10月に入り、オクトーバーフェストやマラソンで賑わったベルリンもいつもの雰囲気を取り戻しました。

先月9月27日には、第1回タリオーニヨーロッパバレエアワードが開催されました。ウラジーミル・マラーホフ主催で大盛況のうち幕を閉じたこの様子は別枠、ニュースの欄にレポートいたしました。
http://www.chacott-jp.com/magazine/news/other-news/1-1.html

9月は暫く日本に滞在し、9月中旬にベルリンに戻ってくる予定でしたがエアフランスのストライキに巻き込まれ大変でした。
その為、航空券を別の航空会社で買いなおす羽目になりましたが、予定日の数日後にベルリンに戻りました。
9月28日はベルリンマラソンが行われ、世界中から選手初めスタッフなど数万人がベルリンに集まりました。また、オクトーバーフェストでビールファンが世界中から集まり、私の家の近くアレクサンダープラッツ広場なども屋台ですごく賑やかでした。

9月にはベルリン・フィルハーモニーでリハーサル、テクニカルリハーサルをしました。
11月2日にベルリン・フィルハーモニーでコラボレーション公演をする為に、色々とアイデアを考えている最中ですが、バレエ関係ではない方々とお仕事をさせて頂くのもまたすごく勉強になります。
今回は、劇場での公演ではないので、限られた環境の中でどのような物が創り出せるか、自分にとってもチャレンジです。
世界初演の音楽に、どのようなビジュアルアートを加えられるか後数日アイデアを考えて行きたいと思います。

さて、今回はウクライナの情勢についても少しふれたいと思います。
10月に数日、キエフに行ってきましたが、その際自分のパスポートを見て、何とも感慨深い気持ちになりました。
1993年の10月3日、私はモスクワのボリショイバレエ学校に留学一年目(正確には行ってから一ヶ月目)でホワイトハウス爆撃事件に巻き込まれました。
その日は、私にとって今でも忘れられません。
モスクワの歩行者天国、アルバート通りが戦車で埋まり、ホワイトハウスが爆撃されゴルバチョフ政権が一日で無くなったその日、戦車を数メートル先で見た事を昨日のように思い出します。
それから20年後の2013年10月3日、私はウクライナのドネツクに行く為、アエロフロート航空でモスクワトランジット中、その戦車の光景を新聞で読んで懐かしく思い出していました。

ドネツクには初めて、いや、ウクライナ自体も初めてでした。
ドネツクにはワジムピサレフ率いるウクライナのドネツク・バレエ団、ソロヴャネンコ記念ドネツクオペラ・バレエ劇場で行われた世界バレエフェスティバルに出演する為に行きました。
今でも、素晴らしい街で立派なスタジアムや教会、豊かな町並みなどを思い出します。
ドネツクという街自体はそれまであまり聞いた事が無く、どんな街なのだろうと思いながら到着、ヨーロッパとロシアのエッセンスが交じり合った素晴らしい街で、ぜひまた来たいと思っていました。
一年前の話ですが、ダンスキューブにも少しふれています。
http://www.chacott-jp.com/magazine/d_diary/fromberlin/fromberlin-1310.html
それから、数ヶ月後、ウクライナとロシアの情勢が悪くなり今までは殆どあまり無名だったドネツクが、テレビでほぼ毎日聞こえる状態になり、私はただ情勢が良くなることを祈りつつ、ドネツクのバレエ団のダンサーたちの事を心から心配していました。

そして、今年の10月3日、まためぐり合わせで私はウクライナの首都キエフにいました。
一年前は、この同じ日に、またウクライナの今度は首都キエフに居る事になるなど想像もしていませんでした。
情勢が不安定な為に、出発前に様々な人から、考えたほうが良いのでは?今出なければいけないの?と聞かれましたが、私の気持ちは決まっていました。
キエフには、あるプロジェクトの為に行きました。
ウラジーミル・マラーホフの作品をキエフバレエ学校で上演する為、1年半前から話を進めてきましたが、そのリハーサルの為にキエフに行ってきました。
初めてのキエフ、今年の初めに戦争状態になっていたマイダンや、様々テレビでよく見た所を通りつつ、21年前のこの日のモスクワ、去年のこの日ドネツク、この日キエフと色々な思いがよぎりました。
私がバレエを学んだロシア、その当時はロシアの一部だったウクライナ、歴史が変わり行くその中をバレエを通して、自分がその中にいる事を実感する機会が本当に多々あります。

