フランドル国立バレエ団プリンシパルの斎藤亜紀20周年ガラ特別公演で『オネーギン』のタチアナを踊った、斎藤亜紀インタビュー

11月15日アントワーペン歌劇場で「亜紀とウィムの20周年ガラ特別公演」が行われ、『オネーギン』が上演され、スタンディングオベーションによる大喝采が贈られた。その翌日、主役のタチアナを踊って素晴らしい舞台を演じた斎藤亜紀さんにお話をうかがった。

S(三光) 昨晩、マリシア・ハイデが公演後のカクテルパーティーの際、廊下で休んでおられました。「はるばるアントワーペンまで来られたのですか」とたずねたら、「亜紀はテクニックだけではなく、それ以外に私がダンスに求めているものをすべて表わしてくれるからです。」「明日は朝5時の飛行機で帰るんですよ。」とおっしゃっていました。

A(斎藤亜紀) 10年前にマリシアはシュツットガルト・バレエで作った『眠りの森の美女』のキャスティングで来てくださったのです。もちろん小さいときから彼女のことは知っていて、シュツットガルトでジョン・クランコ振付の『オネーギン』をはじめ、いろいろと振付をされていたのも知っていました。その後、今から7・8年前に『白鳥の湖』をフランダース・バレエ団で上演する時にまた来て、『白鳥の湖』を私とパートナーのウィムに振付けてくださいました。彼女が芸術監督をしているチリのサンチャゴ市立劇場にも二度呼んでいただいて、踊る機会がありました。

S ハイデはフォワイエでスピーチをしてくださいましたね。

A 彼女がスピーチでおっしゃった「心がこもっていない踊りはつまらない」というのは本当にそうだと思います。プロになる前、小さい時にバレエをはじめ、技術を一生懸命みんな学びます。そして、バレエ団に入っていろいろな偉大な芸術家の方たちに会ったときに、はじめてテクニックだけではなく、テクニックをどう使ってどう表現するか、ということをマリシアやいろんな方からこの二十年間で教えていただきました。これは本当の宝です。

(C) Hans Gerritsen

「オネーギン」のリハーサルから (C) Hans Gerritsen

S 幸い平土間の6列目という近い席でだったので、視線、表情が見えました。

A 『オネーギン』は『白鳥の湖』とか『くるみ割り人形』とは違って、古典でも「新しい古典」で、いろんなマイムがあり、スタイルそのものも古典を崩してすごく現代的になっていて、最初に習っているときはチャレンジでした。古典を踊り慣れているとやっぱり古典の型で考えようとしてしまうけれど、それではだめなんです。いかに指先、目線といった本当に小さいことで、人物のキャラクターや心の中にあるものを伝えるか、ということをマリシアや今回コーチしてくださったヴィクター(・ヴァルクVictor Valcu)から指導してもらいました。自分流で考えに考えてリハーサルしても、コーチから「ちょっとこうしてみたら」といわれた瞬間に、「ああ、そうすれば観客にもっと私の言いたいことをわかってもらえる」ということに気づきます。やはり自分だけではできないんです。自分で考えて、考えたことを外から見てもらってコーチしてもらうことは本当にいい経験です。マリシアの素晴らしいところは、「ああしなさい、こうしなさい」と言わないで、「あなたの好きなように踊りなさい。」と本当に私の好きなように躍らせてくれて、「あなたにとってはこれが一番自然だとおもう」といってくれる。すごく個人個人を尊重してくれるんです。ものすごくハートの暖かい人で、『白鳥の湖』を振付けてくれた時も「私はあなたに作ってあげたいから」と言って、彼女がこうしたい、というものがあっても、踊っている私がどう見えるか、何が一番私に合っているか、を考えてくれました。私「偉大な人は違うな」と思いました。

