谷桃子バレエ団芸術監督、高部尚子に聞く
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----クラシック・バレエは何歳くらいから始められたのですか。
高部 4歳から習い始めました。
----谷桃子先生のお弟子さんだった小野先生に習われていたのですか。
高部 はい、中学1年生になった時に、谷先生のところに行きなさいと言われました。
----ローザンヌ国際バレエコンクールに出られたのはいつですか。
高部 高校1年の最後です。まだ谷桃子バレエ団に入団していませんでしたが、研究所の高等科にいました。研究所の最後の学年で谷先生のクラスの時です。
撮影/スタッフテス 谷岡秀昌
----ローザンヌに行かれて初めてマーサ・グラハムのテクニックをご覧になったそうですね。
高部 はい。コンテンポラリー・ダンスの試験があって、16歳の時、初めてコンテンポラリー・ダンスに接しました。ローザンヌではマーサ・グラハムのカンパニーで踊っていらした女性の先生でした。今は、事前に決められた振付を踊るようですが、私が参加した時のローザンヌでは、その場で30分か1時間くらいで、振りを与えられてその日の夕方に舞台で踊らなければならない、というコンペティションでした。いかに短い時間で振りを覚えて、それを舞台で自分なりのニュアンスを込めて踊れるか、というところが採点の評価です。でもその日にもらった振りなので、舞台に上がると振りが飛んでしまう人が多かったですね。その振りを間違えなく踊る、ということが一つ。プラス自分なりの表現を加えなければならなかったので、非常にドキドキしましたけれどとても面白かったです。私は何とか無事に踊れましたが、振り忘れちゃったりすると舞台で棒立ちになってしまったりする人もいましたけど、外国人は振りを忘れても自分で勝手に作って踊ったりとか、何も浮かばなかったら忘れた部分はずっとスキップしているとかします。当時は、そこに外国人との違いを感じて、カルチャーショックを受けました。
----グラハムの振付はどうでしたか。
高部 男の子も女の子も全員同じ振りを与えられましたが、グラハムのカンパニーの方の振付でしたから、そんなに特別に難しい振りというものではありませんでした。グラハムのテクニックは入っていたと思いますが、私は、人に振りを与えられてそれになにか自分の解釈を加えて踊る、というのが若いの頃から好きだったので、緊張した中にもすごく楽しんでできました。
----それからロイヤル・バレエ・スクールに留学されましたね。
高部 1984年にローザンヌ国際バレエコンクールでスカラシップを受賞した時、学校の選択肢って12校くらいありました。パリ・オペラ座バレエ学校もスクール・オヴ・アメリカンバレエ(SAB)もありと、今、考えると贅沢な選択でしたね。でもやはり16歳ということで、当時はまだニューヨークは怖かったですし、現地の治安の問題が大きかったです。堀内元さんも充さんも私の2年前くらいに行ってましたが、女の子の場合は一人ではちょっと不安でした。オペラ座は外国人をあまりよろこばないのではないか、といわれていましたし。
結局、私はロイヤル・バレエ・スクールに行きましたが、わりと居心地はよかったです。先生もよかったですし、よく言われる変な意地悪もありませんでした。とはいえやはり、ホワイトロッジから上がってきた生徒が大事にされているとか、イギリス人が大事にされているとは感じました。同じレベルだとイギリス人が役をもらえますから、外国人は相当上手くならないとだめでしたね。
樫野隆幸と 撮影/スタッフテス 谷岡秀昌
樫野隆幸と 撮影/スタッフテス 谷岡秀昌
----テクニックとしては苦労されたことはありますか。
高部 私は脚がどちらかというと内向なので、アンディオールは苦労しました。私は3年生に編入したのですが、担任はスラミフィ・メッセレル先生でした。私は谷桃子バレエ団にメッセレル先生が振付けた『ラ・バヤデール』に子役で出演していて、ロイヤル・バレエ・スクールに行ってからも、日本でお世話になった先生が担任でした。その頃から、ロイヤル・バレエ・スクールではロシア人の先生が教えるようになって数名教えていて、他のクラスではいろいろな先生にも教えていただきました。 メッセレル先生の教えはまず、アンディオールです。これが出来ないと先には進めないということで、しっかりと教えていただきました。
----メッセレルはやはりワガノワ・スタイルですよね。
