「大逆転でアメリカン・バレエ・シアター正式入団が決まりました」
ABT新入団ダンサー、隅谷健人インタビュー

アメリカン・バレエ・シアターの正式団員としてこの9月に入団を果たしたばかりの隅谷健人にインタビューしました。以前にもダンスキューブで小川華歩、そして相原舞が同バレエ団に入団した際にインタビューをさせて頂きました。
弱冠二十歳、日本人男性バレエダンサーとして、全米一を誇るバレエ・カンパニー入団までの経緯、そして隅谷健人のこれまでの経験をインタビューしました。

針山:まずはバレエを始めたきっかけや、バレエを本気で続けていこうと思ったのはいつ頃か教えてください。

隅谷:姉がバレエをやっていて、6歳の時に姉のバレエを見に行ったのがきっかけです。そして10歳のころからだんだん本気になりました。そのころ今の日本の先生の小谷先生に出会いました。
最近はスタジオに男の子が増えていますが、その当時は男の子は私一人で、学校のクラスメートには自分がバレエをやっていることは言っていませんでした。留学が決まって初めて僕がバレエをしていた、と知ったクラスメートもいます。

針山:きっとコンクールにも出場したり、レッスンもハードな生活ではないかと想像しますが、周りが知らずによく続けられましたね。

隅谷:はい。14歳からコンクールに出場しました。中学、高校の時は学校が終わるとレッスンに通いました。小谷先生は厳しかったです。
17歳の2月にローザンヌ国際バレエコンクールに出場しました。その時のローザンヌでロイヤル・バレエ・スクールのゲイリーン校長に初めて会いました。僕はロイヤル・バレエのスタイルが好きで憧れていたので留学したかったのですが、その時は、「身体が細すぎる。もう少し身体を鍛えないと入学は難しい」とゲイリーン校長に言われました。
その時すでに同年4月のユース・アメリカ・グランプリ・ニューヨーク・ファイナルに出ることが決まっていたので、4月のニューヨークに向けて身体を鍛えました。

Photo / Johan Persson

Photo / Johan Persson

針山:ローザンヌでゲイリーン校長には自分から留学したいと話したのですか。

隅谷:はい。自分から話しました。

針山:自らの道は自分で切り開いるのですね。そしてユース・アメリカ・グランプリのニューヨーク・ファイナルではどうでしたか。

隅谷:ゲイリーン校長に再び会い、覚えていてくださいました。そして入学許可を貰うことが出来ました。2012年から3年間ロイヤル・バレエ・スクールに留学しました。

針山:ロイヤル・バレエ・スクールの生活はどうでしたか。

隅谷:在籍しているときは大変だと感じましたが、今になるととても良かったと思えます。
ロイヤルは基礎をとてもきっちりと行うレッスンで、技よりも基礎重視。毎日基本的なことばかりで退屈に感じそうですが、正確なテクニックが一つずつ出来るようになっていくこと、それがだんだん楽しいと思えるようになりました。
でもよく怒られました。1年目は英語が話せなかったので分からないことも多くて、2年目はリハーサルでたくさん怒られました、3年目は怒られなかったですがオーディションが大変でした。

針山:そのオーディションについて聞かせてください。

隅谷健人 Photo / Johan Persson

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隅谷:カンパニー・オーディションは3年生から受けられます。自分で行きたいカンパニーに直接メールや写真を送って、オーディションが受けられるかどうかをやり取りをします。
ロイヤルの先生とはミーティングのときにアドバイスやお勧めはして貰えますが、実際に連絡をするのは自分でやります。
ロイヤル・バレエ、イングリッシュ・ナショナル・バレエ、バーミンガム・ロイヤル・バレエのこの三つに入れるかどうかは11月くらいに決まります。