S ウィム・ファンレッセン(Wim Vanlessen)さんとはパートナーを組んで20年になるのですね。

A ウィムと私は長く踊っています。もちろんテクニックでうまくいきたい、という部分はあるんですが、それプラスで本当に細かいところで、「あ、ここで今振り向いてくればこうできる」とか、「歩いてきてどこで自分たちが止まるか」という時に、ほんとうに二・三歩先に動くだけでも目線が変わって、その目線で雰囲気も変わる、ということがあります。そういう細かいところまでお互いに何でも言い合えるのです。古典とは全く違う仕事の仕方ですが、今回は本当に楽しかったです。
第3幕のタチアナはどう踊ったらいいのかずいぶん考えました。結婚して、素晴らしい旦那さまがいてとても愛されて、そこで彼女は幸せを見つけたけれど、100パーセントの幸せなのかどうか、ということをすごく考えて、いろんなふうにリハーサルで踊ってみました。何度もプーシキンの本を読みましたが、最後のパ・ド・ドゥで二人が会う場面の文章があるんですよ。「自分は社交界を楽しんではいない。乳母のお墓のある田舎に帰りたい」というのを読んで、彼女はそれなりに幸せだけれども、本当は運命だと諦めているだけだとわかりました。それを表現するには、長い時間があって「これが定めなんだ」と思っている、というのが自然だと思いました。一幕から引っ込み思案な人、自分から前に出て行くタイプでないから、最後のパ・ド・ドゥもああなるんだと思いました。

S タチアナは何度目ですか。

A 今回で3シーズン目です。初めて踊った時とは違いますね。3年前にも踊りました。踊っているときは寝ても起きてもタチアナのことを考えているっていうふうになるんですけど、やはりどんなにリハーサルしても、舞台に出たときは全く違う。リハーサルでも100パーセントの力で本番と同じようにするのですが、舞台には魔力があります。特別なことがあります。それまで自分が考えてきたこととずれる場合もありますが、それが肌に馴染むという感じになります。

S アントワーペン歌劇場の客席数は1100ですね。(『ドン・キホーテ』の会場となる市立劇場は2,000席)1,000人以上の人たちが見ているのは特殊な空間ではないでしょうか。

A ええ、何かが違いますね。リハーサルでいろいろ考えながらやるのと、(本番で)ある意味で空っぽになって舞台に出るときとでは違います。今までやってきたことはすべて身体に入っているから、もう舞台の上ではその今のままの自分を素直に出します。パートナーのウィムが何回も本番前に言うのは「We should be each other. お互いを感じて行こう」そうするとリハーサルとはぜんぜん違うんですね。リハーサルって言うのは、いかにうまくやるか、いかに次のステップに進むか、というのがどこかにあります。衣装を付けたゲネプロでさえそうです。本番は「ああ、この空間の中に自分たちをさらけだして、お互いを感じて、お互いの動きをフォローしていこう」ってなるんです。ある意味でエンプティー、空っぽ、その瞬間に生きる、というふうに感じます。

「オネーギン」のリハーサルから タチアナ(斎藤)とグレミン将軍(Gabor Kapin)を指導するコーチのViktor Valcu (C) Hans Gerritsen

タチアナ(斎藤)とグレミン将軍(Gabor Kapin)を指導するコーチのViktor Valcu
(C) Hans Gerritsen

S フランダース国立バレエ団(バレット・ヴランデルン)は今どのくらい公演数がありますか。

A 今シーズンはちょっと少なくて4つのプログラムです。団員は56人です。ベルギーでは珍しいクラシック・バレエ団です。フランドル絵画があり、港が繁栄して投資してという歴史があってベルギーはとても面白い国です。ウィム・ヴァンデケイビスとか シディ・ラルビ・シェルカウイとかアヴァンギャルドのコンテンポラリーダンスが盛んな国で、アントワーペンは現代的なファッションで有名です。そういう流れの中でクラシックのバレエ団は今一つだけで、弱い立場です。コンテンポラリー・ダンスが世界的にも大きな地位を占め、ユニークな活動を行っているだけに、今はこのバレエ団のディレクターも変わって、どういう色(カラー)で行こうかという転換期です。私が入った20年前から臨機応変にバレエ団が変わってきています。他の世界的に有名なパリとかロイヤルでは、パリスタイル、ロイヤルスタイルは何も変わっていません、といいます。そういうバレエ団とは違います。だからダンサーも求められるものが多いんです。人数が少ないので、じゃあみんなでやろうよ、という意気込みを感じます。みんなで集まってパーティしよう、作品をやろう、というのはコンパクトな集団だからこそできるのです。

