最新インタビュー=ニーナ・アナニアシヴィリ
「私のクラシック・バレエの最後のステージを踊ります」

20世紀から21世紀にかけて、世界のバレエ・シーンを華やかに彩ったニーナ・アナニアシヴィリ。日本のバレエファンを魅了したニーナが「私のクラシック・バレエの最後のステージです」と語る。
<ニーナ・アナニアシヴィリの軌跡〜最後のクラシック・ガラ>が、2017年3月に公演される。これに先立って、ニーナの薫陶も受け尊敬の念も篤い針山愛美が彼女の故国グルジア(ジョージア)で、舞踊家としての熱い想いを聞いた。

----私の大好きなバレエ『ドン・キホーテ』について

『ドン・キホーテ』は、私の大好きな役柄の1つで私の性格にとても合っていると思います。
私が最初に全幕主役を踊ったのは『白鳥の湖』。『ドン・キホーテ』は2番目に与えられた主役でした。ボリショイ劇場で『ドン・キホーテ』のデビューを果たし、2回目のパフォーマンスはここ、私が生まれバレリーナとして巣立った国グルジア(ジョージア)のトビリシの舞台で踊りました。
その時にはライサ・ストルチコーワ先生(ボリショイ・バレエの元プリンシパル、アナニアシヴィリの教師)も一緒にトビリシまで来てくださいました。彼女は私に、最初から最後まで1つ1つのマイムから踊りのすべてのことを教えてくださいました。ライサ先生には心から感謝しています。
そしてまた、最後に『ドン・キホーテ』の全幕を踊ったのも、ここトビリシでした。
その舞台では、私が過去にパートナーとして踊った4人の男性ダンサーと場面ごとに組み、毎回出番ごとに思い出の衣装に着替えて踊る、と言うスペシャル・パフォーマンスでした。

「ドン・キホーテ」ニーナ・アナニアシヴィリ

「ドン・キホーテ」ニーナ・アナニアシヴィリ

この記念すべき舞台によって、私は大好きなバレエ『ドン・キホーテ』全幕と別れを告げたのです。
2017年の<ニーナ・アナニアシヴィリの軌跡〜最後のクラシック・ガラ>では、私が踊る最後のクラッシック・バレエのパ・ド・ドゥとして、『ドン・キホーテ』を踊ります。パートナーは、ABTのプリンシパルダンサー、マルセロ・ゴメスを予定しています。

「ドン・キホーテ」

「ドン・キホーテ」

「白鳥の湖」

「白鳥の湖」

----ニューヨーク・シティ・バレエ団に招かれて、バランシン作品を踊ったこと

私はニューヨーク・シティ・バレエ団から1988年に招待を受けました。その前年にボリショイ・バレエ団がアメリカでツアーを行った直後のことでした。実はそのツアーの前年には、アメリカのジャクソン国際バレエコンクールで金メダルを受賞していました。
旧ソ連時代のダンサーにとって、ニューヨーク・シティ・バレエ団から招待を受ける、これはまるで夢のような出来事でした。その頃は、ペレストロイカが唱えられ少し冷戦時代が崩れかけた頃でしたが、ソビエトを出てアメリカに行くというのはまだ非常に難しいことでした。もちろん、ボリショイ・バレエのダンサーとしては初めてのことです。
私はアンドリス・リエパと2人だけでアメリカに渡り、2週間の練習期間の後、『ライモンダ』のヴァリエーションを、その1週間後に『シンフォニー・イン・C』を踊り、それが成功を収めて『アポロ』も踊ることになりました。

「セレナーデ」

「セレナーデ」

その時にはニューヨーク・シティ・バレエ団のダンサー以外で、現地でバランシン作品を踊るのはまったく初めてのことでした。ビデオが未だ無い時代だったので見たことが無い作品ばかりでしたし、ニューヨーク・シティ・バレエ団での2週間のリハーサル期間は、とても大変でした。しかし私にとっては、とても新鮮で素晴らしい経験でした。
実は私はまだ幼なかった1979年、フィギアスケートをしていた時期に、バランシンにふれる機会がありました。トビリシにツアーで訪れたニューヨーク・シティ・バレエ団公演のチケットを父が買ってくれて見に行ったのです。

その時の素晴らしい踊りや衣装から得た感動を今でもはっきりと覚えています。そして私は、私のフィギアスケートの学校にバランシンが来て、オーディションを行い、「こうして踊って見て、回転してごらん」と教えてくれ、私を選手に選んでくれた、と言う夢を見ました。その夢を私は覚えていなかったのですけれど、大人になってから祖母がその頃の私がその夢のことを話していた、と教えてくれました。
また不思議な気持ちになったこともありました。私が初めてニューヨーク・シティ・バレエ団のオフィスを訪れた際、そこバランシンの写真が掲げられてあったのですが、彼をどこかで見たことがある気がしたのです。バランシンは1983年に他界し、その5年後に私は彼のオフィスに行ったのですが、今にもバランシンが扉を開けて入って来そうな感覚に陥りました。
『シンフォニー・イン・C』の2楽章を初めて踊ったタマラ・トゥマノワはグルジア(ジョージア)人で、偶然、私も同じ2楽章でデビューしました。それも不思議な縁でした。
その後20年の間にわたってボリショイ劇場でもバランシン作品を上演出来る様に交渉し、努力して来ました。そしてちょうど私がニューヨークで踊った20年後の1998年、ついにボリショイ劇場でもバランシン作品を上演することが出来ることになり、とても喜んでいます。