針山:新学期は9月からですから3年目が始まってすぐに決まるのですね。

隅谷:はい。今年はロイヤル・バレエ団に入れたのは女の子が一人だけでした。その段階で三つのカンパニーに入れないと分かった生徒は、みんなオーディションを探して就職先を探します。
僕もヨーロッパのバレエ団に数えきれないくらいたくさんメールを出しました。実際1月から5月にかけて8度くらいオーディションを受けました。

針山:オーディションの結果はどうだったのですか。

隅谷:ヨーロッパのオーディションは一つも受かりませんでした。オーディションの事情もあまり知らなかったので、プライベート・オーディションではなくオープン(一般)オーディションばかりに行ったのは間違えだったな、と思っていますが。
クラスメートの就職先が決まっていく中で僕は決まっていなくて、5月くらいには日本に帰るのも一つの道と考えて担任に相談をしました。担任から、「アメリカのバレエ団を受けてみたらどうか。」と言われました。
僕はアメリカのカンパニーは考えていなかったのですが、挑戦だけでもしてみようと思ってアメリカの10個くらいのバレエ団にメールを出しました。そして唯一返信をくれたのがアメリカン・バレエ・シアターでした。

針山:え! 一つだけですか? それがアメリカン・バレエ・シアター。

隅谷:はい。ビデオを二つ送るようにと返信が来ました。そしてすぐにビデオを送りました。暫くするとオーディションに来てください、と連絡が来ました。先輩の勧めもあり、とにかく出来るだけ早く行ける飛行機のチケットを取り、2泊3日でニューヨークに来ました。
オーディションはカンパニーの朝のレッスンに混ざって受けました。2日間レッスンを受けて、ディレクターのケヴィンとバレエマスターのビクターがレッスンを見に来ました。その後1週間位で返事をすると言われました。
でも1週間を過ぎても何も連絡が無かったので、駄目だった・・・と思いました。
ニューヨークに来る前にルーマニア・バレエ団のオーディションを受けていて、そちらからはOKの返事が来ました。でもやはりアメリカン・バレエ・シアターから返事を聞きたいと思ったので、結果を聞きたいとメールを出したら、OKの返事が来ました。
すごく驚きました。信じられなかったです。学校中が驚いていました。本当かどうか何度も自分の名前とメールを確認しました(笑)。6月の中旬のことでした。

針山:すごいですね! 6月ということは学校も終わりの時期ですよね、最後の最後に逆転したみたいな感じですね。

隅谷:正直言って就職が決まらなかった数か月は焦ったり落ち込んだり、あの時期は辛かったです。戻りたくないです。
そして運は大事だな!と思いました。それに3年前のニューヨークでロイヤルへの留学が決まり、またこうしてニューヨークに戻って来れたことも嬉しいです。僕はニューヨークに縁があるのかもしれない。
皆にビザが大変と言われましたが、スムーズにビザが取れて、無事にニューヨークに来られました。

針山:ビザ取得にも運がついていたのですね。9月から実際にカンパニーに入ってみてどうですか。

隅谷:まだまだ街にもカンパニーにも慣れていなくて毎日驚いてばかりです。ニューヨークの街は何事もスピードが早いですね。カンパニーの皆はとても優しいです。プリンシパルダンサーも自己紹介をしてくれたり、話しかけてくれます。
今日はイーサン・ステーフィルがレッスン指導で、僕がビデオで見ていたスターが教えているのでスゴイです。凄いダンサーたちが目の前にいて幸せです。

針山:初公演の予定が決まっていたら、是非教えてください。

隅谷健人 Photo / Johan Persson

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隅谷:まだいつ舞台に出るのかはわかりませんが、いろいろなリハーサルには参加しています。とにかく覚えなければいけない振りがたくさんで既に大変です(笑)。古典バレエではない作品の振りは特に難しいですね。でもカンパニーのダンサーたちは覚えるのがとても速いんです。
秋のシーズンからツアー、そして『くるみ割り人形』、春のメットシーズンと続き、1年目はとにかく大変だと聞いているので怪我をしないようにしっかり頑張ります。

インタビュー&コラム/インタビュー

[インタビュアー]
針山真実

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