この町のマリネラ・パネーラがローザンヌコンクールの審査員でした。彼女がコンクールの後、「アントワーペンに来ない」と声をかけてくれました。最初の10年の芸術監督はロバート・デンバース、その後にキャサリン・ベネットが来て、彼女のときに私はすごく推してもらえました。ロバートがダンサーを育てるのが好きな人だったので、ちょうど入ったばかりの私にはラッキーでした。まだ入団したばかりで、上にもいっぱいダンサーがいたのにロバートは推してくれました。「わー、すごいな」って上の人たちの舞台を毎日見ました。主役を踊るだけでなく、いろいろな経験をさせてくれました。この時にソリストからはじめてプリンシパルまでやったことで、体力的にも技術的にも強くなって、基礎を作ってもらえたのです。ロバートは最後にプリンシパルに任命してくれたんです。それで「これからどうしよう」というときにキャシー(ウイリアム・フォーサイスのアシスタントだったキャサリン・ベネッツ)が来て、「私はあなたを使いたいから、ここに残ってほしい」といわれて、他に移ろうと思っていたのに、それなら残ってみようということになりました。

そして彼女が私を全面的に押し出してくれました。キャシーはダンサーを育てるのではなく、すでにできあがっているダンサーを押していくタイプだったので、「『眠れる森の美女』を上演しましょう。あなたに『白鳥の湖』を振付けます。フォーサイスも踊りなさい」って。それでビリー(フォーサース)が来てくれて、私をすごくかってくれたんです。私はシルヴィ・ギエムの『イン・ザ・ミドル・サムワット・エレヴェイテッド』のビデオを見て育ったのですが、ビリーは「次のステップに行こう」と言ってくれて、ウィムと私にいろいろ課題を出してくれて、ギエムとは全く違うものになりましたが、それで彼は本当に喜んでくれたんです。ギエムは背が高くて長くてダイナミックですが、ビリーが私には「リスキーに、もっとワイルドに」と注文を出しました。そしてツアーも一緒に来てくれたんです。そのときに一回、私、舞台で転んじゃったことがあるんですよ。それで、「ああどうしよう」と思って手当てを受けていたら、公演後にビリーが走ってきてくれて廊下から「亜紀はどこだ、亜紀はどこだ」という声が聞こえてきて、「転んじゃったから怒られるのかな」と不安でいたのですが、ビリーは「今までの中で一番いい踊りだった」と言うんです。彼は転んでしまうぎりぎりまでの限界を求めていたんです。「『完璧できれい』というのは面白くない」と言うんです。私はウィムという100パーセント信頼できるパートナーがいるから、安心仕切ってすべてを出し切れる。ビリーはそれが好きみたい。同じバレエ団でも他の子たちには私たちがやるようにはできません。私たちがようやくなんとなく自分たちのものになってきたな、と思うとビリーは「あ、じゃこうしよう」といってすぐもっとワイルドにしたがるんですね。

今、バレエ団のレパートリーではなくなっても、「ガラで『ミドル』を踊りたいんだけれど」と電話で言うと、「亜紀とウィムならいつでも踊っていい」と言ってくれるんです。パリのシャイヨ国立劇場で踊った時は二週間の滞在でしたが、マニュエル・ルグリなどが来ていました。そういうところで踊るのはすごいプレッシャーがあったんですが、パリの気難しいバレエ批評家たちが公演後わざわざ来てくれて、「ピエトラガラも、ギエムも見た。でもあなたは全く違う独自のものを作りあげた。おめでとう」と言ってくださった。これは自分たちではできません。いいコーチがいて、私たちを信頼仕切ってプッシュしてくれるからできるのです。それで観客の方々に見ていただけて、特別な時間が生まれるんですね。今でも「あの時期があって本当によかった」と懐かしく思い出します。