高部 そうですが、ロイヤルで教えているということもあってあまり厳格にはしていませんでした。ワガノワを残しつつヨーロッパのスタイルでしたね。当時はロイヤルもワガノワを採り入れつつあったので、男性のロシア人の先生もいました。イギリスの学校なのになぜロシア人を入れるのか、という声もあったようですけれど。でもイギリスではロシアのバレエ団はすごい人気でした。彼らはロシア・バレエが大好きですね。 私は、今、教える側になってワガノワ・スタイルもやはり大切だな、と思うようになりました。谷桃子バレエ団では、2015年の『海賊』からエルダー・アリエフ(元マリインスキー・バレエ、プリンシパル)の振付を採り入れるようになって 、2016年には『眠れる森の美女』も上演しましたが、ワガノワ・スタイルですと、やはり、コール・ド・バレエはよく揃いますね。統一感があるというか、バレエとしてひとつのものを作り上げる時にはとても有効です。
実は来年『ラ・バヤデール』を上演しようと思っています。谷桃子バレエ団のレパートリーに入っているのは、以前にメッセレル先生に振付けていただいたものですが、今、それを見直しています。やはり、『ラ・バヤデール』はとてもおもしろいですね。
----ラスト・シーンはどうだったのですか。
高部 メッセレル版の最後は、ソロルがアヘンを吸って、黄泉の国でニキヤと再会して永遠の愛を誓い、夢の中で死んでいく、というものです。ラストシーンは天上から白い布が落ちて来て、その布をソロルに被せて祈りを捧げて終わりです。
その後、望月則彦先生の頃には、ニキヤが長い坂を白い布引いてソロルを天上に連れて行く、そしてソロルがひれ伏すというものです。屋体崩しは無しで、美しいシーンで終わるのが谷桃子バレエ団の舞台でした。谷先生らしくて、谷桃子バレエ団で上演する場合はその方がいいのではないかと思います。
三木雄馬と 撮影/スタッフテス 谷岡秀昌
----メッセレルは確か息子さんと一緒に日本に来たんですよね。
高部 『ラ・バヤデール』、ロシア流に『バヤデルカ』と言っていましたが、を振付けた時は息子さんと一緒でした。彼が主演しました。
私がロイヤルに行っていた時には、息子さんももう現役は引退されてましたが、メッセレル先生と一緒に教えていました。背が高く、足の甲が高くてとても綺麗でしたね。
----結局、メッセレルが谷桃子バレエ団に振付けたのはどの作品ですか。
高部 『ドン・キホーテ』『リゼット』『ラ・バヤデール』。最後に振付けたのが『シンデレラ』です。これはボリショイ・バレエ版に近いものですが、次に谷桃子バレエ団で上演する時は、思い切って変えようと思ってます。
----高部さんは古典名作はほとんどすべてを踊られていると思いますが、踊ると元気が出る作品というとなんでしょうか。
高部 『リゼット』ですかね。私は。
----はじめての主演作品ですね。
高部 はい、初主演です。ロイヤル・バレエ・スクールから帰国して次の年に踊らせていただきました。多分、谷先生は『リゼット』の主役が、私のキャラクターに一番合っているとお考えになっていたと思います。私はどちらかというと、スワニルダとかリーズとか村娘風の役が合っていると谷先生はおっしゃってましたから。私自身は『ラ・シルフィード』とか『ジゼル』が好きでした。けれど谷桃子バレエ団のレパートリーにありませんでしたので、結局、踊れませんでしたが『ラ・シルフィード』の全幕を踊ることが夢でした。じつは、私、エヴァ・エフドキモワの大ファンでした。彼女の全盛期を世界バレエフェスティバルで見まして、なんてきれいなんだろうと、ぜひこういうふうに踊りたいと憧れていました。 ロイヤルにいた頃は、レスリー・コリアが現役でしたし、アンソニー・ダウエルもまだ引退前で踊っていました。ゲストにミハイル・バリシニコフが来て『田園の出来事』を踊りましたし、フェルナンド・ブフォネスも『ラ・バヤデール』にゲスト出演しました。エヴァもロイヤルでリハーサルしているところを覗くことができましたし、いろんな素晴らしいダンサーたちを見ることができた一年でした。
----ドラマティックなバレエかノンプロフィットのバレエかというと、どちらがお好きでしたか。
高部 踊るのはドラマティックなバレエのほうが好きです。踊っていてもストーリーが欲しくなってしまいますね。
撮影/スタッフテス 谷岡秀昌
撮影/スタッフテス 谷岡秀昌
----谷桃子が古典と創作の2本立てで、バレエ団を導いてこられたことは本当に良かったと思います。外国の評価の決まった振付家の作品を輸入して上演することも良いことだとは思うけれど、やはり、アーティストとしてはクリエイティヴな実力を失ってしまったら終わりだと思います。その点、常に創作への意欲を持ってチャレンジし続けている谷桃子バレエ団は、良い道を進んでいると思います。
高部 そうですね。チケットのことを考えると外国人のゲストを呼んで、外国の振付家の作品を、とかそういったことがどうしても出てくると思うのですが、谷桃子バレエ団としてはここ10年くらい外国のゲストダンサーを招いていません。振付に関しても伊藤範子や日原永美子が頑張っています。谷先生が創りたい人に場を与えて、少しずつですがみんながやってきたことを大切にして、谷桃子バレエ団なりに創作ができていけばいい、と思っています。
