8月に「ルグリ・ガラ〜運命のバレエダンサー〜」で4演目を踊る、ワディム・ムンタギロフ=インタビュー
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――8月に開催される「ルグリ・ガラ」を主宰するマニュエル・ルグリとの出会いについて教えてください。
ワディム マニュエルには「世界バレエフェスティバル」の時にお会いしました。私が『海賊』のパ・ド・ドゥを踊った時に、舞台の袖で僕の踊りを彼が見ているのに気がつきました。踊るたびに毎回、そこで彼は僕を見ていてくれたのです。そして公演の後に、僕のところに来て「ウィーン国立バレエの次のシーズンにルグリ版の『海賊』全幕を上演するから、踊ってもらえませんか」と言われました。
――そうするとルグリ版『海賊』はオリジナル・キャストとしてウィーンで踊られたのですね。
ワディム そうです。ルグリ版の『海賊』は今までとは違う音楽を使った美しいパ・ド・ドゥがあります。僕は「ルグリ・ガラ」では、マリアネラ・ヌニェス(英国ロイヤル・バレエ、プリンシパル)と『海賊』第2幕よりアダージョを踊ります。
――ルグリが初めて全幕振付けに挑戦した『海賊』を踊られてみて、いかがでしたか。
ワディム 彼のプロダクションは難しいものでした。リハーサルはハードワークでしたが、とても充実していて、僕は技術的にも進化したことを実感することができました。 僕がイングリッシュ・ナショナル・バレエで踊っていた『海賊』は、アンナ=マリー・ホームズのヴァージョンでした。ルグリ版では、これとは異なっていて、アリという役が登場しません。コンラッドがずっと踊り続けます。
ワディム・ムンタギロフ (c)L.Liotardos
――コンラッドという役は、通常、大柄な男性が踊ることが多いのですが、ルグリ版ではどのようなキャラクターですか。
ワディム その点は同じですね、海賊のリーダーとして大きな人物というイメージだと思います。
――その他には『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』『ジゼル』『ドン・キホーテ』を踊られるのですね。バランシン作品は、どのくらい踊られたことがあるのでしょうか。
ワディム あまり多くはないです。『アポロ』『フォー・テンペラメンツ』『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』、あとは『ジュエルズ』の「ダイヤモンド」です。
――バランシン作品を踊る時は、他の古典作品を踊る時と違いますか。
ワディム 他の振付作品を踊った後でバランシンを踊ると、やはり、バランシンは違うな、と思います。バランシンの署名入りの作品はね。バランシン独特のムーヴメントがあって、『アポロ』を踊った後に『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』を踊ると、「ああ、これがバランシンの動きだな」と実感することがあります。上半身をオフバランスにして使う動き、クラシックの振付作品ではまっすぐ立ち、まっすぐ跳ぶということが多いけれど、バランシンの場合は腰を横に動かしたり、そうした動きがあります。
Tchaikovsky pas de deux. Vadim Muntagirov. (C)ROH , 2015. Photographed by Tristram Kenton
――英国ロイヤル・バレエにはリアム・スカーレットとかウェイン・マクレガーとかコンテンポラリー・ダンスを振付ける振付家がレジデンスでいます。彼らの作品は踊ったことはありますか。
ワディム マクレガーは踊ったことがありませんが、クリストファー・ウィールドンは踊りました。古典作品のレパートリーが多くて、若手のダンサーはそこにジャンプ役として配役されることが多いですね。ウィールドンの振付は『不思議の国のアリス』『冬の旅』『Within the Golden Hour』(1幕物)などを踊りました。
――『不思議の国のアリス』を踊るのは、いろいろと小道具などを使ったりしなければならず大変だと聞きましたが、いかがでしたか。
ワディム イエス。ミュージカルを踊るみたいで演技しているアクターの様な感じです。舞台に登場してソロのヴァリエーションやパ・ド・ドゥを踊る、というのとは違います。出たり入ったりしてケーキを盗んだり、どっかとぶつけたりなかなか大変ですが、楽しいです。
――英国ロイヤル・バレエでは、マリアネラ・ヌニェスとパートナーを組むことが多いのですか。
ワディム ええ、この2年間そうです。
ワディム・ムンタギロフ (c)L.Liotardos