S 亜紀さんは一つの街に留まって、腰をすえてダンスを続けてこられましたね。

A 16歳のときに奨学金をいただいてそのままアントワーペン(フラマン語ではアントウェルペン)に残りました。人生の半分以上を過ごしたことになります。何回も出ようと思ったことはあるんですけど。こんなに長くいるとは思わずいたんですが、ロバートがプッシュしてくれて、次のランクに入れてくれたので、「じゃあ、もうちょっといようかな」という気になったんです。プリンシパルになって「さあ出よう」と思ったら、キャシーが来て、毎年の初めに『眠れる森の美女』を、それから『インプレッシング・ザ・ツアー』『白鳥の湖』『アーティファクト』ともってきてくれて、そうすることで私たちを育ててくれたんです。
『オネーギン』はやっぱり最後でした。今朝キャシーにもメッセージを送ったのですが、彼女はものすごくいい具合に私とウィムを見て使おう、どうやったら使えるか、どうやったらバレエ団をインターナショナルな水準にもっていけるか、を計算していたんですよね。やりたい作品を踊らせてもらえたので、出る時期を逃してしまったんです。

S フランダース国立バレエ団に定年はありますか。

(C) Hans Gerritsen

(C) Hans Gerritsen

A ありません。ダンサーは自主的に辞めていきます。私はこんなに長く踊れるとは思っていませんでした。30歳くらいで、辞めるんじゃないのかなと思っていたんです。いつも楽天的に考えていて。不器用なのかもしれないけれど、目の前にあることに集中して、一個一個を終わらせていくタイプなんです。一つの作品がくると、寝てても起きていてもそのことが頭にあります。ローザンヌに行くときも前もって「どこに行きたい」とは決めていませんでした。一つのことが終わるとそこでドアが開いてきたんです。バレエ学校が終わったら、ロバートが来て「君は踊れるからハーフソリストで来ないか」って言ってくれて、学校を出たばかりでそんないい条件なら受けるしかない、と思いました。プリンシパルになった時も、キャシーが来てかわいがってくれて、「じゃあ残ろう」ということになったんです。幸運にもドアがいつも開いてくれたので、「引退後に備えて何か準備をしなければ」と考えることはあっても、「ここまできたのなら一からはじめなくてもいけなくても、それはそれでたのしめるんじゃないかな」と思えるんです。

S バレエ団は現在、バレエ監督が不在ですね。

A キャシーは三年前に政府の求めるものとのずれができて辞めて、次の監督も退任してしまってむずかしい時期ですが、ダンサーはみな毎日毎日練習して、ストイックにいいダンサーになろうとしています。すごくユニークなバレエ団だと思います。上がいないとなまけやすいのに、みんな「よくなろう」と日々の練習を積み重ねています。ここで知り合ったアメリカ人の私の彼氏(マイケル・ワイブリー)もマラーホフからナチョに監督はかわりましたが、今ベルリン国立バレエ団で踊っています。彼が昨日の公演を見ていて「ああ、このバレエ団はユニークだと思う。みんながバレエが好きで、楽しんで踊っているのがよく客席から見える。だから、観客も惹きつけられるんだ」と言っていました。「大きいバレエ団は素晴らしい面もあるけれど、機械的になってしまう面もあるので、そのバランスが難しい」ですね。
将来のことはあまり考えないんです。夢は前にマリシアにタチアナを振付けてもらったようなことがまたあってほしいのです。私はストーリーを語るのが好きなので、彼女やビリーのような人から「これを亜紀に」と言って振付けてくれるなら、それはダンサーにとって一番素晴らしいことだと思います。

