劇団四季の創立者、浅利慶太先生が他界されました。

私が先生と初めてお会いしたのは、あざみ野の四季のアトリエです。背が高く、審査委員の中で中央の椅子に座られていました。
私と劇団四季の出会いは小学生の時に祖母に連れて行ってもらい、初めて四季の子ども劇場「人間になりたがった猫」を観たのが最初でした。主役の市村正親さんに憧れ、あの人たちと一緒に舞台に出たい。と子供心に強く思いました。

中学3年生になった時に、3歳から習っていたバレエに限界を感じ、他の世界を見ようと漫画の雑誌に載っていた『アニー』に応募しました。同じ時に母から「いつもなら高校生以上なのに、今回は年齢に制限のない劇団四季のオーディションがあるわよ。」と聞き応募しました。
「アニー」は書類審査で落ちましたが、劇団四季からは合格通知が来てあざみ野で行われるオーディションのために福岡から東京の親戚の家に一人で行きました。あの頃はグーグルマップもなく、東京を良く知らないのにどうやってあざみ野まで行ったのか覚えていません。親戚が丁寧に行き方を教えてくれたのでしょう。

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浅利先生と、キャッツの「ボンバルリーナ」を演じた時(一番左)
撮影:山之上雅信

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オーディションの時(15歳)です。:)
撮影:山之上雅信

市村さんに会えると思って行ったので、浅利慶太先生のことは知らず、演出家という言葉も知らず、「この方誰だろう?」と思ったのを覚えています。中学3年生、15歳でした。
後で聞いたのは、審査委員の方たちが早すぎるのでは?と言われた時に、音楽監督の渋谷森久先生が「あの子は取るべきだ。」と推してくださったと聞きました。
それから10年在団しましたが、浅利先生には家族のように扱ってもらい、毎年暮れからお正月は、浅利先生と野村玲子さんと数人の方で長野県にある大町別荘で過ごしました。
亡き影まりえさんが福岡出身で「がめ煮」を作られていたらしく、とても美味しいから作ってくれと言われ、母に電話して作り方を聞いて作ったこともあります。先生からは「うーん、違うな。」の一言でした。二度と作ってくれと言われませんでした。

高卒の資格は私も持ちたいと思ったので、NHK通信講座学園に4年通い、その間『ハンス』『35ステップス』『オペラ座の怪人』など8回の公演に出演しながら、やっと卒業できました。浅利先生に報告に行くとすぐに数名の俳優さんたちを呼んで、社長室で 先生と秘書の千秋さんと皆さんでお祝いをしてもらいました。そして「次は、慶應の通信大学に行け!」と言われた時はすぐに「嫌です。」と答えてみんな大笑いをされたのを覚えています。

16歳の時に『ハンス』で初舞台を踏ませてもらい、お給料も頂きました。あの時代のトヨタの新入社員より良いお給料と言われました。
数年後、保坂知寿さんが一番ステージ数が多く、その次は私と先生に言われました。ちょうどその時、全員がギャラではなく、お給料制になる時で希望が言えました。私は、出演数が多いならお給料より、回数分のギャラを希望した方が良いな。と思いそうしました^^; 今考えると、ボス(浅利先生)が総会で「地方出身の女優がせっかくお給料制にしてやるというのに、断った。」と怒っていたのが良くわかります。でもその時は、「希望が言えると言われたので言ったのに。」と思ったのを覚えています。

浅利先生から「お前は竹の子みたいだな。」と言われたのですが、母もその通りというほど、私は物事を真っ直ぐ考える性格でした。(真実という名前の通りです 笑)
先生は私にお芝居、ダンス、歌は実戦で学べ、というスタンスでした。素晴らしい先輩方を見て育ちました。

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市村さんと「ハンス」で共演させてもらった時(16歳)
撮影:山之上雅信

覚えているのは、3年目ぐらいに開口の練習をしている時に先生が入ってきて、普通は「もっと口を開けろ。」と言うのですが、私には「鏡を見ろ。」と鏡の前に連れて行かれ、「顔の表情が崩れるまで口を開くな。普通の笑顔をしてみろ、その笑顔の時の表情のまま開口をしてみろ。」と言われました。先生が「そうだ!」と言われるまでしたので覚えているのですが、全然口は開けずに、普通に話す程度で母音がはっきりわかるようになりました。
その頃の主演女優、男優の方々は、皆さんテレビ出演されても普通に見えるような話し方でしっかり言葉は聞こえていたので、私もそう指導されたと思い嬉しかったのを覚えています。

先生には「立派なレディーにするからな」と言われたのも覚えています。私はすぐに『マイ・フェア・レディー』をイメージしてヒエーと思ったのですが、よく食事に連れて行ってもらい、いろいろな知識を頂きました。
退団後、マシュー・ボーンの"くるみ割り"に浅利先生が観に来てくださり、ホリプロの担当の方から「毎回ご招待を出していますが、いつも代わりの方がいらっしゃるので、浅利先生がいらっしゃるのを私は初めて見ました」と言われたのですが、私が「1幕で帰られますよ。」というとその通りでした。私もよく先生と一緒に舞台を観に行き、1幕で「帰るぞ。」と言われたのを覚えていたので。でも、あの浅利先生がわざわざ私の舞台を観に来てくださり、その後も四季の方たちが観に来てくださったのはとても嬉しかったです。
また、マシューとカンパニーメンバーで四季の『コンタクト』を観に行った時も、先生がいらっしゃって、スタジオのみんなで記念撮影をしました。その時は退団して7年ぶりだったのですが「四季にいたらイエロードレスをやらせたぞ。」とニヤッとされて言われたので、私も「ありがとうございます」と言いながらもニヤッと先生に返しました。あの時の写真はどなたが持っているのでしょうか? 四季の担当の方でしょうね・・欲しかったです。浅利先生とマシューと一緒になんて私にはとても貴重な写真なので。