――日本人のプリンシパル、高田茜とは踊られたことはありますか。
ワディム 英国ロイヤル・バレエ団に入団した時に『眠れる森の美女』で、最初にパートナーを組みました。彼女はとても実力のあるダンサーです。プリンシパルに昇格してほとんどの役を踊っていると思います。
僕は熟練したダンサーとパートナーを組むことが多く、とても恵まれていると思います。ダリア・クリメントヴァとか、マリアネラ・ヌニェスとか。
――お父さんもお母さんもお姉さんもダンサーですね。当然のようにダンサーになられたようにお見受けします。そしてダンサーになられて英国ロイヤル・バレエ団のプリンシパルとして活躍し、ブノワ賞や英国批評家協会賞も受賞されました。でも、ダンサー以外の職業になりたい、と思ったことはありますか。
ワディム・ムンタギロフ (c)Daria Klimentova
ワディム ええ、ダンサーになるということに選択の余地はなかったのです。でも幼い頃には別の希望を持ったこともありました。最初はサッカーをやっていましたし、サッカーの選手になりたかったのです。バレエを始めた頃もダンサーになるかどうかはわかりませんでした。まだ子供だったし、ただ元気よく動き回るのが好きでした。でも14歳くらいの時に、バレエは自分の人生だな、と思い、それからは他のことは考えられませんでした。
――ご出身のロシアのチェラーピンスクはどんなところですか。
ワディム ロシア南部の小さな町です。あまり綺麗ではなくて薄汚れた町です。バレエ学校はなくて、両親がチェラーピンスク劇場のプリンシパルでしたし、今でも姉は踊っています。僕は近くのパームという町のバレエ学校に行きました。ワガノワ・システムを教えているいい学校でした。
―巨大な隕石が落ちた町だとも聞きましたが。
ワディム そうそう、それだけが有名です。
―シベリア鉄道の終着点ともお聞きしました。
ワディム そうですね、私の母はハバロフスクから7日間もシベリア鉄道に乗ってチェラーピンスクまで来たのです。
----そうすると、お母さんはハバロフスクでバレエを習われていたのですか。
ワディム そうです。バレエ団に入って移籍してきたのです。
――クリメントヴァと一緒に日本でレッスンをなさるそうですね。
ワディム はい、今年で2回目になります。日本人の生徒たちはバレエがとても好きで、すごくうまくなりたいという意欲が強いので、楽しかったです。
――バレエを教えられる時に、一番大切になさっていることは何ですか。
ワディム 私の先生が言っていたことを思い出しながら教えます。始める前からアドヴァイスをして、踊ってもらって悪いところを注意します。自分自身で悪かった点を修正してきたことを伝えるようにします。僕の場合は、このようにしました、というだけで随分助けになることがあると思います。
――『ジゼル』のアルブレヒト役は、あなたにとって特別なものがあると思います。踊る時はいつもどのように心がけていますか。
ワディム アルブレヒトは私にとって、最初の大役でした。初めての挑戦で、すごくエキサイティングでした。まるで初恋の人のようです。相手役だったダリア・クリメントヴァのことも思い出します。彼女が僕のためにバレエの道を拓いてくれたところがありますし。そして第2幕では、特に演技しなくてもそのまま疲れてしまうような、とてもハードな役でもあります。
――それでは「ルグリ・ガラ」を楽しみにしている日本の観客にメッセージをいただけますか。
ワディム 日本で踊ることは本当に嬉しいです。ロンドンにいてもあと何日で日本に行けるのかな、と思っているくらいです。日本の方々は、バレエダンサーへの日々の努力に対する理解が深く、われわれに対していつも気にかけてくださっていることを感じています。日本の観客の皆様の大きな愛に、ありがとうと言いたいです。
――リハーサル中でお忙しいところありがとうございました。ルグリ・ガラの舞台を心より楽しみにしております。
ワディム・ムンタギロフ
ルグリ・ガラ〜運命のバレエダンサー〜
2017年 8月19日(土)14:00開演 大阪/フェスティバルホール
8月20日(日)17:00開演 名古屋/愛知県芸術劇場大ホール
8月22日(火)〜25日(金)18:30開演 東京/東京文化会館大ホール
▼詳細はこちら
http://www.chacott-jp.com/magazine/information/stageinfo1/post-70.html
▼公式サイト
http://www.legris-gala.jp/
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