と思いました。そして、本当にこのDVDを評価してくださることに心から謙虚な気持ちを持ってうれしいです。
これはチャコットのウェアを着て演技してますね。ポワントはフリードを履いています。ただフリードのポワントはサテンを使っていて光沢がありますから、私は自分のタイツと同じ色に染めてもらっています。そうすると足に手袋を履いたようになります。シルヴィ・ギエムがそのようにやっていました。ギエムからはタイツをもらいましたし、トゥシューズについてのアドヴァイスも受けました。
ガランスの役でも最初は肌色のタイツなのでトゥシューズの色もあわせているんです。第一幕はガランスはまだ庶民なので素足のような感じがいいかなと思ってそうしています。第二幕では裕福な生活をしているので、ピンクのタイツとシューズにしたのです。
----それはご自分のアイディアですか。
シアラヴォラ そうです。(『天井桟敷の人々』の衣裳を作った)アニエス(・ルテステュ)だと一幕も二幕も、光沢のある同じ色のものだったので。
----ほかにもDVDを作りたいと考えられているのではないですか。
シアラヴォラ そうですね、何か新しい試みのある、本当に自分が関心のあるもの。たとえば、リハーサルをしているところ、ミーティングなどを入れたバックステージの映像を編成したものとか。
----もう何回何回も聞かれてうんざりされるかもしれませんが・・・・
シアラヴォラ ダイエットの話だったらやめてください(笑)。
----映画のガランスとバレエのガランスの表現についてですが。
シアラヴォラ 映画はご覧になりましたか。
----ええ、もちろん、何回も観ています。
シアラヴォラ そうですか。私としては観客の方々に、ぜひ、映画を観て欲しいのです。そうすると舞台を理解し易いと思います。
----映画で演じられたアルレッティのガランスの表現とは、意識して変えようと思った点はありますか。
シアラヴォラ 具体的にいうとどういうことですか。
----私の感想では、映画のガランスは、クール過ぎて冷ややかな感じがしました。
シアラヴォラ 冷たくないですよ。彼女は特に自分を飾らないし、何ごとに対しても・・・ゆっくり話します。無関心に見えるかもしれませんが,冷たいキャラクターではないです。もちろん、まったく同じことをバレエで実現することはできません。映画は台詞ですし、私たちは台詞をもたない。ですから、舞台の上では感情などを増幅してみせないといけない。ズームアップもないわけです。企画が立ち上がった時、凄く悩んだのは居酒屋の座って食べるシーンはちょっと困りました。そしたらジョゼが「タンゴでガンガン行け」といいました。映画とは全然違いますが、ここでなにかが起きないといけないので・・・・。
-----バレエのガランスは、喜びがきちんと表現されていて・・・
シアラヴォラ でも、映画の中でも彼女は無表情に見えても感情の起伏をきちんと表現していたと思います。プレヴェールの台詞も素晴らしかったですし。
-----とにかく、シアラヴォワさんのガランスは素敵でした。
シアラヴォラ バレエと映画ですから、どちらがいいとは言えないと思います。
映画の中ではガランスはほとんど動かないのですね。それに対して私は踊らなければならないし。彼女は外見は沈着冷静なのですが内面は熱く燃えている、それが彼女のキャラクターだと思います。
-----早くもシアラヴォラさんのアデュー公演が決まっていて寂しいのですが。
シアラヴォラ 2014年の3月5日の『オネーギン』です、公式には。でもシーズンはきちんと踊ります。5日がアデュー公演で12日が私の誕生日です。
(実際のアデュー公演は後日、2014年2月28日に変更となりました)
----エトワールに昇格されたのも『オネーギン』でしたので、やはりこの作品には、特別な想い入れがありますか。
シアラヴォラ そうですね。常に私はかなわぬ恋なんです!!『椿姫』『マノン・レスコー』『ジゼル』『ロミオとジュリエット』・・・・かなわぬ恋ばかりです!
-----本日は公演でお疲れのところ、いろいろと興味深いお話をありがとうございました。
シアラヴォラさんは舞台では繊細な表現をみせるので、神経質な方ではないか、と心配でした。ところが、明るく率直に自由にユーモアをまじえてお話ししていただき、とても楽しいインタビューでした。青い地中海に囲まれた島で育った方らしく、おおらか。
今後は札幌の森バレエセミナーや2014年のエトワール・ ガラほかの来日予定があります。
(2013年5月31日 日本コロムビア本社)