『ハムレット』にご招待して頂き、秘書の方から「先生が御主人とどうぞ。と言われています。後で先生も劇場に来ます」と言われたのですが(私の夫は日本に来ていなかったので)私だけ劇場に行きました。その時お会いした野村玲子さんに「アメリカでニュースを見てこれだけは言いたかったです。ご結婚おめでとうございます」というと野村さんから「真実もご結婚おめでとうございます」と言ってもらいました。15歳から10年間ずっとお二人を見てきたのでとても嬉しかったです。

最後にお会いした時は『李香蘭』を浅利事務所が上演された時です。親友の一人守矢直美と観に行きました。先生にご挨拶をしましたが私たちのことは覚えておられず、一緒に写真を撮りたいのですが? と聞くと、「みなさんそう言われるのですが、もうダメになったのです」と断られました。直美と多分断られたの私たちだけよ! と大受けしてしまったのですが、終演後野村さんとリサさんと楽しく話していると、先生は正面に来られて不思議そうな、一生懸命思い出そうというお顔をされていました。「この子たち、知っているぞ。でも誰だろう?」という感じです。
偶然にもこの日に日下武史さんと不二子さんもいらして、日下さんは「おー、君、元気だった?」と嬉しそうに聞かれました。日下さんともそれが最後でした。

先生が亡くなられて、その情報が日本で広まった時に、虫の知らせでしょうか? その夜はどうしても眠れず、何度も起きて普通は携帯を見ないのですが、ちらっと見たら元四季のメンバーから続々とメッセージが入っていました。みなさんがアメリカにいる私に知らせなきゃ、と思ってくださったのでしょう。その気持ちが私に届いて眠れなかったのでしょうね。

最後に、その週にニューヨークのリンカンセンターに市村正親さんが蜷川さんの『マクベス』を上演するためにいらっしゃいました。最初は、楽屋に行って会えたら良いけど、たくさんの方が訪れてお忙しいだろうからカードを残していこうと遠慮がちに考えていました。
先生が亡くなられたのを知って、思わず友人に連絡し、「どうしても市村さんにお会いしたい。私がボスにあったのも市村さんに憧れて四季のオーディションを受けたから」と。もし会えなくてもこの気持ちを伝えてもらえるだけでも嬉しい、とお願いしました。友人からはマミの連絡先を教えて、と言われ伝えました。
次の朝、携帯が鳴り普通に「Hello.」と出ると「友谷? 友谷か?」と市村さんからでした! とってもびっくりしました。《まるでボスが初心を忘れないように市村さんに会わせてくださっている感じです。》
急にウルウルきました。ボスが亡くなったと聞いても忙しくて「とうとうその時が来たか」と思っていたのですが、市村さんの声を聞いて一気に私が四季にいた時に戻ったのでしょう。市村さんも私が『ハンス』の初舞台を一緒にした16歳の時みたいに、子供に話すように「大丈夫か? 明日楽屋においで、楽屋への行き方はわかるか?」と話しかけてくださいました。
ボスがくださった再会と思いました。

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市村さんと。劇団四季に入団する前、四季の会にて(14歳くらいのころ)

市村さんは素晴らしかったです。心が震える言葉で演じられていました。蜷川さんも3年前に亡くなられ、蜷川さんのためにもニューヨークで公演され、全身から気迫が出ていました。そのお姿を見て圧倒され感動しました。
私にも浅利先生の教えがしっかり体の底に入っています。そのことに感謝しながら前を見て今を思いっきり生きようと思いました。
浅利先生のご冥福を心よりお祈りします。
先生、どうも有難うございました。心より感謝しております。

インタビュー & コラム

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友谷 真実 Mami Tomotani

マーサ・グラハム・サマースクール、劇団四季研究所、川副バレエスクールでダンスを学ぶ。
★主な出演作品:
ニュー・アドべンチュアーズ『くるみ割り人形』(クララ、キューピット役ほか)、『白鳥の湖』、『カーマン』、『エドワード・シザーハンズ』(ペグ 役ほか)、『Highland Fling』(愛と幻想のシルフィード)、州立バレエ・リンツにてロバート・プール、オルガ・コボス、ピーター・ミカなどの作品(オース トリア)、 アルティ・ブヨウ・フェスティバル(京都)、ベノルト・マンブレイの振付作;スイセイ・ミュージカル『フェーム』、『ピアニスト』; 劇団四季『キャッツ』、『ジーザス・クライスト=スーパースター』、『アスペクツ・オブ・ラブ』、『ウエストサイド物語』、『オペラ座の怪人』、『ハン ス』、『オンディーヌ』など
★TV/映画:『くるみ割り人形』(BBC)他。
★振付作品:『just feel it?以・真・伝・心』個人のプロローグ(02年);アルティ・ブヨウ・フェスティバル(98年)、他。
http://ameblo.jp/mami-tomotani/

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