昨日、『オネーギン』グレミン将軍を踊ったダンサーのリッカルド・アマランテが振付をはじめていて、私とウィムに短い4分の作品を作ってくれました。前に「他の人が踊らない作品を作ってくれない」と言ったのからはじまって、ワークショップで試して、うまくいったので二年前からガラで踊っていたら、先週キューバのバレエ団が「買いたい」、そして戻ってきたらルシア・ラカッラからメールがあって「あなたが踊ったパ・ド・ドゥをどうしても踊りたい。許可してくれないか。」というんです。リッカルドは「振付家として認めてくれたのはうれしいけれど、それをどうやって踊るかは君が作ってくれたんだ。私とウィムとリッカルドのコラボレーションでできたんだ。」と。
新しく自分のために作られた作品は特別だな、と思います。マリシアにおととい会った時、「あなたの前でタチアナを踊るなんて信じられない」といったら、アリシアが「タチアナはもうあなたのものになったのだから、踊りなさい」というのを聞いた時は、涙が出てとまりませんでした。「あなたはバレエ界に大変な功績を残してくれた。タチアナはダンサーなら誰でも踊りたい役です。あなたが残してくれた役で、私たちは幸運です」と感謝しました。母親みたいな感じですね。

S 亜紀さんがアントウェルペンにこられたころはヨーロッパには日本人ダンサーは少なかったでしょうが、今の若いダンサーにアドヴァイスをいただけますか。

A 今このバレエ団にもダンサー一人と研修生が一人います。私はローザンヌ国際バレエコンクールの審査員をしましたが、そのときにいろんな国の若いダンサーを見て、フラッシュバックで昔の自分を思い出したりもしましたが、「日本人は完璧さを求めているな」と思いました。実は私もそうだったんです。失敗を恐れて、完璧がいいんだ、と言う風に思っている。これは若いダンサーにとっては大事なことですが・・・。
ローザンヌに行ったとき私が金槌で頭を叩かれたような衝撃は「ローザンヌだ。完璧に踊らなくちゃ」と思っている自分の周りに、15・16歳の子供たちが失敗しても体当たりで舞台に出て楽しんでいるんですね。「バレエって完璧に踊るのではなくて、楽しむものなんだ」って目覚めたんです。自分が楽しまなかったら、見る人に与えることができない。完璧を求めるのは自己満足になる可能性がある。日本に生まれてよかったと思うのは、忍耐力、毎日の積み重ね、繊細さといったクオリティーです。日本は私にとって大切な基礎ですが、ベルギーという前衛の国に来て「創造性」「表現力」を教えられました。私はこの国に来てよかった。この全く違うものをミックスすることができてよかったです。若いダンサーには踊りを楽しんで、恐れないでほしいです。これをやったらちょっと難しいかな、どう見えるかな、というのではなく自分を出し切って、前にいて指導してくれる人を信頼することです。指導する人は生徒が出せる安心感を与えてほしいですね。怒られるかな、と生徒が思うのではなく、「これをやったら先生、どう指導してくれるかな」と思えたら信頼関係ができるのではないでしょうか。
長いバレエ人生を経た今、若い人には恐れないでいろんなことに挑戦して自分の道を見つけていったほしいと思います。ひとりひとりのダンサーが独自のものを見つけてほしいのです。私が小さいときから見て「ああ素晴らしいな」と思ったダンサーは(イザベル・)ゲランにしろ、ギエムにしろ、テクニックだけでも、身体条件だけでもなくて、その人にしかない違うものがぱっと出ます。身体だけでなくて、想像して頭を使っています。
他人と比べてしまって自分の中にこもってしまうのではなく、「じゃあ自分はどうやったら楽しめるかな。」って思ってほしい。客席に伝わるかどうかは自分次第です。

S お忙しいところをとても良いお話をありがとうございました。

インタビュー&コラム/インタビュー

[インタビュー]
三光洋

ページの先頭へ戻る