しかし、キエフは落ち着きと美しさを取り戻していました。
キエフバレエ団は日本でもお馴染みで、公演は見た事がありましたが現地の劇場を訪れたのは初めてでした。ロシアとヨーロッパが混ざり合った、どちらかと言うとロシアの色が強い豪華で素晴らしい劇場でした。
私が用事でたまたま訪れた際、「くるみ割り人形」の公演中でしたが、皆笑顔で生き生きと踊っていました。

さて、キエフバレエ学校は、スベトラーナ・ザハロワをはじめ、素晴らしいダンサー達の出身校でもあります。
バレエ学校では、入学したての1年生がバレエ学校のステージでパフォーマンスを見せてくれました。
各自、入学試験の最終審査で踊った二分以内の作品を踊ってくれましたが、ジャズ風、新体操風、クラッシックのバリエーションまで盛り沢山でした。才能に満ち溢れた、しかしまだまだこれから磨きがかかる、まさにダイヤモンドの原石達の踊りに思わず笑顔になりました。
ウラジーミル・マラーホフの作品がバレエ学校で上演される事が現実化に近づき、彼とリハーサルできた生徒達の目は、真剣そのもの、そして希望にも満ち溢れていました。

キエフバレエ学校 Photo:Emi Hariyama

キエフバレエ学校 Photo:Emi Hariyama

素晴らしい2日間に及ぶリハーサル。マラーホフは7時間のリハーサルで休憩は5分と言う熱の入りようでした。自ら踊って見せ、リフトもやって見せ、子供達にとってはこれ以上のプレゼントは無かったと思います。
私は、今回はアシスタントとして行き、今後また作品をまとめるためにキエフに行く予定です。本心では一人で今の状況で行くのは少し不安もありますが、それよりも大変な環境の中バレエを一生懸命学んでいるキエフのバレリーナ達の力に少しでもなれたらと思います。
どんな情勢にあっても、芸術は永遠に人の心に感動や喜びをを与え続けるものであってほしい、でなければいけないと再確認した旅でした。

キエフバレエ学校 Photo:Emi Hariyama(すべて)

キエフバレエ学校 Photo:Emi Hariyama(すべて)

キエフバレエ学校 Photo:Emi Hariyama(すべて)

キエフバレエ学校 Photo:Emi Hariyama(すべて)

ベルリンバレエ団にも顔を出しました。
皆、元気にいつも通りあまり変わりなくリハーサルしていました。今月はベジャールバレエがゲストでベルリン公演します。
ぜひ来月レポートしたいと思います。
実はこの数日は急にニューヨークに来て居ます。
ABTは公演していませんが、シティバレエは見に行く予定が、バランシン以外にも若手の振付家を使った公演をしている最中でとても面白そうです。

来月も色々なところからレポートしたいと思います。

インタビュー & コラム

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針山 愛美 Emi Hariyama

13 歳でワガノワ・バレエ学校に短期留学、16歳でボリショイ・バレエ学校に3年間留学した後、モスクワ音楽劇場バレエ(ロシア)、エッセン・バレエ(ドイ ツ)、インターナショナルバレエ、サンノゼバレエ、ボストン・バレエ団(アメリカ)、と世界各地のバレエ団に入団し海外で活躍を続ける。
2004年8月からはベルリン国立バレエ団の一員に。

1996年:全日本バレエコンクールシニアの部第2位、パリ国際コンクール銀メダル(金メダル無し)
1997年:モスクワ国際バレエコンクール特別賞
2002年:毎日放送「情熱大陸」出演 、[エスティ ローダー ディファイニング ビューティ アワード]受賞
Emi International Arts
針山愛美のバレエワールド

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