----グルジア(ジョージア)国立バレエ団のディレクターとして

私は2004年以来、グルジア(ジョージア)国立バレエ団のディレクターを務めていますが、これはダンサーとして踊ることとはまったく異なる大変に難しい仕事です。
しかし、そのお話をいただいたときに3年間は私自身を試してみようと思いました。その時にはまだいろいろな所で踊っていたので難しかったのですが、ボリショイ劇場が改修工事を行うことになり、私は妊娠していたことがわかりました。そのタイミングでこの話をいただいたのだから、これは私がやらなければいけないことだと思いました。最初は、本当に大変でした。この国の経済は良くなくガソリンを買うお金もないので車が走っていないし、街には明かりもついておらず、劇場もとても難しい状態にありました。私は全身全霊を込めて劇場を良くしようと努力しました。そうした時にアレクセイ・ファジェーチェフは私を助けてくれました。
私がディレクターに就任したことによってカンパニーは国際的になり、海外からダンサーも来てくれるようになりました。
ディレクターになって今年で13年目になりますが、12年間でとっても前進したと思っています。日本にも3回、アメリカやスペインなど各地にツアーで行けるようになりました。オフィスで働くことは。私はあまり好きではありません。

ニーナのオフィス

ニーナのオフィス

できればずっとスタジオで過ごしたいのですが、なかなかそうもいきません。ですが私はディレクターの仕事以外のときには、なるべくスタジオで過ごすようにしています。
今は、カンパニーもかつてに比べて格段に良くなり、結果が出てるのでとても嬉しいです。

「小さな死」

「小さな死」

「モーツァルティアーナ」

「モーツァルティアーナ」

----これからダンサーを目指す人たちに

私は本当にたくさんのことをバレエに捧げてきたと思っています。バレリーナとしてやり残したことはないと思っていますから、後悔はしていません。
また、最近は、ドラマティックな表現をすることに興味を持っています。機会がありオペラ歌手と一緒に女優として演技をしバレリーナの役を演じたのですが、とても興味深く楽しい時間でした。
それから、私はもちろん、教えることも好きですし、国際的なワークショップを開催する企画もしています。その他、振付家と働くことにも興味を持っています。
私たちの職業はとても難しいものです。なぜなら、音楽は楽譜を見て勉強できますが、バレエは本を読んで勉強できるものではありません。素晴らしい先生と巡り会い、良い学校に行くこと、そして自身の才能も必要になります。繰り返しますが、とても大変な職業なのです。
ただし、もちろん職業としてのバレリーナもいれば、趣味として楽しみながら踊るということもできます。日本では、皆様がさまざまな違う目的によって踊っていらっしゃると思います。
踊ることを愛さなければ、ダンサーを続けていくことはできません。自分に対して厳しくなくてはいけません。外見的な美しさも必要になってきます。
私は、トビリシではワガノワ・メソードで教えていますが、バレエ以外にも、衣装のデザインや、演技の指導も積極的に行っています。皆様にはバレエを深く愛し、踊り続けてほしいと思っています。

「白鳥の湖」

「白鳥の湖」

「白鳥の湖」

「白鳥の湖」

----クラシック・バレエの最後のステージについて

今回の<ニーナ・アナニアシヴィリの軌跡〜最後のクラシック・ガラ>は、たくさんの作品を用意しています。舞台に立つ私にとっては大変ですが、それだけにとても楽しみにしています。そして日本の子どもたちにも参加していただきます。オーディションで子どもたちを選んで一緒に舞台に立つ予定です。選ばれた子どもたちは、私のアシスタントが先に日本に行きリハーサルをして踊っていただきます。子どもたちにとってとても良い経験になると思います。
今回、ボリショイ・バレエのアレクサンドル・ヴォルチコフと共に、グルジア(ジョージア)国立バレエ団から3人の素晴らしい若いバレリーナは、ニノ・サマダシュヴィリ、エカテリーネ・スルマーヴァ、ヌツァ・チェクラシュヴィリが来日します。
皆様が私を愛してくださったように、暖かく迎え入れていただければ幸いです。3人ともグルジア(ジョージア)人で、グルジアのバレエ学校を卒業した22歳です。私がとても期待している若いダンサーです。ぜひ、公演にいらして、日本の舞台で踊る彼女たちを見ていただきたいと思っております。

ニーナのオフィスにて

ニーナのオフィスにて

インタビュー&コラム/インタビュー

[インタビュー]
針山 愛美

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