もし外国人ダンサーをこれから招く場合は、昨年から4回にわたりエルダーが芸術監督をしているウラジオストクのマリンスキー劇場プリモルスキー分館に谷桃子バレエ団のダンサーがゲスト出演させていただいているので、文化交流の一環として招く可能性はあるかもしれません。
----それから外部の3人の振付家を招いた公演「Contemporary Dance Triple」も良い企画だと思いました。3人の中に広崎うらんが入っているところもおもしろかった。
今井智也と 撮影/スタッフテス 谷岡秀昌
高部 古典の全幕ものの継承上演、バレエの創作、コンテンポラリー・ダンスという3つの柱があるとすると、その方向性をどのようにもって行くか、ということがあります。ダンサーにとっても新しい作品の創作に参加するということは、努力のしがいもあるし、学ぶことも多いと思います。
最近はDVDやユーチューブなどが発達しているので、ついそれらを見て振付を覚えたりしてしまうことも多いかと思いますが、人から人への振り渡しがなによりも重要なことだと考えます。踊りの空気感や香りまでも伝えられますから。
今、私たちのカンパニーでは、古典を踊る場合でもまず、先にビデオは見ないこと、と決めています。よく知っている振付でも、最初に私やミストレス、マスターが振りを渡して、それを見てから映像を参考にして、という風にしています。最初の印象はとても強いので、どうしても自分の感覚で覚えてしまうと、谷先生の雰囲気とかがなおざりにされていまう、と思うからです。まず先に振りを与え、それからビデオを参考にするようにしています。
----芸術監督に就任されてからの公演と言いますと。
高部 特別公演「師の命日に贈る〜過去・現在・未来への歩み」の時は、最初からすべてに関わったわけではありませんので、2017年7月の「Contemporary Dance Triple Bill」です。その後、文化庁の「ふれあいの旅公演」、12月に『くるみ割り人形』をカルツ川崎の杮落しで上演しました。これは谷桃子先生の振付を望月先生が新演出したヴァージョンもありましたが、今回は元の谷桃子バージョンに戻しつつ部分的に私の振付も加えました。
樫野隆幸と 撮影/スタッフテス 谷岡秀昌
----まだ就任されて1年経っていませんが、芸術監督という立場に立ってみていかがですか。
高部 やはりたいへんです。ダンサーとして踊っていた時の方が気持ちはずっと楽でした。まだまだ勉強しなければいけないことがたくさんありますし、振付をしたり演出をしたりするということは、私も好きですからいいのですが、問題は指導ですね。今の若い人たちにどういうふうにモチベーションを持たせて、技術力・演技力を高めていくか、という指導がたいへんなんだな、と今、思っています。私たちの時代は厳しい先生もいらっしゃったし、上手くいかなかったらこうしようということで進んできました。ですから私は、稽古の時などついつい辛辣なことを言ってしまうのですが、今の人たちはそれじゃだめみたいです・・・。でも、例えばシンクロナイズドスイミングなどでは非常に厳しく訓練して成果を上げているじゃないですか。実績を上げるためだからそこまで厳しくやるのがいいのか、いや、やっぱりこういう時代だから、今の若い人たちがついてこられるような指導力のある方法を選択すべきなのか、今、ちょっと悩んでいるところです。もちろん、褒めて伸びてくれるのでしたらいいのですが、そうもいかないですし、たいへんです。
----そうですか。なかなか難しい問題ですが頑張っていただきたいですね。次回公演はいつですか。
高部 今年は一時スタジオを間借りしていましたが、5月に自由が丘に移ることが決まりました。
7月に洗足音楽大学の公演で、フェスタサマーミューザKAWASAKIで、日原永美子振付による『マ・メール・ロワ』を上演しますのと、11月に新国立劇場で伊藤範子振付の新作『HOKUSAI』と再演の『道化師 〜パリアッチ〜』を上演 します。12月には洗足音楽大学前田ホールで団員とスタジオカンパニーと生徒との共演で、『眠れる森の美女』の上演もあります。
音楽大学がバレエコースを作ったということは素晴らしいことだと思います。これから、指導の方もよりいっそう充実するように努力を重ねていきたいと思っています。
----本日はお忙しいところお時間を取っていただきまして、ありがとうございます。谷桃子バレエ団のいっそうの発展を心より期待しております。
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